蕾
最終話です。
「母さん。これでお別れです。親不孝の咎はそちらへ参った時じっくりとお聞きします」
小さな墓石の周りは、きれいな砂の地面が広がっているが、じきにここは雑草だらけになるのだろうか。
「私の代わりに、タオとユイにそれとなく手入れを頼んでおきますから、期待せず待っていてください」
風が突然顔に当たった。母が怒ったのだろうか。それとも笑ったのか。それを確かめるすべはもはや存在しない以上、考えるだけむなしいことだ。
「では母さん。次会うときは黄泉の国で」
母はこの地域の人が眠る墓地にいる。そこにはレナンも眠っている。そして私はこの国を去る。
あの時城が落ちていたら、この墓場は荒らされ、母やレナンの安眠も妨げられていたのだろうか。
墓地を出ようと歩き出すと、来た時も見た黒光りの不思議な墓石に目が向いた。
どうやら昔の貴族の墓らしいが、あまりにも異様な輝きを放っている。
それは比喩ではなく、石がよく研磨されているおかげか、私の顔が映る。
そこそこ自慢だった長い髪をバッサリと切り、すっきりした姿がよく見える。
髪を切ったのに対した理由はない。ただこびりついた自分か誰かの血が落ちなかったから思い切って切っただけだ。
あとまあ、長旅をするなら長いのは鬱陶しいとも思った。
私とアルバがこの国を出ることはもう確定事項だ。
アルバはずっと、自分が逃亡したらモルト他部下たちがどうなるか案じていたが、それについては心配ないと私が言っておいた。
「白薔薇王が男だったと国中に流布するだけでいいんです。そうすれば王はあなたが自分の秘密が明るみに出て殺されるのを恐れて逃亡したと考えるでしょう。で、そうなると王はことを大事にするのを避けるはずです」
そこまで説明して、アルバは難しい顔をして頭を捻っていた。
「つまりですね。王は自己陶酔者じゃないですか? それもかなり自尊心の強い」
「ま、まあそうだな。それにしてもよく知ってるな」
「私もしばらく都にいたので、王のことは見聞してるんですよ。でですよ。自分のものにしようとしていた白薔薇王が男だったなんて、超がつく女好きの王からしたら記憶ごと葬り去りたいと考えるはずなんですよ。もしあなたの部下に手を出して、王は白薔薇王の正体を見抜けず騙されていた腹いせにその従者を皆殺しにした。なんて知れたら恥以外の何物でもないわけですよ。あの王は強欲であり汚名を恐れる人でしょう」
「だから波風立てずうわさが消えるのを待つはずだということか」
「ええ。まあアルバの命は秘密裏に狙われると思いますけど。理由が何であれ亡命など死罪でもしかたありませんし」
そういった時、彼は苦笑いしながらため息をついていたが、あれはどういう感情だったのだろう。
墓地から城まではそれなりの距離がある。
城の外で農作業に従事する人の中には、子供の姿もあった。
子供といえば、私がこの城を去るといった時、みんなが泣いてくれたのは、申し訳ないが教師冥利に尽きる幸せがあった。
とくにルシュが鼻水を垂らしながら私の体を何度も叩き抱き着いてきたのは、しばらく忘れられないだろう。
先生は残念がっていたが、そもそも私は一度この城を去った身なので、改めて引き留められることはなかった。
私は、特に理由はないが後任としてギンを推薦しておいた。
ギンも私やレナンとともに先生のもとで学んだ身だ。子供たちに最低限のこと教えるくらい分けないはずだ。
ギンといえば、彼にはあの夜、演奏の後この城を去ることを伝えると、あっけにとられたような顔をしながら、「お前そういうところ大胆だよな。ていうか結局俺ひとりになるのかよ」と残念そうに言った後、「まあ。ならあの白薔薇王によろしくな」と意味深に笑いながら言った。
城門をくぐると、本当にこの城を跡にするのだなと、実感が沸き上がってくる。
生まれ育った地を離れるということは、胸が締め付けられるようになるらしい。
一度都に行ったときは感傷なんて沸き上がらなかったが、二度と帰ってくることはないと思うと、やはり悲しみが込み上げてくる。
我が家にあった資産は、その大半をこの城と学校に差し出し、アルバとの道中の費用だけを換金して受け取り、残りはタオとユイへ退職金替わりに譲渡した。
慌てて物を売ったので、家の中は寂しさが漂う。
母の寝室にあった不気味な呪いの数々が思いのほか高く売れたのは僥倖だった。
閑散とした家の中で、旅の支度をしていると、もはや私だけになったこの家に、客人が現れた。
「どうしたんですか。ふたりとも」
私はてっきりアルバが様子でも見に来たのかと思った。
だが彼は待ち合わせの場所で待っているはずだし、足音がするのはおかしいとも思ったのだ。
タオとユイはふたりとも背中に大きな風呂敷を背負い、顔を見合わせてから、ユイが口を開いた。
「なにって。セシル様達と行くんですよ私たちも」
「⋯⋯どこに?」
「セシル様のいくところです」
「もうふたりとも雇われではないのですよ。ていうかタオも?」
タオは黙って頷いた。ユイがこう言うのはなんとなく理解できるが、まさかタオがついて来ようとするのは、この城が大軍に囲まれた時よりも驚いたかもしれない。
「私は一応、ふたりに母の墓のことお願いしたんですけどね」
「でももう私もタオもセシル様に雇われているわけではないので、好きにさせてもらいます。奥様にもセシル様を任されていますし」
「いや⋯⋯それ雇われ時代の頼みだよね? それだったら墓を⋯⋯」
正直、二人が来てくれるのは心強い。特にタオは。
しかし、せっかく暮らしていけるだけのお金を渡したのだから、二人には生まれ育ったこの場所で平穏に暮らしてほしいと思うのだ。
「いやです。私はもう決めましたから。どうしても拒まれるならあきらめますけど」
珍しいユイの主張の強さに気圧されながら、タオに目を向ける。
「タオはどうしてこようと思ったのですか」
「⋯⋯⋯⋯なんとなく、主と離れるのは何か違うなと」
思いのほか早く口を開いたかと思えば、可愛げ満載なことを口にする。
風呂敷を締め、持ち上げて二人の顔をよく見た。
小さいころから知っているふたりがこう言うのだ。受け入れてやるべきなのだろうか。
「わかりました。途中で帰りたくなっても知りませんよ」
私が了承の意を伝えると、ユイは顔を晴れ晴れとさせ、タオは相変わらず仏頂面でいた。
家に別れを告げ、北の城門へ向かう。
大した理由はないようだが、アルバはとにかく北に行きたいらしい。
まあ、この地のすぐ北は国境なので、国を早く出たいなら北に行くのが正解だろう。
ふたりを引き連れて城門へ向かうと、城門の横でアルバとモルトが待っていた。
まるで出会った時のように、アルバは華憐に、荘厳でいた。
あの時は本当に女性だと思った。こんな美人がこの世に存在したのかと思った。
そして今はこんなに華憐で見目麗しい男がこの世に存在するのかと思っている。
「おまたせしましたふたりとも」
実はモルトがついてくるとは一切聞かされていない。だが彼も、アルバをひとりにはできないだろうとは思っていた。
「ああ。そっちもお供ができたみたいだな」
壁にもたれかかっていたアルバは前に出て私の後ろに目を向けた。
「はい。ついてきたいというので」
「にぎやかな旅になりそうだ。じゃあ行くか」
「ええ」
アルバの後ろをついていこうとすると、荷車を引いたモルトが私の行く手を遮った。
「セシル様はこちらへどうぞ。まだ傷が癒えたばかりですので長旅はお辛いかと」
相も変わらずにこにことしながら、荷車を手で示す。
やはり、モルトとタオは似ている気がする。性格は正反対だが。
「しかし、荷物を置くのに使ったほうが⋯⋯」
私が断ろうとすると、モルトは降格を大きく上げて顔を近づけてきた。
「これはアルバ様のお心遣いなのですよ。愛するセシル様のおからだを案じてらっしゃるのです」
「は、はあ⋯⋯」
モルトの後ろにいるアルバは、立ち止まったまま行く手を眺めているが、かすかに手に力が入ったように見える。
「ですから。アルバ様のお心は受け取ってあげてほしいのです」
「わ、わかりました」
いわれるままに荷車に乗り、荷物を隣におくと窮屈になった。
「ではまいりましょう。さあ元気よく」
モルトの溌溂とした人声が響き門をくぐった。
これでもう、この門をくぐることはないのだ。
振り返れば、聳え立つ石壁が外敵を侵入させまいと存在している。
私を守っていた城から離れたのだ。これからは自分の足で歩いていかなければならない。
アルバとともに。
——さようなら、我が故郷。
「そういえば」
しばらく荷車の上で進み、もう振り返っても城は見えない。
平原を進んでいるが、もう少ししたらたしか山があるはずだ。
山に入ると話す余裕もなくなると思ったのでずっと考えていた疑問をアルバに尋ねてみることにした。
「どうかしたのか?」
都合よくアルバが反応した。彼は前を歩いていたが、速度を落として私の隣に並んだ。
「いえ⋯⋯少し前から思っていたのですが、顔はともかく声が中性的になったのってかなりの奇跡ですよね」
「あー、そのことか」
「すみません唐突に」
アルバは腕を組みながら、難しい顔をして頭を捻った。
何か歯に物が詰まっているように、もごもごしている。
「それはですね。アルバ様無いんですよ」
アルバに代わって、モルトが前を向いたまま言った。
アルバは余計にもごもごしながら、頬を薄紅色に染めた。
無くて頬を染めるもの。それも声に関するもの。いや、もっと本質的な何かだろうか。
「あ⋯⋯」
ユイが何かに気づき、口を手で押さえた。
そしてやはりユイの頬も紅潮した。
「ああ。そういうことですか。納得しました」
「まったく。なんでこんな羞恥を受けねばならないのだ」
腕を組んだまま、アルバは拗ねた風に言った。
なるほど、アルバがこの年まで男だと発覚しなかった要因はそれか。おそらくは幼少期に取られたのだろう。
「あはは。まあ、そのおかげで私はアルバに出会えたのかもしれませんね」
アルバは言葉は発さなかったが、微笑みながら頷いた。
私はこれから続くこの長い道のりをこの白薔薇王とともに生きるのだ。
本当に長い、どこに果てがあるのか定かではない道を。
私とアルバはきっと、今日この日を持って生まれ変わったのだ。
私はこれまでの生活を捨て、アルバは自分を覆っていた仮面を脱ぎ捨て。
新たな花を咲かせるべく、新しい蕾としてどこかへ向かって生きていくのだ。
私は、アルバという花がもう一度咲く姿を隣で見ていたい。
そのためにどこかへ行くのだ。
ていうか本当に、私たちはどこに向かうのだろうか。
とりあえず今のところ知るのは神のみだ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
いただいたリアクション、とても嬉しかったです。
彼らのその後のお話も考えていたりはするので、投稿できた時にはまたお付き合いいただけると幸いです。
本当に最後までありがとうございました。




