暗夜貫く黎明。黒き蝶と雷光が舞う
寝台の感触が消え、自室とはまったく違う場所に降り立ったとき、眠りに落ちたのだとオーガスタは気づいた。
歓声鳴り響く、闘技場の夢。贔屓の女剣闘士、ラムザロッテが繰り広げる戦いは、オーガスタが最も好きな試合を再現したものだ。
見てすぐに異常を察した。ここは眠りの魔法を使う獣、"必眠鼯毛布"の見せる夢だ。伊達に何度も眠らされてはいない。
彼女はため息ついて席を立つ。これから放たれる雷撃を、今は見たくなかった。
あの美しい光を、一瞬でも騙ったことが恥ずかしい。
救世主になるなどと、生意気なことを口走った己が憎い。全部が全部、思い上がった言動だ。
ラムザロッテの雷を厭って、足を向けたのは夢の外れ。夢区画の繋ぎ目だ。
"魔法少女(略)"であるオーガスタは、自身の夢を打ち破った今、ここから出て目覚めることも、他者の夢に入り込むこともできる。
すべてを諦めた彼女にとって不要な機能だが、垣間見えたのは、敬愛する父親の姿。
「どれほど時が経っても、元最高議長のしがらみからは逃れられない……これは呪いだ。私が生きる限り、家族にも一生ついて回る」
「お父様。なんて暗い夢を見ているの……」
紛糾する議会の夢。声を荒らげる議員たちだが、意見を交わすというより、責任の押し付け合いと表すほうが近い。
オーガスタの父、ロレンゾは議長席にありながらも答弁を諦めていた。心ここにあらずといった、覇気のない表情で嘆息する。
世界の国々は"黒き獣たち"の発生に際し、恐慌を持って迎えた。
魔法を使う動物の対処法など誰もわからず、人々は恐怖に従い"獣"の根絶を図った。見かけるはしから切って捨てた。それが、汚染の拡大になるとは知らずに。
獣の被害や大地汚染への責任と批判は政治機関へと集まった。最高議長であったロレンゾも、厳しい追及に責められ続けた。
ついには命を脅かされ、妻と子まで殺し屋に狙われ、議員としての矜持も志も投げ捨てて、カーレス・シズネ町へと逃げ込んだ。
完全に心折れた醜態は無様と言うほかない。かつて一国の代表だったとは誰も信じぬほどの転落ぶり。そんな不甲斐ない自分に失望する娘……
この町において、彼ほど重い不安を持つ者はいない。
深い憂鬱。"終わりなき夜"の心象風景を胸に抱き、ロレンゾは議長席に沈む。
その背に、"黒き蝶"が舞っていた。
一度も語ってはくれなかった。このような状況でなければ知り得なかった、父親の苦悩。痛ましい風貌の彼に、オーガスタは声をかけることもできず、静かにその場を離れた。
職責から逃れ、命の危機からも離れて暮らしているが、予期してしまった終末の光景が心から離れない。獣の被害を耳にするたび、オーガスタが見当違いな鼓舞をするたびに、ロレンゾは苦しんでいた。
明るい気性の住民が多いためか、少女たちからは見えなかった。誰しも、平然と振る舞っていても、心の奥底には不安がある。
増え続けるばかりの獣に対する、根本的な解決法が存在しないのも、人々の恐怖を煽る。
だからこそ、救世主が必要なのだ。
世界は光を求めている。優しい救い手を。導きの英雄を。
「……でも、わたくしには無理よ」
いつだって彼女は夢見ていた。ラムザロッテのような英雄になりたいと……だが今は、憧れを呼び起こされても苦しいだけ。
停滞する気持ちを表すように、オーガスタのいる場所が変化する。闘技場の夢は消え去り、自室を模した空間が発現された。
彼女は再度扉に鍵をかけ、ひとりで膝を抱き、 小さくうずくまる。
◇ ◇ ◇
この道は故郷へ通じているのだろう、メイは漠然とそう思う。それがどの地方の、どのような景観をしているのか、異邦で産まれた彼女は知らない。
ゆえに夢の中では、はっきりとした風景は再現されず、ただ薄暗い一本道として表された。
郷里への道を照らすのは、青色の光。水面の揺らめきに似たこの色の正体だけは博士が教えてくれた。
あれは故郷にあるという聖泉の青。
一族はかの湧水を信仰の対象と崇め、日々祈りを欠かさないという。
以前のメイは出自を知らぬ心細さから、故郷を追い求めてしまったが、もう過ぎた話だ。
彼女には大切な仲間たちがいる。かけがえのない家族がいる。カーレル・シズネ町を住処と定め、穏やかに生きていくつもりだった。
しかし、去りかけた体は止まる。
彼方から歩みくる、ひとりの少女を見てしまった。
「あなたは……誰、なんですか?」
「私? 私は"メイガン"。大いなる聖泉のために、極上の贄を捧げる狩人の末裔です」
澄んだ空色の髪と、深く神秘を湛えた紫瞳が目映い。しなやかな肌と四肢のつくり、繊細に整った風貌も、この国及び周辺には見かけないもの……本当は問うまでもない。現れたのはメイ自身。
故郷へ至り、深淵を見てしまった自分である。
「あなたも還りましょう、私たちの源流へ。そこに行けばわかります。あなたには果たすべき悲願がある。それに比べれば、この町の出来事なんて、どれもちっぽけでつまらないものですよ」
「嫌です! つまらなくなんかない……ここは、みんなの大事な町です!! 私はどこにも行きません……だって、この町は私を受け入れてくれた……優しくて、あたたかい場所だから……」
「まだ気づいていないんですか? あなたは異質な存在です。この町にいるべきじゃない」
「……っ!」
すべてを見透かしたかのように、"もしもの自分"は微笑んで言う。
「"黒き獣たち"にじゃれつかれた時も、あの黒い人と戦っている時も、あなたは高揚してました。他の仲間がする戦闘も、物欲しそうな目で見てたでしょう?」
幾多の戦いを経て、メイの才覚は目覚めつつあった。彼女はまぎれもなく戦士の逸材。武器に例えるとすれば、鑑定書付きの名剣である。
だが、その剣は呪われていた。戦いを希い、敵味方の区別なく、強者の血を欲する存在など災禍と言うほかない。
このまま死闘を続ければ、いつかメイは戦いの快楽に堕ちる。
殺戮を好む戦鬼に成り果てたとき、強くて優しい友人たちを、その手にかけてしまうやも……
「嫌ですっ!! 私は、あなたになんかなりたくない……! 聖泉のところにも行きません! みんなを傷つけたいなんて、ひどいこと……絶対に、望んだり、しない……」
「いいえ。どうあがいても、あなたはメイガンの血からは逃れられない。その体も、心も、戦いの才だって、聖泉から頂いたものです。死闘を望むのは運命。その証拠に……あなたは大切なはずの家族にも、欲望を向けましたよね?」
声にならない叫びをあげて、メイは膝をつき、泣き崩れた。
彼女が指摘したのは間違いなく真実だ。震えながら想起するのは、義弟の姿。
「…………ラリィ、君」
家族として迎えてくれた。メイ姉と、照れ臭そうに呼んでくれた。幼いながらも、優れた剣の才を持つ彼に、メイは自身の欲望を重ねてしまった。
成長した彼と戦うのは、どんなにすてきなことだろうか……と。
「これでわかりましたか? あなたに平和は似合わない。目指すべきは、もっと苛烈で、血霞にまみれた戦場なんです」
「……だったら」
「なんですか?」
「だったら、私は……ラリィ君をもっともっと強くします! エイプルさん、ジュディさん、オーガスタさんだって、まだまだ強くなれる!! 私が、絶対に勝てない……戦いたくないって、思うくらいに……!」
ありえない話ではない。皆が、メイが戦いを諦めるくらい、見ただけで心折れるくらいの強者となれば、戦いを回避できる。誰も傷つくことはない。
かすかな可能性でしかないが、少女から否定は来なかった。メイガンの宿命をもってしても、不確定な未来までは測りきれない。
「でも、忘れないでくださいね」
夢破れ、少女の姿が薄らぐ。
しかし、最後に告げるのは、負け惜しみではなく、事実。
「あなたの体にも、聖泉の一滴が流れていることを」
青の光に背を向けて、メイは仲間の元へ急ぐ。
走りながらも涙が止まらない。自身の戦闘欲を認めさせられた。聖泉の民であることの恐ろしさも、何ひとつ解決していないのだ。
「ラリィ君、ごめんね……ひどいお姉ちゃんでごめんね。でもいつか、私を返り討ちにできるくらい、強くなってね……」
今、メイにできるのは、信じることだけだ。
非業な未来が実現しないことを。仲間たちと……義弟の持つ強さを。
いくつもの夢を駆け抜けて、少女たちは様々なものを見た。夢幻の中で知られざる思いを知った。けれど、いまだ"黒い蝶"に出会えていない。
繋ぎ目を縫うよう走り、夢見る者たちに獣が憑いていないか確かめながら、あちこち駆けずり回った果て……エイプルとメイは再会する。
「ぅ、あぁ……エイプル、さん」
「メイちゃーん! よかった、やっと会えた! ねえ、獣は見つかった?」
「い、いいえ! ごめんなさい……まだ私、自分の夢を抜け出してきたばかりで……」
「大丈夫! 心配しなくていいよ、こうやって会えたんだし、ふたりで探せばすぐに見つかるよ。ジュディちゃんや……オーガスタちゃんとも、力を合わせたらきっと……」
二人の歩幅が狭まり、やがて途絶えた。エイプルは、再びオーガスタに拒絶されるかと恐れ、表情を曇らせる。
一方、メイの顔は蒼白となっていた。
「え……メイちゃん、どうしたの!?」
「大変ですっ、エイプルさん! 急いで、ジュディさんのところへ行きましょう……!! ここに来る前、私……すごく、怖い夢を見たんです。ジュディさんも、ひどいものを見させられているかもしれません」
"必眠鼯毛布"の睡眠魔法は、よくも悪くも個人にとって大事な情景を見せる。心に響いた言葉、忘れまいと誓った思い出を夢で追憶させる。
では、ジュディは何の夢を見るか?
非合法組織で使い捨ての道具として扱われ、殺し屋たるべく調教を受けた彼女は。
運のいいことに、二人の少女はすぐさま仲間の夢を見つけられた。
観衆ひしめく闘技場の光景。隣国ルトワヘルムにある施設であると、メイはエイプルに説明する。これは以前、オーガスタの夢に入り込んだ時に見ていたものだ。
「いっけええええ! そこですわ、ラムザロッテさまあああああああ!!」
現在より、若干幼いオーガスタの姿。その背後に控えるのは、従者となったばかりのジュディ。
エイプルたちが遠目から見ても、彼女は生気が感じられず、暗い瞳をしていた。
「あれが、昔のジュディ、ちゃん……?」
「はい……ジュディさんのいた組織では、構成員を暴力や薬で支配していたと聞いています。そうやって……ひどい任務ばかり命じると」
今もまた、非道な命令は続いている。全観客が熱狂するこの試合は絶好の機会といえた。
勝敗が決し、歓声が最高潮に達した瞬間を狙って、一家を殺害する。隠し持った暗器で一閃するだけでいい。
殺戮の兆候を察知し、エイプルとメイは止めようと走った。
けれど、彼女たちよりも、降下してくる緑髪少女のほうが早い。
「ダメっ! ジュディちゃん……!!」
この夢の主は闘技場の天蓋にいた。日除けの屋根から飛び立つように、ジュディは観客席へと降りる。
彼女の狙いはどちらか。獲物の横取りを防ぐため、いち早くオーガスタを狩るのか。それとも主人の安全を確保するために、過去の自分を屠る気か……
どちらを選んでも、彼女の心は無事に済まない。精神に重い傷を負うことは、自我の崩壊に繋がりかねない。
仲間の静止も間に合わず……ジュディはその腕で少女を捕えた。
「キミはもう、そんなことをしなくていいんすよ」
武器を抜かせる前に、ジュディは過去の自分を抱きしめた。その目に怒りも、憎しみもない。
晴れやかな笑顔を向けて、緑髪の少女を支え、前を見るよう促す。
「今までよくがんばったっすねえ。生きててつらいこと、大変なこと、いっぱいありましたけど、もうがまんしなくていいんすよ。これからキミには、幸せな毎日が待っているんすから」
無垢ゆえに、ジュディは与えられた幸福を素直に受け取れる。胸のなかを喜びで満たし、自信たっぷりに試合場を指差す。
今から、とっても美しいものが見られるのだと、ジュディは自分自身へ囁いた。
試合は決した。女剣闘士ラムザロッテが放つ、とどめの雷撃。
纏わせた雷光は、剣尖の勢い余って、闘技場上部まで迸る。
勝ち誇ったように笑み、従者に振り向くオーガスタは、圧倒的光輝を髪に受けて煌めく。
光と一体化したかと錯覚するほど、彼女の姿は神々しく、明るく……ジュディの魂を導いた。
「ああ……本当に、きれいな光っすね……」
この瞬間、緑髪の少女に自我が芽生えたのだ。
◇ ◇ ◇
無事合流できた三人の"魔法少女(略)"は、その後も夢の中を走り回り、"夢幻黒蝶"を探した。夢の迷宮は広く、際限がなく、景色さえもめまぐるしく変化する。
すべての踏破には時間がかかる。さらに、問題はそれだけではない。
「エイプルさん、メイちゃんさん。そろそろ、おわかりいただけましたっすか?」
「私も……薄々、感じてましたが……やっぱりそういうことなんですね」
「うん。どこまで行っても、オーガスタちゃんに会えない。私たちに、会いたくないって思ってるから、なのかな」
最後に拒絶を叫んで別れたからか、忌避の思いは夢にも反映された。オーガスタも魔道具と融合した存在であるため、夢を自由に歩く権限がある。
現状、その力は互いを会わせぬように働いていた。
「獣が見つからないことにも、やはり関係があるんでしょうか……」
「まさか、オーガスタちゃんに黒い蝶が憑いているの? この町を夜にしているのが、オーガスタちゃんだったら、やっぱりすぐ行かないと」
「いいえ。お二人は、この夢から目覚めてくださいっす。お嬢様のところには、わたしが行きます」
「えっ? ジュディちゃんひとりで探すの!? みんなで一緒に行動した方がいいよ。私も、オーガスタちゃんに早く会って話をしたいし」
「エイプルさん……ここは、ジュディさんに任せませんか?」
驚いた風にエイプルはメイを見る。
普段大人しい彼女だが、何かの決意を感じ取ったように、ジュディの案を推していた。
「いろいろ見てきて、思ったんですけど……夢に囚われず、自力で目覚める人、けっこういましたよね?」
「あ……そうだ。ウェザーも先に起きて、夢から出て行ったんだった」
「起きた人たちは、周りの様子がおかしいって騒ぎになると思うんです……博士が取りなしてくれるとしても、どれくらい効果があるか、わかりません……」
「ええ。なので、お二人には目覚めたみんなのために活動してほしいっす。夢のことと、獣のことは、わたしとオーガスタお嬢様で何とかするっす!」
「でも、ひとりで行って本当に大丈夫なの!? 避けられてるかもしれないのに、オーガスタちゃんと出会えるの?」
「はい!! すでにわたしは、この町でお嬢様と再会できたっすから!!」
ジュディは主人を追って、カーレル・シズネ町にやってきた。行く先も教えられず、まるで情報も持たないままでも、彼女はオーガスタを見つけ出した。
野生の勘。忠犬じみた嗅覚。本能と勢い。あるいは絆……何でもいい。感じられるすべての繋がりを辿って、今も奇跡を起こしてみせる。
夢の中で状態変化したジュディは、風を舞い上げ、夢世界を吹き抜けた。
そうして、ひとつの空間に転がり出る。深窓の令嬢が住まう孤城、そのような気配を漂わすつくりは、オーガスタのエドラ首都での住まいであった。
「お嬢様! オーガスタお嬢様、わたしです! 扉を開けてくださいっす」
「……ジュディ? どうして……あなたは、いつもわたくしについてくるの……」
「町が大変なんです! お嬢様の力が必要なんっすよ! どうかここから出て、ご助力をお願いしたいっす」
「知らないわっ! どうせまた獣が出たっていうんでしょ!? ここが夢ってことは、"必眠鼯毛布"の収容違反かしら。わたくしなんかいなくたって、どうせエイプルがどうにかするでしょう。役立たずのことはほっといて、さっさと帰りなさい」
「嫌っす! なんで、お嬢様は自分のこと役立たずなんて言うんすか!? あなたはわたしを助けてくれた! 今のわたしがあるのは、すべてあなたのおかげなんっすよ!」
「違うの!!」
オーガスタの絶叫が扉に叩きつけられる。
ジュディが向ける純真な思いも、今の彼女には苦痛となり、受け止められない。
「わたくしは、そんなにできた人間じゃない。才能や、強い心だって何にも持ってない。わたくしは空っぽだったから、自分の力だけで何でもできて、志を持ってる人に憧れた……」
例えば自身の父、あるいは女剣闘士ラムザロッテ。これら人物の美しく、潔い生き様を見て、オーガスタは感銘を受けた。かくありたいと強く思った。
だがそれは、傲慢な思い上がりと言うほかない。
「わたくしも、あの方たちと同じくらいすごいことができる。人ひとり救うなんてわけない……そう思って、あなたを引き取ったの。わかる? あなたを助けたのは、わたくしの英雄ごっこの一環でしかなかったの!」
「お、嬢様……」
「軽蔑したわよね。きっと、失望させたわね……でも、これが本心。わたくしは、本当にどうしようもない人間なのよ。お父様が政界に戻ってほしかったのも、憧れを壊したくなかったから。殺し屋が怖いから逃げ出したと詰って……また苦しめてばかりで……」
「……わたしです」
「急に、なによ……?」
「お嬢様一家を狙った"殺し屋"というのは、わたしのことです!!」
場に漂う悲嘆の感情が戸惑いへと変わった。いつも突飛なことばかりしでかすジュディだが、こればかりは真面目に、真実を告白する。
「"奴隷を引き取る"っていう慈善事業も、まるっきりの嘘っす! わたしはお嬢様一家を殺害し、そして自害するよう調整された殺し屋。命令が下されれば、いつだって殺しを実行していたでしょう……でも、できなかった。あなたが、わたしの心を呼び起こしてくれたから!!」
ジュディは手を下せないまま、オーガスタの父ロレンゾは職を辞し、最高議長一家を殺せという命令は宙に浮いた。
絶句するオーガスタは、ジュディの勢いに飲まれ、告白に聞き入るのみ。ただ、理解はしていた。
徐々に、真実を受け入れていった。
「他の誰でもない、あなたが導いてくれたからこそ、わたしは救われたんっす!! だから、どうか……しっかりしてください"オーガスタ"!! 気丈なあなたはどこ行ったんすか!? 気高い自分を思い出してください……ごめんなさい、どうしても最期にこれだけは伝えたかったんっす」
「……ちょっと待って。最期って何よ、ジュディ?」
「組織からの命令も、洗脳も、まだわたしの中に残っているんす。もう一家のみなさまを不安がらせたくない……わたしは、ここで目覚めず、現実世界に戻らないことで、あなたの安全を確定しましょう」
「あなた、まさか……!」
最後にオーガスタを讃え、輝きを取り戻して欲しいとの願いを伝え、満足したように声は遠ざかる。
自身の正体を伝えたら、そばにはもういられない……そう考え、ジュディは目覚めず、夢世界に留まることを選んだのだ。
かつて洪水に流されたオーガスタを救うため、自身の命綱から手を離したのも。
獣の矢面に立ち、傷つくことを省みず皆を守ろうとしたときも、動機は同じだ。
恩人を守るため、ジュディは死にたがっていた。
「ダメっ……ダメよ、そんな、っあああ……ジュディ!! 行かないで……!!」
扉を蹴り開けても、緑髪の少女の姿はない。すでに飛び立ったあとだ。無駄に思い切りのいい性格を恨みながら、オーガスタは虚空を睨む。
自由に空駆けるジュディは、夢の中であっても制限なく飛翔し続けるのだろう。
だが、光からは逃れられない。
状態変化したオーガスタの速度は、迅雷の如くーー
「ふおおおお! お嬢様早っ! もう追いつかれたっす」
「はぁ……はぁ……つ、かまえたわ……あなたね、わたくしがこんな選択、認めるとでも思って?」
空中で寄り添い、闊歩するジュディとオーガスタ。互いの真実の姿を知り、両者ともに頬を涙で濡らす。
「ねえ、自惚れてもいい……? わたくしは、あなたを救えたって。物として扱われたあなたを、人間に戻してあげたんだって……あと、さっきはよくも呼び捨てにしてくれたわね」
「あわわわわ、そっ、それは失礼したっす、おじょう……」
「いいのよ! それが自由に生きるってことなの!」
オーガスタは晴れやかに笑って飛ぶ。ひとつの命を完全に救った。自身を呼び捨てにし、命令に反する行為はジュディが従属の鎖から解放されたことの証左。
これこそ、英雄たらんとしたオーガスタの、戦いの結実であった。
気づかされる自身の価値。本当に目指したもの、至るべき高みへの道はまだ閉ざされていない。
「他ならぬあなたのことっすから、わたしひとり助けたところで、全然満足しないのでしょうね?」
「当然よ! このわたくしが輝かずして、いったい誰が世界を照らすというの? どれだけ時間がかかってもいい。ありとあらゆる手を使ってでも、なってやるわよ救世の光に!!」
闇と獣に怯える世界だからこそ、英雄が立ち上がらねばならない。
優しさや戦いの才能だけでは人々を救えない。迷える者を叱咤激励して、自分から前を向かせなければ意味がない。
そのような輝ける英雄に、いつかなる。仲間より技量劣り、心弱くとも……絶対になってみせるとオーガスタは誓う。
まずは、闇に眠る魂たちから照らしてみせよう。
「わたくしという光にひれ伏しなさい! 不安も恐怖も、どんな暗黒だって飲み込んでやるわ!!」
混迷の夜の夢を射光が貫く。魔法、"轟々たる白金の閃き"。
オーガスタの放つ雷撃は、夢の繋ぎ目からも溢れ、迷える者らを目覚めへ導いた。
近隣、ロレンゾの夢区画にも光が届いた。疲れ果て、何もかも諦めた心に、まだ道はあると示す灯り……
彼が立ち上がり、明日へと歩き始めるよりも先に、背に憑いた獣は飛び立った。
誘光性の本能に従ったわけではなく。糧となる不幸の蜜をも捨てて……"夢幻黒蝶"は光を目指して、必死に翅を震わせる。
夜のカーレル・シズネ町に小さな喧騒が生じていた。夜祭りと比べて小規模だが、問題自体は非常に深刻なもの。なにせ、町の住民が突然眠りについてしまったのだから。
起きている者がわずかなゆえに、大混乱は起きていない。早期に目覚めた自警団長のオリバーや、フロスト町長の統率のもと、町は静かに夜明けを待っている。
とある不可解な夢から目覚めたウェザーは、寝台を出るなり教会図書館へ走った。夢で最後に見た、ひとつ年上の少年が気がかりだったのだ。
「おい、クィン! いるんだろ、おまえならもう起きているはずだ」
「その声……ウェザーか?」
修道女や孤児たちはクィンを残し、まだ眠り続けているらしい。先に目覚めてしまった彼は、教会図書館をひとりで守っていた。
孤軍奮闘の構えを解き、来訪者を迎えるも、救援を喜んでいるわけではない。
クィンはウェザーを建物に引き込むと、そのまま胸倉を掴み、壁に身柄を押し付けた。大人と見まごう体躯でウェザーの退路を塞ぎ、詰問を開始する。
「この事態はおまえたちが引き起こしたものだろ!! 蛮勇さゆえに無謀な探索に出かけ、黒い蝶を見出したんだな!? 見ろ! 今や町は眠りに落ち、夜明けの兆しすらない。おまえたちは何を呼んだ? 何の獣を顕したんだ!?」
「バケモノを呼び寄せたのはあんたじゃないのか、クィン。あの時、カーレルの町が焼け落ちた日に」
弾かれたようにクィンは退いた。そのような態度に、図星だったかとウェザーは考察する。やはり先ほどの夢はただの幻影ではなかった。
獣による魔法かは知らないが、他者と夢で交わったのだ。
ならばクィンのいた空間は、彼の夢の世界。そこで展開したのは、かつて住んだ町の落日を再現したもの。
「カーレルの町は、分裂能力を持つ猪に襲撃されたと聞く。捕えても捕えても獣が現れ、結局町ごと焼くしかなかった。処理しきれなかった死体は、そのまま土壌を汚染し、町は人の住めない地となった」
子どもながらも、ウェザーは獣について独自の対策を立てていた。
先例として学んだカーレル町の悲劇は、"増える獣"の襲撃により起こった。しかし、まだ隠された原因がある。
「あんたが恐れる黒い蝶ってのは、獣を呼び寄せる魔法でも使うんだろう。あの日、あんたはうかつに出歩いて、そいつに遭遇した。仲間を守ろうと立ち向かったが、あだになったか」
「……そうだ。だが、今の方が深刻だろ。カーレルの災害では犠牲者は出さずに済んだが、今夜はそうもいくまい。同じ、悲劇の繰り返しだ。眠りの呪いはいつ解ける? まだ朝は来ないのか?」
「すべてが同じわけじゃない。俺は、この町の救い手を信じている」
意味がわからない、そう吐き捨てるクィン。そんな彼にウェザーは、空を見ろと一言告げる。
内に籠り、扉を閉ざしてしまっては感じられない。
どんなに夜が長くとも、明日を信じられなくとも、道は見つかる。幸運にも、この町には人々に希望を示す、優しい少女たちがいた。
屋根から屋根に弾んで流れる、赤と青の燐光。状態変化したエイプルとメイは、堂々と町の中心に立つ。
夢から脱しても、朝を見つけられない者たちのために、エイプルは花火魔法を打ち上げた。
"みんなを元気づけたい"という祈りを込めて、夜空に光が花開く。それは、見るだけで不安晴れ、心をあたためる灯り……同時に、夢世界でも閃光が轟き渡る。
夜の帳に、目蓋の裏に、人々は光を見つけ出す。闇に怯え、明日を見失おうと、灯火さえあれば前へ進める。
真紅と白金の煌きは、見上げる者らに語りかけた。
"私たちはここにいる"
"いつでも町を見守っている"
光を通して思いは伝わり、もはや心に不安を持つ者はない。"夢幻黒蝶"の魔法は解かれた。
長かりし夜は終わりだ。カーレル・シズネ町に、待望の朝がやってくる。
夏の色彩は心に色濃く残るが、鮮明であるほど褪せるのが惜しい。夜に吹く風の冷たさは、いずれ来る"秋"の淋しさを運んでくる。
郷愁呼び起こす風が黒靄を掻き回す。夢に抱かれず、光も浴びられない男は、ひとり呟いた。
「ちっ……もう朝か」
戦いの幕引きが早すぎたゆえに、まだ動き足りないと"堕天者"は思う。日出処など見たくはないとばかりに、顔を背け、目を閉じる。
悔しいが抗いきれる力を得るまで、身を隠し、息を潜めていなければならない。少なくとも、今はまだ。
必ず朝が来るように、昏い夜は何度でも巡り来る。
次こそ全員を仕留める。不死者の魔力宿りし少女たち、黒き獣……そして、いつか"すべての元凶"をも消してみせる。
朝日が足元まで迫った頃、彼は怒りの感情と闇を抑え、意識を仮初の器に沈める。眠りにつくのだ。
それはまるで、状態変化を解く所作にも似て――
清浄なる光が森に注ぐ。澄み切った涼風の吹くなかで……教師の"オータム"は目を覚ました。




