第十二話「笑っているのに」
――子どもというのは、よく笑う生き物だ。
理由なんて、大したことじゃない。ちょっとした音。ちょっとした仕草。それだけで、ころころと楽しそうに笑う。
……トールも、そうだ。
「きゃはは!」
リビングに、甲高い笑い声が響く。
床の上を、よちよち歩きで移動しながら――トールは、楽しそうに笑っていた。
その後ろを、メリアが追いかける。
「まってよトールー!」
「ねぇね!」
逃げる。笑う。転びそうになって、また笑う。
……どこにでもある、日常の光景だ。
「平和ねぇ」
ソファに腰掛けたミレイユが、ぽつりと呟く。
「そうだな」
短く答えながら、視線は自然とトールへ向く。
――笑っている。
いつも通りに。
何も変わらない。
(……本当に、そうか?)
違和感は、些細なものだった。
ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ。
――音が消えた。
「……?」
今、確かに。
メリアの足音も。トールの笑い声も。すべてが、一瞬だけ“途切れた”。
だが――
「きゃはは!」
次の瞬間には、何事もなかったかのように戻っている。
「……気のせいか?」
思わず、呟く。
「どうかしたの?」
ミレイユがこちらを見る。
「いや……」
言葉を濁す。
説明しようにも、あまりにも曖昧すぎる。
その時だった。
「……あれ?」
フレイの声。
「どうした?」
フレイは、じっと一点を見つめている。
――トールの影だ。
「影が……遅れてる」
「……は?」
視線を落とす。
トールが、手を叩く。
影が。
ほんの一拍遅れて動いた。
「……」
言葉が、出なかった。
ありえない。
光源は一定。遮るものもない。
影が遅れる理由なんて――存在しない。
だが。
もう一度。
トールが笑う。
「きゃは!」
影が、遅れる。
今度は、はっきりと分かった。
「……トール?」
名前を呼ぶ。
振り返る。
にこり、と笑う。
――影だけが、笑っていなかった。
「――ッ」
心臓が、跳ねる。
だが次の瞬間には。
影も、元通りになっていた。
「……今の」
ミレイユの声が、低くなる。
「ああ」
短く、頷く。
もう、“気のせい”では済まない。
「この子……」
ミレイユが、静かに呟く。
「やっぱり――」
その言葉の続きを、俺は聞かなかった。
いや。
聞きたくなかった。
「きゃはは!」
トールは、変わらず笑っている。
無邪気に。何も知らないまま。
――なのに。
その笑顔が。
ほんの少しだけ、“遠く”感じた。
(……守れるのか、俺は)
答えは、まだ出ない。




