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蝶と花の物語

 北の海原に小さな島があった。

 大陸や航路からも遠く離れ、特殊な環境条件が重なった孤島だ。そこに住む生物は独自の生態系を築いていた。


 その地には"黒い蝶"が生息していた。墨に濡れた如くの光沢ある翅を持ち、群れをなして悠然と飛ぶ姿は気品を感じさせる。宙を舞う、翅を畳む、花の蜜を吸うなど、動作すべてが絵画のように美しかったと、発見者は語った。


 狭い島ゆえに、自生する植物の種類も限られていた。黒い蝶が糧としていたのは小さな野花。蝶の対となるような姿の、白く愛らしい花であった。


 両者は密な共生関係にあったという。黒い蝶はこの花からしか蜜を得られない。花もまた、蝶なくしては実を結ぶことができなかった。

 互いの助けがなければ、種の存続も叶わない。危うい均衡の上に成り立つ繁栄だったが、この花と蝶は島のどの生物よりも、強い結びつきを持っていた。



 ある日、島に一隻の船舶が漂着した。探検という名目で、各地を旅する一団が来訪したのだ。

 地図にない未知の領域。図鑑に載らぬ動植物がひしめくなか、新種発見という興奮に浮かれ、探検者たちは島を荒らし回った。


 黒い蝶と花のもとにも探究の手が伸びた。蝶は飛んで逃げられたが、白い花は動けなかった。抵抗の術なく採集され、踏み荒らされ、やがてこの世から種が絶えた。


 糧となる花がいなくなれば、蝶もまた滅ぶしかない。

 人々の往来を受けるようになった孤島は、もはや未開の地ではなく、環境も様変わりした。固有の生物たちが排斥されるなか、蝶の絶滅は時間の問題であった。


 "許せない"


 生き残った最後の蝶は思う。

 衰弱し、命散らす瞬間に、蝶は"とある力"を吸い取った。


 "花を奪った人間が憎い"


 調和を破壊し、いくつもの種を絶滅に追い込みながらも、人々は平然と繁栄している。豊かな営みのために夥しい犠牲を出していても、彼らは報いを受けることがない。


 必ず思い知らせてやる、黒い蝶は復讐を誓った。

 "獣"として変異を遂げたことで延命し、さらに他者の不幸を叶える魔法も得た。破滅の力は充分備えている。

 たかが羽虫一匹の憎悪で人の世が絶望に沈む。そのような痛快な結末を求めて、黒い蝶は大陸に飛来した。


 必要なのは宿主だけだ。人を滅ぼす方法は、人が一番よく知っている。

 滅亡を緻密に表せる想像力と、上限なき不安と恐怖の持ち主を求めて、黒い蝶は飛んだ。


 そして、カーレルの町にて、ある人物を見出した。



 ◇ ◇ ◇



 集落の統合を経て、カーレル・シズネ町として初めて行われた祭日は、大事件とともに町史に刻まれた。

 夜祭りの終盤に"狼の影"の目撃例が相次ぎ、さらに住民全員が昏睡状態に陥るなど、長い夜は波乱に満ちていた。


 のちに説明された原因は、夜祭りのため焚いていた香に、強力な睡眠作用のある植物が混ざっていたというものだ。これは、治癒術士の顔も持つフロスト町長と、博士の調査によって突き止められた。

 獣の襲撃ではないかと心配する声もあったが、奇跡的に怪我人はなく、大きな事故も起きなかったことから、かの夜の出来事は不思議な偶然として、人々に受け入れられた。


 騒ぎがすぐに落ち着いた理由は、もう一つある。町の異変に気がついて、駆けつけてくれた少女たちがいたためだ。

 不死者"騎士"と関わりがあるという少女たちは、町の救い手であると認識されていた。変事を聞きつけやってきたのか、輝きを放ちながら走るさまは、人々に希望を与えた。


 目覚めている者は、赤い大輪の花火を夜空に見た。

 夢の中では、白金の雷光が轟き、迷う者を導いた。



 そのどちらを見たのか、という話題が町で流行しているころ、博士の研究所に一組の親子が訪れた。


「こんにちは! 研究所の見学に来ました。みんな、どうぞよろしくねぇ」

「この度は取材へのご協力、感謝いたします。以前から博士の研究について気になっておりましたが、直接説明していただけるとは、まことに嬉しいことですなぁ」

「どうもリーンベルゼさん。こっちの準備は整っていますよ。今日は遠慮なく見ていってください」


 リーネの父、作家であるリーンベルゼは執筆のための取材をよく行っていた。同じ町に住む研究者も興味の対象らしく、今日は見学を申し入れていたのだ。

 なお、娘も同行を望んだため、親子連れでやってきた。


「ふたりともいらっしゃい、待ってたよ!」

「あの……リーネさんのことは、ジュディさんといっしょに、私たちが案内しますね」

「うん! ありがとうねぇ、エイプル! メイも頼りにしているよぅ!」


「では、研究所居候のわたしに着いてきてください! まず、おやつのある場所にお通しするっすよ。その次にわたしの部屋で宿題をして……」

「まじめにやりなさいよジュディ! リーネは遊びに来たんじゃないの!」


 戦いにおいても、日常においても、オーガスタは他者を導くことに長けていた。気を抜けば遊びと雑談に傾きかける友人たちを統率し、別室に連れて行く。

 やっぱり自分がついてきて正解だったと、彼女は呆れつつも、実感していた。




 親子連れ添ってでの研究所見学だが、父と娘の関心は異なる。リーネは町にやってきた獣たちについて、リーンベルゼは町を守る"陣"について話を聞きたがった。


 リーネの相手をエイプルたちに一任した博士は、リーンベルゼを実験室に通し、陣の図面の前で解説の支度をしていた。

 資料が整う間も、好奇心旺盛な客人は、あれは何ですかな? この道具は何に使うのですかな? と目を輝かせ、少年のようにはしゃいで尋ねた。


「移住の際に説明を受けたと思いますが、この町には"黒き獣たち"を寄せ付けない仕掛けがしてあります。僕が考案した、"獣除けの陣"という常時展開式の魔法です」

「ええ。実に素晴らしい仕掛けですなぁ。町拡張と同時に、新規の獣対策を取り入れるとは、フロスト町長は明断をされましたねぇ」


「僕としても、この町の協力を得られることができて嬉しく思っています。町長は術士として陣の構築に力を貸してくれましたし、実現できたのは"砦大工"オリバーさんたちのおかげです」


 改築時の忙しさに想いを馳せつつ、博士は陣の図面に指を走らせた。

 獣の脅威から人々を守護するため、構想した獣除けの陣。彼はすぐさま実現を目指したが、どの集落も国家も混乱を極めており、新しい施策に挑む気概はなかった。


 唯一、実験都市の建設に合意したのはシズネの町だけだった。フロスト町長が時間をかけて住民を説得し、オリバーら建築集団も資金や仲間を集め、博士監督のもと、カーレル・シズネ町は完成した。


「多くの移住者が集まったのも、陣の効率運用に役立っています。あれは住民のみなさんの魔力で稼働するものですからね。しかし、人員の流動によって細かな調整が必須で、町に出入りする時には申請が必要となり、そこだけは面倒をおかけしていますが」


「とんでもない! 私たち住民にしてみれば、ただ暮らすだけで自衛が叶うのです! 些細な手続きなど苦でもない。住民の行動範囲が限られると言いますが、安全にはかえられませんよ。本当に……素晴らしい魔法ですなぁ」


 リーンベルゼは博士の陣を賞賛し、思いつく限りの美辞麗句を唱える。

 心のままに無邪気な声を降らすが、次に漏らした言葉は、幾許かの羨望と焦りを含んでいた。


「……ときに、博士。その陣とやらは、ひとりの魔力だけで、発現し得るものでしょうかねぇ?」

「それは、獣除けの魔法を個人で使えるか、ということですか?」

「まぁ、そんなところです。なに、町一つという規模じゃなくてかまいません。せいぜい小部屋……いえ、"虫かご"程度でいい。私だけの魔力で、陣は構成できないんでしょうか……?」


「リーンベルゼさん。残念ながら、それは不可能です。陣の魔法は多くの魔力を費やす術。今ある陣も、全住民の魔力を用いていますが、まだ足りないくらいなんです。普通の人間が、ひとりで発現するなんて、とても……」


 町が統合され、住民が増え、皆の力で獣除けが達成されたように見えても、まだ完全ではない。魔力源たる住民の配置が変わるだけで、陣の効果は揺らぐ。細やかな調整に回す余力もない。


 町の者たちは知る由もないが、それでも陣の常時展開を維持できているのは、不死者である"博士"が密かに魔力を提供しているからだ。



 淡々と説明するにつれ、リーンベルゼの表情は落胆に染まった。あてがはずれた、と言いたげな態度だ。

 そんな様子を眺めて、博士は灰色の目を細める。彼の来訪の目的は取材ではない。もっと、深い事情があるのだと、博士は考察していた。


 また、彼については気になる"噂"もある。


「どうやら、私は認識を違えていたようです。構想中の作品にて"陣"のことを書きたかったのですが、練り直す必要がありそうですなぁ」

「そうですか? 僕には、あなたが陣を私的活用されたいように見えましたが……」

「……なっ!? いえ……気のせいですよぅ! 私は本当に、執筆の参考にしたかっただけで、博士の技法について口外は致しません!」


「僕の研究に秘匿するようなことはないですよ。ただ……あなたが"視た"景色について、若干の関心はありますね」


「は……? 博士、あなたは……何を知って……?」

「とある界隈では有名な話ですよね? 僕もあなたの作品を解析して、確信を得ました」


 博士の機体が持つ計測器や、感覚器官を用いずとも、リーンベルゼが動揺しているのは見てとれた。この反応だけでも肯定の証拠といえる。


「博士っ! よもや、私の著作に目を通したと言うのですかっ!? あんな低俗な、悪趣味極まりない"噂"まで信じて……!」

「小編含め、すべて読み込んであります。あなたの書く物語は、読む人を選ぶと言われていますが、あのように細部まで"視える"能力をお持ちとは、非常に珍しい」


 やめてください、とリーンベルゼは立ち上がって拒絶したが、博士は言葉を止めない。

 感情を機敏に受け取る機能について、すでに彼は一部を削り取っていた。



「あなたの作品はどれも未来を書き当てていますよね。一部の識者から"予知書"と呼ばれるくらいに。特に初期の話ほど真実の精度は高い。あなたが好んで取り上げる、"滅亡と崩壊の物語"は、高い確率で現実となっていました」


 稀にいるんですよね。そういう、世界の流れが視える人……世間話程度の軽い口調で、博士は客人の異能を指摘した。


 小説家リーンベルゼの作風は退廃的かつ凄惨。容赦なく破滅を書き著した物語は、未来に起こる悲劇を予知したものばかりであった。



 ◇ ◇ ◇



 重苦しい会話が流れる一方で、エイプルたちのいる部屋では笑い声が絶えない。"獣"についての話題は、頻繁に脱線してはいるが、リーネの取材活動は概ね達成されたようだ。


「うん! ここにいる獣たちの特徴はだいたいわかったよ! おもしろいお話が聞けてよかっけど、やっぱりこの子たちのお世話って大変そうだねぇ、ジュディ」


「本当にやばいんすよもおおお!! 影のわんこは増えて飛びかかってくるし、銀色のたぬきはいたずらばっかり! 相手するのも命がけっす……」

「あははは! ジュディちゃん、それってすっごく懐かれてるってことだよ!」

「もしかして、獣たちは……ジュディさんを仲間だと、認識してるのかもしれません」


 まったくそのとおり! と笑いが起こる。本能と勢いで生きるジュディの気質は、獣たちのように自由奔放だ。


「いいなぁ。獣たちと仲良くなるって、とってもすてきなことだと思うんだよねぇ」

「そうですか……? リーネさんは、獣が怖くないんですか。襲ってくるんですよ?」

「うん……でも、いつまでもこわがってちゃ、前に進めないよぅ。教会の子どもたちがまさにそう。カーレル町を出てから、部屋に閉じこもりがちになっちゃってて……」


 リーネが気にかけているのは、クィン率いる教会図書館の孤児たちの現状。彼らは獣の手から仲間を守るため、安全地帯から動かず、シズネの子らとも交流を絶っている。


 彼女が獣を題材にした絵本を書いて、読み聞かせているのも、この状況を悲しく思ったゆえだ。


「私の絵本で、気持ちを変えてくれるかわからないけどねぇ、伝えたいの。こわがるのも仕方ないことだけど、外に出て、いろんなことを知ってほしいなって」


「大丈夫だよ! 絶対、子どもたちもわかってくれるよ。リーネちゃんの絵本を読んだら、優しくてあったかい気持ちになるから!!」

「そう、かなぁ……うん、ありがとうエイプル。私、信じて続けてみる。もっとたくさんお話書くからねぇ!」


 やる気たっぷりにリーネは笑い、場のみんなを見渡した。



「メイにジュディ、オーガスタも、今日は付き合ってくれてありがとうねぇ。おかげでまた楽しい物語が"視える"かも。絵本にしたら、まっさきに読み聞かせてあげるよぅ」

「ぃやったあああああ!! 超嬉しいっすううううぅ!!」


「ジュディったら大袈裟すぎでしょ! 絵本だけで、よくそこまで喜べるわね……ん? リーネ、"物語が視える"ってどういうこと? あれはあなたが書いたものじゃなくて?」


 オーガスタは、小首を傾げて尋ねた。彼女の"物語が視える"、という言葉は、創作の表現として珍しい。

 指摘に応じてエイプルも、リーネの執筆方法について興味を持った。あの楽しい物語はどうやって生み出されるのかと質問する。

 にこにこと笑顔のまま、リーネは快く答える。


「私ねぇ、たまに違う場所の景色が視えるの!」



 それは目の前に現れ、映像として流れていくという。内容は様々だが、どれも書きたいと思った主題に近しい。最近は"黒き獣たち"……"魔法を使う動物たち"の物語を中心に展開する。


 彼女は、この時に"視た"光景を絵本として書き起こしているのだ。


「へえー! すごいね、リーネちゃんの絵本って、そうやって書かれてるんだ!」

「え……なによ、それ。作家って、みんなそうしてるの?」

「うーん。他の書き手さんはどうやってるのはわからないけど、私のお父さんは同じように書いてるはずだよ」


「今日はなにか視えたの!? 物語が視える瞬間って、どんなとき?」

「それも難しい質問だよぅ、エイプル。こればっかりは自分じゃどうにもならないんだよねぇ……しいて言えば、こうして取材をしてるときかな……」


 困り顔のリーネのもとに書類が運ばれてきた。絵本に首ったけのジュディが、新しいお話を強請るべく、追加の資料を持ち込んだのだ。


「これなんかどうっすか!? 町の人もほとんど知らない獣、"黒い蝶"の情報っすよ!!」

「ちょ、ちょっとジュディさん……"夢幻黒蝶ノーマドレス"はまだ捕まってないんですよ……! それに、獣の魔法の性質上……他の人に不安を与えると、まずいことになっちゃいます……」

「ふおおおおお! うっかりしてたっす!!」


 夜祭りの日に現れた"夢幻黒蝶ノーマドレス"は、憑りついた者が不安に思うことを現実とする。条件さえ整えば、いくらでも不幸を撒き散らせられるのだ。

 恐ろしい魔法を使う獣が野放しになっていると知られれば、人々は恐慌し、災害の連鎖が発生しかねない。


 見せるべきでない資料がリーネの手に渡り、他の少女たちはあたふたするも、時すでに遅し。彼女は容赦なく情報を読み込んでいった。



 直後、リーネの動きが止まる。紙面から顔を上げ、何もないはずの一点を見つめだした。

 丸眼鏡の奥にある、大きな茶の瞳は、周囲のどことも焦点が合っていない。

 エイプルは友人の変調に声をかけようとするも、できなかった。リーネは今、"物語を視て"いるのだ。



「北の孤島……一面に咲く、白い花……でも、お花はいなくなっちゃった…………黒い蝶は、あの時からずっと、ひとりで……」



 謎の独り言に口を出すのも憚られた。"視える"、という言い回しは、ひらめきを得る際の比喩表現ではない。彼女は本当に、遠くの景色を視ているのだ。

 まるで天啓を受け取る巫女のように、リーネは厳粛に立ち尽くす。


 始まりも急だが、終わりも唐突にやってきた。リーネは元のあどけない少女に戻る。しかし、その表情は落ち込んでいた。茶色の瞳に涙を湛え、瞬きのたびにきらめかす。


「ごめん……っ、急にごめんねぇ、みんな。私、もう帰らなきゃ! このお話を、今すぐ書かなきゃいけないの!!」



 引き止める間も無く、今度は部屋の扉が激しく叩かれた。


「リーネ!! 早く、こっちへ戻ってきなさい! さぁ、すぐに家へ帰ろう!」

「待ってください、リーンベルゼさん! 僕の話を聞いてください。推測が正しければ、あなたは非常に危険な状況にいます。ひとりで抱え込まず、正直に打ち明けてください」

「いいえ、もぅ結構! 私のことは放っておいてください!!」


 リーンベルゼは追う博士を跳ねのけてやってきた。無遠慮に扉を開け、娘の出発を促す。リーネは友人たちに、ごめんねぇとの謝罪と、憂いある微笑を残して、研究所の出口へ向かった。





 親子は足早に帰宅し、それぞれの自室に閉じこもった。リーネはすぐに執筆を開始する。今しがた"視た"、悲しい蝶と花の物語を書き記すために。


 一方の父、リーンベルゼは長椅子に倒れ込んだ。博士から異能の追及を受け、動揺した心を落ち着かせようとするも、一向に改善しない。

 彼は両手で顔を覆い、不幸の元凶へ叫ぶ。


「もうやめてくれ……私を解放してくれぇ、"黒き蝶"よ!」


 "夢幻黒蝶ノーマドレス"は懇願に応じず、机の上を飛び続ける。早く物語を書けと急かすように、インク瓶の上に留まり、漆黒の翅を開閉した。


 獣の望みを叶えれば、どのような惨事が起こるか……リーンベルゼはすでに"視て"知っていた。

 この蝶の目的は人間への復讐。思いを遂げるにあたり、怪奇小説家は宿主として最適格と言えた。彼が書く、破壊と滅亡の物語を魔法で現実化して、人の世を滅ぼそうと考えたのだ。


 けれど、異才ある小説家は蝶の思い通りに動かなかった。


「これ以上、つきまとったって無駄だとわかったろぅ? 私は、絶対に、おまえの望む物語など書かない……!」


 取り憑かれて以降、リーンベルゼは執筆を放棄していた。従順ならざる宿主だが、"夢幻黒蝶ノーマドレス"は現在までつきまとい、物語が綴られるのを待っていた。近頃は、より積極的に執筆を要求している。


 あえて宿主のそばを離れ、彼に近しい者たちを脅かす。町の者の不安を現実化していった結果、カーレルとシズネの町は窮地に陥った。

 これらは小説家の精神を追い詰めるための試み。彼の押し殺した不安が決壊すれば、やがて破滅の物語を想像すると考えたのだ。



 復讐を遂げるまで、あともう一押し。心にとどめを刺すべく、"夢幻黒蝶ノーマドレス"はリーンベルゼの頭上へと飛び立った。


 どんなに抑え込んだとしても、不安が消えることはない。怖れを抱えずに生きていける者はない。

 黒き蝶は宿主の、"将来に対する唯ぼんやりとした不安"すらも現実化した。



 彼が最後の望みとして縋った、博士の研究所を襲撃するために。

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