35.諜報戦
翌日。光神が再び姿を現し、ようやく光を放ち始めた頃。空の彼方では、雲間からまだかすかな明るさが覗いたばかりだというのに、とある一人用宿舎の前では、すでにせわしないノックの音が鳴り響いていた。
「お義兄さん! お姉ちゃん! 会いに来たよ。私たち三人、もうずいぶん長いこと一緒に過ごしてないでしょ? いる? 返事して、返事して、返事して……」
飽きもせず続くノックと呟き声。
甘い笑みを浮かべ、ひたすら執念深く、心からの真摯な熱意を示し続けるドロシーの前で、扉はついに開いた。
だが出てきたのは、彼女が期待していた人物ではなかった。
最も愛し、同時に最も憎んでいる姉だった。
目の下には薄く隈が浮かんでいる。昨夜遅くまで話し合っていたため、ろくに休めなかったエリカは明らかに機嫌が悪く、身長差を利用していわゆる妹を見下ろすと、冷たく言った。
「いつも飼い主の家から物を盗もうとする子猫には、一度きちんと躾が必要みたいね」
「子猫は盗んでなんかいないよ。ただ、いつも高いところから見下ろしたがる飼い主より、子猫のほうがずっと可愛がられるだけ。何でも強引に自分の思い通りにしたがるのは、それくらいしか残っていない自尊心のせいなのかもね」
ドロシーは親しげで可愛らしい笑顔のまま返した。
真正面から挑発されても、エリカは怒りを見せなかった。片手を扉の脇について相手を中へ入れないまま、表情を消して考えを読ませずに言う。
「今回、勝手に飛び出したことで少しは成長したみたいね……それで、私に何の用?」
ドロシーは何を言われているのかまるで分からないとでもいうように、相変わらずにこやかに答えた。
「お姉ちゃんだけじゃないよ。お義兄さんにも会いに来たの。さっき言ったでしょ? この任務を受けてから、私たち三人、ずっと一緒に集まれてなかったんだから」
「結構よ。飼い主のものを盗み食いしようとして失敗した挙げ句、逆に飼い主を陥れた子猫になんて、私もヴィンセントも興味はない。さっさと消えなさい」
エリカは容赦なく追い払った。
だが言い終えた途端、ドロシーはその足元へ突然跪いた。
両手で真っ直ぐなズボンの裾を強く掴み、次の瞬間には涙を流しながら、哀れっぽく泣き訴える。
「お姉ちゃん……あのときは状況が切迫してて、お義兄さんはもう戻ってこないと思ったから、冒険隊のみんなの問題を解決してあげようとしただけなの。それが……私……私、絶対にお義兄さんに埋め合わせするから……」
早朝とはいえ、先ほどの激しいノックで目を覚ました冒険者は少なくなかった。
そのうえ、野営地では普段から評判のいいドロシーが可哀想に泣いている姿を見て、次第に人が集まり始める。周囲では、かつての正義告発について小声でひそひそと話す声も聞こえてきた。
辺りを見回し、自分が注目の的になっていることを確認しても、エリカは焦らなかった。
周囲の流れを利用するのは、ドロシーがよく使う手の一つだ。
エリカは小さく鼻で笑った。
自分の見栄えなど気にも留めず、長い脚を鮮やかに振り抜いて、そのまま相手を蹴り離す。
ドロシーの感動的な芝居を強引に打ち切ると、冷たく言った。
「必要ない。昇爵は、私たち自身の手で勝ち取る」
「じ、自分たちの手で……? お姉ちゃん、それって……」
弾き飛ばされて泥の上へ尻もちをつき、桃色の髪まで黒く汚したドロシーが、哀れっぽい顔で尋ねた。
「私は冒険者に復帰する。ヴィンセントと一緒に迷宮城攻略へ参加して、カンダベスを本当の意味で私たちのものにする!」
エリカは断固とした口調で言い切った。
「で、でも……お姉ちゃんの身体は……」
予想していた展開とはどこか違う。
ドロシーには、いったい何が起きているのか理解できなかった。
「あなたが気にすることじゃない。これからは私たちについてこないで」
そう告げると、エリカは部屋へ戻り、扉を勢いよく閉めた。
あとにはドロシーだけが、地面に座ったまま取り残された。
顔見知りの親切な冒険者が何人か近づき、ドロシーを慰めようとしたが、彼女は儚げな笑みを浮かべてすべて丁重に断った。
だが、その場を離れて歩き出すと、可愛らしい女性は再び顔を伏せた。
桃色の髪が顔を覆い隠す。
その下に隠された表情は、普段のような生き生きと目まぐるしく変わるものではなかった。
激しく昂ぶり、異様な狂気を帯びたものへと変わっている。
口からは、同じ言葉が何度も低く漏れていた。
「おかしい……おかしい……お義兄さんも変。お姉ちゃんも変。絶対に何か隠してる。二人は……二人は……私を置いていこうとしてる!」
遠目からでは、可愛らしい少女が何を呟いているのかまでは聞き取れない。
だがドロシーを見送っていた親切な冒険者たちも、おおよその事情を知っている者ばかりだった。皆、残念そうにため息をつくと、この一連の騒ぎを引き起こしたジェットを罵り始めた。
付近に潜伏し監視していた帝国側の人員も、突然の出来事がひとまず収まったのを確認すると、すぐさま作戦部へ人を走らせて報告した。
対象の二人が、近いうちに攻略作戦への参加を申請する可能性がある。
作戦部、会議センター。
報告を受けたあと、三人が慌ただしく集まって会議を開いた。
「二人が、迷宮城攻略への再参加を申請してくるかもしれんというのか?」
ドゥノは苦い顔で短い髪を掻いた。
朝早くから報告で起こされ、退役軍人である老人はまだ苛立っている。
だが仕方がない。
今、この野営地における最高責任者は彼なのだ。これほど大きな問題を、自ら処理しないわけにはいかなかった。
同じく眠っているところを叩き起こされたグリフィスも疲れを隠せず、いつもの完璧な笑顔さえろくに浮かべられていない。
帝国では貴族階級に属しているとはいえ、この前線拠点における彼の階級なら、本来は情報を上司である組長へ報告する立場だ。
ただし今回は、計画を提案した者であり、直接関わっている一人でもあるため、特例として階級を飛び越えた報告を許されていた。
「はい。たった今届いた報告です。技巧『聞き耳』を使う複数の偵察員が互いに内容を照合しています。間違いありません」
一方、傍らの帝国監察使ディアは随分と頭が冴えている様子だった。
ここでの彼の任務は皇家冒険団をしっかり監視し、重大な出来事を整理して女皇へ報告することだ。
本来なら一般の冒険者に関する問題へ口を出すことはない。
今回は事が重大だからこそ、何度も介入しているだけだった。
ディアは少し考えた。
横にいる二人がまだどこかぼんやりしているのを見ると、自ら意見を口にする。
「二人はこれを口実に冒険団と一緒に迷宮城へ向かい、そこで密かに秘宝を回収するつもりではないか? その後、何らかの事故や混乱を装って逃走する。あるいは死を偽装するつもりなのかもしれん」
「あり得る」
珍しく、ドゥノも帝国監察使と意見を同じくした。
二人の上司がそう口にするのを聞き、グリフィスもかなり目が覚めてきた。
すぐさま付け加える。
「副団長、監察使殿。むしろ好都合です。相手の計画が分かっているのなら、こちらからその思惑に乗って、やりたいようにやらせればいい」
「どういう意味だ?」
「今まで直接手を出さなかったのは、正当な理由がなかったからです。我々にはずっと、疑わしいとしか言えませんでした。ですが、向こうが実際に行動を起こせば話は別です」
「攻略中に密かに人員をつけて監視させます。対象の二人が本当に迷宮城で秘宝や、天象異変を引き起こした原因を隠そうとするなら、そのときこそ帝国の威厳を示せばいい」
「そうなれば証拠はこちらの手にあります。遊騎兵ギルドも文句は言えないでしょう。そもそも任務を発令した時点で契約を結び、手に入れた宝物は提出することになっている。それでなければ、我々が巨額の賞金や優遇された報酬を用意して、大勢の冒険者を集める意味もありませんから」
ドゥノはしばらく考えた。
道理の面でも立場の面でも、グリフィスの提案に特に問題はないように思える。
帝国監察使へ視線を向けると、ディアも小さく頷いた。
最後にドゥノは決断した。
「それでいく。対象の二人が任務への参加を申請してきたら、すぐに迷宮城の前線へ回せ」
そして厳しい口調で続ける。
「いいか! 絶対に逃げる機会を与えるな。今回はお前も任務に参加しろ。表向きの監視役として対象を見張れ。俺は別にいくつかの戦闘部隊を後方から密かにつける。失敗するな!」
自分まで前線へ送られると聞き、グリフィスは内心で悲鳴を上げた。
だが表情だけは、当然の責務を引き受けるように引き締める。
「はい! 必ず任務を果たします」
ドゥノは満足そうに頷いた。
攻略をかなり長く停滞させていた厄介事も、これでようやく片づく。
さらに続けて命じる。
「今の偵察員による監視も緩めるな。人員を倍にしろ。必ず常時、誰かが対象を見張っている状態にしておけ!」
「はい。それと……確か副団長は、老バダにも人員をつけていましたよね。彼とヴィンセントは以前の仲間です。老バダともう一度組ませて前線へ向かわせれば、相手も疑いにくいのでは……」
ふとそのことを思い出したグリフィスは、一縷の望みを託して提案した。
うまくいけば、自分だけこの件から抜けられるかもしれない。
だがそのとき、帝国監察使ディアが突然、馬鹿にしたように鼻で笑った。
ドゥノへ一度視線を送ると、そのまま身体を翻して会議センターを出ていく。
「老バダは以前、あいつと隊を組んでいた。この件では頼りすぎるわけにはいかん。それに、すでに方針が決まった以上、皇家冒険団がそこまで外部の力を借りる必要もない」
ドゥノの顔が険しくなり、低く厳しい声で答えた。
グリフィスには、何がまずかったのかよく分からなかった。
だが嫌な予感だけはする。
しかも自分が迷宮城へ行かされるかどうかが懸かっているため、仕方なくもう一度探りを入れた。
「副団長、老バダは非常に経験豊富です。それに彼も帝国の爵位を求めて参加しているのですから、そこまで心配する必要は――」
言葉の途中で、グリフィスは口をつぐんだ。
ドゥノが突然こちらを振り向き、鋭く険しい目で睨みつけていたからだ。
大きな手が机を激しく叩く。
怒声が会議室に響いた。
「グリフィス! バランド学院卒業! 騎士団に所属した経験もなければ、正面から戦った経験もない! 懐智派の貴族社会で育った小僧め! お前がいつも使っているくだらん小細工を、俺の冒険団に持ち込むな!」
「ち、違います……副団長、俺は……俺はただ……」
つい先ほどまで普通に話し合っていたというのに、突然上司に机を叩かれ、大声で叱りつけられた。
しかも自分を睨む血走った両目からは、相手がどれほど不満を抱いているのかがありありと伝わってくる。
グリフィスは一時、完全に狼狽した。
どうして突然こんなことになったのか理解できない。
「自分の仕事をしろ! できないなら帝国へ帰れ!」
怒鳴りつけられ、これまで何事も順調に進んできた貴族の男は、そのまま会議センターから追い出された。
朝から急に起こされ、まだ頭がぼんやりしていたこともあり、作戦部を出たあとになっても、帝国監察使の嘲笑と副団長の怒りがいったいどこから来たものなのか、まるで分からなかった。
会議センターの中。
ドゥノは椅子に座ったまま、大きく息を吐いて怒気を鎮めようとしていた。
表情は何度も変わる。
そして、かつて戦友から聞かされた忠告を思い出した。
高位騎士団の将官には、帝国監察使の存在を嫌う者が多い。
それは女皇が自分たちの能力と忠誠を信用していない証拠だと考えているからだ。
だが実際には、その鬱陶しい存在だからこそ、自分たちの知らない数多くの暗部を見つけ出せることが、往々にして証明されていた。
ドゥノは、数日前にディアが自室へ届けてきた分厚い資料を思い出した。
ヴィンセント、エリカ、ドロシーに関する記録。
その中には、正義告発の一件にグリフィスが関わっていた痕跡も少なからず残っていた。
懐智派の貴族たちが普段から、人を不快にさせるような小細工を好んで使うことは知っている。
それでも、自分までその策の中に組み込まれていたと知れば、腹立たしさは収まらない。
考えれば考えるほど苛立ちが募り、ドゥノはとうとう悪態をついた。
「肥え太った帝国の虫め!」




