野原でおやすみ。夢見るままに花咲ける
「そこにいたのか、君たち」
林を抜けた先に、博士の探し人はいた。エイプル、メイ、オーガスタ……"魔法少女(略)"の三人だ。彼女たちは、春のぽかぽかした陽気を浴び、健やかに眠っている。
博士は少女たちの寝姿を観察して、無事かどうか確かめた。
「おーい、君たち大丈夫かい? これで三回目の討伐失敗だよ。ほら、早く起きてくれ」
「う、うん……ふわわ、あっ博士。おはよ」
「あれ……わたしたち、もしかして……また寝ちゃったんですか?」
まあね、と博士は起き上がったエイプルとメイに手を差し伸べ、服についた草を払った。
本日はお昼寝日和といった、良い天気ではあるが、彼女たちは休息に来たわけではない。これはいつもの獣討伐の任務。しかし、今回の標的は少し手強いようだ。
「君たちを返り討ちにした獣、"必眠鼯毛布"の睡眠魔法は強力だからね。頭上にやってきたと思ったら、もう術中にはまってしまう。そう、今のオーガスタのように」
博士と早起きの二人は、いまだ眠りこけるオーガスタを見下ろす。彼女を教材に、獣の脅威についての解説は続く。
「んふふふ……ラムザロッテ、さまぁ……」
「オーガスタちゃん、とっても幸せそうに寝てるね」
「はい……夢を、見てるようです。"ラムザロッテ"という方は……オーガスタさんの、憧れの剣闘士でしたね」
「そうだよ。"必眠鼯毛布"は眠らせるばかりじゃなく、何かしらの夢を見せると言われている。彼らは足止めの魔法として使うから、寝てるところを襲わないけど、他の獣が来たら大変だ」
無防備に寝返りをうつオーガスタの姿に、エイプルとメイは脅威を再認識する。こんな状態で攻撃を受けたらひとたまりもない。
「ふへへ、えへ……まじやばいですわ、ラムザロッテさま。かっこよさのきわみ……」
「やり方を変えないといけないな。眠らされる前に倒すつもりだったけど、一度眠ってから夢を打ち破る方がいいかもしれない」
「わかった! 次から早めに起きて、獣を捕まえればいいんだね」
「でも、これまで三回も眠らされました……夢を破るって、どうすれば……?」
「んごごご、ごご……」
「……とりあえず、オーガスタを起こしてから、作戦を話そう」
幸せな夢を見ているからか、オーガスタは元令嬢と思えないほど寝汚く、揺すっても目覚めない。
推しの闘士を讃える寝言に苦笑しつつ、博士は彼女を背負って、研究所へ向かった。
◇ ◇ ◇
再度、四者は"必眠鼯毛布"に挑む。獣を探知できる博士を先頭に、一定の範囲で固まって歩く。
エイプルたちは、次こそうまくやると意気込むが、オーガスタだけは不服そうに唇を尖らせた。
「まったく、なんてことなの。揃いも揃って眠らされるなんて。やっぱりあなたたち、戦いを舐めているんじゃなくて?」
「言っておくけどね。三人のなかで、君が一番耐性なかったから。すぐ魔法にかかるし、最後まで起きなかった。もうちょっと眠気に抵抗してくれないかなあ」
「うるさいわね!! さっきのはまぐれなの! わたくしはコツをつかんだから、もう眠らされることはないわ」
「しぃーっ、オーガスタちゃん静かに。獣を見つけたよ」
エイプルは木の上に潜む小動物を見つけた。灰色の体毛に、きらきらと星のような斑点を散りばめる獣は、最近町に出没するようになった"必眠鼯毛布"だ。
博士たちの接近に気づくと、毛皮が燐光を蓄えだした。睡眠魔法の発現用意だ。
「よし、みんな集まって。このままいっしょに魔法を受けるよ」
「ふんっ! 同じ術に何度もかかるようなわたくしではないわ! 今度は絶対に眠ら……すやぁ」
「オーガスタちゃーん! 言ったそばからぁー!!」
オーガスタを筆頭に、少女たちは睡眠魔法にかかり、順番に寝転がっていった。博士だけが、獣の通過を最後まで見届ける。
鼫という動物は、皮膜を広げて滑空し、木から木に飛び移ることができる。"黒き獣"として変異したのちは、新たに睡眠の魔法を得た。
夜の幕を下ろすように、"必眠鼯毛布"は四人を闇で包む。そのときになってようやく、博士は地面に横たわり、ゆっくりと目を閉じた。
「おやすみ」
博士が考えた作戦とは、四人全員が同じ睡眠魔法にかかり、夢を共有させることだ。意識のはっきりしている者が、夢に囚われた仲間を起こしてまわる。目覚まし役を務めるのは博士だ。
「さて、最初は誰かな?」
彼はひとり白衣をなびかせ、広い空間を歩き出す。
青い光が視界に入る。遥か先にある、光射す場所を目掛けて、少女が走っていた。
「はぁっ……はぁ、ああ、っ……待って!」
いくら走っても遠ざかる。景色さえ明瞭とならない。メイは空色の髪を振り乱し、手を伸ばして、光を求める。
最近知ったばかりの、自らの源流……"聖泉"を求める手は、博士によって掴まれた。
「駄目だよ。これは獣に見せられた夢なんだ。どれだけ行ってもたどり着けないよ」
「止めないで! 私、向こうに行かなくちゃ。あそこに……ずっと求めていたものがあるの!」
「あの場所で生まれず、祈りを知らなくても……血が欲しているのか。"聖泉の民"、狩人の一族も業が深い」
博士が立ち塞がり、光への道を阻んでも、メイの帰還衝動は治まらなかった。
自身の血脈を知り、長年の違和感が答えを見つけたのだ。正しい道に戻れと本能が叫ぶ。
「放して、博士っ! 私を……私を、還してください!!」
「目を覚ましてくれ! 君は、困っている友達を捨てて、ひとりで帰るつもりなのかい? わかるだろう? 今はまだ、向こうに行くべき時じゃない」
至近からの揺さぶりを受け、メイはやっと現状に目を向けた。そして、ごめんなさい……と震える。
友達のことも忘れ、まだ見ぬ故郷を求めてしまった。今、大切なのはどちらか、考えるまでもないというのに。
博士に背を押され、メイは仲間たちを探しに向かう。
伸ばした手は、聖泉の青を得る代わりに、白い花を握りしめていた。
場に轟く歓声を聞いただけで、二人は誰の夢か察した。
「きゃああああ!! こっち向いて、ラムザロッテさまあああああ!!」
石造りの円形闘技場に群衆がひしめいている。彼らは拳を振り上げて声援を送り、戦いに熱狂する。
見晴らしの良い席で、女剣闘士のラムザロッテを応援しているのは、やはりオーガスタだ。
「オーガスタさん、目を覚ましてください! これは、全部夢なんです……!」
「少し様子を見よう。周りがこんなじゃ、僕たちの声は届かないよ」
博士とメイは注意を引くのを諦め、闘技が終わるのを待つ。
すでに戦いは終盤と言えた。花形闘士が強すぎるのだ。豪快に剣を振るう、白金の髪の少女戦士……ラムザロッテの一撃に、対戦相手はなぎ倒されていく。
最後の一人を倒したとき、闘技場に最大の喝采が湧いた。興奮のあまり、オーガスタは席を蹴って、闘士近くの柵にすがりつく。
「すばらしい戦いでしたわ、ラムザロッテ様! もしこのあと鍛錬の予定がなければ、わたくしの別荘でお食事会をしません? 心からのおもてなしをいたしますわ!!」
彼女の動向に合わせて夢も変化する。群衆の声は遠ざかり、ラムザロッテなる闘士が観客席を見上げた。ただし、メイと博士はその表情を窺えない。聞こえるのはオーガスタのはしゃぐ声だけだ。
「まあっ、来てくださるのね。最高の宴を用意します!! えっ……わたくしも武芸を磨いているのか、ですって? わかりますの!? 立ち振る舞いだけで気づくと、さすがは一流の戦い人ですわね! ぜひ従士として、ともに戦ってほしい、ですか。それは……本当に光栄ですが……でも、わたくしは……」
激情が急に冷めていき、同時に傍観者たちの存在を感知する。
半笑いの博士とメイを見た途端、夢は消え去り、オーガスタは羞恥のあまり奇声を発して悶えた。
「いや! いやぁ! もうむりぃぃ、こんな姿を見られたからには、あの町で生きていけません! わたくしの……気品あふれる優雅な令嬢像が、崩れていくのを感じますわ……」
「あの……大丈夫ですよ、オーガスタさん。あまり、そういう印象は、はじめから感じてませんでした」
「そうだよ。確かに君は恥ずべき窃盗犯だけど、まだ更生の余地はあるよ」
「うううう、あなたたち最低よおぉぉ!」
はじけた姿を見られたことに、地団駄を踏んで喚くオーガスタ。歩くこともままならぬ彼女を、博士は引きずるようにして運んでいく。
最後の仲間、エイプルを探しに行く過程で、メイはふとした疑問を口にした。
「そういえば……どうして、オーガスタさんはあのとき……ラムザロッテさんの従士になるって、答えなかったんですか? ずっと、その人に憧れてたはずじゃ……」
「あのね、わたくしだって身の程を弁えているのよ。今の技量じゃ、あのお方の足手まといになるだけ。力が足りないっていう自覚はあるの」
耳障りの良い言葉を聞いた時点で、オーガスタの夢は破られていた。このままじゃいけない、という思いは幻想を解く鍵、前に進んでいくための道標となる。
憧れの人物の手を取る代わりに、オーガスタの手のひらには、小さな白い花があった。
◇ ◇ ◇
エイプルの見る夢について、深刻に考える者は誰もいなかった。明るく元気な彼女が、夢に囚われるところを想像できなかったのだ。
しかし、彼女の夢に踏み込んだ三人は絶句した。
ひたすら暗い森の背景。植え込みは皆の侵入を防ぐよう配置されていた。深い闇と、生い茂る草木のせいで、あらゆる呼びかけの声も届かない。
夜道を行くのは少年少女の二人。エイプルとウェザーだ。
「だ、大丈夫だからね、ウェザー。私がついてるから、こわくないよ」
「……ああ。そうだな、エイプルねーちゃん」
「絶対に離れないで。私のそばにいないと危ないんだから。これからも、ずっと私が守ってあげる。だからね、ひとりで歩いちゃだめよ」
年下の少年をかばい、こわくないよと言い聞かせ、闇を歩くエイプル。本当に怖がっているのは誰なのか、一目見ただけでわかる。
食い込むように握られた手を見、ウェザーは痛ましい表情で立ち止まった。一字一句、魂を切り離すかのような声で、告げる。
「でも、この手を離せば……ねーちゃんは自由になれる」
繋いでいた手は空を切る。夢のウェザーは掻き消え、夜道にはエイプルだけが残された。
「待って、ウェザー! ねえ、どこに行ったの!? ウェザー!!」
エイプルはめちゃくちゃに走った。木の棘や枝で腕を搔かれ、ぼろぼろになりながら、家族や友人の名を叫ぶ。
ウェザーと手をつないでいた時より、彼女はずっと身軽に動けた。崖も飛び越え、地を蹴って疾走し、別の場面を拓く。
「じゃあねエイプル。しばらく留守にするけど、いい子で待っているのよ」
「お母さん……行っちゃだめだよ! 戻ってきて!!」
今度は自宅の前に立つ。別れを告げる女性は武装しており、これから出陣するかのような物々しさだ。盾を背負い、槍と見紛う細身の剣を佩いて、エイプルに背を向ける。
追おうとした彼女は、夢の中の父、オリバーに止められた。
「大丈夫だぞ。そんなに心配しなくたって、じきに戻ってくるさ」
「お父さんも止めてよ! だって……だって、お母さん。あれから二年経つのに、まだ帰ってこないんだよ!?」
「あれが……エイプルさんのお母さん? 気配でわかります、すごい強者……です」
「二年前って、"黒き獣たち"が全盛を迎えた時期じゃない。あの武装からして討伐隊の一員かしら。でも、帰ってこなかったってことは……」
非業な事実に打ちのめされるメイとオーガスタ。いつも優しいエイプルは、明るく振る舞っていたが、誰にも言えない悲しみを抱えていた。
ついに夢から人影は消え、彼女はたったひとりでうずくまる。
「……町、新しくなったんだよ。名前も"カーレル・シズネ"って変わったの。たくさん人が引っ越ししてきて……新しい友達もできたよ。お母さんにも……丘の上から、町を見せてあげたかったな……」
「エイプルさん……」
「っ、博士! 向こうに行く方法はないの? もう見ていられないわ! これは悪夢よ、早く覚ましてあげなくちゃ」
「だめだ。エイプルは夢に強く囚われている。僕の力でも干渉できない。このまま、自然な目覚めを待つしかないよ」
そばに行こうともがく少女たちだったが、闇の壁は厚く、夢に支配されたエイプルは、友達の声にも気づかない。
諦めかけた三人だが……ふと、夢が変化するのを感じた。白い光が射すのを見た。
どうしようもない状況に現れたのは、小さな女の子。
真白い髪に一輪の花を挿し、白い花びらを重ねたような衣服と佇まいをしている。花の首飾りを揺らして、エイプルの顔を覗き、手のひらに花を咲かせて差し出した。
「かなしいの?」
「あ……おはな? ありがとう……えっと、あなたは誰?」
急に現れた、四つか五つの歳の子に戸惑いつつも、エイプルは白い花を受け取った。
問いには笑って答えず……女の子は、夢の外れに銀色の瞳を向けた。その瞬間、すべての闇が払われる。
「うあああエイプルうぅ! なんておばかなのあなたは!? つらいときはつらいって言いなさいよ、ひとりで抱え込むなんてらしくないわ!」
「エイプルさん……私たちは、ずっといっしょにいます! あなたのそばから消えたりしませんから……!!」
「わ、わわっ二人とも、どこから来たの!? えっ、もしかして近くで見てた?」
闇の垣根を越えるやいなや、メイとオーガスタはエイプルに抱きついた。彼女がひとりじゃないことを教えるために、ぎゅうぎゅう身を寄せ、励ましの言葉を浴びせる。
少女たちは安心したのち、白い女の子へ関心を向けた。改めて見れば、皆同じ花を手に持っている。はっとするほど白く、心洗われる花だ。
今ならわかった。迷いや悲しみを脱せたのは、その子の助けがあったからだと。
「はかせ」
「うそだ……こんなこと、あり得ない」
「あの子は、博士の夢……ですか?」
「違う! だって僕は、夢を見るようなつくりはしていない」
膝から崩れ落ちる博士。喘ぐように息をし、彼女を凝視する。
いつも飄々とした彼がここまで心乱れているのだ。あの白い女の子と、深いつながりがあることは、少女たちにもわかった。
「……僕を恨んでいるかい? 僕は、"君たち"に何もしてあげられなかった」
「ううん。そうじゃないの。たとえ、感じられなくなったとしても、思い出は消えたりしないわ。わたしたちは大地でつながってる。今日はね、はかせに伝えたいことがあって来たの」
わたしだけ、誰にも言えなかったから……そう呟き、花とともに博士へ贈るのは、女の子の一番大切な思い。
「ありがとう、はかせ。だいすき!」
夜を内包した獣の皮膜は、少女たちを毛布のように包む。しっかり眠らせ、動けなくなったのを確認したのちに、飛び去ろうとする。
しかし、覚醒した三人は闇を跳ね除けて、獣に飛びかかった。
彼女たちの激しい反撃のため、"必眠鼯毛布"は逃走もできず、折って畳んで裏返されて捕まった。
その間、博士は眠っていたときのまま、野原に体を横たえ、片手で目を覆っていた。
エイプルの報告にも、顔を一切上げずに応じた。
「ごめん……今は、ちょっとだけ、ひとりになりたいんだ」
しんみりした気持ちは、皆に共通していた。女の子からもらった花も手の中にある。今の博士をそっとしておくことに同意し、少女たちは獣を研究所へ運ぶべく、歩き始める。
野原を離れる前に、エイプルは博士を振り返って、言葉をかけた。
「博士。あの子、名前はなんていったの?」
「……彼女の識別名称は、"スノウ・ポッド"。おはなの妖精だよ。僕の、昔の……研究材料だった」
夢は見ないと言った博士だが、今の様子は夢に囚われていると評すしかない。
魔法の毛布をかけられたのは、少女たち三人と博士……そして、"野原"。世界が見る夢を通じて、"白い花"は博士に会いにやってきた。
ざっと考えた仮説であったが、彼は実証も再現しようとも思わなかった。
今はただ、彼女の眠る大地に、身を委ねる。