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 <番外編2> 兄が異世界に落ちる、その前のこと ~陰キャ次男坊と、押しかけ帰国子女のデュオキャンプ~

一、放課後の波紋


 ことの発端は、その週の、月曜の昼休みだった。


 俺の机に、いつものようにアリスがやってきて、地図とにらめっこを始めた。


「信長、見て。雲取山。ここのテント場、予約取れたよ。今週末、一泊」


 彼女が、当たり前のように、よく通る声で、それを言った。

 教室で。クラスメイトが、わんさといる、その真ん中で。


 俺は、固まった。


 ――一泊。週末。男女で。山。


 その単語の並びが、教室中に、波紋のように広がっていくのが、手に取るようにわかった。近くの席の女子が、わずかに振り返った。後ろの男子グループの会話が、一瞬、止まった。


「ちょ……っ、声、声!」

「え? なんで? 部活動だよ? ちゃんと先生に計画書も出すし、伯母さんの許可も取るし、テントだって別々にするのに」


 アリスは、きょとんとしている。

 悪気は、全くないのだ。彼女にとって、山に泊まりで行くのは、ごく普通のこと。だが、ここは進学校の教室で、俺たちは入学したばかりの高校一年生で、そして俺は、つい二月前まで誰とも口をきかなかった陰キャなのだ。釣り合いが、おかしい。


 昼休みの終わり、廊下で。案の定、俺は、待ち伏せされた。


「よお、佐田」


 サッカー部のエース、相沢だった。前に、アリスのことで俺に絡んできた男。あの一件以来、表立って何か言ってくることはなかったが、今日は、取り巻きもおらず、一人だった。


「お前さ……白瀬さんと、泊まりで山、行くんだって?」


「……部活動、だから」


「部活動なあ」

 相沢は、頭をがしがしと掻いて、それから、深いため息をついた。

「……いいよなあ、お前は」


 予想していた、嫌味や、脅し文句では、なかった。


「俺さ、何回誘っても、白瀬さんに、ぜんぜん相手にされなかったんだよ。映画も、カフェも、全部断られた。でも、お前とは、山に泊まりで行く。……何が、違うんだろうな」


 俺は、答えに詰まった。

 わからない。俺にだって、わからない。なんでこんな陰キャに、あんな太陽みたいな女が、と、毎日思っている。


「……たぶん」

 でも、俺は、ぽつりと、本当のことを言った。

「相沢が悪いんじゃ、ないと思う。アリスは、たぶん、誘われたいんじゃ、ないんだ。山とか、テントとか……自分の好きな世界に、一緒に居てくれる相手を、探してたんだと思う。俺は、たまたま、そこに、いただけで」


 相沢は、しばらく、俺を見ていた。

 それから、ふっと、笑った。負けを認めるような、でも、どこか、すっきりした笑いだった。


「……お前、見た目より、ちゃんと考えてんだな」

 相沢は、俺の肩を、軽く小突いた。

「白瀬さんのこと、大事にしろよ。じゃないと、俺が、横からかっさらうからな」


 そう言い残して、相沢は、行ってしまった。


 なんだ、あいつ。意外と、いいやつだったんじゃないか。

 ……いや、最後の一言は、聞き捨てならないが。


 俺は、なぜか少しだけ、足取りが軽くなったような気がしながら、教室へ戻った。




二、出発前夜


「――テントは、別々なんだろうな?」


 夕食の席で、兄貴が箸を止めて、にやりと笑いながら言った。


 俺は、味噌汁を吹き出しそうになった。


「あ、当たり前だろ! 別々だ! 二張り持ってく!」


 佐田家の食卓に、笑い声が起きた。父が、めずらしく口の端を持ち上げている。祖父まで、新聞の陰でふん、と鼻を鳴らした。なんだこの空気は。完全に弟がからかわれる構図だ。


 明日、俺は、人生初の「誰かと泊まるキャンプ」に出かける。

 相手は、白瀬アリス。アウトドア活動部の、唯一にして最強の押しかけ部員。


 行き先は、雲取山。東京で一番高い山だ。標高こそ二〇〇〇メートルを超えるが、登山道はよく整備されているし、山頂近くには管理人が常駐する山荘があって、その脇にテント場がある。初心者を連れていくにはちょうどいい。一泊二日。れっきとした部活動として、顧問の宝来先生に計画書を出し、双方の保護者の許可も取った。アリスの父親は今、仕事で海を渡っていて不在らしいが、保護者役の伯母という人から、丁寧な許可の連絡が来ていた。


「信長」

 兄貴が、湯呑みを置いて、少し声のトーンを落とした。

「山を、舐めるな。二〇〇〇メートル級は、平地と気温が一三度は違う。天気は、まめに確認しろ。それと――稜線で雷雲が出たら、迷うな。命より大事な荷物なんて、ザックの中には入ってない」


「……わかってる」


「もう一つ」

 兄貴は、にっと笑った。今度は、軍人の顔じゃなく、ただの兄貴の顔だった。

「お前のその柔は、人を守るための技だ。だが、山では、お前自身が一番、相手を守れる場所に立っていなきゃ意味がない。常に、彼女の山側を歩け。滑落は、谷側に落ちる」


 兄貴は、無心流の歴史きっての天才で、海軍の陸戦隊にいる、規格外の男だ。

 その兄貴が、俺の作った「不傷の柔」を、ただ一人、最初に認めてくれた。

 俺は、頷いた。


「明日、トレイルヘッドまで送ってやる。ちょうど休暇で暇だしな」

「いいのか?」

「弟の、晴れ舞台だ。見届けたいだろ、兄として」


 兄貴は、また、にやりと笑った。

 その笑顔が、数年後、忽然と消えてしまうなんて――この夜の俺は、もちろん、知るよしもなかった。


 夕食の片付けを終えた頃、祖父が、縁側で、茶をすすりながら、ぼそりと言った。


「信長」

「は、はい」

「無心流の柔は、相手を、傷つけぬための技だ。だが、本当に難しいのは、技ではない。技を使う前に、いかに、事を起こさせぬか、だ」

 祖父は、月を見上げたまま、続けた。

「山では、起こってからでは、遅いことが、いくらでもある。常に、半歩、先を読め。降る前に、屋根を探せ。それが、武の心得であり、人を守る者の、心得だ」


 いつも俺を「武人に向かん」と切り捨ててきた祖父が、めずらしく、まともな教えを授けてくれた。

 俺は、深く、頭を下げた。


「……行ってまいります」


 その夜、布団に入ってから、アリスにメッセージを送った。


『明日、よろしく。兄貴が、トレイルヘッドまで送ってくれる』

『山の天気は、変わりやすい。雨具は、ザックの一番出しやすい場所に入れておけ』


 すぐに、既読がついて、返信が来た。


『はーい、隊長! ばっちり準備した』

『ねえ、信長。わたし、今日、ぜんぜん眠れないかも。遠足の前の子供みたい』

『初めてなの。誰かと、泊まりで山に行くの。ガイドさんとか、家族じゃなくて……自分で、行きたいって思った相手と』


 俺は、その一文を、何度も、読み返した。

 自分で、行きたいと思った相手。

 その「相手」が、俺だということが、いまだに、信じられなかった。


 返事を、打っては消し、打っては消しして、結局、こう送った。


『俺も、初めてだ。楽しみにしてる』


 送ってから、また、悶絶した。

 でも、すぐに、ハートのスタンプが、ぽんと返ってきて――俺は、その夜、結局、なかなか、寝つけなかった。




三、トレイルヘッドにて


 翌朝、まだ暗いうちに、兄貴の運転する車で出発した。


 待ち合わせの駅前で、アリスを拾う。

 彼女は、見慣れない大きなザックを背負って、目を輝かせて立っていた。亜麻色の髪を後ろで一つに結わえ、しっかりした登山靴を履いている。本気の装備だった。


「おはよう、信長! それと――」

 アリスは、運転席の兄貴を見て、目を丸くした。

「もしかして、お兄さん? 信長の話に出てきた、海軍の」


「佐田和真だ。弟が世話になってる」

 兄貴は、爽やかに笑った。なんなんだ、この社交性は。同じ家で育って、なぜ俺だけこうなった。

「白瀬さん、だな。聞いてた通り、しっかりした登山者の荷だ。安心した」


「わかります?!」

「ザックの背負い方と、靴の履き込み具合で大体な」


 二人は、車中でずっと山の話をしていた。アリスは兄貴とも、まるで何年来の友人みたいに喋った。俺は後部座席で、二人の会話に時々相槌を打ちながら、窓の外の、白み始めた空を眺めていた。


 不思議だった。

 以前の俺なら、こういう「自分の知らないところで盛り上がる会話」が、苦痛で仕方なかったはずだ。輪に入れない疎外感に、胃が痛くなったはずだ。

 でも、今は、平気だった。むしろ、二人が仲良くしているのが、なんだか、嬉しかった。


 登山口の駐車場に着くと、兄貴は車を停めて、俺たちのザックの最終チェックを手伝ってくれた。雨具、ヘッドランプ、行動食、水、ファーストエイド。一つずつ確認していく。


「明日の夕方、ここに迎えに来る。何かあったら、すぐ連絡しろ。電波が届く場所は限られてるが、山荘の固定電話なら通じる」

「ああ」


 兄貴は、最後に、ザックの肩ベルトを、ぐっと締め直してくれた。

 その手つきは、慣れていた。海軍の陸戦隊で、何度も、仲間の装備を、こうして確かめてきたのだろう。


「信長。一つだけ、覚えとけ」

 兄貴は、いつになく、真剣な顔で言った。

「山ってのはな、戦場と、よく似てる。実力のあるやつが、無事に帰れるとは限らない。無事に帰るやつってのは、引き際を、間違えないやつだ。『ここまでだ』って線を、引けるやつ。お前は、優しいから、つい無理して、自分を後回しにする。だが――無理して、お前が倒れたら、守りたい相手まで、巻き込むんだぞ」


「……わかった」


「よし」

 兄貴は、ぱっと、いつもの笑顔に戻って、俺の肩を、ぽんと叩いた。


「楽しんでこい。お前の好きな場所で、好きな相手と過ごす時間だ。一生に何度もあるもんじゃない」


 その言葉が、なぜか、胸の奥に、ずっと残った。

 ――一生に、何度もあるもんじゃない。

 兄貴が、どんな思いで、その言葉を口にしたのか。それを俺が本当に理解するのは、ずっと後、兄貴が、いなくなってからのことだった。




四、稜線まで


 歩き出すと、世界が変わった。


 杉の植林帯を抜け、ブナやミズナラの森に入ると、空気が一気にひんやりと澄んだ。鳥の声と、自分たちの足音と、葉擦れの音。それ以外、何もない。

 アリスの足取りは、相変わらず正確だった。前回の奥多摩の日帰りで、彼女の実力はわかっていたが、泊まりの重い荷を背負っても、ペースは一切乱れなかった。


「信長、ここの紅葉、すごいね。秋に来たら、もっとすごそう」

「ああ。十月の終わりが、たぶん見頃だ」

「じゃあ、秋にも来ようね。約束」


 さらりと「約束」を増やしてくる。この女は、いつもそうだ。未来の予定を、当たり前みたいに、二人のものとして積み上げていく。俺は、その一つ一つに、いちいち心拍数を乱しながら、「ああ」と頷くことしかできない。


 兄貴の助言通り、俺は常に、アリスの山側を歩いた。

 彼女がそれに気づいたのは、ちょうど、道が痩せた斜面に差しかかった時だった。


「信長、さっきから、わたしの上側ばっかり歩いてる」

「……兄貴に、言われたんだ。連れの山側を歩け、って。滑落は谷側に落ちるから」

「ふうん」

 アリスは、少し前を歩きながら、振り返らずに言った。耳が、ほんの少し赤かった。

「それって、わたしが落ちそうになったら、信長が、受け止めてくれるってこと?」


「……まあ、そう、なるな」


「ふふ。じゃあ、安心して歩ける」


 その背中が、なんだか嬉しそうに弾んで見えたのは、気のせいじゃないと思う。


 森が開けた、小さな水場で、俺たちは最初の休憩を取った。

 冷たい湧き水で喉を潤し、行動食のナッツとドライフルーツをつまむ。アリスは、岩に腰かけて、足をぶらぶらさせながら、ふと、思い出したように言った。


「ねえ、信長。前に話してた、あなたの武術。佐田無心流って言ったよね。今でも、稽古してるの?」


「……毎朝。家の道場で。祖父と、父と。兄貴が休暇で帰ってる時は、兄貴とも」


「強いんだ。佐田の家の人たち」


「俺以外は、な」

 俺は、苦笑した。

「祖父は宗家で、父はその一番弟子。兄貴は、流派の歴史きっての天才だ。免許皆伝を、史上最年少で取った。文武両道で、帝国大を出て、海軍に入って、今は特殊部隊にいる。……俺は、その家の、出来損ないだ」


「出来損ない、ねえ」

 アリスは、ナッツを一粒、ぽいと口に放り込んで、空を見上げた。

「でもさ。あなたの作った、その『不傷の柔』? 人を傷つけずに、無効化する技。あれ、おじいさんも、お父さんも、お兄さんも、作れなかったんでしょ」


「……作ろうと、しなかった。無心流は、戦場で人を殺すための武術だから。傷つけない、なんて発想は、そもそも、ない」


「ほら、やっぱり」

 彼女は、にっと笑った。

「天才のお兄さんにも、作れなかったものを、あなたは作った。それって、出来損ないが作れるもの?」


 俺は、何も言えなかった。

 前にも、似たようなことを、言われた気がする。この女は、いつも、俺が自分で被せている「出来損ない」のラベルを、こともなげに、剥がしにかかる。


「わたしね」

 アリスは、立ち上がって、ザックを背負い直した。

「強い人って、いっぱい見てきた。色んな国で。喧嘩の強い人、頭のいい人、お金持ちの人。でも、誰かを傷つけずに済ませる方法を、必死で探す人は……あなたが、初めて」

 彼女は、こちらに手を差し出した。

「行こ。稜線、もうすぐだよ」


 俺は、その手を取って、岩から立ち上がった。

 手のひらが、温かかった。


 昼前、俺たちは稜線に出た。

 森が途切れ、ぱっと視界が開ける。眼下には、雲が海のように広がっていた。雲海だ。その向こうに、富士山が、青い影になって浮かんでいる。


「……うわ」


 アリスが、息を呑んだ。両手で口を覆って、その場に立ち尽くしている。

 いつも饒舌な彼女が、言葉を失っていた。


「すごい。こんなの、初めて見た。あんなに色んな国の、色んな景色を見てきたのに……こんなの、知らなかった」


 風が、彼女のほつれた髪を揺らした。

 俺は、その横顔を見ながら、思った。


 ああ、来てよかった。この景色を、こいつと一緒に見られて、よかった。




五、設営


 昼過ぎに、山荘脇のテント場に着いた。


 管理人のおじさんに受付を済ませ、テントを張る場所を選ぶ。平らで、水はけが良く、風の通り道を外した場所。俺は、慣れた手つきで、二張りのテントを設営し始めた。


「すごい。早い」

 アリスが、隣でしゃがみ込んで、感心したように見ている。

「教えて。わたしも、自分の分は自分で張れるようになりたい」


 俺は、彼女に、テントの張り方を教えた。

 ポールの通し方、ペグの打つ角度、フライシートの張り具合。アリスは、飲み込みが早かった。最初は俺の手元を真似ているだけだったのが、二張り目の途中からは、自分で考えて手を動かすようになった。


「こう?」

「もうちょっと、ペグの角度を寝かせる。地面に対して、六十度くらい。そうすれば、引っ張られても抜けにくい」

「なるほど……できた!」


 完成した自分のテントを前に、アリスは、子供みたいに両手を上げて喜んだ。

 俺たちのテントは、適度な距離を置いて、二つ並んだ。約束通り、別々。当たり前だ。当たり前なのに、二つのテントが並んでいる光景は、なぜだか妙に、こそばゆかった。


「ねえ、信長」

 テントの設営を終えたアリスが、汗を拭いながら言った。

「わたし、ずっと、お客さんだった。ガイドさんが全部やってくれて、わたしはついていくだけ。自分でテントを張ったの、生まれて初めて」

 彼女は、自分の手のひらを、まじまじと見つめた。土と、ロープの跡がついた手のひらを。

「自分の手で、自分の眠る場所を作るって……こんなに、いい気持ちなんだね」


 俺は、その言葉に、胸を突かれた。

 根っこのない暮らしをしてきた彼女が、今、自分の手で、地面に小さな根を下ろした。たった一晩の、布の家だけど。

 それを手伝えたことが、俺は、たまらなく、誇らしかった。


 設営を終えると、まだ、日没まで少し時間があった。

 俺たちは、テント場の端の、見晴らしのいい岩場に並んで腰かけて、ぼんやりと、夕暮れに染まっていく山並みを眺めた。


「ねえ、信長。一つ、聞いていい?」

「……なんだ」

「信長は、どうして、こんなに山が好きになったの? お兄さんも、おじいさんも、武術の人でしょ。アウトドアは、信長だけ?」


「……ああ、俺だけだ」

 俺は、膝を抱えて、答えた。

「最初は、ただの、逃げ場だった。家にいると、どうしても、兄貴と比べられる。学校にいると、名前を笑われる。どこにも、居場所がなかった。でも、山だけは、誰も俺を、何とも比べなかった。山は、ただ、そこにあって、登れば、登っただけ、応えてくれる。それが……楽だったんだ」


「逃げ場、かあ」

 アリスは、ふふ、と笑った。

「わたしと、似てるね。わたしも、明るく振る舞うことが、逃げ場だった。逃げ方は、逆だけど」


「……ああ。俺は、黙ることで逃げて、君は、喋ることで逃げた」


「うん。でも」

 彼女は、夕日に目を細めた。

「今は、逃げ場じゃ、なくなったよね。この山は。だって、ちゃんと、二人で、いるもん。逃げる場所じゃなくて、一緒に、いたい場所」


 俺は、その言葉に、何も返せなかった。

 ただ、夕日が、彼女の横顔を、橙色に染めていくのを、隣で、ずっと、見ていた。




六、焚き火と、星


 日が傾くと、気温が、ぐっと下がった。


 兄貴の言った通りだった。平地とは別世界の寒さだ。俺たちは、ダウンを着込み、テント場の隅の、焚き火が許可された一角で、小さな火を熾した。


 夕食は、二人で作った。

 俺がアルコールストーブで湯を沸かし、アリスが、家から持ってきたという乾燥野菜とスパイスで、即席のスープを作る。海外で覚えたという、見たことのない味付けだった。そこに、俺がいつも作る、無骨な山飯のアルファ米を合わせる。和洋折衷の、奇妙な、でも、滅法うまい夕飯ができあがった。


「うまい」

「でしょ。わたしの、世界中の渡り歩きの、唯一の成果」


 食後、俺たちは、焚き火を挟んで座り、定番のマシュマロを炙った。

 火が、ぱちぱちと爆ぜる。煙が、まっすぐ上に昇っていく。風がない、いい夜だった。


「ねえ、信長。質問していい?」

 アリスが、串の先のマシュマロを、火にかざしながら言った。

「あなたって、どうして、そんなに人づきあいが苦手なの? 体は、こんなに大きくて、強いのに」


 俺は、少し迷ってから、答えた。

「……名前のせいも、ある」


「名前?」


「佐田信長。子供の頃、自己紹介のたびに、笑われた。『あの織田信長?』って。『何人殺したの?』って。何度も、何度も。だから、人前で名乗るのが、怖くなった。名乗らずに済むように、人と関わらなくなった。それが、楽だったから」


 言ってから、自分でも驚いた。この、誰にも言ったことのない、いちばん柔らかい部分を、なんで、この女には、こうも、するすると喋れるのだろう。


「ふうん」

 アリスは、炙れたマシュマロを、ふうふうと冷ましながら、言った。

「でもさ。前にも言ったけど、わたしは、あなたの名前、最高だと思うよ。一画足りないだけで、天下人になり損ねてる。ロマンしかない」

 彼女は、こちらを向いて、にっと笑った。

「それに。今度、誰かに『何人殺したの?』って聞かれたら、こう答えなよ。『一人も殺してない。俺の流派は、誰も傷つけずに、敵を無力化する流派だ』って。――かっこよすぎて、みんな黙るから」


 俺は、思わず、噴き出した。


「……それは、さすがに、言えない」

「えー。練習しよ。はい、せーの。俺の流派はー」

「言わないって」

「つれないなあ」


 アリスが、唇を尖らせる。

 その仕草が、やけに、子供っぽくて。いつも大人びて見えるこいつの、こういう顔を引き出せるのは、もしかして、俺だけなんじゃないか――なんて、調子に乗ったことを、一瞬、考えてしまった。


 俺たちは、しばらく、黙って、焚き火を見ていた。

 沈黙が、苦じゃなかった。これも、初めての感覚だった。誰かと一緒にいて、何も喋らなくても、気まずくない。むしろ、その静けさを、二人で分け合っているような、そんな心地よさがあった。


「ねえ、信長」

 やがて、火が小さくなった頃、アリスが、ぽつりと言った。

「わたしね、本当は、ちょっと怖かったの。日本に来るの」


「怖かった?」


「うん。だって、ここでも、結局、馴染めなかったらどうしようって。今までずっと、そうだったから。どこの国でも、最後は『よそ者』だった。日本でもそうなら、わたし、もう、どこにも、帰る場所がないってことになる」

 彼女は、膝を抱えた。火の光が、その横顔を、揺れるオレンジ色に染めていた。

「明るく振る舞うのが、上手くなったのは、そのせい。寂しいって思う前に、笑っちゃえば、寂しさに気づかずに済むから」


 俺は、何も言えなかった。

 いつも太陽みたいに笑っているこいつの、その裏側を、また一つ、見てしまった気がした。

 名前を笑われるのが怖くて、人を遠ざけた俺と。

 よそ者と思われるのが怖くて、無理に笑った、こいつと。

 怖がり方は逆でも、根っこは、似たもの同士なのかもしれない。


「でも」

 アリスは、顔を上げて、火越しに、俺を見た。

「日本に来て、よかった。信長に、会えたから」


 心臓が、跳ねた。


「あなたといると、無理に明るく振る舞わなくていい。黙ってても、平気。山の話と、道具の話だけしてれば、それで、満ち足りる。――こんなふうに、誰かと一緒にいて、楽なのは、生まれて初めて」


「……俺も」


 俺は、必死に、言葉を探した。陰キャの語彙は、相変わらず貧弱だ。でも。


「俺も、生まれて初めてだ。誰かと、山に来て、こんなに、楽しいの」


 言ってから、顔が熱くなった。火のせいにしたかったが、たぶん、違う。


 俺たちは、しばらく、黙って、焚き火を見ていた。

 やがて、火が小さくなった頃、アリスが、空を見上げて、あ、と声を上げた。


「信長、星」


 顔を上げて、俺も、息を呑んだ。


 満天の星だった。

 平地では絶対に見られない、空が落ちてきそうなほどの、無数の星。天の川が、白い帯になって、頭上を横切っている。


「すごい……」

 アリスの声が、震えていた。

「ねえ、信長。星座、わかる?」


「ああ。あれが、夏の大三角。こと座のベガと、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ」

 俺は、指で、空をなぞった。

「ベガが、織姫。アルタイルが、彦星。天の川を挟んで、年に一度しか会えない」


「ロマンチックだね」

 アリスが、くすりと笑った。

「織姫と彦星は、年に一度。わたしと信長は……毎週、部室で会えるね」


 不意打ちだった。

 俺は、返す言葉を探して、結局、見つけられず、ただ、もう一度、「……ああ」とだけ、頷いた。




七、嵐


 異変は、深夜に起きた。


 テントの中で、寝袋にくるまって眠っていた俺は、ばさばさという、激しい音で目を覚ました。

 フライシートが、風に煽られている。さっきまでの静けさが、嘘のようだった。テントの天井が、内側にたわむほど、強い風が吹きつけている。


 俺は、ヘッドランプを点け、スマホで天気を確認した。電波は、かろうじて一本。

 ――急速に発達した低気圧。山岳地帯に、強風と、雷を伴う雨。


 兄貴の言葉が、頭をよぎった。「稜線で雷雲が出たら、迷うな」。


 外で、ひときわ強い突風が吹いた。隣のテントの方向から、悲鳴が聞こえた。


「アリス!」


 俺は、ダウンを引っ掴んで、自分のテントを飛び出した。

 外は、地獄のような風だった。雨が、横殴りに叩きつけてくる。アリスのテントは、ペグが半分抜けて、今にも飛ばされそうに、大きくはためいていた。中で、アリスが、必死にポールを押さえている。


「信長! ペグが、抜けて――!」


「落ち着け! まず、君が出ろ! テントは、後だ!」


 俺は、まず、アリスを引っ張り出した。

 そして、二人で、山荘へ向かった。こんな夜は、テントに固執しちゃいけない。命より大事な荷物なんて、ザックの中には入ってない。兄貴の、言った通りだ。


 管理人のおじさんが、起きていた。こういう夜のために、起きているのだ。


「悪天候だ。テントは諦めて、今夜は山荘に入りなさい。よくある事だから、気にせんでいい」


 おじさんは、慣れた様子で、俺たちを、暖かい山荘の中に入れてくれた。




八、不傷の柔、ふたたび


 だが、問題が一つ、残っていた。


 アリスのザックが、まだ、はためくテントの中にあった。雨具も、財布も、明日の行動食も、全部その中だ。テントごと飛ばされたら、面倒なことになる。


「俺が、取ってくる」

「危ないよ! 風が――」

「すぐ戻る。君は、ここにいろ」


 俺は、雨の中に、もう一度飛び出した。


 アリスのテントに駆け寄り、半分抜けたペグを打ち直し、中のザックを引っ張り出す。

 その時だった。


 ひときわ巨大な突風が、稜線を駆け上がってきた。


 体が、煽られる。足元の、雨でぬかるんだ斜面が、ずるりと滑った。

 俺の体が、谷側へ――崖の方へ、持っていかれる。


 まずい。


 頭の片隅で、兄貴の声が響いた。滑落は、谷側に落ちる。常に、山側に立て。

 なのに、俺は今、ザックを庇って、谷側に、体を投げ出している。最悪の体勢だった。


 だが、その瞬間、俺の体は、考えるより先に動いていた。


 佐田無心流。十五年、染み込ませてきた体捌き。

 俺は、抗わなかった。風と、滑る力に、逆らわなかった。逆らえば、転ぶ。逆らえば、力に呑まれる。

 代わりに、その力を「流した」。崩れていく重心を、自分から、安全な山側へと、導く。倒れる勢いそのものを使って、体を半回転させ、近くの灌木の根に、手を伸ばす。指が、しっかりと、それを捉えた。


 不傷の柔――倒すのではなく、流す。極めるのではなく、制御する。

 それは、人に向ける技だったはずだ。相手の力を、相手自身に返す技。

 でも、根っこは、同じだった。自然の力にも、人の力にも、変わりはない。乱れた力に逆らわず、乱れぬ心で、最小の動きで、収める。

 ――無心。


 心臓が、早鐘を打っていた。でも、頭の芯は、不思議と、冷えていた。あの、山の上でアリスと過ごした午後みたいに。静かだった。


 俺は、灌木に掴まったまま、息を吐いた。

 崖の縁まで、あと二メートル。

 ザックは、もう片方の腕の中に、しっかりと抱えていた。一つも、谷へ落とさなかった。


 ゆっくりと、体を山側へ戻し、立ち上がる。膝が、震えていた。でも、無事だった。

 俺は、ザックを背負い直し、雨の中を、山荘へと駆け戻った。




九、ひとつの灯り


 山荘に飛び込むと、アリスが、青い顔で、ドアの前に立っていた。


「信長! 馬鹿! なんで、あんな……!」


 彼女は、俺に駆け寄って――そして、思いきり、俺の胸を、両手で叩いた。一回、二回。叩く力は、全然、痛くなかった。


「もし、信長が、戻ってこなかったら……わたし……!」


 その目に、涙が、滲んでいた。

 いつも太陽みたいに笑っている女が、俺のために、泣きそうになっていた。


「……ごめん」

 俺は、自分でも驚くくらい、自然に、その言葉を口にした。

「でも、大丈夫だ。ほら、無事だろ。君の荷物も、無事だ」


 俺は、ザックを差し出した。

 アリスは、それを受け取らずに、代わりに、俺の、濡れた服の袖を、ぎゅっと掴んだ。


「……無事じゃ、ないよ。こんなに、濡れて、冷えて」


 山荘の管理人のおじさんが、苦笑しながら、二人にタオルと、毛布を貸してくれた。そして、温かい飲み物を淹れて、奥へ引っ込んだ。気を、利かせてくれたのだろう。


 ストーブの前に、二人で並んで座った。

 外では、まだ、嵐が吠えている。でも、山荘の中は、暖かかった。たった一つのストーブの灯りが、二人の影を、壁に、長く落としていた。


 しばらく、二人とも、何も喋らなかった。

 ストーブの上で、貸してもらったやかんが、しゅんしゅんと、控えめな音を立てている。アリスの濡れた髪の先から、雫が、ぽたり、と落ちた。


「……心臓、まだ、どきどきしてる」

 アリスが、自分の胸に手を当てて、ぽつりと言った。

「信長が、テントから出ていって、なかなか戻ってこなくて。窓から見てたら、あなたの灯りが、崖の方に、ぐらって傾いて……わたし、本当に、心臓が、止まるかと思った」


「……悪かった。心配、かけた」


「謝らないで。怒ってるんじゃ、ないの」

 彼女は、首を振った。

「ただ、怖かっただけ。あなたが、いなくなるのが」


 いなくなる、という言葉に、なぜか、胸が、ちくりとした。

 根っこのない暮らしをしてきたこいつは、きっと、人が「いなくなる」ことに、人一倍、敏感なのだ。引っ越すたびに、友達も、見慣れた景色も、全部、いなくなってきたのだから。


「信長」

 毛布にくるまったアリスが、ぽつりと言った。

「さっき、わたしのテント、押さえてくれて。荷物も、取りに行ってくれて。それで、自分が崖から落ちそうになって」

 彼女は、膝の上で、両手を握りしめた。

「あなたは、いつも、そう。自分のことより、誰かを守ることばっかり。前の、変な男たちの時も、今日も」


「……それしか、できないからな。俺は」


「ううん」

 アリスは、首を振った。そして、顔を上げて、まっすぐに、俺を見た。


「それが、できるのが、すごいの。わたしね、決めたの」


「決めた?」


「わたし、信長の、根っこになる」

 彼女の声は、静かで、でも、揺るぎなかった。

「あなたが、いつも誰かを守ってばっかりだから――今度は、わたしが、あなたの帰る場所になる。信長が、安心して、自分のことを後回しにできるように。守るあなたを、わたしが、守る」


 俺は、言葉を、失った。


 根っこのない、と泣いていた女が。

 どこにも帰る場所がない、と笑っていた女が。

 今、俺の、帰る場所になる、と言った。

 帰る場所を持たない者が、誰かの帰る場所になろうとしている。それが、どれだけ勇気のいることか、俺には、わかってしまった。


 心臓が、嵐よりも、激しく、鳴っていた。


「……それは」

 俺は、震える声で、やっと、言った。

「それは、つまり、その。俺と、君が、ずっと、一緒にいる、ってこと、か」


「うん」

 アリスは、ストーブの灯りの中で、これまで見たどんな笑顔よりも、やわらかく、笑った。

「そういうこと。だめ?」


「……だめじゃ、ない」


 言葉にするのに、十五年分の勇気が要った気がした。

 でも、言えた。たった四文字。だめじゃない。

 それだけで、アリスの瞳が、ふわっと、潤んで、輝いた。


 俺たちの間で、毛布の下の手が、そっと、触れた。

 どちらから伸ばしたのか、わからない。

 でも、指が、絡んだ。冷えきっていたはずの手が、いつの間にか、二人分の体温で、温かくなっていた。


 外の嵐の音が、遠くなった。

 俺は、生まれて初めて、誰かと一緒にいることが、こんなにも、心を、凪がせるのだと、知った。


 無心、というのは、こういう心のことかもしれない、と。

 乱れた力に逆らわず、ただ、静かに、在ること。

 不意に、そんなことを、思った。




十、晴れた朝


 朝、目を覚ますと、嵐は、嘘のように去っていた。


 山荘を出ると、空は、洗ったように青く晴れ渡っていた。

 俺たちのテントは、二張りとも無事だった。ペグは半分抜けていたが、本体は、灌木に引っかかって、飛ばされずに済んでいた。俺たちは、二人で、濡れたテントを撤収し、荷物をまとめた。


 下山は、来た道を戻った。

 昨日、雲海が広がっていた稜線からは、今日は、どこまでも続く山並みが見えた。雨に洗われた緑が、朝日を浴びて、きらきらと輝いていた。


 昨夜のことは、二人とも、口に出さなかった。

 でも、出さなくても、わかった。手をつないだまま見た、あのストーブの灯りのことは、もう、二人の間で、なかったことには、ならない。時々、目が合うと、どちらからともなく、照れたように、視線を逸らしてしまう。それが、くすぐったくて、たまらなかった。


 アリスは、ずっと、上機嫌だった。

 俺の、半歩、後ろを歩きながら、時々、鼻歌を歌っていた。聞いたことのない、外国の歌だった。

「それ、なんの歌?」

「子供の頃、引っ越しの車の中で、母さんが、よく歌ってた歌。何語かも、わかんないんだけど」

 彼女は、笑った。

「不思議だね。根っこがないって、ずっと思ってたのに。こうして山を下りてると、なんだか、足の裏から、地面に、根が生えていくみたいな気がする」


 俺は、その言葉が、嬉しかった。

 昨日、彼女が、自分の手でテントを張った時の、あの誇らしげな顔を、思い出した。


 そして、痩せた斜面に差しかかると、アリスは、当然のように、俺の山側――ではなく、谷側に、ぴたりとついて歩いた。


「アリス、そっち、谷側だぞ。逆だ」

「いいの。だって、信長が落ちそうになったら、今度は、わたしが、引っ張り上げるんだから」

 彼女は、いたずらっぽく笑った。

「言ったでしょ。守るあなたを、わたしが守るって」


「……君に、引っ張り上げられるほど、俺は、軽くないぞ」

「むっ。失礼な。これでも、結構、力あるんだから」

 アリスが、ぷんぷんと、頬を膨らませる。


 俺は、苦笑した。

 まったく、敵わない。この女には、本当に、敵わない。

 でも、その「敵わなさ」が、今は、なぜだか、心地よかった。


 昼過ぎ、登山口の駐車場が見えてきた。

 兄貴の車が、停まっていた。約束より、ずっと早く。


「おう、早かったな」

 兄貴は、車に寄りかかって、待っていた。

「昨日の夜、ひどい嵐だっただろ。心配で、朝一で出てきた」


「……無事だ。山荘に、避難させてもらった」

「そうか」

 兄貴は、俺の顔を、じっと見た。それから、アリスの顔を見て、二人の様子を、何かを察したように、目を細めた。


「――ふうん」


 兄貴は、にやりと笑って、それ以上は、何も言わなかった。

 ただ、車に乗り込む俺の肩を、ぽん、と叩いて、小声で、言った。


「いい顔に、なったな。信長」




十一、まだ、嵐の来ない日々


 帰りの車の中で、アリスは、すぐに、すうすうと寝息を立て始めた。

 昨夜、ほとんど眠れなかったのだろう。俺の肩に、こてん、と頭を預けて、安心しきった顔で眠っている。


 俺は、動けなかった。

 肩に伝わる、温かい重みを、壊してしまわないように。


 バックミラー越しに、兄貴と、目が合った。

 兄貴は、何も言わずに、ただ、優しく、笑った。そして、ハンドルを握り直し、まっすぐ前を向いた。


 窓の外を、夕暮れの景色が、流れていく。

 俺の肩で眠るアリスの、規則正しい寝息。

 運転席の兄貴の、頼もしい背中。


 この時間が、ずっと続けばいい、と、俺は思った。


 ――けれど。


 この穏やかな日々に、いつか、本物の嵐が来ることを、この日の俺は、まだ、知らなかった。


 数年後。

 あの頼もしい背中が、ある日突然、実家の道場から、煙のように消えてしまうことを。

 荒らされた様子も、争った跡もなく、佐田和真という男だけが、世界から抜き取られたように、いなくなってしまうことを。

 生死さえわからないまま、残された家族が、答えの出ない問いを抱えて生きていくことになることを。


 その時、俺は、思い知ることになる。

 守るあなたを、わたしが守る、と言ってくれた、あの夜の言葉の、本当の重さを。


 兄貴のいなくなった世界で。

 出来損ないだったはずの、佐田無心流の三人目が。

 アリスと共に、何を背負い、何を守っていくのかを。


 でも、それは、まだ、ずっと先の話だ。


 今はただ、夕暮れの車の中で。

 肩の温もりと、兄貴の背中と、過ぎていく穏やかな景色を。

 俺は、まだ何も知らないまま、ただ、いとおしく、噛みしめていた。


 佐田信長、十五歳。

 陰キャの、アウトドア派。

 名前に天下を背負い損ねた、出来損ないの優男。


 ――その隣に、太陽が、根を下ろした。

 雲取の嵐が、過ぎ去った、初夏のことだった。

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