第六話 ラケッティア、軒下の仁義。
砂浜から切り通しを抜け、しばらくは畑と雑木林が続く。
そのうちまた潮が香り始めると、土壁と板葺の町が現れ、その向こうには帆をかけた和船が浮かぶ海が見える。
サカイという港町なんだそうな。
倉庫と船と市場のあいだを俵が行ったり来たりしてる。
どうやら商業が盛んらしく、水路も相当切っているようだ。
「大きな町には人が集まり、人の数だけ情報が流れ込む。トキ兄ぃたちがどこにいるか分かるかもしれねえぜ」
「それはいいけど、一つ問題がある」
そう、二人とも腹が減ってて、おまけにカネは一銭もない。
そんななかで買わんかねの声の十字砲火を浴びながら市場を歩くのは辛いが、それに加えて、おれはもう異世界に転移してから百万年ものあいだ、醤油と味噌をなめていない。
想像してみてください、よい子のみんな。
何百日も醤油なし味噌なしで暮らしたやつの目の前で鰹が刺身になったり、ハマグリがネギ味噌と一緒に焼けたりするのを。
そんでもって、こちとら懐中にはビタ銭の一枚もなく、草履も買えずに、右だけかかとがない靴でひょこひょこ歩いてる。
もう我慢ならねー!
「なあ。ジンパチ。この際、忍びの誇りは捨てて、忍術で大道芸しよう。それでちったあ稼げる」
「忍びの技は腹中で気を錬らないといけない。その腹が空っぽじゃあ、どうにもならないぜ」
「じゃあ、こういうことか? 忍術をつかって銭を得るにはまず腹いっぱいにならないといけないが、その食い物を買うための銭がない」
「そういうこった」
「うわーん、ドラえもーん、資本主義がいじめるー」
「どうするんだい、旦那。このままじゃジリ貧だぜ」
「うーん、まあ、手がないわけではない」
「どんな手だい?」
「なに。土地の親分さんにご挨拶だ」
――†――†――†――
股旅という言葉がある。
猫が好きなあれではない。
博徒や芸人、職人、テキ屋が諸国を股にかけて歩いてまわる旅のことだ。
あちこちを旅するとき、旅人は土地の親分に挨拶をする。
それを仁義を切るって言うんだけど、その挨拶の口上がちょっと独特でカタギには馴染みがない。
一番分かりやすいところだと男はつらいよの寅さんだ。
寅さんはテキ屋だから、旅先で商売をするときは地元の貸元に仁義を切る。
オープニングの語りだって、あれも切った仁義の一つなのだ。
仁義をきちんと切ることができれば、テキ屋は安心して商売できるし、博徒は土地の親分の客分となって、まあ衣食住には困らない。
昔は手ぬぐい一本でヤクザな男が日本全国を旅できたのだ。
もちろん、仁義を切った旅人はそこの親分に一宿一飯の恩義ができる。
そこから先は任侠映画の世界だ。
これをきいてると、なんて気楽な旅なんだって思うかもしれないけど、仁義を切っての相手との掛け合いで、口上を間違えたり、噛んだりすると、その場でボコボコにされる。殺されても文句は言えない。
で、おれがやろうとしているのはそれなのだ。
だって、おれ自身、カラヴァルヴァじゃ土地の親分なわけだし、賭博で稼いでるから博徒なわけだし、別におかしくはない。
そんなおれがカネはないけど、衣食住と情報が欲しいとなったら、これしか手がないのだ。
「旦那、大丈夫なのかい?」
「大丈夫、大丈夫。『昭和残侠伝』の池辺良が軒下の仁義を切るシーン一千万回巻き戻して見たおれだもの。前から一回やってみたいと思ってたんだよねー」
ちなみにこの土地を仕切ってる一家は女だけのヤクザで構成されているとか。
おお、あからさまなハーレム要素。
とはいっても、相手はヤクザである。
こっちがちょっとでも妙なとこ見せれば、あっという間にボカスカジャン。
実際、女親分の屋敷の前に来てみると、あ、うんの仁王さまみたいに屈強な女門番の二人組が、
「あんた、なにしに来たんだい?」
「用がないなら、張り倒される前にとっとと失せな!」
と、薙刀構えてこう来る。
この気の張り様だと、こりゃ、どこかと抗争してるのかもしれないな。
となると、ますます仁義が大事になる。
指紋認証なんてないこの世界、自分がどこの誰で決して敵ではないことを示すには一発かっちょいい仁義を切るしかないのだ。
なわけで、門の前でちょっと体を前に傾けて、
「御当家、軒下の仁義。失礼ですが、お控えくだすって」
二人の女門番が黙る。
お互い目で合図するまでもなく、一人が屋敷へ走ると、まもなく貫録十分の女親分らしいのとその右腕らしい、服がセクシーでおっぱいデカいが、険しい顔した女やくざがやってくる。
見ると、その女ヤクザ、腰に二本の刀。
こりゃ、仁義しくじったらバラバラ死体だな。
まあ、しくじるつもりはないけど!
女親分が黙ってうなづくと、服がセクシーでおっぱいデカいが、険しい顔した女やくざが腰から刀を外して、親分とおれのあいだの道から体を外し、横向きに腰を落として言った。
「ありがとうござんす。軒下の仁義は失礼さんにござんすが、手前、控えさしていただきやす」
シャツの一番上のボタンを外して、チョッキの前も開けた状態で、腰を中腰に落とし、左手は膝を突っ張って、右手は手のひらを見せるようにして前に出す。
さあ、こっからは瞬き一つできない。つっかえたら袋叩きだ。
「早速ながら、御当家三尺三寸借り受けまして、稼業、仁義を発します」
「手前、当家の若いモンでござんす。どうぞお控えなすってください」
「手前、旅中のモンでござんす。ぜひともお姐ぇさんからお控えくだすって」
「太陽も東から昇り、西に沈むと申します。どうぞお控えなすって」
「水も高いところから低いところへ流れ落ちると申します。ぜひともお姐ぇさんからお控えくだすって」
「ありがとうござんす。再三のお言葉、逆意とは心得ますが、手前、これにて控えさしていただきやす」
「早速お控えくだすって、ありがとうござんす。手前、粗忽者ゆえ、仁義前後間違いましたる節は、まっぴらご容赦願います。向かいましたるお姐ぇさんには、初のお目見えと心得ます。手前、生国はアルデミル王国は王都アルド、西の吹き溜まりはウェストエンドでござんす。奇縁持ちまして、稼業の片親と発しますはロンドネ王国、カラヴァルヴァに住まいを構えます、クルス一家、初代ヴィンチェンゾ・クルスに従います若いモンでござんす。性は来栖、名はミツル。稼業、ご賢察どおりの駆け出し者でござんす。以後、行末万端御熟懇によろしくお頼み申します」
「ありがとうござんす。ご丁寧なるお言葉、申し遅れまして失礼さんにござんす。手前、当ベニゴマ一家七代目仇菊のミツに従います若い者。号は紅、名はオリュウ。人呼んで紅のオリュウ。稼業、未熟の駆け出し者。以後、万事万端、よろしくお頼申します」
「ありがとうござんした。どうかお手をお上げなすって」
「いえ。あんさんから、お手をお上げなすって」
「それでは困ります」
「では、御一緒にお手をお上げなすって」
で、二人一緒に、ありがとうござんした、と落とした腰を上げる。
しーん……。
――やべ。みんな黙ってる。ひょっとして、やっちまったか?
「お客人」
と、女親分。
「遠いお国よりご苦労さまでござんす。こんなボロ屋を頼ってくださったのもなにかの縁。大した歓迎はできませんが、どうぞ、ご自分の家と思って骨を休めておくんなまし。オリュウ、お客人を案内しな」




