↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

第一話 6月18日(火)17:20

人は、物事は一瞬で壊れるものだと思っている。床に落ちたガラスのように。だが、それは違う。物事は静かに壊れる。目に見えないほど細い亀裂が走り、誰も直そうとしないまま、やがて構造全体が崩れ落ちるのだ。僕の場合、最初のきしみが生じたのは、六月の火曜日、午後五時二十分、三階の音楽室だった。


北野高校の吹奏楽部は、ただの課外活動ではない。祭壇だ。六十人が週六日練習し、土曜日は八時間、県大会に出るために休暇も夏休みも捧げる。どんな入部案内にも書かれていないが、カーテンの埃と一緒に息づいている掟がある。個性は無礼である、という掟だ。アンサンブルが崩れれば、全員が崩れる。誰かが割り当てられた音から外れて目立てば、ハーモニーは腐る。


マウスピースを唇の端に当てると、冷たかった。僕たちは三時間、ヤギサワ作曲『四季』の第二楽章の同じ一節を繰り返していた。ピストンの上の指は痺れ、うっすらと汗ばんでいる。左隣では、高橋先輩が空気を整えていた。三年間、学校の威信のためだけに呼吸してきた人間の、金属的な落ち着きで。彼はファーストトランペットであり、パートリーダーであり、この教室の片隅で誰に息をする権利があるのかを決める男だった。


「もう一度。四十二小節目から」


遠藤先生は、譜面台の楽譜から目を上げもせずに言った。その声は命令ではなかった。生体機械の脈動のようだった。


楽器を構え直した。鼻から息を吸い込む。樹脂と、乾いた唾液と、ピストンオイルの匂いのする、濃い空気だった。メトロノームのカウントが、リノリウムの床に乾いた音を立てて響く。ワン、ツー、スリー、フォー。


全員で入った。少なくとも、そのつもりだった。四十五小節目、楽譜はクラリネットの下をそっと滑り抜けるような、抑えたピアノを求めていた。ただ影のような一音を。けれど、四時間休みなく押しつけ続けた下唇が、一ミリの何分の一かだけ震えた。音は澄んで出なかった。耳障りな倍音が混じり、みんなで磨き上げた音の表面を、一秒にも満たないあいだ引き裂いた。


そのあとに来た沈黙は、音がないということではなかった。教室の上に落ちてきた、物理的な塊だった。


遠藤先生は指揮棒を下ろした。怒鳴り声はなかった。怒鳴り声は、まだ許される余地のある場所のものだ。先生はただ腕をだらりと下げ、五秒間、永遠のように長い五秒間、床を見つめていた。


「高橋」


疫病を確認するかのような、恐ろしく穏やかな声で先生は言った。


「君のパートは揃っていない」


高橋先輩はすぐには僕を見なかった。トランペットを構えたまま、気をつけの姿勢で、奥の壁に視線を据えていた。隣にいる彼の熱を感じた。僕を押し潰しかねない、抑え込まれた怒りの壁だった。


「申し訳ありません、先生」


高橋先輩は椅子に座ったまま、きっちり四十五度に頭を下げた。


「一年生をきちんと指導できなかった、僕の責任です」


「コンクールは三週間後だ」


遠藤先生は、計算された緩慢さで楽譜のページをめくった。


「個人の弱点を直している時間はない。集団の規律を保てない者がいるなら、それは六十人の努力を妨害しているということだ」


合奏はさらに三十分続いたが、僕はもう吹いていなかった。息を入れずにピストンを押すだけで、吹いているふりをした。もう二度と空気を汚さないために。誰も僕を見なかった。誰も僕を正さなかった。消去は、まさにその瞬間に始まっていた。


六時の鐘が片付けの合図を告げると、教室は素早く静かな動きの蜂の巣に変わった。ケースを閉じる、正確な金属音。僕はしゃがんで、トランペットをしまおうとした。抜差管の余分な水分を、クロスで拭き取りながら。そのとき、高橋先輩の影が、僕のケースの上に落ちた。


「ハルト」


彼の声は、奇妙なほど柔らかかった。ほとんど親しげと言ってもいいくらいに。


僕はゆっくり立ち上がり、革のケースを胸に抱えた。


「高橋先輩、すみませんでした。唇が、あの小節で……」


「唇の問題じゃないんだよ、ハルト」


彼は遮って、一歩前に出た。二年生が二人、彼の背後に回り込み、椅子の列のあいだの通路を塞いだ。


「問題は君の態度だ。ここ数週間、土曜の練習中に時計ばかり見ていただろう。自分の時間は他人の時間より価値があると思っている。数学の成績がいいから、バンドで音を外しても許されると思っている」


「そうじゃありません……ただ、疲れてて……」


「みんな疲れてる」


高橋先輩は断じた。顔が触れそうなほど近づき、制服についた消毒液の匂いがした。


「でも俺たちは、この部を尊重している。身体も心も百パーセント捧げられないなら、それは邪魔なんだ。今日、君は先生の前で俺たち全員に恥をかかせた」


「もう、繰り返しません」


高橋先輩は笑った。小さな、人間らしさのかけらもない笑みだった。


「そうだな。繰り返さない。明日から、金管パート全員の楽器の手入れは君がやれ。練習が始まる前に、だ。朝七時に来い。全体合奏のあいだは、倉庫に残って木製の譜面台を磨いてろ。バンドみたいに鳴らせないなら、せめて、他のみんなが鳴らせるように役に立て」


僕は小林を見た。四月から毎日、電車で一緒に帰っていた友達だ。三メートル先で、楽譜を片付けていた。目で探した。何かの合図を。気づかれないほどのささやかな、連帯のしるしを。小林は僕を見た。一拍のあいだ、視線を受け止めた。そして、わざとらしいほどゆっくりと顔を背け、隣の女子に鉛筆を貸してくれないかと尋ねた。


孤立に鉄格子はいらない。隣にいる人間が、君はもう存在しないものと決めてしまえば、それで足りる。


「わかったか、ハルト」


高橋先輩は、ドアへ向かいながら、すれ違いざまに僕の肩にそっと触れた。


「……わかりました」


誰に向けるでもなく、僕は呟いた。


トランペットをしまい、ファスナーを閉め、三階の廊下をひとりで歩いた。自分の足音の反響だけが、校舎じゅうで唯一の音だった。亀裂はもう入ってしまった。あとは、世界の残りの重みが、僕を完全に壊してしまうのを待つだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。