1.冒険者
「ヴィンセント……おい! ヴィンセント、話しかけてるんだぞ」
何度も名前を呼ばれ、男はようやく反応した。手にしていた支給の食事を置き、平凡な顔に淡泊な表情を浮かべたまま、隣にいる仲間へ顔を向ける。
まだかなり若く、いつも大声で騒いでは周囲の注目を集めたがる丸顔の青年は、ヴィンセントがようやく自分を見たことに満足し、得意げに話を続けた。
「知ってるだろ? 今回、蒼藍帝国が遊騎兵ギルドを通さず、また皇家冒険団を派遣したんだ。きっと、とんでもない秘宝があるに違いない!」
ヴィンセントは小さく相槌を打ち、わずかに頷いた。
それで話を終わらせるつもりなのか、再び顔を伏せ、もう何皿目なのかも分からない支給の食事を食べ始める。
そんな態度を取られても、丸顔の青年は腹を立てなかったし、適当にあしらわれたとも思わなかった。
見た目はどこにでもいそうなこの冒険者を、彼はしばらく前から観察していた。頷いたということは、ちゃんと自分の話を聞いていた証拠だと知っている。
冒険者には、変わった性格の妙な連中がいくらでもいる。
いつか自分だけの伝説を打ち立てようと志す丸顔の青年は、酒場でこっそり冒険者たちの話を聞いていた頃から、そんなことは十分に承知していた。だから、いちいち馬鹿みたいに驚いたりせず、相手の変わったところくらい大らかに受け入れてやれる。
もちろん、その理由の一部はドロシーのためでもあった!
「ヴィンセント、もし俺が秘宝を見つけたらどうする? 蒼藍帝国なら、きっとものすごい褒賞をくれるぞ!」
「世襲爵位に金銀財宝、実領地だ。もしかしたら、どこかの貴族のお嬢様に見初められたりして! ははは!」
丸顔の青年は話せば話すほど興奮し、想像が最高潮に達したところで、口を閉じることもできないほど笑いだした。食べかすの挟まった上下の歯まで丸見えになっている。
得意満面になりながらも、彼は何度もヴィンセントを盗み見ていた。少しでも自分に注目してほしいらしい。
近くにいた者たちも、同じく皇家冒険団に雇われた冒険者だった。
一日中の疲れを終え、ようやく休めるというのに、騒がしい声を延々と聞かされてはたまらない。ついに一人が我慢できず、はっきりと言った。
「もういいぞ、ジェット。出発してから何日経ったと思ってる。お前の夢物語はもう聞き飽きた。ドロシーが好きなら、直接本人のところへ行け。ずっとヴィンセントに絡んでどうする?」
「カルロのおっさん! お、俺は……ただ話をしてただけで……そう! 話だよ! 一日中、獣車に乗ってるだけじゃ退屈だろ? 今回の任務について話せば、みんなも状況を知れてちょうどいいじゃないか」
思惑を見抜かれたジェットは丸い顔を真っ赤にし、慌てて両手を振りながら弁解した。
「はっ、何考えてるかなんて誰にでも分かるさ。朝から晩まで女の尻を目で追いかけやがって。自分の偉大な冒険叙事詩を作るついでに、美しい出会いまで欲しいんだろ。若いってのはまったく……」
リーダーであるカルロが口を開いたのを見て、ほかの年長の冒険者たちも次々とジェットをからかい始めた。
迷宮城の探索だけでも十分に危険なのだ。そこへわけの分からない痴情のもつれまで持ち込まれてはたまらない。
「そうだぞ、ジェット。思ってることがあるなら、もう少し勇気を出して、堂々とあの可愛い娘のところへ行けばいい。分からないことがあるなら教えてやるぞ!」
「ウヘ、お前が何を教えるんだ? 幽香長街の店選びの心得か? 人には言えない自己健康診断十箇条? それとも各都市の『極楽の国』案内か?」
「おっ、それなら俺も興味があるぞ。ウヘ、早く話せ。ガキが一日中もじもじしてる恋愛話より、そっちの方がよっぽど面白い」
何人かの年長の冒険者は、女の話となった途端にどんどん盛り上がっていき、気まずそうに輪へ加わろうとしている丸顔の青年など完全に無視していた。
冒険者の暮らしは浮き沈みが激しい。
いつ明日がなくなるかなど、誰にも分からない。
楽しめる時に楽しむ。それがすべてだった。
「ゴホン!」
盛り上がりがますます熱を帯びてきたところで、カルロが再び声を上げた。
「みんな。うちのジェット坊やが発情期に入ったのはともかく、こいつの言ってることにも一理ある。そろそろ今回の任務について、きちんと話しておこう」
言葉が終わると同時に、粗末な大テントの中は一瞬で静まり返った。
まだ少し戸惑っている丸顔の青年はともかく、それまで黙々と食事を続けていたヴィンセントまで皿を置き、屈強な中年のリーダーへ顔を向ける。
カルロは立ち上がると、連日の獣車移動で凝り固まった身体を軽く伸ばした。
皇家冒険団が用意した大テントは古びて粗末なものだったが、少なくとも十分に広く、頑丈でもある。
名の売れていない彼らのような冒険者にとっては、それだけでも十分満足できるものだった。
「今回、蒼藍帝国は、辺境にある壊死の大地で新しい迷宮城が発見されたという報告を受けた。しかも……持ち主がいないうえ、これまで誰にも探索された形跡がないらしい!」
その話自体は全員がすでに知っていたため、それほど大きな反応はない。
誰にも探索されていない迷宮城には、大量の素材や資源、秘宝が眠っている可能性がある。
だが同時に、それは未知であり、命を奪う危険に満ちているということでもあった。
迷宮城の探索。
それは命を積み上げて進める仕事であり、同時に、名もない冒険者である彼らが引き受けた仕事でもあった。
「カルロ。皇家冒険団の連中は、どんな種類の迷宮城なのか言ってなかったのか?」
最初に質問したのは、老バダという老冒険者だった。
今回雇われた冒険者の中では最年長であり、ほかの者たちとは違ってそれなりに名も知られている。探索経験も極めて豊富で、迷宮城の専門家と言っていい人物だった。
今回の任務でも、頼りにされている中心人物である。
そんな老冒険者からの質問を、リーダーであるカルロも軽く扱うことはできない。
だが、残念そうに首を振るしかなかった。
「外見から判断すれば、十中八九、人工造物型だ。だが、まだ探索隊が実際に中へ入って調査したわけじゃない。結局どの種類なのかは、まだ何とも言えないな」
その答えを聞き、その場にいる冒険者たちの表情が少し重くなった。
ただ一人、新人のジェットだけが不思議そうに皆を見回している。
「みんなどうしたんだ? 人工造物型の可能性が高いなら、幻境異界型や生物成長型の迷宮城より簡単なんじゃないのか?」
隣にいた大柄な男がたまらず手を伸ばし、丸顔の青年の後頭部を遠慮なく叩いた。
「皇家冒険団も、本当に誰でも雇うんだな。未知の迷宮城を探索する危険すら分かってない新人まで入れるとは……こりゃ、あまり楽観できそうにないぞ」
頭を押さえたジェットは不満そうな顔をした。
大男へ言い返そうとしたところで、先にカルロが口を開く。
「知り合い何人かから内々に聞いた話なんだが、実は皇家冒険団も探索隊をまったく送り込んでいないわけじゃない。ただ……戻ってきた奴が少ないらしい」
「何しろ新しい迷宮城だ。回収できるだけの利益があると確認されるまでは、蒼藍帝国も遊騎兵ギルドも主力を動かさない。そのせいで探索は大幅に遅れてる。俺たちでもう、雇われた冒険者の第三陣だ」
言葉が終わると、粗末な大テントの中は完全に静まり返った。
今回の冒険は、大男が言った通り、確かにあまり楽観できるものではなさそうだった。
空気が最も沈んだ、その時。
カルロが分厚い両手を勢いよく打ち合わせた。
「パン!」
乾いた音が響き、全員の意識を引き戻す。
「ファングが言った通り、今回の探索は確かに危険だ。だがその分、蒼藍帝国は報酬を惜しまない。そんなことは、任務を受ける前から全員知ってただろ?」
「まあ、可愛い女の子に一目惚れして、何も考えず申込書を書いた奴は別だけどな」
その言葉に、大きな笑い声が一斉に上がった。
笑い声は粗末な大テントを抜け、静かな夜へ遠く響いていく。
老バダを除けば、皆それほど名のある冒険者ではない。
それでも何年にもわたる任務生活で、十分な経験は積んでいる。事前に情報を集めることなど基本中の基本だった。
発情期真っただ中の丸顔の青年を除けば、だが。
隊の空気が戻ったのを見て、カルロも笑いながら続けた。
「それに、今回の任務には遊騎兵ギルドの保証こそないが、蒼藍帝国は正式に告知している。功を立てた者は、巨額の賞金、国家の秘宝、世襲爵位、実領地の中から好きなものを選べる。探索で十分な成果を上げれば、全部手に入れることだって不可能じゃない!」
遊騎兵ギルドは、依頼主と冒険者の間を取り持つ組織である。
ギルドを通して出された依頼には、それだけで一つの保証が付く。
たとえ依頼主が報酬の支払いを反故にして逃げたとしても、冒険者は遊騎兵ギルドから報酬を受け取れる。その後、本来支払われるべきものを依頼主から取り立てるのは、ギルドの仕事だ。
逆に、冒険者が任務中に悪意ある行為を働いたり、依頼主へ害を与えたりすれば、遊騎兵ギルドから相応の制裁を受けることになる。
もちろん、そうなった時に依頼主がまだ生きていれば、の話だが。
もっとも、各国や中立勢力が遊騎兵ギルドを通さず、直接依頼を出すことも珍しくはない。
五大国の一つである蒼藍帝国は、自前で皇家冒険団を組織しており、迷宮城や禁忌の地の攻略を専門に任せている。
素材、資源、秘宝のすべてを独占できる以上、他勢力と分け合いたがることは少なかった。
そのため今回、蒼藍帝国は支配下の各領地へ告知を出し、参加を希望する冒険者を広く募集した。
迷宮城で得た収穫は皇家冒険団へ引き渡さなければならないが、その代わり、約束されたさまざまな褒賞を受け取ることができる。
多くの冒険者を安心させるため、蒼藍帝国は迷宮城攻略そのものには遊騎兵ギルドを関与させなかった一方、特別に中立の査定役として参加することだけは認めていた。
査定額の水増しや、悪意ある買い叩きが起きないようにするためだ。
ここにいる者の多くは、すでに経験を積んだ冒険者だった。
カルロが隊の士気を上げようとしていることくらい分かっているし、それに付き合って、形ばかりの雄叫びを何度か上げてやる程度のことはする。
あちこちから声が上がるにつれ、粗末な大テントの空気も確かに温まり、活気が戻っていった。
盛り上がりが頂点に達すると、皇家冒険団から支給された安酒を飲み始める者まで出てくる。
五大国や大勢力から出される依頼には、こうした利点がある。
衣食住や移動手段に困ることはまずなく、今回は装備品や修繕費にまで補助が出る。
何もかも自前で用意しろと言ってくる貧乏な依頼主とは違い、任務を終えてみたら稼ぎより持ち出しの方が多かった、などということにはなりにくい。
酒杯が行き交い、楽しげな声が絶えない。
そんな中、一人の年長の冒険者が酒の勢いもあって、今なお黙々と食事を続けるヴィンセントへ声をかけた。
「おい、ヴィンセント。お前、一日中よく食うな。冒険者でも、お前ほどいつも腹を空かせてる奴は見たことないぞ。辺鄙な田舎に、小さな領地を持ってるって話じゃなかったか?」
「カンダベス」
名前を呼ばれたヴィンセントは皿を置き、平坦な声で相手の言葉を訂正した。
今夜五人前目の食事も、ほとんど食べ終えている。
「そう! カンダベスだ。もう領地まで持ってるのに、どうしてこんな探索任務へ参加したんだ? しかも、あんな可愛い女の子まで連れてきて。新しい迷宮城なんて危険だろう」
年長の冒険者に悪意はなかった。
彼にも家庭があり、娘はドロシーとそれほど歳が離れていない。
もし、いつか自分の娘が数え切れないほどの命を呑み込む場所へ入らなければならなくなったら。
想像するだけでも恐ろしくなる。
いつの間にか近くまで寄ってきていたジェットも、耳をそばだてていた。
彼はまだ新人冒険者にすぎない。
任務掲示所でドロシーを見かけて一目惚れし、彼女のためだけに今回の探索任務へ参加したのだ。
「功績が足りない。俺はまだ従男爵だから、世襲はできない」
「いいじゃないか! もう従男爵なのか? 蒼藍帝国のために、こういう任務を何度もこなしてきたんだろ?」
ヴィンセントが従男爵だと知った途端、大テントの中にいる者たちの視線が一斉に集まった。
老バダまで、彼を改めて何度か見ている。
各国から出されるこうした大規模な複合任務では、冒険者のほとんどが巨額の賞金か、自分の力を高められる秘宝を選ぶ。
血と火の中を渡り歩く暮らしに慣れきった彼らにとって、領地を管理するなど、面倒で難しいだけの仕事だった。
爵位を持っていると明かしても、ヴィンセントの態度に変化はない。
皆から熱い視線を向けられても気分を高ぶらせることなく、淡々と答えた。
「三回。今回は四回目だ」
「ははは! みんな、こっちには光神に三度も見守られた幸運な奴がいるぞ! 今回の任務はきっとうまくいく。大儲けだ!」
リーダーのカルロがすかさず声を張り上げると、少し酒の入った者たちも大声で応じた。
場はたちまち大騒ぎとなり、先ほどまで残っていた沈んだ空気も、今やすっかり消えている。
酔っ払いたちに囲まれる中、ようやく機会を見つけたジェットが、再びヴィンセントの前へ近づいた。
緊張した顔で、しどろもどろに尋ねる。
「じゃ……じゃあ、ドロシーも? こういう任務に三回参加したことがあるの? だ、誰かが守ってやった方が……よくないか?」
その質問を聞き、いつも無表情に近いヴィンセントが珍しく少しだけ目を瞬いた。
しばらく考えてから答える。
「一回だけだ。だが、ドロシーは小さい頃から冒険者をしている。たぶん、守る必要はない」
その答えに、ジェットは明らかに肩を落とした。
活躍する機会を失った彼も、とうとう黙って安酒を飲み始める。
ただ、その目だけは何度も、外の少し離れた場所にある別の粗末な大テントへ向けられていた。
そこは、女性冒険者たちの休憩場所だった。




