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魔法少女(略)エイプルと真実の語り部たち

 客人たちが慌ただしく帰ったあと、部屋の片づけをする博士の背後に"黒い幻"が湧き立つ。それは、紙の燃え殻で人の形を模したような、奇妙な姿をしていた。

 いびつな四肢を緩慢に動かし、おや? と振り向いた博士のもとへ、黒腕を伸ばした。


「メイくん、僕のことは守らなくてもいいんだよ」

「そういうわけには……いきません!」


 害意を察知したメイは、凄まじい反応速度で動き、敵の攻撃を払った。返す手刀だけで幻を切り裂く。


「博士、大丈夫!? ケガなんかしてないよね?」

「隙だらけじゃないっすかもう! なんで博士は傷つくのを気にしないんすか!?」

「その台詞、そっくりそのまま返すわ、ジュディ! 自分を軽視しがちなのは、あなたもいっしょよ!!」


 まったく世話がやけるんだからと、オーガスタは博士の白衣を引っ張り、自分たちの背後に庇った。

 崩れ去った幻だが、数を増して再度襲いくる。持久戦は必至だ。少女たちは急いで魔道具を起動し、侵攻を食い止めにかかった。


「……やっぱり僕の推測は正しかったみたいだ。しかし獣の方も、実に迅速な対応をする」

「博士、これってなに!? "影狼ラルフ"みたいにたくさん出てくる、きりがないよ!!」


「落ち着いて対処するんだ、エイプル。これも獣の魔法だよ。夜祭りの時に捕まえそこねた、"夢幻黒蝶ノーマドレス"が直接襲撃してきたんだ」


「どういうことなのよ博士っ! 今日中にあの蝶の居場所を突き止めるとは言ってたけれど、こうなるとは聞いてないわ!」


 この日、研究所に少女らが集められたのは見学会のためではなかった。夜祭りの日に逃亡した"黒き蝶"の行方を探る。潜伏場所を特定するには、あの親子と……特に父親の方と、対話する必要があった。



「居場所ならわかってる……リーンベルゼさんの家だ。もうずっと前から、"夢幻黒蝶ノーマドレス"は彼に取り憑いていたんだよ」


「えっ!? リーネちゃんのお父さんが、あの蝶の宿主だったの?」

「小説家と妄想を実現する獣なんて、やっかいな組み合わせじゃないの! じゃあ、カーレルっていう町が滅んだのも、わたくしのお父様を苦しめたのも、あの人が……ああもう! こいつら邪魔よ!!」


 迫りくる幻たちに、オーガスタは怒りを込めて雷撃を見舞う。放たれた"白金閃光脚"は、敵を貫通して一行の逃げ道を広げた。メイとジュディは、新たな敵が湧出するはしから、水弾と風撃の魔法で潰していく。


 優勢を取り戻したことで、博士は事態の説明を続けた。


「いや、リーンベルゼさんが宿主だったからこそ、"夢幻黒蝶ノーマドレス"の被害をここまで抑えられたんだ。その気になれば世界の崩壊すら描写できるだろうけど、彼にはそういうことを察知する力がある。自分ひとりに獣を引きつけ、災いを想像しないようにするのが最善の策だった」


 でも、それはもう限界だったようだ、と博士は分析する。リーンベルゼの忍耐は尽きつつあり、"夢幻黒蝶ノーマドレス"もまた、不幸の蜜が得られない現状に我慢ならなかった。


「研究所に訪ねてきたのは、助けを求めてのことだったんだろうね。ひとりで"獣除けの陣"が発現できれば、獣をずっと封じておける。それができないと知って、不安が抑えられなくなった。同時に、"夢幻黒蝶ノーマドレス"も僕を邪魔に思って、襲撃を仕掛けてきたんだ」


「ええ、そうね……陣の調整役がいなくなれば、宿主のその人はもっと絶望するでしょう。卓越した想像力で破滅なんか描かれたら、目も当てられないわ」

「ひええええ! なんかうまく言えないすけど、やばいことだけは確かっすね!!」

「わ、私たち……どうしたら、いいんでしょう……獣の居場所がわかっても、この状態じゃ、近づけません……」


 この黒い幻たちは、リーンベルゼから漏れ出した不安が具象化したもの。彼が詳細に想像しなかったため、幻は脆く、少しの攻撃で消える。ただし、目的を達するまで無限に増え、消し続けても気休めにしかならない。



「急いでリーネちゃんのお父さんのところに行かなきゃ!」


 衝動のまま駆けだそうとするエイプルを、仲間たちが阻んだ。


「この状況で何言ってるの!? こいつら引き連れたまま外なんて出たら、大変なことになるわよ!」


「だって、あの人はずっとこわい思いをして過ごしてきたんだよ。こんなになるまで、不安を押し殺してきたなんてひどすぎる! 私たちが助けるから、もう大丈夫だよって、すぐに伝えてあげないとっ……」


「待ってくださいエイプルさん! こっちは、襲撃を防ぐだけで、手一杯で……誰か欠けたら、持ちこたえられません」

「ああああっ! でも、いるじゃないっすか! 今、手の空いてる人!!」


 研究所にいるのは四人の"魔法少女(略)"と博士のみ。しかし、ジュディはこの場にいない誰かへ助力を求め、風を編んで建物内に吹き巡らせた。



 疾風に引き寄せられて来たのは、ふかふかの物体。小さく白いその姿は、幻たちから狙われる博士を、布と綿で表したもの。


 非活性化状態の"ぬいはかせ"は、目的地まで微妙に飛距離が足らず、通路にぽてっ、と落ちた。


「……ん? どうしたんだい、みんな」


 起き上がった彼に、幻たちはこぞって襲いかかった。



 ◇ ◇ ◇



 激しい争奪戦の末、ぬいはかせは少女たちの手に渡った。彼はジュディの肩の上に乗り、敵味方からもみくちゃにされた機体を休めている。


 襲撃の波は止まず、事態が改善したわけではないが、この小さな味方と合流できたことで対策が講じられた。


「向こうの僕判定が甘くて助かったよ。今、"布と綿で構成された僕"だけが博士と認識されるよう、偽装の魔法をかけておいた。これで、幻たちをここに引きつけておける」

「そして、感知されなくなった大きい僕は、この場を離脱して、魔法の発現元に接触するんだ! 宿主との繋がりを断てば、"夢幻黒蝶ノーマドレス"は無力になるよ。その隙に捕まえよう!」

「私たちはこのままぬいはかせを守ってるね! だから博士、お願い。早くリーンベルゼさんを助けてあげて!!」


「待ってちょうだい! 博士、あなた本当にその人を安心させてあげられるの!? さっきも逃げられてたじゃない!」


 オーガスタが心配するのも当然だ。かの小説家を説得するという試みは、一度失敗している。

 博士はリーンベルゼの内心を鑑みず、自身の推論を確かめることだけ優先した。踏み込まれたくない秘密の領域まで、遠慮なしに追及してしまった。


 対応に非があったと博士も自覚している。しかし彼は、他者の心の機敏を受け取るのが不得手であった。

 不死者"博士"はとうの昔に人を超越してしまった身。その機体は改良を重ねた果てに、感性の一部が抜け落ちてしまっていた。


「大丈夫だよ博士。きっと、うまくいくよ!」


 戦いながらも、エイプルは博士に笑顔を向けた。

 言動に何ら根拠はない。しかし彼女は、この不死者を固く信じている。


「博士はこれまで私たちを気にかけてくれたよね。それといっしょで、今はリーンベルゼさんが心配で、どうにかしてあげたいって気持ちがあるでしょ? 思いを伝えてあげれば、絶対にわかってくれる。博士を信じてくれるよ!」


「ただし、どれだけ時間がかかるかわからないよ。その間はずっと戦いを強いられることになる。僕が彼の信頼を得るまで、君たちの体力が持つかどうか」



「だったら、博士……エイプルさんの考え方を参考にしたら、いいんじゃないでしょうか……?」


「えっ? なんで私?」

「そうね。エイプルのやり方なら具体例として適切だわ。メイもたまにはいいこと言うじゃない」

「わたしも賛成するっすよ! エイプルさんみたいに、相手のことを優しく思ってあげてくださいっす!!」


 仲間たちもそれがぴったりな案だと認めた。博士もまた、メイの助言に思うところがあったようで、得心したように頷く。

 本人のみがどういう意味かわかっておらず、不思議そうに皆を見渡した。


「エイプルのように、か……」


 博士は離脱の準備を進める。一刻も早くリーンベルゼと接触するため、彼は空間超越の魔法"転移術"を発現することにした。

 唯一の武装、"万象改変機構ゼノフラクタ"を魔力源として使用し、獣の生息圏に跳ぶ。



 カーレス・シズネ町に住みつくまで、不死者"博士"は機体の消費を惜しんだことはない。自身すら研究の道具と見なし、幾度も破壊と再起動を繰り返してきた。


 不死の特性を聞いてもなお、彼を大切なひとつの命として扱ったのは、エイプルが初めてだった。





 機体を包んだ光が薄れ、博士は現在位置を確認する。目的地として設定したのは、小説家リーンベルゼの自宅。家主のいる場所から、扉一枚挟んだ場所である。

 そっと侵入した部屋には、博士の推察通りの景色が広がっていた。


 長椅子に横たわるリーンベルゼ。目を閉じてはいるが、意識は当然ある。彼から発せられる不安や恐怖は、獣の魔法により幻の姿を与えられ、現在も研究所を襲っている。


 元凶たる黒き蝶は、彼の頭上で円を描いて飛ぶ。この場に攻撃対象が現れたことにも気づいていない。

 獣にとって、今の博士は生命として認識されず、部屋に物が増えた程度にしか感じられないのだ。


「リーンベルゼさん、勝手にお邪魔してすいません。けれど、どうか落ち着いて、聞いてください」

「博士……? あのぅ……いったい、どこから入って……」


 リーンベルゼは突然の来訪にさほど驚かなかった。

 あるいは夢現ゆめうつつの判別がついていないのかもしれない。博士は、机の上に散らばる白い錠剤を見て思った。


「もう苦しむことはないんですよ、リーンベルゼさん。心を楽にしてください。"魔法少女(略……いえ、少女騎士たちがあなたを助けると誓いました。じきに獣から解放されます」

「少女騎士……? ああ、この町の救い手様……私を、見つけてくださったのですねぇ……」


「はい。今まで目立った動きがなかったため、この黒い蝶……"夢幻黒蝶ノーマドレス"の居場所を見つけられずにいました。ですが今日、あなた方が去ったあと、獣は研究所へ襲撃を仕掛けました。それで、ようやく確証を得ることができたんです」


 救助を得たという安堵から一転、リーンベルゼは悲鳴をあげて長椅子から落ちた。震える身体で這いずって、博士から距離を置く。


 淡々と語られた事実は、彼の心を絶望に近づけた。このような被害を最も恐れていたのだ。自分のせいで博士に災難が降りかかったと知り、不安が高まる。


「あの蝶は、博士のところにも現れたと言うのですかっ!! あ、あぁ、私のせいです……出歩くたびに私のもとから離れ、誰かの不安を形にして、周囲を不幸に陥れる……カーレルの町も、そうやって灰に……」

「心を静めてください、リーンベルゼさん! 僕はそういうつもりで言ったんじゃありません。この町の誰も、あなたを責めたりしない」


「慰めなど結構ですよぅ! どれもこれも私が悪いんです!! 私に、"災禍ばかり視る能力"があるばかりに、黒き蝶を引き寄せてしまった……もう想像を抑えることが辛い! 最悪の光景しか思い浮かばないんです!! 頭の中にある地獄を具象化されるくらいなら、もういっそ……命を絶つしか」


 これはまずい、と博士は狼狽える。また配慮の足りない言動のせいで彼を怖がらせた。しかも、恐ろしい選択肢を口走るまでに、追い詰めてしまっている。


 諦観の思いがよぎるも、説得を止めるわけにはいかない。

 不得手だから、人としての感情を忘れたから、という言い訳はできない。研究所で戦う"魔法少女(略)"たちと同じく、博士も真剣に向き合わないといけないのだ。


 "エイプルのように……"と、与えられた助言を頼りに、言葉を探す。



「あなたのお子さん、リーネちゃんは……将来、絵本作家になりたいそうですね」


 リーンベルゼはゆっくりと博士を見上げた。急に娘の話に切り替わったことで、困惑している様子だ。


「彼女が夢を叶えた時のことを考えてみませんか? "夢幻黒蝶ノーマドレス"が好まない、幸福な未来を想像するんです。欲しい物語が得られないと悟れば、獣もあなたから離れていくでしょう。僕はここで聞いていますから、存分に語ってください」


 人の思考とは単純なもので、投げかけられた言葉について想像せずにはいられない。博士が提案した話題は、リーンベルゼが大切に思う相手の、幸せな未来について。


 どうしてそんな話を求めたのか、博士本人もうまく説明できない。

 ただ、友達のことを話すエイプルは、いつも楽しそうに笑っていたのを、博士は記録していた。



 ◇ ◇ ◇



 研究所での戦いは熾烈を極めていた。黒い幻は止めどなく出現し、あらゆる方面から"ぬいはかせ"を狙う。

 はじめは通路に布陣していた魔法少女たちだが、数分前からの猛攻に耐え切れず、広間へと逃れてきた。家具を集め防塁にし、抵抗戦を続けている。


「さっきから何なの!! いつまでこんなこと続ければいいのよ!!」

「疲れたのかい? 微弱だけど、僕が回復を施そう」

「オーガスタちゃんはぬいはかせ持って休んでて! また幻が集まってきたみたいだから、ちょっと前衛を吹き飛ばしてくるね!」

「援護ならわたしに任せてください! 追い風の魔法を付与するっすよ。弱い攻撃はみんな吹き飛ばします!」

「私が、"水晶の箱"を発現するまでに、戻ってきてくださいね……オーガスタさんは、あと五十秒後に魔力の充填が終わるはずですから、全体攻撃をお願いします……」

「あなたたち、こういうことばっかり順応性が高いんだから! 頼りにしてるわよ、もう!」


 それぞれ得意な魔法を組み合わせ、四人は安定した戦線を維持し続ける。

 しかし、予断は許されない。敵の勢いはリーンベルゼの心理と連動しているのだ。彼の動揺次第で、戦況はいくらでも悪化する。


「やっぱり博士ひとりに任せるのは間違いだったんだわ。宿主を安心させるどころか、ひどくなるばかりじゃないの!」

「僕が不器用なばっかりに迷惑をかけてごめんよ。でも、不死者にしては常識があるだけましと思って、大目に見てくれないかな」

「ぬいはかせもこう言ってるし、許してあげてくださいっすよオーガスタ!」

「知らないわよ! ああもう、魔力溜まったし、雷撃ぶちかませばいいんでしょ……いくわよ! "さきがける千々の……」


「待ってください……!!」


 異変を察したメイは、防御魔法を唱える代わりに全体の制止を叫んだ。幻の動きがおかしい、またしても宿主の心に変化があったのだ。

 前線で戦うエイプルも、攻撃の手ごたえがなくなったのに気づき、辺りの様子を伺う。


 消し切れないと思えた幻たちだが、急激に数を減らしていく。一ヶ所に結集するよう動いたと思えば、次の瞬間には気配ごと変容した。

 一同は敵の挙動に備えて待機し、室内は不気味な沈黙に満ちる。


 炎魔法による噴煙が晴れたのち、黒き幻は新たな形を現した。

 より人に近く、緻密な描写を得た敵は……少女たちにとって、あまりに見慣れた姿をしていた。



「なんで、リーネちゃんが……ここに?」


 深い色の茶髪をやわらかに揺らし、リーネがゆっくりと振り返った。本好き少女の知的な風貌そのままに、皆の前は立つ。しかし、その表情は拗ねたふくれっ面で、丸眼鏡越しの瞳は嫌悪の色に染まっていた。


 本物のリーネでないことは明白だった。これまでの襲撃者たちと同じく、この彼女は獣が発現した幻。リーンベルゼの不安を具象化した存在である。

 その証拠に、彼が恐れるような台詞を放つ。


「お父さんなんて大っ嫌いだよぅ!!」



「これが、反抗期……ですか」

「うわあぁぁん、そんなこと言わないでくださいっすリーネちゃん!」

「なんであなたが落ち込むのよ、ジュディ。わたくしたちに言ってるんじゃないわよ」


「まあ、いずれ君たちも通る道だよ。子どもの成長には欠かせない時期だからね」

「私は大好きなお父さんにそんなこと言わないよ?」

「さて、それはどうだろうか」


 離脱した博士は、慣れないわりに手を尽くしているようだ。まだリーンベルゼを安心させたわけではないが、敵意ある幻はなくなった。

 不安の感情を尖兵として派遣してくるのは変わりない。けれどそれは、娘を持つ父親の一個人としての憂い。具象化しようとまったくの無害だ。


 さらに、小説家としてのさがが疼いたのか、幻の描写は精巧さを増した。

 リーネを中心に、具象化の影響が広間全体に浸透する。研究施設の面影や、戦闘の破壊痕すらもリーンベルゼの想像に塗り替えられていく……



 爽快な初夏の空に鐘の音が響く。庭園では薄紅色の野ばらが咲き誇り、光風を受け揺れていた。招待客は司祭の合図で、手にした花を風に流し、祝いのしるしとする。

 今、教会の大扉が開かれた。幸せそうに手を振って、一組の男女が歩みくる。


 舞い上がる花びらと降り注ぐ陽光。幸福を願う女神の聖句が唱えられるなか、清く美しい恋人たちの姿に、感嘆のため息がいくつも生まれた。

 多くの人々から祝いの喝采を浴びて、花嫁衣裳のリーネは晴れやかに笑った。


「今までありがとう、お父さん……! 私、この人と幸せになるからねぇ!!」



 想像の中で友人列に配置されたエイプルたちも、感動に瞳を潤ませる。幻のリーネを囲って、わいのわいのと祝いの言葉を投げかけた。


「おめでとう!! すてきな結婚式だね!」

「何言ってるのエイプル!?」


「リーネさん……すごく、綺麗です……」

「うっうっ、リーネちゃん。こんな立派になって……わたしは嬉しいっす……」

「……ダメだわ。みんな、あの作家の想像に飲まれてるわね」


 さっきまでの激闘も忘れ……ここが研究所の一室であり、今見て感じている景色すべてが幻であることも気にせず、少女たちははしゃぐ。


「おや。ひどいじゃないか、オーガスタ。君は友達の門出を祝福しないのかい?」

「黙りなさい! 花びらぶつけるわよ!」


 唯一、正気を守ったオーガスタだったが、楽しそうな仲間を現実に引き戻すのはためらわれた。よって、もやもやした思いはぬいはかせに集約する。


 彼は、オーガスタの手を掻い潜って逃走しながら、大きい自身と連絡を図る。


「もしもし、僕? こっちは何とかなりそうだ。その調子で頼むよ」





「了解したよ、僕」


 二人きりの書斎で返事を呟いても家主は気づかない。リーンベルゼは、先ほどから娘の晴れ舞台と、彼女が巣立ってしまう淋しさを想像し、悶え苦しんでいる。


「嫌だぁ! お嫁になんていかないでリーネ!! ずっと、ずっと、お父さんといっしょに物語を書くんじゃなかったのかぃ!?」

「いいですよ、リーンベルゼさん。もっと続けてください。じきに"夢幻黒蝶ノーマドレス"も呆れ果てて憑依を解くでしょう」

「ぐおおぉぉ、未来の花婿が憎いぃ……」


 これらリーンベルゼの煩悶も、不死者である博士には理解できない。わからないわりに提案した想像の題材だが、非常に良い結果を生んだ。


 気を抜けば災厄を描いてしまう心理状態であるも、博士が彼を誘導し、意識を逸らし続けることで回避させた。それどころか、想像が軌道に乗ってからは、逆に獣の力を削る勢いで物語った。



 ただの蝶であった頃から現在に至るまで、"夢幻黒蝶ノーマドレス"は特定の糧しか受け付けられない。特異の魔法も生きるために使用するもの。しかし、どれだけリーンベルゼの不安を具象化しても、誰も不幸にならない。力を使っても割に合わないのだ。


 人間への憎悪。彼らが垂れ流す"不幸の蜜"だけが、今の"夢幻黒蝶ノーマドレス"を生かしている。


 "黒き獣"として変異し、寿命を越えて生きるすべを得たとしても、羽虫一匹の命数などたかが知れている。

 このまま小説家に憑りついても得るものはない。それどころか、力を奪い尽くされ、消滅させられる危険すらある。


 これ以上の妄想に付き合ってられない、黒き蝶はリーンベルゼのもとから逃げ去った。



「……もう、いいでしょう。あなたのところから獣は去りました。お話を終えて結構ですよ」


「いやいや、まだ終わりませんよぅ! あの子の将来は希望で輝いている、これから伝説の絵本を手掛ける話を……今、何と? あの蝶が……私から、離れたのですかっ……?」

「はい。"陣"の出力をあの獣のために調整し、包囲網を仕掛けてあります。もはや逃げ場はありません。もう誰にも、もちろんあなたにも、二度と憑りつくことはできないでしょう」


 憑依を解いた瞬間、"夢幻黒蝶ノーマドレス"専用の陣が起動するよう準備していた。獣はもはやこの家から出ることもできない。

 念願の解放を告げられ、ややしばらく目を閉じたのち……小説家は快哉を叫んだ。


「やれ嬉しや! これでやっと自由に筆を振るえる! 視える景色を、何のしがらみなくあらわせるんですねぇ!!」

「嬉しいのはわかりましたが、今は休んでください。少し前まで、あなたの精神は危険な状態だったんです。創作活動は休息のあとでお願いします」


「はははは! わかって、いますよぅ……最後に、ひとつだけ教えてください……この世界には、私たちのほかにも"運命を視る者"がいるんですか?」


 これを聞いたら眠りにつく。リーンベルゼはそう約束し、博士の知識を求めた。朗々と物語る詩人の面影はなく、今の彼は寝物語をねだる幼子のようだ。

 博士は微笑み、自身の研究成果を論じ始めた。



 空の特徴や風の流れから天気を予想できるように。この世界には現実から予兆を拾い、運命の流れを垣間見る……そのような感覚に優れた者が、まれに現れる。

 彼らの多くは預言者、占い師として身を立て、権力のそばに寄り添うものだ。しかし、リーンベルゼは異能の独占を厭った。力を秘匿し、視えた展望は小説の形にして大衆に広めた。


「それが、私の使命だと思っています……場所が特定された惨事や"暗殺の前兆"であれば、直接出向いて告げますがねぇ……いつ、どこで起こるかもわからない災禍は、こうしてでも広めて、回避することを願うしかない……私の書く物語は警鐘です。凄惨な運命を辿るのは、想像の世界だけでいい……」


「だから、あなたは悲劇ばかりを描くのですね。活動の自由を確保したい気持ちも、僕にはよくわかります。打ち明けてくれた秘密も口外しません。ですが……僕からもひとつ質問、よろしいですか?」


 微睡んだ視線でも、問いを許可する意志を感じた。

 彼なりに予言者としての責任があるのと同じく、博士にも強い探究心がある。大事な秘密とはいえ、追い求めるのを諦めるわけにいかない。


「やはり、あなたのお子さんにも、その異能が受け継がれていますよね?」



「はははははっ! お気づきになられたんですか……確かに、リーネにも同様の力がありますなぁ。私は未来の厄災を、リーネは過去の真実を視ています」


 目を向ける場所は違えど、彼ら親子は"真実の語り部"。著した物語には、すべて運命の一端が記されている。



「……しかし、いったい誰が確かめられましょうや? あの子の書いた絵本が……実際に起きた、過去の出来事であることを」






 "まだ消えるわけにいかない"


 黒い蝶は必死に飛ぶ。宿主を使い潰すつもりが、反対に力を奪われかけた。夜祭りの日に蓄えた"不幸の蜜"も底をつき、今は翅を動かすだけで手いっぱいの有様だ。


 宿主なくしては飛翔すら思うようにいかなかった。小癪なことに"獣除けの陣"も強化されており、落ちれば最後、容易に捕獲されてしまう。


 "必ず、復讐を成し遂げてみせる"


 その思いだけが蝶を世界に繋ぎ止めていた。幸いにもまだ道は続いている。新たな宿主を見つけるのだ。

 適格者ならばこの家にもうひとりいた。確かな期待を抱いて、黒い蝶は進んでいく。


 別室にて、泣きながらペンを走らせる少女のもとへ。




 悲しみは不安の温床だ。そこより恐怖が生まれ、絶望を経て"不幸の蜜"が湧き出てくる。一心不乱で机に向かう少女、リーネの様子にその前兆を見た。今の彼女は悲しみに取り憑かれている。


 ならば不幸に落とすまで。蝶は魔法を展開する。この町を出て、遠くまで飛ぶために、早急に糧が必要だった。

 リーネの頭上を飛び舞って、彼女の恐れに幻の姿を与える。発現場所はすぐ背後だ。これを見て絶望するがいい、と黒い蝶はほくそ笑む。

 だが、そうして描いた光景は……



「北の海に、小さな島がありました――――」



 映し出されたのは、今は亡き楽園。人の手で荒らされる前の故郷だ。どの資料にもここまで精緻に記録したものはない。ただの少女がこの景色を知るわけがない。

 しかし、リーネはまるで"視て"きたかのように想像する。



 彼女が描いているのは「蝶と花の物語」


 北の孤島で仲睦まじく共存していた蝶と花。無慈悲な人々の手によって、花は永遠に奪われてしまったが、蝶は諦められなかった。

 種が栄えた島を出て、あてどない冒険の旅に出た。


 それは孤独で望みなき旅路。あらゆる困難を乗り越えたとしても、花と出会えることはない。この世から失われたものゆえに、どれほど欲しても再会はできないのだ。


 そんな運命は悲しい、とリーネは泣き続ける。


 せめて絵本の中では蝶の願いを叶えてあげたい。それがただの空想で、気休めであることもわかっている。けれど、リーネはどうしても幸せな結末を形にしたかった。


 そして黒い蝶もまた、彼女が描く懐かしい花畑を目にしたかった。だからこそ、ためらいなく特異の魔法を用い、想像の細部まで具象化する。


 残った力の、すべてをかけて。



 物語の終盤、ついに飛べなくなった蝶のもとへ、小さな女の子が現れた。

 その子は"おはなの妖精"。白く儚い花を体現したような姿である。純白の髪に一輪の花を挿し、花の首飾りを揺らして微笑む。

 歩みの後から咲き広がり、手のひらに咲かせて差し出すのは……忘れもしない、ずっと会いたいと求めてきた、白い花だ。



 リーネの優しさに満ちた悲しみを、蝶の魔法が具象化することで、奇跡の再会は果たされた。

 今ならわかる。自身が獲得した魔法の意味、ここまで飛んできたのはすべて、この瞬間のためだったのだ。

 辛く、苦しい気持ちが報われる。人への恨みや復讐心もすべて洗い流された。


 "最後までいっしょにいたい。ただそれだけだった"


 人の世が滅んだ光景か真白い花畑。本当に見たかった景色がどちらかなど、言うまでもない。

 力を最後の一滴まで捧げた黒い蝶は、白い花とともに、女の子の手のひらの中で眠る。


 "もう離れたりしない"


 旅の果て、たどり着いた奇跡に歓喜しつつ……

 "夢幻黒蝶ノーマドレス"は消滅した。





 泣き疲れて眠るリーネに、おはなの妖精は声をかける。


「呼んでくれてありがとう。この子はわたしがつれていくね」


 背伸びして顔を覗き込み、机の上にお礼のおはなを置いた。彼女がこちら側に姿を現せたのも、リーネが自分たちの"過去の真実"を視てくれたから。

 黒い蝶が花を大切に思っていたのと同じく、白い花もまた、蝶を忘れたことはなかった。



「咲いたおはながかれちゃっても、この世界にいられなくなったとしても、思い出はきえないわ。広い大地で、この人が書いた絵本のなかで、わたしたちはずっといっしょにいられるの……そうでしょ、はかせ?」


「そうだね……"スノウ・ポッド"」


 博士は声を震わせ、小さく微笑んだ。飛び立った蝶を捕らえるべく、リーネの部屋へやってきたのだ。

 だが、そこでの光景は彼の予想をはるかに超えていた。


 検証不可能なほどの奇跡が重なって、蝶と花は幸せな結末を迎えた。

 "おはなの妖精"が再び世界から抽出されたこと。"夢幻黒蝶ノーマドレス"が世界を汚染せず消えてしまったことも……究明したいという気持ちはあるが、今は喜びの感情がまさった。


「ありがとう。また会えてよかった」


 スノウ・ポッドは夢幻のように姿を霞ませていく。再び大地に還ってしまうのだ。



「僕は研究を続けるよ。君たちが、美しい場所で眠り続けられるように」


 これは約束だ。博士が"黒き獣たち"の問題に取り組み、汚染を食い止めようとする理由。

 今度こそはちゃんと守るよ、と彼は誓う。


 消える直前、スノウ・ポッドは嬉しそうに笑った。

 そして、博士とのお別れに、"ありがとう"と"大好き"の気持ちを伝えるのを忘れなかった。

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