1-14.Back Alive
「………えっ。俺の家に…警察」
その瞬間、それまで取り囲んでいたはずの環境音がすっと遠のいた。
耳が痛くなるほどの静けさの中で、デスさんのスピーカーから聞こえる蝉の鳴き声だけが小さく響いている。
(まさか、誰か……通報したのか。あの部屋に、やっぱり俺の死体があったってことか?)
握った手のひらに、じわりと冷や汗が滲む。
聞きたくないけど…でも知りたい。
「ごめんね凶蚊君、勝手に来ちゃって。昨日の話のことで…ちょっと気になってさ。君の家の近く、出社前に寄ってみたんだ。」
「そんな……。むしろありがたいですけど、その警察って、な、なんで…」
「分からない。そこまで騒ぎになってはないんだが……—————☆
ザザッ……らしい…。」
しかし、そこで突然デスさんの声が途切れるようになってしまった。
「?!、デスさん…あの?」
『———あれ、なんか……ネットの回線弱くなったね。ここ————。途中で落ちちゃ……かも。』
彼の声にひどいノイズが混じり始める。肉声のはずが、質の悪いスピーカーから流れているような音に変わった。
どうやら向こうの通信状況が悪いようだった。チーム部屋や俺の体に異常はないが、デスさんの喉からはブツブツとした機械音まで鳴り出して、異様な空気を醸し出している。
(なんでこんな時に突然……!?さっきまでなんともなかったじゃないか!)
目の前にはチーム部屋の無機質な空間があるだけで、現実の様子は全く見ることができない。
もどかしさにギリと歯を食いしばった。
警察が俺の自宅に来ているなんてのは大きな進展のはずだ。何かしらトリガーを模索するためにも、この機会を逃すわけにはいかない。
「デスさんっ…、大丈夫ですか。こっちの声は聞こえてますか?」
少しでもいいから情報が欲しいのだ。
『あれ…君のは……聞こえる。』
「今そっち、どんな様子か分かりますか。状況が分からなくて。」
『…。』
一方、アパート近くに立つサラリーマンは、携帯画面に映る凶蚊を訝しげに見つめた。
この早朝に自宅にいないってのか、と静かに呟く。
『二人くら……の警察——、玄関前に立ってて…。ドアが開いて……けど。』
「ドアが…?」
部屋の中にまで、警察が踏み込んできているとは。俺の体はどうなってる。死体があるのか?眠ってるだけなのか?
次々と疑問が湧き、その度に背筋に緊張が走る。
だが、次第にデスさんのノイズが激しくなっていった。
『ザザッ……。部屋に——————。』
「…。あの、そっち、救急車とかも来てますか?警察って中にも沢山いる感じですか?」
『いや…————救急車は。ザッ…でも他に、誰か……』
「警察ですか?」
『い—————。』
「………!」
ついにアバターがピタリと動かなくなった。時折雑音が細切れに聞こえてきたが、しばらくして、それすらもなくなる。
ここまでかと思うと——————
ブツン、
とブレーカーの落ちるような大きな音がした。ほかでもない、デスさんの喉元から聞こえた。
急に静かになる。そうしてそのまま、彼は足早に部屋の出口へと歩きだしてしまった。
「あ、ちょ、デスさんっ」
腕に手を伸ばしたが、少しのところで空を掴む。彼は反応することなく、無言で部屋を出ていったのだった。
「っ……。」
チームメンバーの画面を調べると、デスさんのアイコンがオフラインの表示に切り替わっている。
(回線落ちか……。くそっ。)
厳重な鉄扉が大げさな音を立てて閉まった。
一人取り残された俺を、また静寂が襲う。
これで、現実側の様子を知る手段はなくなった。
警察に近づくチャンスも、もうない。
すぐに帰れなくてもいい。
だが、向こうで誰かが動いてくれれば話は変わるはずだった。
その可能性も、今ので潰えた。
……このまま、何もできずに終わるのか。
強く拳を握りしめる。
——いや。
「諦めるわけには……いかない。」
覚悟を決めた鋭い眼光で、目の前の偽物の空間を睨む。
大きく息を吸い込み、そして————
「誰かァーーッ!!!誰か、聞こえてますかーーーーーー!!!!」
俺は思い切り叫んだ。音圧でガスマスクが微かに振動するほど、出せる限り大声を出す。
「助けてくださいっ!俺はここにいます!!!」
静かな部屋に、俺の精一杯の叫びが反響した。
この場所は、俺にとってはただの、何にもないチーム部屋だ。
でも違う。現実には、まだ警察が……人がいる。俺の声に、誰かは気付いてくれるかもしれない。
「誰か……!」
返答がない。
それでも、
「誰かーーー!!!!」
叫ぶ。叫び続ける。きっと意味があるから。
デスさんと会話ができたのが何よりの証拠だ。
時間をかけて色々試してきて、そしてここで、希望が確信に変わった。
そう————仮想の世界にいても、現実側にコネクトできる、と。
現実のプレイヤーと、何の障害もなしに対戦できる。
現実と同じ時間が流れている。
会話ができる。
向こうには俺の挙動が、声が、弾丸が反映される。
オンラインゲームだからこそ、転生しても現実と繋がっている———————!
「だ……!げほっ」
喉に激痛が走った。
人見知りで静かに生きてきた俺の喉では、少しの叫びでもすぐに限界が来てしまう。この筋肉質な凶蚊の体であっても、それは同じようだった。
惨めな気持ちになる。
これ以上大声を出したら枯れる。喉もしばらく痛くなる……。
「————はっ!」
そもそも、俺のパソコンは今、どうなっているんだ……?!
俺はゲーム上、「オンライン状態」の扱いになっているが、しかしそれはアカウントの話。
ここに来た時から自宅のパソコンはずっとつけっぱなしで、既に一夜明けている状況だ。
「パソコン……電源、落ちてるかも…。」
ここでいくら叫んでも、俺のパソコンが付いてないのでは向こうに声が届くはずがない。
無意味だったってのか。
最初からチャンスなんか、なかったのか……。
「…………。いや…!」
顔を上げた。
「聞こえませんかー!!!」
声を振り絞って、力の限り叫ぶ。
喉が枯れてもいい。
まだ奇跡的に、パソコンが付いていると信じて。
「俺はここです!!俺は……っ!!」
打ちっ放しの冷たい壁に、悲痛な叫喚がこだました。
「俺は、生きてるんだ!!!」
げほっ、とまた咳き込む。
喉の奥が焼けるように痛む。
もう、大声が出せない。
ソファーにもたれかかり、そのまま崩れ落ちる。掠れた息がただ静かな部屋に響くだけだった。
(……届かない。)
悔しさに顔を埋める。
なぜこんな事になったのか。意味もなく、あの時ゲームを起動した自分を責めた。
受け入れられない。あんなに空虚で惨めだった現実が、あまりに恋しい。
帰りたい。
こんな形で向こうの生活が終わるなんて、嫌だ。
(もう無理だ。警察も帰っちまう。)
嫌だ、嫌だ嫌だ。
お願いします。お願いします。バイトも宿題もちゃんとやるから。
どうか、どうか。
もう死にたいなんて言わないから……!
(神様!)
「助けて……っ、ください……!!」
その瞬間、俺の絞り出すような声が——————小さな電子回路の一端を抜けた。
input_stream = detect(unknown_signal)
if input_stream != null:
parse_voice(input_stream)
init_audio_output()
……ザザッ。
warning: unstable connection
retrying…
スリープモードになっていたパソコンが、突如起動する。
画面には、FOR:WINSのチーム部屋が映し出されている。
if signal_strength < threshold:
amplify(signal)
rebuild_stream()
不可思議な英語の羅列が次々と打ち出されていく。
そして、蝉の鳴き声が響く色褪せた部屋に
init_audio_output()
【接続成功】
スピーカーのひどいノイズが、
届いた。
「—————誰かいるの?」
声がしたのは、その時だ。
(……今のは?!)
どこからだ。
顔を上げ、辺りを見回す。
ざ、とノイズが走った。
同時に、喉の奥がひくりと痙攣する。
「……っ?」
意思とは関係なく、喉仏が上下に動いた。
嫌な感覚が、神経をなぞる。
「い、います!ここに!!」
わずかな期待に声が上ずった。その声すらどこか自分のものじゃない。
すると今度は、勝手に口が開く。
「ど…————どこにいるの?」
「………えっ?!」
衝撃が走った。
その声は、自分自身の喉から出ていたのだ。全く違う別の声が、確かにこの喉から出た。
そして何より、何よりも俺の心を揺さぶったのは。
「ね……っ、ねぇちゃん。ねぇちゃんか、その声……?!」
「ねぇちゃ…って、まさか、きょうか……。あんた境夏なの。」
俺の懇願についぞ反応したのは、ほかの誰でもない———姉だった。
涙が滲み出てきた。
俺の声が、一番大切な家族に届いた。
(なんで……やっぱり俺、死んじゃったのかな。だから通報したのかな。まだ何の説明もできてないのに。)
「あんた、どこいるの?!」
感動の再会の暇もなく、姉の怒号が飛んでくる。
「どうしてあんたの声…。ボイスチャットだっけ、この機能?———別の場所にいるの?」
「違う……。説明には、じ、時間がかかるんだけど。」
「違うじゃないわよ。どこにいるの。あんたが昨日、バイト来ないって連絡が来て———私、一晩中ここで待ってたんだけど」
その声は相当の怒りを含んでいたが、それ以上に喉が震えて 不安の気持ちが伝わってきた。
姉のこんな様子は初めてだった。
闇雲にこの世界を彷徨っていた間、彼女はずっと、俺の帰りを待っていたのだ。
「ご、ごめん」
「…メールも電話も出ないし……。なんなら携帯、部屋に置きっぱだったし。朝になっても帰ってこなかったから、私、警察に連絡して…っ。母さんも来てるんだよ。」
「母さんまで?」
「いま外で警察と話してるけど…。」
想像以上に、話は大きく進んでいるようだ。一気に現実の様子が流れてきて、鮮明な輪郭を描き出していく。
(話からして、俺の死体があるわけじゃなさそうだ。意識だけこの世界に来たと思ってたけど、…まさか自分の体まで消えてるってのか?)
考えが浮かんでも、あまりに浮世離れした答えばかりで頭が痛くなってくる。
「とにかく、あんた…行方不明じゃないのね。どこかでゲームしてるってこと?」
「———違うよ!」
即座に否定する。
けれど、その先の言葉が続かない。
転生なんて——そんなもの、どう説明すればいい。家族がそのジャンルを知っているかどうかすら怪しいのだ。
「……じゃあ、何なのよ」
少しだけ、彼女の声が低くなる。
「と、とりあえず警察に……俺のこと、探してもらって」
「は?」
「多分俺、行方不明だと思うから」
「ちょっと待って。どういうこと———誘拐っ?」
「違う、けど……その……」
言葉が詰まる。
うまく、言えない。
「お願いだから、ちゃんと説明してよっ!」
自分の口から出てくる姉の声が、今にも泣き出しそうなほど弱くなった。
「っ、……」
やっぱり姉には、本当のことを話すべきか。
その顔を見ることはできずとも、優しい眼差しだけは鮮明に脳裏に焼き付いている。
「……。」
喉の奥で、言葉が引っかかる。
これを言えば、もう後戻りはできない。
……それでも。
俺はギュッと目を瞑って、俯いた。
「ねぇちゃん…聞いてくれ。俺……、実は————☆」
ザザッ
と妙なノイズが走った。
同時に、自身の喉からブツブツと機械音が鳴り始める。
その瞬間頭が真っ白になった。
(嘘だろ、また回線が?!)
『なん……言った?』
姉の声が途切れる。デスさんの姿が重なった。
———まずい。時間がない。
彼女は、おそらく俺の部屋のパソコンから話しかけている。
今を逃したら、もう――繋がれないかもしれない。
喉が焼ける。
それでも、無理やり声を押し出した。
「ねぇちゃん。俺……今、ゲームの中にいる」
『……え?』
ノイズが走る。
「昨日、試合してて……撃たれて、それで———気づいたら、ここにいて……」
『ちょっと待って、何』
声がかぶる。
「転生かもしれない。わからないけど……でも、本当に戻れないんだ」
途切れそうな回線の向こうで、息を呑む気配。
「帰る方法も、まだ見つかってない。だから…」
一瞬、言葉を詰まらせた。
「今……現実に俺はいない。」
『…………』
ふざけているとしか思えない。
しかし姉は見た。
パソコンの中のアバターが、弟の姿に重なる幻覚を、確かに見たのだ。
誰もいない——弟の生活感が残った部屋で、彼女はとある選択に迫られる。
「ねぇちゃん…。」
返事がない。
ちゃんと届いているのか。
ノイズだけが細く続いている。
それでも、口を止めるわけにはいかなかった。
いつ接続が切れるか分からない。カウントダウンを打つように、鼓動が段々と速くなっていく。
「元の世界に戻るためには…俺の体が見つからないと駄目かもしれない。ここにいちゃ多分、こうやってFOR:WINSを開いてる以外で連絡ができないし。それで、えっと……。」
『……。』
まだ反応がない。
それでもまだ喉の不快な感覚は残っていて、そこに確かな姉の存在を感じていた。
「……ごめん。…俺、ほんとに……。」
次に頭に浮かんだのは軽蔑の目を向ける両親の顔だ。
優秀な姉と違って、俺は逃げるようにゲームにのめり込んだ。失望されていることくらい、わかっている。
だけど今、そんな親ですら俺の部屋に来てくれている。
どうしてこう、迷惑ばかりかけてしまうんだ。一度でも胸を張れるようなことをしただろうか。
申し訳なさで胸が押しつぶされそうになる。
「ごめんなさい。こんなことになって…また皆に、迷惑かける。俺…俺なんて……。」
ふとよぎったのは、
このまま俺はいなくなった方が良いのではないかという言葉だった。
「………。」
余計に惨めになって、これ以上は声が震えて出てこない。
しかし—————
『あのさ。』
姉の声が届いた。
『二日前、あんたがゲームの大会で優勝して…私が部屋に押しかけたでしょ。』
相変わらずくぐもって途切れかけの声だったが、
なぜか俺にははっきり聞こえてくる。
『あの時、あんたに言えなかったことあるの。』
「…?」
そう言う彼女は、ゆっくりと机に肘をついてしゃがみ込んだ。明るく光るパソコンの画面には、凶蚊という名前が表示されたアバターが映っている。
『あんたが…優勝したあの瞬間に人生終わってたら良かったのに…って、口にしてさ。———私、本当は言おうとしたの。』
彼女はぎり、と拳を握りしめた。
『生きて、って。』
「……!」
『気にしてないフリしてたけど、分かってたよ。境夏、悩んでたんだよね。…辛かったんだよね。』
「ねぇちゃ…」
『死にたいって思っちゃうほど、自分を追い詰めてたんでしょ。』
不意に核心を突かれ、息が詰まった。返す言葉が見当たらない。
『なのに私…気恥ずかしくて、言い出せなかった。大丈夫だよって……、私……ちゃんと側で支えてあげられてたら良かった。』
涙が滲む。
なんで、そんなこと言うんだよ。
……違うだろ。悪いのは、俺の方だ。
そう思うのに、喉の奥がひどく熱い。
言葉が出ない。
代わりに震える息が開いた口から出てくる。
ぽつり、と涙が落ちた。
止めようとしても、止まらない。
じわりと滲んだそれは、やがて視界を歪めていく。
しかし、それでも。
優勝が決まった瞬間。
姉に打ち明けたあの瞬間。暗く落ち込んでいた自分が確かに救われたと思った。
死んだほうがマシだとさえ思っていた俺が、初めて、肯定された気がした。
こらえきれず、涙が溢れる。
『だから今度はちゃんと言うわ。あんたは謝らなくていい。正直、信じられない話だけど、…私は、信じる。帰ってくるまでねぇちゃん、待ってるから。
境夏のこと、信じて待ってるからね。』
「…ぅぐっ…。」
長く胸の内に澱んでいたものが、すっと消えていくのがわかった。
代わりに残ったのは、ひどく単純で、けれど揺るがない感情だ。
それを確かめるように、ゆっくりと口を開く。
「分かったよ。俺……もう、死にたいなんて思わない」
「誓う。絶対、絶対、諦めないから。」
『うん…』
「ちゃんと生きて、生き抜いて…———俺っ……、
家に帰るよ。」
ブツン
と大きな音がして、そして何も聞こえなくなった。
第一章 最凶の蚊は家に帰りたい




