53話 先輩の名前
放課後、帰り支度をしている楓に私は声をかけた。
「ねえ楓、今日駅前の本屋に行くんだけど、一緒に行かない?」
「行かない。どうせ参考書コーナーに行くんでしょう」
そうだけど。即答することないじゃない。
「妹ちゃんたちは?」
「咲愛は生徒会。翔馬も用事があるって言うのよ」
「じゃあ一人で行くしかないね。……あ」
楓につられて私も教室の入口を見た。
あ。
駅に向かう間、千賀屋君は上機嫌だった。
「鈴白先輩も本屋に行かれるところだったんですね」
私は小真智ちゃんと並んで、千賀屋君の後ろを歩く。
「柳さんに参考書の相談をしたら、鈴白先輩がお詳しいと聞いて。ご迷惑ではなかったですか?」
「全然。友だちを誘ったけど断られたところだったの」
「でしたら、よかったです」
ふわりと笑う小真智ちゃん。
ちょっと咲愛に似てるかも。
前を歩く千賀屋君は、時折私と小真智ちゃんの様子を見て、歩く速さを調整してくれているようだ。
何度か女子生徒に「千賀屋君! また明日ね」と声をかけられている。
人気は相変わらずね。
……女の子たちが千賀屋君に挨拶をしたあと、私と小真智ちゃんをチラリと見ていくのが少し気になる。
千賀屋君も視線に気づいたのか、小真智ちゃんが自分の体の陰に入るように、歩く位置を変えた。
へえ。
「千賀屋君っていいお兄ちゃんよね」
少し声を大きめにして話す。
「え? 何ですか、急に」
「いいお兄ちゃんでしょう。妹の参考書探してあげるなんて」
さっき通り過ぎた女の子たちのほうから「妹だって」と聞こえてくる。
よしよし。
千賀屋君は私の意図に気づいたようで、ニッコリ笑った。
「それを言うなら鈴白先輩でしょう。鈴白さんと仲良く下校していますよね」
「えー、そう? 仲良く見える? 見えちゃう? うふふ」
まあ実際仲はいいけど!
「咲愛先輩も廊下でお会いすると、いつも気にかけてくださるんです。鈴白先輩とそっくりです」
小真智ちゃんまで褒めてくれる。
それは嬉しいんだけど。
「小真智ちゃん。私も恋華先輩でいいわよ。どっちも鈴白だから」
「よろしいんですか?」
「よろしいです」
少しおどけて返す。
「ではこれからは、『恋華先輩』と呼ばせていただきますね」
おしとやかに笑う小真智ちゃん。
前を歩く千賀屋君が、急に振り向いた。
「どうしたの千賀屋君」
なんだか顔が怖い。
「鈴白先輩、僕も先輩を『恋華先輩』とお呼びしてもいいですか?」
「だけど千賀屋君は名字のほうが呼び慣れてるんじゃない?」
「全く呼び慣れていません!」
「そ、そう。じゃあ、どうぞ……?」
小真智ちゃんの前で混乱させないように、呼び方を統一してあげようとしているのかしら。
いいお兄ちゃんだ。
「ありがとうございます。『恋華先輩』」
さっそく新しい呼び名を使い始めた千賀屋君は、嬉しそうに左手で握りこぶしを作っていた。
本屋に到着して、まずは小真智ちゃんの本を探す。
「化学基礎って言ってたわよね。何冊かあるから、一緒に見ましょう」
「教科書を理解するためならこっち。でも理解を深めるならこっちの本ね。予習と復習なら、中心になるのはどっち?」
「私は復習、ですね」
「じゃあこっちがおすすめかしら。二冊で同じ内容を読み比べてみて。説明の仕方で、理解しやすさが変わるから」
しばらく読み比べた小真智ちゃんは、「ううん……」と唸ってから、私がおすすめしなかったほうをぎゅっと握った。
「私には、こちらのほうが読みやすかったです。ごめんなさい、先輩がせっかくすすめてくれたのに……」
小真智ちゃんの横で千賀屋君も居心地が悪そうだ。
「違うわよ、小真智ちゃん」
二人には勘違いしてほしくない。
「勉強するのは小真智ちゃんなんだから。自分で見比べて選んだことが重要なのよ」
私にできるのは頑張るための手伝い。そのあとやるのは自分自身だ。
「はい。ありがとうございます。いい本が見つかりました」
ほっとした顔の小真智ちゃんは、ぺこりと頭を下げた。
その横で千賀屋君まで同じ顔をしているのが、少し面白かった。
私も自分の欲しかった参考書を無事購入した。
先に会計を終えていた二人がレジ横で待っていてくれた。
「二人とも待たせてごめんね。無事買えたわ」
そのまま、三人で近くのファストフード店に入る。
駅ビルの入口横、窓から外が見えている。
「初めて来ました!」
小真智ちゃんは珍しそうにキョロキョロしている。
注文の機械で私がメニューを選ぼうとしていると、千賀屋君が前に立った。
「恋華先輩はブラックコーヒーですか?」
「あ、うん」
千賀屋君はさっさとコーヒーのボタンを二人分押して、「小真智はオレンジジュースがいいだろう?」と小真智ちゃんの分も選んでしまった。
さらに期間限定のお菓子も三人分選んで会計を終えてしまう。
「待って。私、自分の分は払うわよ」
「これくらいさせてください。急にお願いしたのはこちらですから」
にこやかに言った千賀屋君は、番号札とレシートを取るとさっさと席に向かってしまった。
私は窓側のソファ、千賀屋君と小真智ちゃんは並んで通路側だ。
千賀屋君は小真智ちゃんの椅子を引いて座らせてから自分が座った。
小真智ちゃんも気にしていないので、普段からやっているんだろう。
注文したものも届いて、皆で一息つく。
「恋華先輩の本は、模試の対策ですよね」
「そうよ」
模試は日程が公開されているし、いつものこと、いつものこと。
「模試ってどんな内容ですか?」
「見てみる?」
本を渡すと、小真智ちゃんはパラパラとめくる。
すぐにその手が止まり、本を返してきた。
「受験って大変なんですね。頭がくらくらします」
「あはは」
正直もう一度受験をするのは、私も憂鬱だ。
この恋華の体の頭の良さに助けられている。
千賀屋君も小真智ちゃんの様子にニコニコ笑ったあと、私のほうを向いて表情が固まった。
「どうしたの、千賀屋君」
千賀屋君の見ているのは私の後ろだ。
小真智ちゃんも口元に手を当てて同じほうを見ている。
振り向いたけど、窓の外には誰も……。
入口からドタドタと聞こえてくる。
「何かしらね?」
いそいそと千賀屋君が立ち上がった。
「恋華先輩、そろそろ出ましょう」
「そうね、いい時間だし」
「レン姉!」
翔馬が勢いよく走り込んできた。
千賀屋君は悔しそうな表情。小真智ちゃんは驚きすぎて固まっている。
「ちょっと翔馬、お店の中よ。走らないで」
「レン姉に連絡しても返事がなくて、教室行ったら千賀屋と本屋に行ったって聞いて」
「小真智ちゃんも一緒よ」
私の言葉に、翔馬は初めて小真智ちゃんに気づいたようだ。
「あ……、どうも」
「雨坂先輩、こんにちは」
翔馬は小真智ちゃんに軽く頭を下げた。小真智ちゃんは丁寧に翔馬に頭を下げている。
スマホを見ると、確かに何度か連絡が来ていた。
「ごめん、気づいてなかったわ」
私の言葉には構わず、翔馬が私の腕を引っ張ろうとする。
「レン姉、もう用事済んだだろ。帰るぞ」
「急に来て何なのよ。帰るところだから、少し待って」
翔馬の手を腕から離して、二人に向き合う。
「慌ただしくてごめんなさい。そろそろ帰るわ。二人も気をつけて帰ってね」
「いいえ、一緒に来てくださってありがとうございました」
そう言う小真智ちゃんの隣に立つ千賀屋君が頷いた。
「本当に助かりました」
ちらりと翔馬のほうに視線を送り、口元だけ笑う。
ん?
「――恋華先輩」
「なっ」
「とんでもない。じゃあ、またね」
固まったままの翔馬の腕を引いた。
「翔馬、行くわよ。帰るんでしょう?」
千賀屋君たちに手を振り、店を出た。
翔馬と二人で駅に向かう。
「レン姉、今、あいつ!」
「失礼よ? 千賀屋君がどうしたの」
「名前!」
「小真智ちゃんが困るから、咲愛も私も名前で呼んでいいって言ったのよ」
改札機にICカードをタッチする。
すぐに翔馬が追いついてきた。
「口実じゃん!」
「事実よ」
翔馬は息を吸って、静かに吐いたあと口をつぐんだ。
「何か言いたそうね? 翔馬」
「……別に」
ずっと目線が下を向いている。
自分だってレン姉って呼んでいるのに。
私は翔馬にも呼んでいいと言った。
呼ばないのは翔馬の勝手だ。
駅のホームでは早めのラッシュが始まっていた。
階段を急いで上がると、ちょうど電車が来たところだ。
ドアが開いて、乗客が降りている。
「翔馬、早く」
引こうとした手は軽く振り払われた。
そのまま翔馬は早足で私の横をすり抜けて、乗り込む人たちに続いて電車のドアをくぐる。
私は軽く息をついて、そのあとを追った。
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