1. 気が付いたら、落ちていた
気が付いたらここにいた。
道場から居間に通じる扉を開けたはずなのに、ここにいた。
居間から風呂に向かおうとしていたはずなのに。
稽古でかいた汗を流すために風呂にいこうとしていただけなのに。
そこは川のほとりだった。
大きい川のそれだった。
少なくとも、実家の道場の近くにはこんな川はなかった。
遠くには、船が何艘か見える。
網で漁ををしているのか?
とにかく見たことがない形の船だった。
いや、写真では見たことがある。
どこかの南太平洋の国の原住民の漁師が使用する木製の双胴船だ。
少なくとも、こんな船を俺が住んでいた日本では見たことがない。
おれは、その現実感に乏しい風景を数秒か数十秒かただ眺めていた。
そして、おもむろに後を振り向いた。
そこには、道場へ入るための扉ではなく、大きな一本の大木がそびえていた。
広葉樹、それもクスノキに似た形の大木だったが、それはクスノキとはっきりと違うとわかった。
葉が白かったのだ。
その大木に生えている葉のすべてが白かった。
いや、その大木だけではない。
大木ほどは大きくなくても、その一帯に生えている木々の葉は白かった。
「XXXX、XXXX!!」
大きな太い声がその大木の近くから聞こえてきた。
「XXXX、XXXX、XXXX!!」
もう一度、同じような言葉が投げかけられた。が、まったく理解できない言葉だった。
俺は、日本語以外に5カ国語(英語、スペイン語、北京語、ロシア語、ドイツ語)が読み書きでき、日常会話程度ならそれと同じぐらいの数の種類の言語を操ることが出来た。
そんな俺でも、まったくとっかかりがない言語だった。
その分からない言葉を話す人間が大木の影から姿を現し、こちらに近づいてきた。
それも一人ではない。二人だ。体つきから言って、二人とも男だろう。
二人のうち、一人は小柄で身長は160cmぐらいだが、かなりの筋肉質だ。上腕がかなり太い。
もう一人は、身長が170cmぐらい。かなり細身の身体をしている。痩せている、と言ってもいい。
そのわけの分からない言葉をつかって話し合いながら、その二人はこちらに近づいてくる。
その二人がこちらに近づいてきたそのとき、一気に緊張するのが分かった。
そう、俺の左手に刀が握られているのに気付いたからだ。
彼らはおのおのの左腰にぶら下げている直剣に手をかけた。
手をかけながら、左手の手のひらを突き出し「待て」というポーズをしている。
つまりが、こちらを警戒しつつも戦うつもりがないといいたいのだろうか?
そして、小柄のほうの男が大きな声を出し、背の高いほうの男に指示を出した、ように見えた。
指示を受けた背の高いほうの男は、あまり素早くはないが、慌てた様子で来た道を走って引き返していった。
仲間を呼びにいったのだろうか?
なぜ、刀を俺が持っていたのかというと・・・俺にもわからない。
稽古には木刀を使っていたし、刀、それも家宝である江戸時代初期の大業物(無銘)は、刀専用の金庫に大事にしまっていたはずだったが、俺の左手にあるのは、その刀だ。
その刀が、なぜか自分の左手にある。それも、いつもの通りしっくりとくる手触りで。
小柄な男は見るからに緊張していた。俺がことのほか落ち着いていたからだろうか?
俺自身も確信していた。この相手なら、難なく斬(殺)れる、と。
「斬ってしまおうか?」とも思わないでもないが、相手に殺気もないし、俺が置かれた現状の打開には繋がりそうでなかったので止めておく。一応、保留だ。
それにしても、久しぶりのまとまった休暇が取れ、実家でのんびりしていたのに、なぜこんなことになったのか?
俺の職業は公務員。
帝国海軍陸戦隊所属の士官だ。
名前は、佐田和真。
帝国海軍陸戦大尉。28歳。
国外での偵察任務を主任務とする特殊部隊、第501特別陸戦隊の所属だ。
1週間前に中東から帰国したばかりだった。
偵察任務を主任務としながら、現在の任務のほとんどが他国の政府および軍、非合法組織の情報収集だった。
たまに暗殺任務や施設破壊任務などがあったがそれはごくまれである。
俺の実家は東京にあったが、俺の両親が住んでいるわけではない。
父親は帝国陸軍将官で外地の部隊勤務をしており、それに母親も付いて行っているため両親は東京に住んでいるわけではない。
東京の実家の主人は俺の祖父であり、佐田無心流の六代目宗家、佐田広宣だ。とても怖い。
その祖父も、いつも実家にいるわけではない。
祖父は民間大学で客員教授として教鞭をとっいるからだ。
なので、のびのびと実家の道場で稽古をしていた(師範代の森山さんを含め、十人ぐらいの門下生はいたが)。
佐田無心流は江戸時代後期からの歴史を持つ総合武術の流派だ。
剣術、居合、棒術、槍術、柔術などを教えている。
俺は4歳のときから無心流をならい、武術の才があったのか、18歳で皆伝され、師範を許された。
たぶん、祖父にはわからないが、父親には勝てる。
その俺から見ても、目の前にいる小柄の男は弱く感じた。
こちらが、言葉を理解しないと分かったのか、口をつぐんで引きつった笑いを浮かべている。
そうこうしているうちに、痩せたもう一人が走っていった方角から、騎馬の足音が聞こえてきた。
馬?なのか? たぶん馬なのだろう。
俺が知っているサラブレッドより、少し小振りで毛深い生き物に人が乗っていた。
その馬に乗っている人間ははじめの二人が20歳代なら、こちらは40歳代に見える。
その40歳代の落ち着いた中年の上司?が、馬から降り、馬の手綱を小柄な男にあずけ、小柄な男からなにやら話を聞いている。これまでの事情でも聞いているのだろうか?
そして中年の男が、馬の上に置いていた袋から板のようなものを取り出し、こちらに掲げてみせた。
そこには、絵が書いており、武器(剣)に手のひらが重なるように書かれていた。
他にも別の種類が書かれた絵の書かれた板を取り出して、掲げて見せる。
その絵を俺に見せながら、身振り手振りで何かを語りかけようとしている。
俺に対して色々と訴えかけているのだろう。
この中年男が訴えかけたいことを俺なりに解釈すると・・・
『私たちは敵ではない』
『ここは、あなたが住んでた場所とは違う世界だ』
『私たちについてくれば、食べ物がある』
『私たちについてくれば、安全だ』
『私たちはあなたに必要な知識を与えられる』
ということらしい。
さて、どうしようか?
俺自身、この状況に混乱していないわけではない。
巷で流行っている少年小説に書かれている異世界体験なのか?と思わないわけではないが、現実主義をむねとする軍人の端くれとしては、単純に「はい、そうですか」というわけにはいかない。
だからといって、自分の中にこの状況を打開できる妙案があるわけでもない。
まずは警戒しつつ、この男たちの組織を観察し、この周囲の状況を把握すべきかもしれない。
とにかく、現状把握が最優先事項だ。
俺は身振り手振りで『あなたたちについていく』と伝えた。どうやら伝わったようだ。
俺たちは移動することになった。小柄な男を先頭に俺がそのあとを続き、後に馬に乗った中年男が続いた。
どうやら、ここから白い大木の向こう側に連れて行くつもりらしい。
俺の体感時間で5分ぐらい歩いたところにその建物があった。学校?なのか?そう思える建物がそこにはあった。
建物の入口には大きな門があり、建物はさほど高くない壁で囲まれていた。
レンガで作られたその建物は、俺が知る古い学校によく似ていた。
先ほど上司を呼びにいった二人組の片割れが門の内側で待っており、そいつに中年の上司は馬を預けた。
俺はそのまま、中年上司と小柄な男ふたりに連れられて、その建物の中に入っていく。
なぜか、緊張感がなかった。
建物の中は、やはり日本の学校施設に似ていた。
木の板でできた廊下が続いており、壁はコンクリートに近い硬い材質で作られていた。
窓は半透明なガラスのようなものがはめられていた。
真っ直ぐな廊下を連れられ歩いた先にあったのは、重厚な扉だった。
扉には横書きの名札らしいものが掛けてあったが、全く読めない文字だった。
中年上司の男がノックをし、「×××、×××、XXX、XXX」と部屋の中に声をかけた。
部屋の中から、「XXX、XXX」と高く若い声の短い返事があり、中年上司はその重厚な扉を開けた。
促されて入った扉の向こうの部屋は、その扉と同じく重厚な調度品が置かれた室内だった。
手前に広いテーブルといくつかの椅子が置かれ、その向こう側に重厚な机が置かれていた。
その重厚な机を使っていたのは、女性だった。美しい黒髪の女性だった。瞳も漆黒の色をしていたが、その顔の堀の深さから、東洋人とは全く別の人種なのは明らかだった。
そして、その重厚な机に似つかわしくない若さだった。
俺より年下?20代前半か?
重厚な調度品に囲まれたその若い女性にも違和感を覚えた。
だが、真っ先に俺が驚きを覚えたのは、彼女ではなかった。
衝撃と言ってよかったかもしれない。
その黒髪の女性の後ろに壁にかかっている額縁に真っ先に目に入ったからだ。
『一期一会』
縦書きで書かれていた。漢字で。そう漢字だった。
―――いちご、いちえ――― 俺は、とっさにそうつぶやいた。
「・・・これが読めるですか?」
日本語だった。若い女性は日本語をしゃべった。
さほど、うまいともいえない日本語だった。
たとえるなら、ある程度の期間日本に暮らしているような外国人ぐらいの習達度の日本語。
「はい、日本人ですから。それより、あなたも話せるんですね、日本語!!」
つい、声が大きくなってしまった。驚きのせいか、自分の日本語もおかしかった。
「ええ、私はあるひとより、このコトバをおしえてもらいましたから。ちかいうちは使っていませんが。それと、このコトバを使えるのはこのセカイで少し・・・5人ぐらい?しかいません」
やっぱり、うまいとは言えない日本語、だがそれでも日本語だ。
この女性が教わったというのは、やはり日本人だろうか?日本人だろう!日本人しかいない!
前のめりになる自分を抑えきれなかった。
少しの時間だったが、知らない土地、分からない言語にさらされて、心細くなっていたのだろう。
「えーーーっと、わたしの名まえは、ガラミアーム・ズード・ビンデン、です。この学校で、、、いちばんえらいです。ビンテンと呼んでくさい」
つまりが、この場所はやはり学校で、彼女はこの学校の校長ということか。ビンデンは苗字か?名前か?
「そちらのひとは、ジリ・ダンスト、と、ガンデム・ビアン、です」
女性校長もとい、ビンデンは手で指し示して、ここまで俺を案内してきた男たちを紹介した。
中年上司が、ジリ・ダンスト。小柄な男が、ガンデム・ビアン、か。
「わかっていると思いますが、ここはニホンではありません。チキュウでもありません。あなたがいた世界とはべつの世界です」
彼女の説明を要約すると・・・
この世界は俺がいた地球とは別の世界で、ときどき(2、3年に一度くらい)この世界とは別の世界から
『落ちてくる』人たちがいるそうだ。
落ちてくる場所は、先ほど俺が見た白いクスノキの群生する場所らしい。ほかの場所では落ち人の確認はされていないらしい。
落ちてくる人々のすべてが、言葉もできず、この世界の常識に無知らしい。まあ、別の世界から落ちてきたのだから当然か。
これが一番驚いたのだが、落ちてきた人々のすべてが若く、なおかつ不老らしい。
ビンデン自身、ここに落ちてくる前の年齢は100歳近い死期が近づいた高齢者だったが、20歳代前半に若返り、落ちてから約150年たつのに、まったく老いを重ねないらしい。
信じられない話だが、俺自身微妙に若くなっているような・・・、とにかく不老に関しては鵜呑みにしないほうがいいかもしれない。
俺みたいな「落ち人」(この世界ではこのように言うらしい)は不老だが、『不死』ではないらしい。
自殺でも他殺でも、外傷を加えられれば死ぬらしい。
こちらの人々にくらべて、外傷に対しても強いらしいが、それでも限界を超えた外傷を加えれば死ぬとのことだ。
つまり、落ち人の中に死んだ人がいるんだな。
落ち人が現れはじめたのは、約300年前とのこと。
そのはじめの落ち人が日本語を話す日本人とのことだ。ちなみにその人のは存命だそうだ。
この学校から南へ歩いて7日ほどかかる距離にある副都アスファの郊外に住んでいるらしい。
ぜひ、その日本人に会わなければならない。
俺はビンデン校長にその日本人に会いたいと言ったが、それはダメだと拒絶された。
まずは、この国の言葉と常識を学び、この世界になれなければならない、と。
そして、一定の基準に達したら、護衛をつけてその日本人に会わせてあげる、と。
ちなみに、この学校は何のための学校かというと、地方首長などの有力者の子弟が集い学ぶ場所らしい。




