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黒と白、分けられない者。善と悪の共存ー聖女の母と副団長の父に愛された子供たち、そして“魔王の生まれ変わり”が目覚めるまでの物語ー  作者: ココアバナナ
第二章 笑っているのに

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第十七話「うちの子がいい子すぎて魔物が逃げ出したんだが、理由が全然よくない」


王都の空に、異変が起きたのは、昼下がりのことだった。


 書類仕事をどうにか片付け、ようやく一息つけると思った矢先、訓練場の騎士たちがざわつき始めたのだ。


 最初は、ただの違和感だった。


 誰かが空を見上げ、別の誰かが足を止める。


 そうして、ざわめきはじわじわと広がっていった。


 嫌な予感がして、俺も視線を上げる。


「……多いな」


 思わず、そう呟いていた。


 空を埋めるようにして旋回しているのは、黒い影の群れだった。


 一つや二つではない。


 十、二十──いや、それ以上。


 昼間の青空に、あれほど不吉な色が浮かぶ光景はそうあるものじゃない。


「飛行型の群れか……」


 隣に並んだレオンが、険しい顔で目を細める。


「あれは──」


「ナイトレイヴンだな」


 言いながら、俺も眉を寄せた。


 夜を好む中型飛行魔物。群れで動くことはあるが、本来なら昼間から堂々と王都上空を旋回するような連中じゃない。


 まして、あの数だ。


「昼間からかよ……」


「普通じゃないな」


 短いやり取りの間にも、街の空気は目に見えて変わっていく。


 訓練場の外では、すでに悲鳴に近い声が上がり始めていた。


 空を見上げて立ち尽くしていた商人たちが、ようやく我に返ったように店じまいを始める。子供を抱き上げて走る母親。年寄りを支えて路地へと急ぐ若者。王都全体が、じわじわと不安に飲まれていくのが分かった。


 ──まずいな。


 群れの規模もそうだが、それ以上に厄介なのは、あいつらが何を目的に集まっているのかが見えないことだ。


 飢えているのか、何かに追われているのか、それとも──もっと別の理由か。


「騎士団、展開急げ!」


 レオンの声が飛ぶ。


「了解!」


 団員たちが一斉に散開した。


 やはり頼りになる。書類さえ絡まなければ、あいつは本当に優秀だ。


 俺も腰の剣に手をかける。


 柄の感触が、妙に冷たく感じた。


「ルシアン!」


「上から叩くぞ!」


「了解」


 訓練場の外縁へと踏み出す。


 このまま王都の中心部へ降りられたら厄介だ。被害が出る前に散らす必要がある。


 その時だった。


「ママー、あれなにー?」


 場違いなほど呑気な声が、背後から飛んできた。


 思わず、動きが止まる。


「……は?」


 振り返った先にいたのは──


 ミレイユと、子供たちだった。


 買い物帰りなのだろう。ミレイユは軽装のローブ姿で、片手には紙袋。メリアは相変わらず目を輝かせ、フレイは空を見上げて少し不安そうに眉を寄せている。そしてトールは、ミレイユの足元で俺たちより先に空を見つめていたようだ。


「なんでいる」


「買い物帰りよ」


 ミレイユはさらりと言った。


 さらりと言うな。


 最悪のタイミングにもほどがある。


「避難──」


 言いかけて、言葉が止まる。


「わー! とんでるー!」


 メリアがぱあっと顔を輝かせた。


「……いっぱい……」


 フレイはフレイで、空の群れをじっと見上げたまま、小さく呟く。その声音には、ただ驚いているだけじゃないものが混じっていた。


 そして──


 トールは、何も言わなかった。


 じっと、空を見ている。


 笑っていない。


 そこに一番、ぞくりとした。


 いつもなら、飛んでるものを見れば「あー!」だの「とりー!」だのと無邪気にはしゃぐはずだ。なのに今のトールは、まるで何かを見定めるように、じっと群れを見ていた。


「トール?」


 ミレイユも、それに気づいたのだろう。小さく名前を呼ぶ。


 その瞬間だった。


 ばさっ──!!


 群れの中の一体が、鋭く急降下してきた。


 黒い翼が昼の光を遮り、地面に不吉な影を落とす。


「来るぞ!」


 レオンが前に出る。


 俺も反射的に踏み込んだ。


 だが、その一瞬前に。


「……や」


 小さな声がした。


 トールだった。


「トール!?」


 制止する間もない。


 トールは一歩、前へ出る。


 ほんの一歩だ。


 だが、その仕草はあまりにも迷いがなかった。


「やぁ……!」


 首をぶんぶんと横に振る。


 小さな手が、空へ向かって伸びた。


 ──その瞬間。


 空気が、わずかに歪んだ。


 目に見えたわけじゃない。


 だが、確かに“何か”が広がったのを感じた。


 騎士として戦場を潜ってきた勘が、それを見逃さない。


 ばさばさばさばさっ!!!


 ナイトレイヴンの群れが、一斉に乱れた。


「……っ!?」


 レオンが目を見開く。


 俺も、息を呑んだ。


 旋回していた群れが、明らかにおかしな動きを見せる。


 統率を失ったんじゃない。


 混乱したんでもない。


 ──逃げたのだ。


 一体もこちらへ向かってこない。


 むしろ、王都から遠ざかるように、高度を乱して散っていく。


 あのナイトレイヴンたちが。


 臆病とは程遠い、あの群れが。


 まるで“何か恐ろしいもの”から逃げるみたいに。


「……おい、ルシアン」


 レオンの声が低い。


「なんだ」


「今の、見たか」


「ああ」


 見間違いじゃない。


 俺も、レオンも、ミレイユも、フレイも。


 きっと全員、同じものを見た。


 あるいは、見えてしまった。


「ぱぱー!」


 トールが、くるりと振り向く。


 そこにいたのは、いつもの息子だった。


 無邪気で、愛嬌たっぷりで、何も知らないような笑顔。


「ばーばい!」


 嬉しそうに、小さな手を振っている。


 ──まるで、自分が何をしたのか、ちゃんと分かっているみたいに。


「……そうか」


 俺はゆっくりしゃがみ込み、トールの頭を撫でた。


「えらいな」


 口から出たのは、そんな言葉だった。


 父親としては、そう言うしかなかった。


 目の前の息子は、ただ“イヤだ”と言っただけだ。襲ってくるものを追い払っただけ。子供なりに、家族を守ろうとしたのかもしれない。


 だが、分かってしまう。


 今のは、普通じゃない。


「すごーい!」


 メリアが跳ねる。


「トール、つよい!」


 無邪気な賞賛。


 それは、この場にいる誰よりも正直な反応だった。


「……すごい、けど」


 フレイが小さく呟く。


 その先を言わなかったが、言葉の続きを俺は勝手に補ってしまった。


 すごい、けど──怖い。


 ミレイユは、何も言わない。


 ただトールを見ていた。


 その目が、ほんの少しだけ揺れている。


 母親としての愛情と、治癒魔術師としての勘と、そのどちらもが今、せめぎ合っているのだろう。


「……おい」


 レオンがぼそりと呟いた。


「今の、魔法か?」


「違うな」


 即答した。


「あんな魔法はない」


 少なくとも、俺は知らない。


 ミレイユでも、アイリーンでも、あれを“魔法”とは呼ばないだろう。


 空は、もう静かだった。


 つい先ほどまでの不吉な旋回も、羽音も、嘘みたいに消えている。


 街のざわめきだけが、遅れて戻ってきた。


 何が起きたのか理解できず、空を見上げる者たち。安堵にへたり込む者。騎士団の団員たちも、構えた武器を下ろしきれずに戸惑っている。


「パパー!」

「ママー!」


 子供たちが騒ぐ。


 トールが笑う。


 いつも通りの、うちの家族の光景。


 ──のはずなのに。


 俺はもう一度、空を見上げた。


 あの群れは、確かに逃げていた。


 こちらを恐れたのではない。


 俺やレオンの剣を恐れたのでもない。


 答えは、俺の足元にいる。


 トールを抱き上げる。


 軽い。


 いつもと同じ体温。いつもと同じ柔らかさ。小さな手が俺の服を握る力まで、何も変わらない。


 それなのに──


 背筋に残るものだけが、どうしても消えなかった。


「ぱぱ、ちゅきー!」


 にこにこと笑う。


 俺の頬に、むにっと小さな手を押しつけてくる。


 ああ。


 こんなにも可愛い。


 こんなにも愛しい。


 だからこそ、まずい。


 この子はきっと、“いいことをした”と思っている。


 家族に近づく怖いものを、自分が追い払ったのだと。


 褒められることだと。


 守れたのだと。


 ──それが、一番まずい。


 もしこの感覚を覚えてしまったら。


 もし“追い払う”ことがこの子の中で正しい行為として根づいていったら。


 次に逃げるのは、魔物だけで済むのか?


「……」


 喉の奥が、ひどく重かった。


 言葉にならないまま、ただトールを抱く腕に力がこもる。


 腕の中の息子は、無邪気に笑っている。


 空は晴れている。


 王都は守られた。


 なのに──


 胸の中には、勝利とも安堵とも違う、ひどく嫌な感覚だけが残っていた。


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