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托卵されたと思ったら生まれてきた赤ん坊がロボだったので、逃げた嫁の代わりに育てます  作者: グミ食べたい


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第1話 生まれた我が子?と消えた妻

 俺は今、人生で一番落ち着かない三時間を過ごしている。

 総合病院、分娩室の前。妻が、中で子供を産んでいる。

 立ち上がる。座る。また立ち上がる。

 ……さっきから同じ動きしかしていない。我ながら、ハムスターか何かか。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 男にできることは、ここで待つことだけだ。どっしり構えていればいい。父親なんだから。


 ……いや、待て。父親だって?

 俺が、父親に……。

 急に実感が押し寄せてきて、また立ち上がってしまった。

 ついでに胃がきゅっと痛む。

 ……出たな、こいつ。緊張するとすぐこれだ。長年の付き合いだが、いまだに慣れない。


 座れ。座って待て。どっしり構えていろ。

 そう自分に命じて、また腰を下ろす。

 なのに――三秒で立ち上がる。

 ……だめだ。言うことを聞かない。俺の体なのに。


 四十二歳。市役所勤めの地方公務員。

 絵に描いたような安定志向で、刺激とは無縁の人生を歩んできた。

 ギャンブルはやらない。煙草も吸わない。酒も飲まない。

 付き合いで口をつけることはあっても、すぐ顔が赤くなって、胃が痛くなる。だから、自分から飲もうとは思わない。

 ……我ながら、面白みのない男だと思う。

 唯一の不安要素といえば、この弱った胃腸と、最近少し心もとなくなってきた頭頂部くらいのものだ。


 そんな代わり映えのしない俺の人生で、たったひとつ、誇れることがあるとすれば――

 八年前、こんな冴えない男に「いい」と言ってくれた、妻と出会えたことだ。

 結婚八年目。

 子供は、なかなか恵まれなかった。

 半ば諦めていた。それでも、二人ならそれでいいと思っていた。

 だから、妊娠がわかった日は、柄にもなく泣いた。

 トイレで、こっそり。

 ……これは墓場まで持っていく。


 その我が子が、今、生まれようとしている。

 女の子か、男の子か。どちらかは敢えて聞いていない。

 どちらでも構わないが、できれば妻に似てくれると嬉しい。

 あと、贅沢を言うなら、この薄くなりかけた頭頂部だけは、遺伝しないでくれると――


 ……いや。

 俺は小さく首を振った。

 何を贅沢なことを考えているんだ。

 性別も、顔も、髪も、どうだっていい。

 無事に。ただ、無事に生まれてきてくれたらそれでいい。

 それ以上のことは、何も望まない。

 そんな、どこにでもいる父親の、どこにでもある祈りを抱えて――俺は、その瞬間を待っていた。


 とはいえ、待つしかない俺にできることなど、何もない。

 妻が陣痛で運び込まれたのが昼過ぎ。それから、かれこれ三時間が経っている。

 最初のうちは、分娩室の中からくぐもった妻の声が聞こえてきた。看護師さんが慌ただしく出入りするたび、俺は「どうですか?」と聞きたくなる衝動を必死で抑えた。

 邪魔をしてはいけない。素人の俺が口を挟んでいいことなど、一つもない。

 ……わかっている。わかっているが、何も知らされずに待つというのは、これはこれでなかなかの拷問だ。

 スマホを開く。

 「出産 立ち会いなし 夫 過ごし方」と検索しかけてやめた。

 今さら過ごし方も何もない。もう三時間、ろくに過ごせていない。


 やがて、中から聞こえていた声が、ふと止んだ。

 ……静かだ。

 さっきまでの慌ただしさが嘘のように、廊下が静まり返っている。

 いいことなのか、悪いことなのか……。

 俺にはわからない。わからないから余計に怖い。

 胃がぎゅうっと縮む。

 そして、しばらくして、ほんの少し遅れて、聞こえてきた。

 ――ぴゅい、ぴゅい、という、聞き慣れない音。


 ……ん?

 泣き声、だろうか?

 いや、泣き声にしては、何か……妙に澄んでいるというか、高いというか。

 うまく言えないが、俺の想像していた「赤ん坊の産声」とは、少し違う気がした。


 ……いや、考えすぎだ。

 赤ん坊の泣き声なんて、人それぞれだろう。そもそも、こんなに真剣に赤ん坊の泣き声に耳を傾けること自体、初めてだ。

 それにドア越しだし、はっきり聞こえなくて当然だ。

 とにかく――生まれた。


 全身から、力が抜けた。

 ああ、生まれたんだ。無事に。

 ……いや、無事なんだよな? さっきの音は、本当に泣き声だったのか?

 考え出すとまた胃がうずく。やめておこう。

 俺は袖で目元を拭った。

 ……柄にもなく、また泣きかけている。

 いい歳をして、みっともない。だが、止まらないものは止まらない。

 早く会いたい。

 俺の、子供に。


 どれくらいそうしていただろうか。

 分娩室のドアが開いた。

 俺は弾かれたように立ち上がる。今度は、自分の意思で。

 出てきたのは、担当の看護師さんだった。その腕に、白い産着にくるまれた、小さな何かを抱いている。

 ……我が子だ。

 だが、まだ布に隠れて顔は見えない。


「あの、ご主人……」

「は、はい! 妻は、妻は無事ですか!」


 まず口をついて出たのは、妻の心配だった。

 子供のことも気になる。が、それ以上に、何時間も苦しんだ妻が無事なのか、それが知りたかった。


「お母さまは……ご無事です。今、別室で休んでいらっしゃいます」

「そうですか……! よかった……本当に、よかった……」


 知らずに握っていた手が、ようやく緩んだ。胃の痛みも、すうっと引いていく。

 よかった。無事だったんだ。


「あの、妻には会えますか?」

「それが……もう少し、お時間をいただくかと……」


 看護師さんの目が、わずかに泳いだ。


「お体のほうは問題ないのですが、その……気持ちの面で、少し……」


 気持ちの面。

 出産という大仕事を終えたのだ。情緒も不安定になるだろう。それはわかる。


「お母さま、お子さんをご覧になって……その、ひどく動揺されて……『こんなの聞いてない』と――」


 看護師さんは、そこではっと口をつぐんだ。

 しまった、という顔だった。

 ……こんなの聞いてない?

 それは、どういう意味だ。

 出産に、聞いていたも聞いていないもないだろう。子供が生まれる。ただ、それだけのことのはずだ。

 ……まあ、いい。

 産後で気が動転して、わけのわからないことを口走っただけだろう。妻だって人間だ。

 駆け寄って抱きしめてやりたいところだが、一人で気を落ち着かせたいと妻が思っているなら尊重するだけだ。

 俺は気を取り直して、もう一人の大切な存在について尋ねる。


「それで……子供は、男の子ですか? 女の子ですか?」


 ごく当たり前の質問のつもりだった。

 生まれた我が子の性別を聞く。それのどこに問題があるだろう。

 ところが――


「……えっと」


 看護師さんは、また口ごもった。

 ……「えっと」って何だ?


「元気な……女の子……」


 女の子。

 おお、女の子か。

 妻に似た女の子なら、それはもう、言うことなしじゃないか。


「……っぽい、感じ、です」


 ……ん?

 今、なんて言った?

 女の子……っぽい?

 っぽい、とはなんだ。

 俺の知る限り、人間の性別に「っぽい」という中間オプションは存在していない。

 女の子か、男の子か。基本はその二択のはずだ。

 なのに、医療のプロがよりにもよって「っぽい」と言った。しかも、言いながら自分でも困っている。

 というか、さっきからこっちが聞くたびに、なぜそんなに気まずそうなんだ?


「あの、っぽいというのは……?」

「……言葉で説明するのが、その、難しくて」


 看護師さんは、半ば諦めたようにそう言った。

 そして、腕の中の産着をそっとこちらへ向ける。


「百聞は一見にしかず、と申しますか……とにかく、まずはご覧になってください」


 見ればわかる。

 そういうことらしい。

 ……嫌な予感がする。

 妻が「こんなの聞いてない」と動揺し、性別の説明が難しい。

 いったい、どんな子が生まれたというんだ?

 だが、ここで問答していても始まらない。

 何より――俺は、我が子の顔が見たかった。

 ごくりと唾を飲み込む。

 おそるおそる、その白い布の中を覗き込んだ。

 看護師さんの腕の中にいる「我が子」を見て――

 俺の思考は完全に停止した。


 白い布の隙間から覗いているもの。

 それは、つるりとしたなめらかな質感の――金属、だった。

 …………。

 ……えっと。

 金属。

 いや、待て。落ち着け。

 布の加減でそう見えただけかもしれない。光のいたずらとか、そういうやつだ。

 俺はもう一度よく見た。

 うん。金属だ。

 どこからどう見ても、金属でできている。

 丸い。

 全体的に丸っこい。

 白を基調にしたボディに、淡いピンクのラインがところどころに入っている。ほっぺたにあたる部分には、桜色の小さな丸。

 頭の左右には、長い耳のようなパーツが、ぴょこんと二本。ウサギの耳と言われたら、まあ、そう見えなくもない。

 顔の真ん中あたりには、横長の、ゴーグルのようなものがついていた。

 その奥で、青い光が、ぽつ、ぽつ、と二つ灯っている。目、なのだろうか。

 口にあたる位置には、ごく浅い、横一文字の切れ目。

 それがほんの少しだけ、上に弧を描いていて――どことなく、微笑んでいるように見えた。

 布の隙間から覗く手は、関節のある、メカニカルなフォルム。その先に、小さな指が五本。


 ……ロボットだ。

 俺は確認のために、その頬をつんとつついてみた。

 こつん、と硬い感触が指先に返ってくる。

 ひんやりとして硬い。

 ……金属だ。間違いない。

 ロボットだ。


「ぴゅい」


 ロボットが鳴いた。

 ぴゅい、と。

 声に合わせて、口元の切れ目が、ぱくと小さく開いて、また閉じた。

 あの、ドア越しに聞こえた音だ。産声だと思っていたあれは、これだったのか。


「…………」


 俺は口を半開きにしたまま固まっていた。

 脳が目の前の情報の処理を、完全に放棄している。

 何か考えなければ。だが、何も浮かばない。思考がつるつると滑っていく。


 ……女の子っぽい。

 看護師さんは、確かにそう言った。

 なるほど。なるほど。確かに。

 桜色のほっぺたといい、体のピンクのラインといい、丸っこいシルエットといい、言われてみれば……女の子……っぽい。


 いや。

 そうじゃない。

 そういう問題じゃ、ないだろ。

 女の子か男の子か以前に、もっと根本的なところで、確認すべきことがあるだろ。


 ――人間ですらないんだが。


 性別を「っぽい」で濁すのも当然だ。

 性別以前に、種族の時点で詰んでいる。

 むしろ、よく「女の子っぽい」なんて、ひねり出してくれたものだ。看護師さんの語彙力に、敬意すら覚える。


 俺は助けを求めるように、看護師さんの顔を見た。

 看護師さんは、すっと目を逸らした。

 ……おいおい、逸らすなよ。

 その「私たちにも、わからないんです」みたいな顔をやめてくれ。あなたたち、プロだろ。


 もう一度、「我が子」に目を戻す。

 ゴーグルの奥の青い光が、ふつ、ふつ、とゆっくり明滅していた。

 まるでまばたきでもしているみたいに。

 そのゴーグルの下に、本当の顔が隠れているような気がして、手が伸びそうになる。

 ……いや、そんなわけないよな。中身も金属だろ。それ以前に取り外し可能なわけがない。

 この期に及んで、ついわずかな可能性に期待してしまうようだ。


 と、ウサ耳が、ぴくりと動いた。

 そして、ぴんと立つ。

 俺の気配を探っているみたいに。


「ぴゅい」


 もう一度鳴く。

 耳がふるふると揺れた。

 ……かわいい。


 ……いや。

 違う。今のは、なし。

 動揺のあまり、思考がとんでもないところに着地しそうになった。

 胃が痛い。さっきからずっと痛い。

 頭の方は、もう何も考えられない。動いているのは、この痛む胃だけだ。

 俺は腹をさすりながら、ひどく場違いにぼんやりとこう思った。

 ――こいつ、俺の頭頂部は遺伝してないな。

 つるりとして、傷一つない、なめらかな頭。

 髪など一本も生えていない。

 俺のささやかな祈り。

 「妻に似てくれ」も、「無事に」も、何一つ叶わなかったけれど、「この頭頂部だけは遺伝しないでくれ」という、たった一つの願いだけは――


 ……いや。

 待て。

 よく見ろ。

 髪が一本もない。

 つるっつるの頭頂部。

 ……これはむしろ、究極的に遺伝した姿では?

 俺の薄くなり始めた頭。その行き着く果て。

 完成形が目の前にあった。


 ……まったく嬉しくなかった。




 結局、その日は妻に会えなかった。

 看護師さんいわく、「お母様が少し落ち着いてから」とのことだった。

 無理もない。

 自分の産んだ子がロボットだったのだ。

 動揺するなというほうが無理だ。俺だっていまだに頭が追いついていない。


 ロボの赤ん坊――いや、もう「我が子」と呼ぶべきなのか、それすらわからないが――は、その日は病院で預かってもらえることになった。

 新生児室の隅、人間の赤ん坊たちに混じって、一つだけ、ピンクと白の金属の塊が、ちょこんと寝かされている。

 その絵面は、控えめに言って異様だった。

 だが、ガラス越しに見たそいつが、俺に気づいたみたいにウサ耳をぴくりと動かしたとき――不覚にも、少しだけ胸が動いた。

 いやいや。何をほだされているんだ、俺は。あれは金属だぞ。


 俺はふらふらと家路についた。

 頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 なぜだ?

 なぜ、ロボットが生まれた?

 医学的な何かだろうか?

 いや、医学でロボは生まれない。それは俺でもわかる。

 遺伝子の、突然変異とか。……いや、変異しても、さすがに金属にはならないだろう。

 ならば、何かの最先端技術か? 知らないうちに、俺たち夫婦が何かの実験に選ばれていたとか。

 ……いや、ない。あるわけがない。俺はただの市役所職員だ。


 いくら考えても、答えは出なかった。

 ただ、一つだけ確かなことがある。

 妻もさぞ驚いただろう、ということだ。

 可哀想にと俺は思った。

 十月十日、お腹を痛めて、やっと産んだ我が子がまさかのロボット。

 そのショックは、俺の比じゃないはずだ。

 俺がしっかりしないと。

 退院したら、まず妻を支えよう。原因はわからないが、二人で受け止めていけばいい。

 ――夫婦なんだから。


 そう俺は決めた。

 ……我ながら、上出来の心構えだと思った。

 その心構えが、完全に無駄になるとも知らずに。




 数日後。妻の退院の日。

 俺は職場を早退した。

 午前中はそわそわして仕事にならず、上司に「妻が退院するので」と頭を下げて、昼で上がらせてもらった。

 病院まで迎えに行くつもりだった。

 車も洗った。乳児用チャイルドシートはすでに設置済みだ。後部座席には、妻が少しでも楽に座れるように、新しいクッションも置いた。


 病院に向かう前に、一度、家に荷物を取りに戻る。

 玄関の鍵を開けて――俺は、おや、と思った。

 鍵が開いている。


 ……あれ?

 俺、ちゃんと閉めて出たよな。

 ……いや。今朝は迎えのことで頭がいっぱいで、ろくに覚えていない。たぶん、閉め忘れたんだろう。

 そう思ってドアを開けて――足が止まった。


 玄関に、見覚えのある、紺色のバッグが投げ出されていた。

 妻が入院するときに持っていったやつだ。

 着替えだの、タオルだのを詰め込んだ、あれ。

 ……帰ってる?

 妻が、もう?

 だけど、迎えに行くって、あれだけ言っておいたのに。連絡もなしで?

 それに、この置き方。

 玄関にものを出しっぱなしにすると、口うるさいくらいなのに、まるで放り出したみたいに……。

 いやな予感が胸をかすめる。

 ……無事、だよな? 何かあったんじゃ……。


 そのときだった。

 奥の部屋――生まれてくる子のためにベビーベッドを用意したリビングから、かすかに音がした。

 ぴゅい、と。


 ……え。

 あの子は、病院にいるはずじゃ?

 俺がこれから迎えに行くはずなのに……。

 なぜ、あの子の声がこの家からする?


 俺は急いでリビングへ向かった。

 周りに家具がなく安全な場所に置いたベビーベッド。

 半年前、二人で選んだ。妻が「これがいい」と、笑って指さした、白い木のベッド。

 その中に――ピンクと白の丸っこいロボが、ちょこんと寝かされていた。

 小さな産着にくるまれて、ゴーグルの奥の青い光を、ぼんやりと明滅させながら。

 ぴゅい、ともう一度鳴いて、ウサ耳が、ふるりと揺れる。

 まるで、「おかえり」とでも言うみたいに。


 ……妻が、連れて帰ってきたのか。

 ちゃんとベッドに寝かせている。

 じゃあ、妻はどこにいるんだ?


「……おーい、一人で帰ってきたのか?」


 誰もいない家に、俺の間の抜けた声が響いた。

 返事はない。

 あるのは、ロボのぴゅい、という電子的な鳴き声だけ。


 俺は家じゅうを探した。

 台所も、風呂場も、ほかの部屋も。

 妻はどこにもいなかった。

 いやな予感が膨らんでいく。

 俺の予感は、こういうときだけよく当たる。


 リビングに戻る。

 ダイニングテーブルの上に、一枚の紙が置かれていた。

 なんだろう? 書き置きだろうか?

 「ちょっと出かけます」とか、そういうやつかもしれない。

 俺は、半ばすがるような気持ちで、それを手に取った。

 便箋には、見慣れた妻の字で、こう書かれていた。


『ごめんなさい。

 あの子は、あなたとの子ではありません。

 托卵していました。

 でも、まさかロボットが生まれるなんて、私も思っていませんでした。

 あんな子、私には育てられません。

 探さないでください。

 冷蔵庫のプリン、賞味期限が近いので、食べてください』


 …………。

 ……え?

 俺は、もう一度、頭から読んだ。

 一文字ずつ、確かめるように。


 ……托卵。

 托卵、って。

 あの、鳥の。カッコウとかが、よその巣に卵を産んで、育てさせる、あれか。

 待ってくれ。

 ということは。

 あの子は俺の子じゃ、ない?

 妻が俺の知らない、誰かと?


 ……嘘だろ。

 ロボットが生まれたことより、正直、そっちのほうがショックだった。

 俺は一度だって疑わなかった。

 ロボが生まれたあのときでさえ、「医学の不思議」だの「国家プロジェクト」だの、見当外れな心配ばかりしていた。

 妻が浮気しているなんて。そんな可能性、頭の片隅にもなかった。

 だって、俺はしないから。

 浮気なんて、する気も、される心配も、したことがなかった。

 妻もそうだと、何の疑いもなく信じていた。


 ……信じて、いたんだけどな。

 胸の奥が、しん、と冷えていく。

 胃ではなく、もっと奥の芯のところが。

 それでも、と俺は震える指で持った便箋に、もう一度目を落とす。

 『まさかロボットが生まれるなんて、私も思っていませんでした』……それは、こっちのセリフだ。

 というか、その書きぶりだと、人間の子だったら、しれっと俺の子として育てさせる気だったのか。

 ……それはそれで、なかなかにひどくないか?

 『あんな子、私には育てられません』か。

 あんな子、って。

 ……まあ、ロボだけど。

 そもそも、育てるというカテゴリーに属するのかさえわからんけど。


 そして、最後の一文。


『冷蔵庫のプリン、賞味期限が近いので、食べてください』


 …………。

 なぜ、ここだけ、こんなに平常運転なんだ。

 不倫と、托卵と、失踪。

 人生を揺るがす告白を、三連発でぶちかました、その直後に。

 なぜ、プリンの賞味期限を気づかえる。

 その図太さが、ほんの少しでもあれば、ロボの一台や二台、育てられたんじゃないのか?

 俺は便箋を、そっとテーブルに戻した。

 そして、誰もいないリビングで、ぽつりとつぶやいた。


「……俺も、ロボの育て方なんて知らないよ」


 返事はない。

 当たり前だ。妻はもういない。

 窓の外が、やけに明るい。

 こんな日に限って、憎らしいくらいのいい天気だった。


 この家は、子供のために貯めていた金を、頭金にして買った。

 なかなか授からなくて。半ば諦めて。それなら、せめて夫婦二人で住む家を、と。

 それなりの頭金を入れたぶん、ローンは無理のない額にできた。

 定年までに、こつこつ払っていけば、ちゃんと終わる。

 そういう、堅実な計算で買った家だった。

 その家に、今、残されたのは――

 俺と。

 血の繋がらない、ロボが一台。


 子供を諦めて、家を買った。

 そうしたら、子供ができた。

 喜んだら、ロボだった。

 受け止めようとしたら、妻が消えた。

 ……俺の人生、後半に入って、急に忙しいな。


 それにしても……。

 ふと、根本的な疑問が頭をよぎる。

 托卵、ということは。相手がいる。

 妻とその相手との子。

 それが――ロボット。

 ……待て。

 待ってくれ。それは、つまり。


「……あいつ、いったい、どんな奴と不倫してたんだ?」


 その問いに答えてくれる者は、もうこの家にはいない。

 ベッドから、ぴゅいとまるで俺を呼ぶみたいに、あの子の鳴き声だけが聞こえてきた。


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