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第4話:不良債権(ワガママ令嬢)の優良化計画

 侯爵家の生活にも慣れ、家計管理の主導権を握り始めたリリアーヌにとって、次に着手すべき「経営課題」は明確だった。それは、叔父ヴィクトールの実子であり、リリアーヌのいとこにあたる侯爵令嬢、エミリの再教育である 。


「お姉様なんて大嫌い! 私の部屋から出て行って!」


 豪華な装飾が施されたエミリの自室に、甲高い拒絶の声が響き渡る 。床には、気に入らないという理由だけで投げ捨てられた高価なシルクのクッションが転がっていた。 エミリは現在、絵に描いたような我儘放題の令嬢だった 。教育係の家庭教師は泣いて逃げ出し、使用人たちは彼女の機嫌を伺うことだけに汲々としている。


 その様子を、リリアーヌは入り口で冷徹な目で見つめていた。彼女の脳内では、エミリという存在が「負債」として計上されている。

 (このままエミリを放置すれば、将来的に『侯爵家の社交的負債』になるわ。彼女の悪評は家のブランド価値を著しく低下させ、ひいては私の生活基盤を揺るがすリスク(損失)に繋がる……)


リリアーヌにとって、親族の不祥事という名の「不透明な損失」は、伯爵家全体の信用格付けを暴落させ、最悪の場合は連鎖倒産を引き起こしかねない重大な懸念事項だった。


「……悠長なことは言っていられないわ。サリヴァン、プランBに移行するわよ」


 リリアーヌが努めて冷静な声音で告げると、背後に控えていたサリヴァンが、待ってましたと言わんばかりに音もなく距離を詰めてきた。


「畏まりました。既に『経費削減』を名目に、お嬢様に悪影響を与えていた無能な家庭教師と、機嫌を取るだけの無益なメイドたちの解雇通知は作成済みです」


 サリヴァンはリリアーヌの肩越しに、整った文字が並ぶ書類を差し出した。その際、彼の長い指先がリリアーヌの指にわざとらしく、それでいて拒絶を許さない優雅さで触れる。


「お嬢様の計画を汚すような『不良資産』は、早急に損切りすべきですから。……フフ、今回のリストラ、実に合理的で素晴らしい『悪だくみ』です」


 耳元で囁かれる低く甘い声に、リリアーヌの心拍数は一気に跳ね上がった。


 彼はリリアーヌが絞り出した冷徹な戦略を「悪だくみ」と呼び、誰よりも愛し、愉しんでいる。その計画を完遂させるための裏工作を、至上の愉悦として遂行するこの男は、従者の枠を壊さないまま、じわじわとリリアーヌの心の領土を浸食してきていた。


(……っ、またこの感覚。心臓が、予算外の動悸コストを叩き出してるわ……!)


 リリアーヌは恋愛に関しては完全な素人だった。


 前世の知識も、今世の教養も、サリヴァンが仕掛けてくるこの「熱量」の正体を突き止める役には立たない。彼が自分に向ける視線の意味が、単なる忠誠心なのか、それとももっと「高利な感情」なのか分からず、彼女はただ、彼が作り出す圧倒的なペースに振り落とされないよう必死でついていくのが精一杯だった。


「……え、ええ。有能な秘書パートナーを持って助かるわ。次、次の項目へ移るわよ!」


 動揺を悟られまいと、リリアーヌは強引に別の帳簿へ視線を落とした。


 そんな主の、赤くなった耳たぶを眺めながら、サリヴァンは満足げに瞳を細める。


 主導権はリリアーヌにあるようでいて、その実、彼女の感情の起伏という名の「市場価格」をコントロールしているのは、間違いなくこの不遜な従者であった。


 リリアーヌは、エミリという「不良債権」を「優良資産」へと組み替えるための投資を開始した 。


「エミリ、そんなに怒らなくてもいいのよ。私はただ、あなたがこの屋敷で一番美しく、誰からも尊敬される『完璧なレディ』になる手助けがしたいだけ」


リリアーヌは、前世でのマネジメント経験をフル活用することに決めた。「叱って反発を招くのは時間的コストと精神的リソースの無駄」と断じ、徹底した「承認欲求の充足」と「アメとムチ」の使い分け、すなわちROI(費用対効果)の極めて高い教育法を選択したのである。


 ある日の午後、エミリがお気に入りのドレスが届かないことに腹を立て、メイドを怒鳴りつけていた時のことだ。リリアーヌは扇で口元を隠し、冷徹な「査定人」の目でその光景を見つめていた。


「エミリ、貴女は今、自分の『市場価値』を自ら暴落させているわ。なんて嘆かわしい損切りかしら」


 唐突なリリアーヌの言葉に、エミリは毒気を抜かれたように振り返った。リリアーヌは優雅な所作でエミリの傍らに歩み寄り、その美しい金髪を優しく撫でる。


「……私が、暴落?」


「ええ。怒鳴り声は安っぽい大衆劇の役者が出すものよ。貴女のような至高の宝石がそれを行えば、周囲の『評価』という名の株価は下がる一方。もったいないと思わない? 貴女には、黙って微笑むだけで周囲を跪かせるだけのポテンシャルがあるのに」


 リリアーヌは、エミリの承認欲求をピンポイントで突いた。


「一番美しく、価値のある私」になりたいエミリにとって、リリアーヌの言葉は甘い毒のように浸透した。リリアーヌはゲーム感覚で「最高級の淑女としての立ち振る舞い」をミッションとして与え、それが達成されるたびに「素晴らしいわ、エミリ。今日の貴女は誰よりも高貴よ。」と、惜しみない賞賛という名の配当を注ぎ込んだ。


 結果、エミリは「お姉様に褒められる=自分の価値が上がる」という回路を脳内に構築されていったのである。


 教育と並行して、リリアーヌはサリヴァンを使い、エミリの周囲から「甘やかすだけの無能なリソース」を徹底的に排除した。


 サリヴァンは影で動き、エミリに媚びを売って不適切な浪費を助長させていた家庭教師や、彼女の我儘を放置していたメイドたちを「経費削減」の名目で次々と解雇。エミリが気づいた時には、彼女の周囲には「リリアーヌが認めた有能な者」しか残っていなかった。


「お姉様……皆、私を置いていってしまったわ。私、もう独りなの?」


 不安に震えるエミリの前に、リリアーヌは救いの手(資本)を差し出した。


「いいえ、エミリ。貴女には私がいるわ。無能な者たちは、貴女の成長を妨げる『不良債権』だったのよ。これからは私が、貴女を世界で一番の淑女にプロデュースしてあげる」


 極限まで不安を煽り、その後に最大級の安心を与える。リリアーヌによるエミリの依存先の「一本化モノポリー」は完了した。エミリにとって、リリアーヌは自分を救い、正しく評価してくれる唯一無二の神にも等しい存在となったのだ。


「……完璧だわ。エミリの『忠誠心』という名の無形資産を、これほど短期間で独占(買い占め)できるなんて」


 リリアーヌが自室で満足げに帳簿を閉じると、背後に控えていたサリヴァンが、吐息が触れるほどの至近距離で囁いた。


「お見事な買収劇でした、お嬢様。彼女の純真さを利用し、完全に手懐けてしまうとは……。貴女の冷酷なまでに美しい経営判断、やはり私は堪らなく愛おしい」


 サリヴァンの指先が、リリアーヌの耳元を微かに掠める。リリアーヌの背中に、冷たい戦慄と、抗いがたい熱が走る。


「……っ、サリヴァン! またそうやって、私のペースを乱すようなことを……!」


 エミリを完璧に管理下に置いたはずのリリアーヌだったが、目の前の従者が仕掛ける「恋愛という名の不規則な市場介入」にだけは、どうしても効果的な防衛策ポイズン・ピルを打ち出せずにいた。


「お嬢様に翻弄され、必死についていくのは私の方ですよ。……これからも、貴女の経営を一番近くで鑑査させてくださいね」


 サリヴァンの微笑みは、どんな甘い言葉よりも深く、リリアーヌの心という名の領土をじわじわと浸食し続けていた。



 数週間後。

 廊下で見かけたエミリは、かつての荒々しさが嘘のように、優雅な足取りで歩いていた。

「お姉様、見てください! 昨日のダンスのステップ、完璧にマスターしましたわ!」


 エミリはリリアーヌを見つけるなり、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。かつて「死神」とすら呼んでいた従姉に対し、今や「お姉様、お姉様」と尻尾を振る子犬のように心酔している 。


「よく頑張ったわね、エミリ。これであなたの市場価値……いえ、淑女としての品格は一段と高まったわ」

リリアーヌが優しく微笑み、エミリの頭を撫でる。その光景は、誰から見ても仲睦まじい姉妹そのものだった。


 しかし、その夜。

「お見事な教育手腕ですが……お嬢様の貴重な時間を、あのお転婆娘に取られるのは少々妬けますね」


 自室で一日の終支報告を終えたリリアーヌの背後から、低い声が鼓膜を震わせた。サリヴァンが、逃げ場を塞ぐようにリリアーヌを抱き込んできたのだ 。 彼の長い指先が、リリアーヌの髪を愛おしげに梳く。


「サリヴァン……これは将来への投資だって言ったでしょう?」

「わかっております。ですが、私の前でだけは、その『悪い顔』のままでいてください」


 サリヴァンはリリアーヌの耳元にわずかに顔を寄せ、執事らしい涼やかな、けれどどこか茶目っ気を含んだ声で囁いた。


「お嬢様を一番近くでお支えするのは、私だけの特権です。他の方の価値なんて、わざわざ計算なさるだけ時間の無駄というものですよ」


 彼はリリアーヌのうなじにかかる髪を、指先でさらりと払い除けた。指がかすかに肌をなぞる程度の、いたずらめいた仕草。


 リリアーヌは、そのわずかな接触に心拍数を跳ねさせながらも、平然を装って脳内の帳簿にペンを走らせる。


(……全く。計上漏れの『いじわる』が多すぎるわ、この従者は)


(エミリの教育完了によるブランド改善……プラス100。サリヴァンの、忠誠心という名目で紛れ込ませた、規格外の過保護……これは、固定負債として計上すべきかしら?)


 暗がりに浮かぶリリアーヌの瞳は、どこまでも冷静で、そして計算高かった。


  侯爵家という組織の地盤固めは、着実に、そして冷酷に進んでいく 。


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