終わりなき夜。千の夢を越えて
嗚咽ひとつ漏らすまいと、オーガスタは息を詰める。両親には友人と夜祭りに行くと伝えていたのだ。自室にこもる前に、早すぎる帰宅の理由を説明しなければならない。
本当はずっと前から感じていた、仲間と力の差。戦いや強敵を恐れる心の弱さ。"堕天者"との戦闘ですべてを暴かれ、羞恥のあまり逃げ帰ってしまった。
涙を拭い、目の腫れが引いたのを信じ、オーガスタはそっと自宅に入る。予想と違って母の出迎えはなかった。客間の方向から、両親と知らぬ誰かの話し声が聴こえてくる。
「……お客様かしら」
今夜は祭日だ。地域行事に参加し、住民と積極的に交流することで支持を集めようとしているのだと、オーガスタは考えた。
「ええ。著名な小説家がこの町にいることは存じておりました。しかしながら、リーンベルゼさんのお作はまだ拝見したことがなく……」
「いいんですよぅ! 私の書くものは低俗な妄想の塊。清廉な御仁が読まれれば、文字通りお目汚しの結果となりましょう。それにしても、まさか最高議長であられたロレンゾ氏と、このように話せる日が来るとは思ってもみませんでしたなぁ」
「ほほほ。前職のことは気にしなくてよいのですよ。お互いの子どもたちは親しく遊んでいるようですから。いつも学校で楽しく過ごせていると、オーガスタから聞いておりますわ」
「では、奥方様のお言葉に甘えまして。こちらこそ、うちの子がご息女に迷惑をかけていやしないか、心配していたものです。リーネは、時々軽率なことを口走ったりするもので」
お客が友人の父親と知り、オーガスタは扉の前で足を止めた。以前リーネから、父親が作家をやっているとは聞いていた。家に引きこもって執筆しているため、ほとんど外で姿を見せないことも。
盗み聞きをするつもりはないが、彼のよく通る声や口調は、簡単に扉を突き抜けてくる。
「……ときに、リーンベルゼさん。まだ、来訪の理由をお聞きしていませんでした。来られた時の様子からして、差し迫った用件があるように見えましたが、そろそろお話して頂けますか?」
「そうですなぁ……ご存じの通り、私はしがない物書きです。執筆のために取材なども行なっているわけでしてねぇ。いろいろ、つてがあるというか。裏社会についても、"その筋"の方と話をすることがあるんです」
そこで深いため息を挟んで、リーンベルゼは続きを述べる。
不穏な気配は扉越しでも伝わった。彼は、自分たち一家に何事か警告したいらしい。
「つい最近、とある非合法組織が最高議長のもとへ構成員……否、"殺し屋"を送り込んだと、そのような噂を耳にしたので、少々気になりましてねぇ」
「あなた……!」
「リーンベルゼさん。どこでその話を……」
「申し訳ないですが、出所は教えるわけにいきませんなぁ。いやしかし、そのご様子ですと、あなたはとうに知っておられたような」
「ええ。存じておりました。だからこそ私は、議会から身を引いたのです」
「うそよ……」
愕然としたオーガスタは、座り込んで身を震わす。両親はリーンベルゼが安心するよう、殺し屋からの脅威はもう無くなったと説明していたが、彼女の耳に入ってこない。
父は偉大な政治家だ。いつまでも小さな町で燻るべき人物ではない。早く自信を取り戻して、首都に返り咲いてほしかった。
そのためにオーガスタは、自分にできることを考えて実行していた。一族の宝玉を取り返したのも、陰ながらカーレル・シズネ町を守るのも、この地を起点に父が再起する日を夢見ていたから。
だが、彼女の努力は無意味だった。
押し留めた涙が再び溢れ出す。信念が崩壊していく。
「オーガスタ……! そんな暗いところで何をしているんだ?」
「まあ、いつから帰っていたの? お友達と夜の祭りに行くって言っていたわよね?」
リーンベルゼの帰宅を見送ったオーガスタの両親は、暗がりに娘が立ち尽くしているのを見つけた。
負けん気の強い彼女が、黙って涙を流している光景は異様というほかない。
「お母様、お父様……ねえ、うそよね? たかが殺し屋が怖くて議長をやめたなんてこと、ないわよね……?」
「オーガスタ! さっきのお話を聞いていたのですね?」
「……仕方ないだろう。おまえを守るためには、そうするしかなかったのだ」
「脅しに屈したら向こうの思うつぼじゃない! お父様ほどのお力があったら、警備を強化するなり、組織を潰すなり対策は取れたはずよ!! なんで議長を辞めたりしたの! どうして首都を出なくちゃいけなかったのよ!!」
「いい加減にしなさい!」
「きゃあっ!」
オーガスタは衝撃を受けてよろめき、涙の粒は空に散った。頬を張った父を、信じられないという思いで見る。
暗がりにまぎれて表情はよくわからない。けれど彼はひどく怒っているようだ。歯を食いしばり、肩を震わせて怒鳴った。
「そんなにもおまえは、首都で贅沢な暮らしを続けたかったというのか!!」
「違うっ! そうじゃない!! そうじゃないの!!」
わかってもらえない。
まともに話してくれない。
そのような現実に絶望し、オーガスタは泣き叫んで部屋に立て籠もる。二度と開けるものかとの思いを込めて、勢いよく扉を閉じ、鍵をかける。
夜祭りの日は静かすぎた。この小さな家では、暗闇と悲痛な声ばかり強調される。
わかってもらえないと思うのはオーガスタだけではなかった。彼女の両親もまた、苦渋の選択をした結果、この町にいる。
「あなた……」
涙ぐむ妻を気遣いつつ、オーガスタの父、ロレンゾは心中を吐露する。
重責や命の危機からも逃れ、愛する家族だけを守って生きると決めたが、それでも安寧まではるか遠い。不安の闇は晴れることがない。
「まるで……"終わりなき夜"にいるようだ」
悲しみに浸る夫婦の背後にて、"漆黒の蝶"が羽を瞬かせた。
◇ ◇ ◇
半壊した博士と、オーガスタに拒絶され茫然とするエイプルは、他者の助けがなければ動けない状況であった。ぬいはかせ指揮の下、メイとジュディはそれぞれ二人を支え、研究所まで連れ帰った。
「オーガスタさん……大丈夫でしょうか。やっぱり、おうちに行って、様子を見てきた方が……」
「ダメっすよ、メイちゃんさん。おそらく今、お嬢様はお部屋にこもっているでしょう。気持ちが落ち着かれるまでは、そっとしておいて欲しいっす」
「ねえ。メイちゃん、ジュディちゃん……私って、変、なのかな?」
「エイプルさん……」
ずっと無言だったエイプルは、仲間たちに問いをぶつける。それは、オーガスタからの言葉から生まれた自身への疑念。
強さの理由が納得できないゆえに、オーガスタは理解できない、そばにいたくないと叫んだが、わけがわからないのはエイプルも同じだ。
町が統合され、多様な価値観が交差するようになったが、それは自身の異端さを知ることに繋がる。彼女にとっての普通が揺らぐ。
「正直言って、あなたは一般人とは言い難いっす。訓練なしで玄人並みに動けるのはおかしいっすよ」
「エイプルさん。あなたは、私たちみたいに……小さい頃から、戦い方を仕込まれたりしませんでしたか?」
「ううん。ただお母さんと遊んでるうちに、今みたいに動けるようになっただけだよ。あとは、お父さんと散歩したり、ウェザーに剣を教えてあげたり……でも、何にも言われなかったよ? 私より、ウェザーたち三人組の方がずっと目立ってたし」
「遊んでただけであの身体能力っすか! お嬢様が納得されないわけです。それにしても、エイプルさんのお母さんは町でお見かけしないっすねえ。どんなお方なんっすか? お仕事は何を?」
「ジュディさん、あのっ……そのお話はちょっと……」
「どんなお仕事してたかなんてわからないよ。お父さんと出会った時は、商隊の護衛してたって聞いたけど……二年前にいなくなったっきりなんだから、たぶん、もう……」
事情を察し、ジュディはしゅんとなって謝罪した。つられてメイもうなだれる。
オーガスタの離脱をきっかけにして、落ち込むばかりの少女たちだが、ふいの大声で現実に引き戻される。
ええっ!? という驚愕の声。博士が発したものだ。彼が動揺しているときは、例外なく緊急事態である。
エイプルらが駆けつけたとき、作業台から無理に起きようとする博士を、ぬいぐるみの彼が押し留めていた。
「なんで、こんなときに……早く行って様子を確かめないと……」
「やめるんだ大きい僕! 動くと損壊が広がってしまうよ!」
「博士っ、動いちゃダメ! おとなしくしてて!」
「いったいどうしたんすか?」
「僕の"陣"が獣を探知したんだ。しかもこの"感触"だと……僕たちはすでに獣の術中にいる」
窓を開けて! 動けない博士に代わって、ぬいはかせはぴょんぴょん飛び跳ねて要求した。
少女たちは戸惑いつつも応じる。言う通りに窓を開け放ったが、外にあるのは静かな暗闇だけだ。
「べつに変わったところはないよ。ずいぶん静かだから、夜の祭りも終わってるみたい」
「違います、エイプルさん……! あそこを見てください!」
「ふおおぉぉ! あの空、やばいっすよ!」
メイとジュディが示した方向、夜明けを迎えるため薄白んでいた空が、闇色に塗りつぶされていく。まるで再び夜が訪れたようだ。
特定の方角を見ていなければ気づきにくいが、町の住民に知られれば、間違いなく騒ぎになってしまう。
「何あれ!? 今のが、獣の魔法なの?」
「そうだね、これは夜を再現する魔法だ。さっきの様子からして、町の範囲のみを暗くしているんだろう。もちろん目的はわからないけど……魔法を解かない限り、"この夜は終わらない"」
「夜の魔法……ということは、これは"堕天者"さんがかけたものですか……? あの人は、いつも暗い所に現れますし……」
「いいや、メイくん。獣たちは一匹につきひとつの魔法しか使えないよ。応用が利くとはいえ、"侵掠の黒靄"にこんな現象は起こせない」
大小の博士はそれぞれ考え込み、少女たちも無い知恵を絞り出そうとする。しかし、彼らの思考がまとまる前に、研究所の扉が力強く叩かれた。
あいにくの来客、それも集団だ。
「すいません!! 博士! 博士はいませんか!?」
「お父さん!? ど、どうしてここに?」
「エイプルか! 待て!! 外は危険だ。扉を開けるんじゃない!」
そのままの状態で聞いてくれ! と言い、エイプルの父、オリバーは用件を伝える。
警鐘の鳴らないなかでも、町の異変を感じ取ったのか、自警団長としての出で立ちで博士からの助言を求めた。
「狼の遠吠えを聞いた者がいるんです! 闇に姿を溶かして消えたという目撃例も! 気にしすぎかもしれませんが、"影の魔法を使う狼"はちゃんとそちらにいますよね? 逃げ出したりしてないでしょうか!?」
「だ、大丈夫ですよオリバーさん! "影狼"はちゃんと捕まえてあります!! 獣の反応も…………今のところ、ありません」
「ははっ、そうですか! どうもお騒がせしました。念のため、俺たちは町の巡回をしてきます! ……それみろおまえたち、心配しすぎだ! ただの犬を見間違えたんじゃないのか?」
「そりゃないですよ、オリバー棟梁! 俺たち本当に見たんですって! あれは絶対に"獣"でした!!」
「いずれにしても、早く正体を暴きましょう! ああいった"増殖する"獣が一番恐いんです……カーレルの町を滅ぼしたのも、同じような魔法を使う獣たちでした」
「大丈夫だろ! この町には"少女騎士"様がいるんだからな!」
「そういえば、オータム先生の姿が見えないな。参集に応じなかったのか?」
「ああ。家に行ってみたが留守だった。急用でもあったのだろう」
「しかし今夜はバカに暗いな。まだ夜は明けないのか」
オリバーは見回りを続けると言い、少女たちを博士に預け、自警団を連れて去って行った。集団はざわざわと話しつつ、研究所から離れていく。
再度、"声役"を務めたぬいはかせは、エイプルの腕の中でほっと息をつく。
「とりあえずごまかしてはみたけど、夜が明けないとバレるのは時間の問題だ。厄介な時に"影狼"脱走の噂なんかも流れてる。さて、どうやって事態を収拾するべきか……」
「それがね、みんな……まずいことになってるよ」
作業台に横たわったまま、博士は映写の魔法を発現していた。この地域では"術式盤"と呼ばれる、情報開示の光膜が揺らめく。
その金枠の中央に映されているのは地下大森林の光景。そこでは捕獲した獣たちが、一匹の子犬を囲っている。
喘ぐように呼吸する"影狼"。四肢を震わせ、熱に浮かされている。弱っていることは明白だった。
「ねえ博士! あの子どうしたの!?」
「無理して魔法を使っている。いや、この様子だと、勝手に力を引き出されているみたいだ。やはり自警団が見たのは"影狼"の出した影だったんだね」
「わんちゃん、苦しんでる……かわいそう……」
「……しかし、今夜の現象は変だ。町にある"獣"の反応はひとつだけなのに、町を夜にして、他の獣の魔法を利用するなんて。ますますもってあやしい……あの大雨のときみたいだ。獣の正体も、目的もまるで掴めない」
「大雨って、ジュディちゃんが町に来た日のことだよね! あのときは町役場の中で気配がしたみたいだけど、動物の姿なんてどこにも……あれ?」
捜索と探知を徹底しても、博士はあの日洪水を起こしかけた獣を見つけられなかった。
反応は役場の中にあったというが、建物内部に動物などいなかったはずだ。しかし、たったひとりだけが、違和感を口にした。
「そういえばリーネちゃんが、役場で"ちょうちょ"を見たって……」
「「それだ!!」」
二人の博士は同時に叫ぶ。
「……"夢幻黒蝶"。カーレル町を壊滅に追い込んだ獣だ。それならば現象の説明がつく」
「つまり、そいつが町を夜にして、わんこをいじめているんすね!?」
「でも……魔法の効果に、一貫性がありませんよ?」
「あれは他者の不幸を蜜として吸う蝶。糧を得るために、人々の不安や恐れを発現させる。住民が"影狼"の襲撃を危惧したとおり、影を出現させ、町に放したように」
「そっか! 大雨の日も"洪水になったらどうしよう"って言ってる人が役場にいたよ! じゃあ、町がずっと夜になってるのも……」
「それも"夢幻黒蝶"のしわざだね。かの獣はとても強い不安の持ち主を見つけたんだろう。おかげで、魔法の効果範囲が町全体まで広がった。住民の恐れることを次々と発現して、連鎖的に不幸を撒き散らしている……」
このまま夜が明けなければ、町中で大混乱が起こる。住民の恐怖が増大していくだけ影も増える。自警団は終わりなき戦いを強いられるだろう。
かつて、カーレル町でも同様の事態が起こった。
分裂の魔法を使う獣の襲撃に、蝶の効果が加算され、狩猟は難航を極めた。最終的に、"ここまですれば心配ない"と全住民が思えるようになるまで、町を焼き払ったのだ。
只人の力では解決できない状況に、少女たちは博士を頼るしかなかった。
不死者という、超常の存在である彼だが、かたや半壊、かたや布と綿で構成されたぬいぐるみといったありさま。実働性に乏しい。
時の経過を苦痛と感じるほど焦りが募っていく。重苦しい空気が満ちるなか、部屋に一筋の光明が入り込んだ。
それは、もふもふとした銀色の光……否、たぬきであった。
◇ ◇ ◇
"激走透過狸"は稲妻のように走り、作業台に飛び乗って、博士のお腹の上に陣取った。
「うおおおお! ここにきて突然のたぬきが!!」
「なんで!? 地下の森にいたよね? そこからどうやって登って来たの?」
もふふんと胸を張って、銀色のたぬきは威張る。"ワガハイにすり抜けられぬ壁はない!"とでも言いたげな態度であった。
「……いいから、早く降りてよ」
大脱走を成功させたにもかかわらず、研究所から逃げなかったのは、家主に直談判したいことがあったため。
"激走透過狸"は光膜に展開されている子犬の映像を、心配そうに眺め、何かを訴えている様子だ。
「ひょっとして……このたぬきさんは、あのわんちゃんを助けたいと思って、来てくれたんですか?」
「なんという仲間思いのたぬきっすか! 尊敬した!」
"当然である!"
そう言っている風に、銀たぬきは少女たちの前に堂々と鎮座し、博士の体をつついて急かす。
"冒険仲間が苦しんでいるのを、どうして見捨てられようか!"
「なるほど……君は僕たちに協力してくれるんだね。確かに、その手があったか。これならば、騒ぎを起こさずに"夢幻黒蝶"を捕獲できる」
「でも博士、この子の魔法だけで、どうやって被害を防ぐの?」
「協力を申し出たのはね、彼だけじゃないんだ」
地下大森林から"すり抜けて"来たのは激走透過狸だけではなかった。むしろ、この獣はただの輸送係。
切り札はふわふわした胸毛の下にある。銀色の体毛にしがみつく小動物は"必眠鼯毛布"。睡眠魔法を得意とする獣だ。
「町の住民を、全員眠らせよう」
頼んだよと声をかけ、博士は自らの武装を、小さな獣に託した。
夜祭りを終えたカーレル・シズネ町の夜空に、一粒の星が流れた。正確に言えば、一匹の鼫の滑空だ。
町を守りたいという、少女たちの無垢な祈りと、博士が温存していた、本日二個目の"万象改変機構"の強化を受けて、"必眠鼯毛布"は町全体に眠りの魔法をかける。
意識がある限り不安は消えない。"夢幻黒蝶"による不幸の具現化を止められない。だからこそ、博士は町の生命すべてを眠らせることにした。
元凶の獣ごと眠りに落ちれば、現実世界にこれ以上の被害は発生しない。いつまでも夜が終わらないと知られるまで、時間を稼ぐこともできる。
今回博士は夢の旅路に同行しない。陣に意識を集中し、皆が眠りこける町を見守っている。
住民たちの夢を繋ぎ、そのなかをエイプルたち"魔法少女(略)"が探索して、黒い蝶を見つけ出そうという作戦だ。
獣による睡眠魔法も、夢の中で仲間と合流することも以前に経験していた。最初から夢と自覚しているのにもかかわらず、エイプルは萎縮していた。
「また、ここから始まるんだ……」
眠りに入ってすぐ、自身のための夢世界が展開する。この場を打ち破らなければ、ここから離れられず、獣など探しに行きようがない。しかし、エイプルはこの対処が苦手であった。
彼女がいるのは前回と同じ、暗い森を通る街道。なぜだかわからないが、胸を潰すほどの心細さと動揺に苛まれる。ただし、彼女は孤独ではなかった。
「わ、私がついてるからねっ! 絶対に離れちゃダメだよ、ウェザー!!」
「ああ。そうだな、エイプルねーちゃん」
自身を見上げる琥珀色の瞳。馴染みの少年、ウェザーと手を繋いでいる状況は、彼女の心の支えとなった。
「絶対の絶対に離れないでね! ずっと、私が守るから……!」
「わかった。わかったって……」
「うわああああ、ウェザー!! 大丈夫だからあああ! こ、こわくなんかないからああああ!」
「おい、ねーちゃん。俺を抱き潰す気か?」
いい加減にしろよと耳元で怒鳴られる。前に見た夢の中の彼より自己主張が激しい。
気づけば恐怖が薄らぎ、少年に抱きついていた体を離す。
「なっ!? えっ、もしかしてこれ、本物のウェザーなの!? 私の夢が作り出したものじゃなくて?」
「さっきからなにを喚いているんだ、ねーちゃん。夢の中でも騒がしいな」
生意気な言動と、幼子にあるまじき度量の大きさは、ウェザー本人しか持ち得ないもの。少年をよく知るとはいえ、エイプルの記憶だけではここまで再現できない。
"必眠鼯毛布"の見せる夢は、その人の未練、願望、叶えたかった未来を上映するというが、それらは幾千通りにも展開する。偶然、他人と見る夢が一致することはまずありえない。
しかし、魂の根源を同じくするかのように、少年少女の心はこの夢に集まった。
「そっ、そうよウェザー! これは夢なの!! だから、どんなことがあっても気にしなくていいの! そういうわけで私、この森からでなくちゃ。あちこち歩かないといけないし」
「けどさ。ねーちゃん、道わかるのか?」
「うっ。それは、ちょっと自信ないかも」
ウェザーと出会えたことで、エイプルの精神はかなり安定しているが、まだ夢を破るほどでない。
そんな彼女を、少年は憂いを込めた瞳で見つめ、決して離すまいと、繋いだ手に力を入れた。
「そうか……じゃあエイプルねーちゃんは、ここがどこだかわからないんだな?」
「えっ? 私、この場所に来たことあったっけ? わかんないなあ。とにかく、すごく怖い感じがするけど」
「覚えてないんなら、それに越したことはない。急いでいるんだろ? さっさと森を出ようぜ」
「うん。でも、どっちに進めばいいのかな。早くみんなのところに行かなきゃいけないのに……あっ、大丈夫だからね、ウェザー。私がどうにかするから、あんたは心配しなくていいよ!!」
「……あれは違うのか?」
「ん?」
街道から外れた、藪の向こうに光が見える。ウェザーに指摘されてはじめて、エイプルは気づいた。
それは夢の繋ぎ目と言ったところか。例えるなら、この夢世界は"違う柄の生地を縫い合わせた"ようにできている。あの繋ぎ目を乗り越えることで、他者の夢へ入り込めるのだ。
「向こうに行けばここから出られる。つまり、"目覚める"ってことなんだな?」
「うん! やったあああ、出口が見つかったよ!! ありがとう、全部ウェザーのおかげだね。ここで会えてよかった!」
感極まったエイプルは、少年に抱き着いたまま飛び跳ねる。その間も、ウェザーは嫌がらず、彼女を跳ねのけず、冷静な対応を貫いた。
喜びの感情が収まってから、エイプルは我に返り、少年の顔を覗き込んだ。仲間たちと獣を探す、彼女の夢はまだ続くが、ウェザーとはここでお別れだ。
「目覚める前にひとつだけ約束して。絶対に獣を探しに行かないで! 今、外は危険なの。みんなが不安に思ってることを実現する、"夢幻黒蝶"っていう獣が近くにいるかもしれないの。見かけは"黒い蝶"なんだけど、すっごくこわい魔法を使うんだからね!」
「わかった。なんにせよ出口が見つかってよかったな、夢のなかのねーちゃん。俺は先に行ってるぜ」
彼が近づいただけで、夢の繋ぎ目から強い光が溢れる。眩しさに目をつぶった時にはもう、少年の姿は消えていた。
次にエイプルが光を潜り抜ける。ここを越えても、彼女たち"魔法少女(略)"は目覚めない。夢の旅はまだ始まったばかりだ。
「でも……やっぱ変だよな、今日の夢」
少女の旅立ちを見届けたのち、ウェザーは繁みから立ち上がった。彼はまだ目覚めてなどいない。隙を見て隠れていたのだ。
彼もまた、この夢に対して疑問を抱いていた。先ほど出会ったエイプルの様子がおかしい。普段ここで見る彼女と違い、まるで本物そっくりの振る舞いだった。
「これは、"いつもの悪夢"ではないのか?」
問いの答えを探すように、目の前の光を覗き込む。彼にとってここは、これまで何夜も見てきた悪夢だ。正規順路も、最後の展開も知っている。
しかし、このような輝けるものは今まで一度も見つけられなかった。
光を通して見えるのは、人々が点在する光景。皆、カーレス・シズネ町の住民のようだ。
最も近くの区域に意識を集中すると、知っている顔が見えた。ウェザーら"シズネ"の悪童三人組と対立する、"カーレル"のガキ大将……
「クィン」
彼は教会に住む孤児たちの指導者。本当に仲間を大切にしているようで、ともに賛美歌を歌い、リーネに絵本を読み聞かせてもらう際にも、彼は幸せに見えた。
場面が変わり、彼は怯える子どもたちをなだめている。外の様子を見てくると伝え、数人の仲間を連れて扉に向かい……
炎を思わせる赤い光が、クィンのいる区画を包み、焼け落ちたように暗黒に染まった。それから彼の姿はおろか、残滓すらも観測できない。
不吉な予感がウェザーの胸を掠める。向こうをよく見ようと身を乗り出せば、指先が光に触れ、視界が転動する。強制的にこの場からはじき出されたのだ。
夢から目覚めるまでの一瞬、獣を探してはいけないという、エイプルからの警告を思い出した。
外には、人の不安を糧とする、"黒い蝶"がいるからと。




