第十八話 司法、書類の不備。
治安裁判所に続々と届く事件の報は埃をかぶった記録簿に囲まれたイヴェスのもとにも届いていた。
カラヴァルヴァのあちこちで犯罪組織同士の殺し合いが激化している。
秩序を重んじるイヴェスからすれば、あってはならないことが起きているのだ。
「先生、オルギン商会の贋金師がやられたそうです。家のポーチごと吹き飛んだとか」
「そうか」
ギデオンは裁判所のあちこちで相次ぐ抗争事件の情報を集めていた。
一方、イヴェスはそうした事件には関心を示さず、裁判所の歴史をまとめる作業に没頭している。
それがギデオンには歯がゆいのだが、イヴェスは静かに過去の裁判記録をめくっては何かを手帳に書きつけることを繰り返している。
「先生、まさか本当に裁判所の歴史係になっちゃうつもりじゃないですよね」
「いま与えられた仕事をする。それだけだ」
「もう、カラヴァルヴァの半分が吹き飛ぶようなことになっていても?」
イヴェスは口を結んだ。
「レンディックが長官になってから、治安裁判所もめちゃくちゃですよ。どんなにまずい事件でもカンパニーが絡んでいれば帳消し、他の商会絡みなら微罪でも挙げる。各商会は怒り狂って、カンパニーと殺し合いです」
「クルス・ファミリーは?」
「先日、ちょっかい出されたみたいです。どちらも返り討ちにされたみたいですけど。それに三日間のあいだに人身売買と売春、それに誘拐団のトップが相次いで殺られてます。手がかりが残っているにもかかわらず、捜査が進んでいません。ただ殺された三人はカンパニーと関係があるわけではないんです。何のために殺されたのかが分かりません。それに手がかりの凶器をその場に残しておくなんて、ヘマをクルスがするでしょうか?」
「ヴィンチェンゾ・クルスは?」
「相変わらずノヴァ・オルディアーレスを儲けさせています。株価がどんどん上がって、ノヴァ・オルディアーレスだけではなく、カンパニーの他の銘柄まで買われてます。自分を閉じ込めた連中に利することをする。意味不明。つまり、クルスは相変わらずクルスしてるということです」
「相変わらずといえば、来栖ミツルは姿を見せないか」
「そのようですね。見つからないようファミリーを指図しているみたいです」
イヴェスは記録簿を閉じると、立ち上がった。
「先生、どこに行くんですか?」
「〈聖アンジュリンの子ら〉だ」
そうきいたギデオンの目が嬉しそうに細められる。
「本格的に動くんですね」
イヴェスは何も言わず、部屋を出た。
与えらえた仕事に真面目に取り組み、裁判所の歴史をまとめてきたが、このままでは自分は治安裁判所発足以来、最悪の日々を記録に残すことになりそうだ。
とはいえ、治安裁判所内で信頼できる人間がいない。ダミアン・ローデウェイクくらいだが、最初の爆発があってから街じゅうを飛び回っている。
となると、イヴェスが組むべきなのは――。
「おや、イヴェス元判事じゃありませんか」
甘ったるい煙草みたいな声がして、イヴェスはため息をついた。
「タラマンカ判事、何か用か?」
「用事はありませんよ。こちらは忙しいのでね」
この洒落た身なりで特に左手の指全部に金の指輪をはめた判事は以前は刑事事件関係の副判事補佐だった。
だが、レンディックの新体制で一躍治安判事に抜擢され、イヴェスの後釜として好きなように賄賂を取りまくっていた。
いまではサン・イグレシア大通りに邸宅を借り、毎晩宴会を開いている。
もちろん犯罪者たちの評判はよくない。
もともと払う必要のなかった賄賂を急に払わされているのだから。
しかも、賄賂を集めておきながら、便宜を図るのはカンパニー絡みの犯罪者だけである。
タラマンカ判事は人間の知能の良し悪しは受け取った賄賂の合計額で決まると信じていた。
その意味で言えば、イヴェスの知能はゼロということになる。
こんな素晴らしい職にありながら、賄賂を取らず、かといって治安判事の職を自分に譲らなかったイヴェスへの憎悪もいまでは侮りに変わり、ことあるごとにちょっかいを出す。
「裁判所史編纂係はいいですな。退屈そうで」
「そうでもない。様々な判例がいつ、どのような判断のもと、生まれたかを集計する仕事もある」
「でも、現実問題、そんなものは何の役にも立たないでしょう?」
「賄賂を取るネタにできるかときいているなら、こたえはイエスだ」
タラマンカ判事にとって、いまの返答は「ぼくは馬鹿です」と認めたようなものだった。
満足した成り上がり判事はようやくイヴェスを解放した。
裁判所の前庭に出ると、ロジスラスとイリーナがやってくるのが見えた。
「考えることは向こうも同じなんですね」
「少なくとも向こうは捜査権限がある。行動の自由は残されているはずだ」
ロジスラスが手を挙げて、イヴェスに「話がしたい」と言ったそのときだった。
判事たちの馬車のなかでも一番きらびやかで成金趣味のタラマンカ判事のランドー馬車が馬をつなぎ、後は出発するだけというときになって、大音響とともに吹き飛ばされた。燃える木片が前庭全体に降ってきて、爆風で倒れたイヴェスは左目をぬぐった。飛んできた金の指輪が額を小さく切って、目に血が入ったのだ。裂けた長柄をつけたまま二頭の馬が半狂乱になって、アルトイネコ通りへと走り出ていったが、結局、北河岸通りで裸馬に乗った馬丁に出くわすまで、この二頭は道を歩くもの全ての恐怖の的となった。
「話というのは―ー」
イヴェスは顎で車輪だけが残った燃える馬車を顎で差した。
「あれのことか」
ロジスラスはうなずいた。
「それにもうひとつ」
「クルスか」
「ああ。やつを外に出す。あなたの力を借りたい」
――†――†――†――
「あの逮捕状には不備がある。わたしもさっきまで気づかなかったのだが、酒類の違法販売を検挙するにはどんな種類の酒を扱っているのか明記する必要があるが、その明記の順番は蒸留酒、次にビール類となっているだが、わたしはビール類、次に蒸留酒の順番で逮捕状に明記した」
「どうやって知った?」
「裁判所の歴史編纂係として触れられる書類全てを探した。ともあれ、わたしはあの令状の不備を挙げて、無効を叫ぶことができるが、既にクルスは牢のなかだ。拘留する根拠がなくなったとしても、カンパニーはあれこれ理由をつけて釈放を引き延ばすだろう。そうなれば、クルスが戻ったころにはカラヴァルヴァは灰燼に帰していることだろう。それにもうひとつ、クルスを釈放させる根拠を示すことはできるが、他のボスたちは違う。あいつらは現行犯だ。つまり、クルスひとりを釈放すれば、クルスは一気に勢力を拡大するかもしれない。それは好ましくない」
「だから、書類の不備を訴えるタイミングが重要だと」
「裁判所をうろつく法律ゴロに過ぎなかったレンディックにはこんなことは及びもつかないだろうから、この手が潰されることはないだろう。ただ、使うタイミングを間違えれば、問題をより複雑にする。そこで我々は揃って、出かけなければならない」
「どこにですか?」
イリーナが問うと、イヴェスは窓の外を指差した。
その先には午後の遅い光のなかを飛ぶノヴァ・オルディアーレスの姿があった。




