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エピローグ 赤き花の祝福

 当初の予定より少し後ろ倒しにされた王女リティーツィアの成人の儀は、それでも概ね恙なく成功した。


 裏側では、リーゼが眠る寝台の傍らで番人のように守っていたガイウスを発見したコルベラに、よもやひと晩中同室にいたのではないかと詰め寄られたり、結局酷使された祈力を回復しきれずに祈力石から無理やり祈力を補給する羽目になったり、リーゼの身柄を保護する場所にあえなくジオルクの侵入を許した大神殿に国王ライドルフが絶縁を言い渡しかけたりと、様々な出来事はあったが、リーゼの祝詞と祈力によって聖壇には無事に七色の祈術陣が浮かび上がり、リーゼの成人の儀の成功は立会人である最高祭司長らによって確かに承認された。


 そうして華々しく神事を終え、大神殿から王都に帰還したリーゼを待ち受けていたのは、歓声と拍手とたくさんの赤いオルゼの花だった。


 沿道どころか王城に続く道を埋め尽くす勢いで興奮した群衆が押し寄せていて、騎士団がなんとか馬車の通る道を空けようとしているようだったが、お祭り騒ぎの群衆の熱狂は留まるところを知らない。

 無視して強引に通り過ぎるわけにもいかず、リーゼは御者に命じて馬車を止めてステップを下ろさせた。


 リーゼが馬車を下りると、周囲をぐるりと取り囲むように騎士団が守っているにもかかわらず、人々が我先にと詰めかけていた。

 見れば誰もがその手に赤いオルゼの花を持っている。

 馬車に次々と花束が投げられ、赤い花びらが空を舞う様を、リーゼはどこかさっぱりとした気持ちで眺めた。


 ――母はどう思っていたか分からないけれど、リーゼは、真っ赤なオルゼもなんだか悪くないと思えた。


「王女殿下、城門までの道の整理が完了しました。馬車にお戻りください」


 人だかりの行き止まりに突き当たるたびに馬車を下り、人々の出迎えに笑顔で手を振ってみせて、ようやく城門が見えるところまで到達した。

 雑踏を押し留める騎士の間からやって来たガイウスに促され、頷いて馬車に戻りかけたリーゼは、騎士たちの隙間を縫うように我先にと差し出されるオルゼの花束の合間に、蕾が開ききっていない小さな一輪を見つけて、足を止めた。


 持っているのは、大人たちに揉みくちゃにされながらも小さな手を一生懸命に伸ばす、小柄な体格の少年だった。

 年のころは六、七歳くらいだろうか。褐色の髪と目の色はまったく違うが、気弱そうな少年の面影が幼いころのユスブレヒトによく似ていた。


「王女殿下、いけません、お下がりください――」

「……わたくしに、くださるの?」


 制止する騎士やガイウスに構わず、リーゼは少年に歩み寄った。

 少年は眼前に腰を屈めた王女に耳まで赤くして、こくこくと首を縦に振り、摘んでリボンを結んだだけの一輪の花を差し出してくる。


 格好を見る限り少年は富裕層の生まれというわけでもないようだった。

 日々の生活を送るのが精一杯の平民にとって、生活に必要のない嗜好品にこれだけの体裁を整えるのがどれほど大変なことか、髪を飾るリボン一本持てずに毎日無造作に髪を帽子に突っ込んだまま労働に駆り立てられていたリーゼはよく知っていた。


 少年から花を受け取って、代わりに自分の衣装にうんざりするほど付いているリボンをひとつ解いて、少年の手首に巻いてやる。

 縫い目を解けばタイくらいには使えるだろう。王女の下賜品だから売ればそれなりの金にもなる。そのうち衣装自体がほどかれて城下に出回ることになるだろうから、その先駆けと思えばいい。

 リーゼはにっこりと微笑んだ。


「お、王女様、あの、僕、こんな、」

「綺麗なお花のお礼よ。ありがとう。大切にするわ」


 最後に騎士のひとりに目配せして、今度こそ馬車に乗り込む。

 そのころには王城から援軍が到着していて、六頭立ての馬車が通れる程度に人の波も整理され、リーゼは沿道の人々に馬車の窓から手を振りながら城門に入っていった。


 王城に入っても、行き交う人々から「おめでとうございます」「お帰りなさいませ」と声をかけられ続け、そのたびにリーゼは優雅な微笑みで手を振り返さなければならなかった。

 炎上どころか煤も付かずに守られた春の宮に側近をぞろぞろ引き連れて戻ってきたときには、一生取れなくなってしまうのではないかと思うくらい、リーゼの頬は微笑みの形に凝り固まっていた。


 侍女以外は自室の前で解散させ、アッシュヴァルツ邸からの付き合いの面々ばかりの空間を作って、ようやく気を抜いて長椅子にだらしなく寝そべる。

 口煩いコルベラも今日ばかりは苦笑ひとつで目溢ししてくれた。


「お疲れ様でございました、王女殿下」

「本当よ……。まさか城下があれほど盛り上がっているだなんて知らなかったわ」


 出てくるときはあんなにこそこそしていたというのに、とんだ落差である。

 ほとんど徹夜のあと少し仮眠を取っただけで、祈力を激しく消耗した体に祈力石で無理やり祈力を補充して儀式祈術陣を発動させる神事をこなして、疲れきって帰ってきたところにあの熱烈な歓迎は、嬉しさや照れよりも気疲れのほうが勝ってしまう。

 リーゼは最後まで嫋やかな王女らしさを保った自分にこそ拍手したい気持ちだった。


「仕方がございませんわ。王城に放たれた炎が王女殿下によって聖樹に捧げられ、辺り一帯に聖樹の祝福を賜ったことは、既に王都中の皆が知るところなのですから」

「夜通し消火活動と避難誘導にかかって疲弊していた騎士団が祝福によって士気を回復し、避難者に紛れて城下に逃げおおせた闖入者を陛下直々の陣頭指揮の下であっという間に捕縛し尽くしてしまったのです。王女殿下の祝福の光が放火犯の頭上を避けるように降って、城下でも目撃証言がたくさん上がったそうですわ」

「焼けてしまった建物はどうしようもありませんけれど、王女殿下の祝福を浴びた植物は既に新たな芽を出し始めているとか、花を咲かせたとか」

「聖樹があれほど祝福の光に満ちるのも、王都が加護の光に包まれるのも、もう随分久しぶりですものね」


 侍女たちまで揃ってはしゃいでいる様子を呆れながらもなんとなく穏やかな気持ちで眺めていると、見かねたコルベラが手を叩いて「貴女たち、そろそろお喋りは切り上げて王女殿下のお召し替えの準備を」と窘めた。

 儀式用の重くて裾の引きずる衣装に埋もれるようにしているリーゼを慮ったのだろう。


「城下で民から受け取られたオルゼは、こちらに飾ってよろしいですか?」

「ええ、ありがとう」


 開きかけの真紅のオルゼの花が一輪、窓辺に揺れている。少年から貰ったあの花が花瓶に生けられていた。

 可憐な花に頬を緩め、リーゼは満足げに頷いた。


「それにしても、城内はともかく、城下までこれだけ盛り上がっているだなんて、祝賀式典の取り止めを進言したのはやっぱり失敗だったかしら」


 とっくに日が暮れた城下にいつもより多くの灯りが揺れている光景を見下ろして、ついため息混じりに零してしまう。

 コルベラがリーゼの髪をほどきながら答えた。


「火事による死者こそ出ませんでしたが、負傷者は残念ながら西宮から何人も出たようですから、同じご経験をなさった王女殿下が彼らにお心を寄せることは皆よく分かっているはずですよ。何よりあの国王陛下がかの者たちの断罪を優先されたのですから」

「王子も側妃も一応は王室の一員だから、裁くことができるのは陛下しかいないもの。尋問官に任せてユスのことを下手に口走られても困るのだし……国王の責務というよりは、尋問用祈術が使える今回の件に乗じて、お母様のときのことを糾弾したくて仕方がないのでしょう」


 昨日の昼餐会でリーゼの皿に毒を仕込んだ給仕は、ガイウスが手を回していたことで表向きには服毒自殺を図ったことになっているが、実は寸前で身柄を確保されて秘密裡に騎士団に引き渡されていた。

 尋問するたびに判で押したように「死なせてくれ」と繰り返すばかりになってしまう給仕を不審に思った担当者が、精神操作系の術式の痕跡がないか調べたところ、彼はジルヴィーナにかけられた隷属祈術によって意識を操られ、リーゼの料理に毒を盛ったあとに自害するよう命じられていたことが発覚したという。

 挙句、城下で捕縛された放火実行犯の頭領格があっさり『側妃から火付けを依頼された』と白状したこともあって、散々狡猾に立ち回っていたジルヴィーナに大手を振って嫌疑をかけられる千載一遇の機会を、ライドルフはよほど逃したくなかったのだろう。

 大神殿から移送されたジオルクとともにジルヴィーナを王族の罪人が囚われる夜の宮へ連行するように命じ、自らも王城に戻るなり尋問に向かっていった。


「……裁かれるべき者が、正しく裁かれるといいのだけれど」

「罪状はこれから明らかになるのですから、今は心配しても詮ないことですよ。何より王女殿下がこれ以上人前に出られては、いつお言葉遣いや立ち振る舞いが乱れるかとわたくしどもの心臓が持ちませんので、どうか今日はお部屋でゆっくりなさってくださいませ」


 まるでリーゼが癇癪を起こすかのような物言いに、リーゼは思わずコルベラを睨んだ。

 アッシュヴァルツ邸では散々コルベラに八つ当たりをしてきた自覚はあるが、王城に上がってからは感情的な振る舞いは慎んでいたはずだ。


「……だから、でございます。国王陛下直々にお体を休めるようにとのお言葉を頂いたことですし、今日くらいはお疲れの姫様がどのようなご様子でいらしても、わたくしどもの目だけは瞑ることができます。宮廷人の前ではそうは参りませんからね」


 コルベラは心外そうなリーゼに優しく微笑んだ。年嵩の侍女たちが一様に娘を見守る母親のような眼差しを向けてくるので、不機嫌から一転してリーゼは居心地の悪い照れくささに身じろぎする。

 王女らしさの綻んだリーゼの意地っ張りが顔を覗かせた。


「……私がどれだけ動揺していても、王女殿下と呼ぶのをやめなかったくせに」

「宮中にあって姫様とお呼びし続けることは姫様のためになりません」

「今日はいいの」

「特別でございます。近いうちに今度こそお呼びできなくなってしまいますからね」


 さあ姫様、と促されて、衣装部屋で緩めの普段着に着替えさせられる。

 リーゼはどんな顔をしていいか分からなくて、アッシュヴァルツ邸の離れで暮らし始めてすぐのころのようにむっつりしていた。

 コルベラが「姫様」と呼ぶので、他の侍女たちも時が巻き戻ったように「姫様」「姫様」と呼び始めた。


「今日はとてもご立派でございました。今日までよく努力なさいましたね。聖樹のお導きの下で、きっとユーリア様も姫様のご成人されたお姿を喜んでいらっしゃいますよ」

「……コルベラ」

「姫様、これから寝室にご移動なさいますか? それとも基盤祈術陣の間に行かれますか? ユスブレヒト様のお部屋に向かわれるのでしたら、ガイウスを呼びましょうか」


 すべてリーゼがこれまで感情を持て余したときに避難先にしてきた場所だった。

 就寝の準備以外に侍女を立ち入らせない寝室。他の誰も入ってこられない基盤祈術陣の間。ユスブレヒトの部屋は、コルベラよりも遥かにリーゼに甘いガイウスと誰の耳を憚ることもなく話ができる場所だ。

 コルベラの袖を掴んでもそのままにさせてくれる懐かしさに少しだけ甘えるつもりで、リーゼはこくんと首を小さく振った。


「ガイウスに……話が……」

「ずっとお話されたそうにしていらっしゃいましたね。既に呼びに行かせておりました」

「既に……って、ガイウスのほうが疲れているのよ。私は明日にでも部屋に来てもらうつもりで――」

「そのガイウスが姫様を案じていたのですよ。急ぎでないと言ってもガイウスは馳せ参じるでしょう。アッシュヴァルツ邸の西の離れにいらしたころのことをお忘れですか?」


 くすくすとコルベラが忍び笑いを零すのと、侍女のひとりがガイウスの訪れを知らせるのは同時だった。

 ぱたぱた駆けていくと、ガイウスはまだ儀礼用のマントと礼装の出で立ちで、隙のない美貌に疲労を感じさせないいつも通りの無表情を載せていた。深い紫水晶だけがリーゼを心配そうに見つめている。


 ――甘い、誘惑だった。少なくとも、リーゼにとっては。


「リーゼ。どうした?」

「……ユスの部屋に。付き合ってくれる?」

「分かった。手を」


 流れるようにリーゼの手を取って、ガイウスはリーゼを廊下に連れ出した。

 ユスブレヒトの部屋の鍵をガイウスに持たせるようになってからのお馴染みの手順で、リーゼはガイウスに手を取られたままユスブレヒトの寝室まで足を進めた。

 寝台には清潔なシーツがかけられていて、カーテンと絨毯はこの間洗いに出したばかりだという。

 部屋の主の不在を感じさせない、すぐにでも生活を再開できそうなほど整えられた部屋に、リーゼはとうとう顔を伏せた。


「リーゼ」

「……私の八つ当たりを受け止める用意がある、って前に言ったわね」

「ああ……」

「…………この部屋、もう、片づけてしまっていいわ」


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