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第四十一話 懺悔

 リーゼが目を丸くする。

 ガイウスはその顔を見ていられず、視線を逸らした。懺悔するように面を伏せる。


「炎の中に取り残されたリティーツィア姫を助け出すので精一杯で、赤の属性の過剰反応を中和する対処に遅れを取った。対処できていれば痕は残らなかったはずだが、祈力で作った炎を直に浴びた姫の火傷は、治癒の使い手に診せたときには皮膚の深い部分まで及んでいて、あとから治癒祈術をかけても完全には治らないと言われた」


 上級三等文官になってようやく離宮に上がることを父から許されたばかりで、アッシュヴァルツ領で騎士団に身を置いた経験はあるものの、上級文官が受ける有事の際の指揮官訓練はまだ受けていなかった。

 治癒祈術を少しでもかじっていれば、属性過剰に対する初動措置がどれほど重要か理解できたはずだが、当時のガイウスはとにかく優れた治癒の使い手の下に――ユーリアの下に連れていけば、この火傷は治るものだと信じ込んでいた。


 リーゼの視線を感じる。

 沈黙が耐えきれなかった。

 ガイウスはリーゼの唇が言葉を紡ぐ前に声を絞り出した。


「黙っていてすまなかった。コルベラには自分で話すと口止めをしていた。せっかく隣を許されたのにまた遠ざけられるのが恐ろしくて言い出せなかった。私が卑怯だった。……誹りはいくらでも聞く。おまえには、その権利がある」

「……どうして?」

「おまえに火傷の痕が残ったのは私のせいだ。私が判断を誤ったせいでおまえに消えない痕を負わせた。あのとき最も姫の近くにいた人間は私だった。私は少しでも姫から目を離すべきではなかった。せめて側にいれば姫を炎から庇うことくらいはできたはずだった」


 一息に悔恨を吐き出したガイウスを、リーゼは変わらずじっと見つめているようだった。

 さっきはあれだけ金色の瞳の焦点が自分に合うことを切望していたのに、今はその目が自分を映し出すのが、怖い。

 ガイウスはうつむいて身を固くしていた。


「……ばかね。貴方って、本当に、ほんっとうに仕方のない男だわ」


 ため息混じりに静かな声が落ちる。

 呆れられただろうか。見下げ果てられただろうか。――失望、されただろうか。


「顔を上げなさい」


 ぴしゃりと降ってきた声に、ガイウスははっと顔を上げた。

 リーゼはガイウスの心の奥底まで見透かすかのように、先の厳しい声音には似つかわしくない、穏やかな表情でガイウスを見つめていた。


「炎から庇うだなんて、それで貴方が怪我を負っていたらそれこそ私は助からなかったじゃない。六歳の子供がひとりで火の中を移動できたと思うの? 私はあの火事のときのことなんてもうほとんど覚えていないけれど、それでも、危険を顧みずに駆けつけて火に囲まれた庭園の奥から私を抱き上げて救い出してくれた人のことは、ちゃんと知っているわよ。お母様が『恐ろしい記憶は忘れてしまったほうがいいけれど、貴女が助けられたことは覚えていなさい』って、何度も教えてくれたもの」


 リーゼは片手を持ち上げて、「手」と短くガイウスを催促した。

 ガイウスがその手を取ると、金色がきらりと潤んだ。


「貴方のせいのわけないじゃない。むしろ貴方は、初めからもっと私に、恩着せがましくしていていいくらいだったわ。私のほうこそ、恩知らずだって、責められるべきだったわ。……命の恩人に、お礼も言わずに、ずっとずっと酷い態度だったわ」


 声に涙の気配が滲む。

 リーゼ、と名を呼べば、頼りなげな指がガイウスの手を握り込む。

 リーゼの眦からほろりとひと粒の雫が零れ落ちたのを見て、思わずガイウスはもう一方の手を伸ばして指先でリーゼの涙を拭った。


「……私、貴方にたくさん守られていたのね。気づくのが遅くなってごめんなさい。側近の献身に気づけずにいるなんて主失格だわ。――助けてくれてありがとう。貴方のおかげで、私は今こうして生きているわ。貴方のおかげよ。本当にありがとう」

「……リーゼ。だが、私は……火傷の痕のせいで、おまえはユスブレヒト殿下より瑕疵を持つと見做された」

「ユスが貴族の指先で生死すら左右される平民に落とされるよりは、ずっとよかったと思うわ」

「私はおまえの王族の姫としての名誉を貶め、一生消えない痕を負わせた元凶だ」

「焼け死ぬかもしれなかったことに比べたら、人前で見せるわけでもない場所に火傷の痕があることくらい、なんてことはないのよ。くだらないことをあげつらう輩の相手をするのが煩わしいから見せないようにしているだけ。悪いのは竈でもない場所で火を焚いた非常識な人間のほうでしょう。火傷の痕程度で私は貶められたりしないし、私に火傷の痕が残ったのも貴方のせいじゃないわ」


 ――貴方のせいではないわ。貴方は娘を助けてくださったでしょう。だからそんなに自分を責めては駄目。


 まっすぐ告げる声が、記憶の中のそれと重なった。

 両膝をついて額を擦りつけていたガイウスの頭を優しく撫でる、いつかの細くしなやかな手の幻像が、それより少しだけ華奢な実体を持ってガイウスの両頬を包み込む。

 柔らかく撓む金色の眼差しが、ガイウスの負い目を、丸ごとどこかへ押しやろうとする。


「私が生きて離宮の火から逃れられたのも、今無事に成人を迎えているのも、貴方が守ってくれたからよ。火の中にひとりでいた私を、二度も助けてくれたからよ」


 貴方のおかげよ。

 何度も繰り返される言葉が、罪悪感に凍りついた心身に染み渡っていく。

 硬い氷を融かす陽だまりのような温かさが、じんわりと胸のうちに広がっていく。


 ガイウスの顔を見て、リーゼは困ったように微笑んだ。

「貴方、なんて顔をしているのよ」と眉を下げて、仕方なさそうにガイウスの手を引いて、ガイウスがじりじりと距離を詰めるのももどかしそうに腕を伸ばす。

 細い腕が首に巻きついてきて、ガイウスは慌てて前のめりに寝台に手をついた。


「リーゼ、」


 このまま体勢を崩せばリーゼを潰してしまう。

 どうすれば首にぶら下がっているリーゼに触れずに自分が下に入れ替われるかと硬直したガイウスに構わず、リーゼはガイウスの首に回した腕に力を込めた。


「ほら。ちゃんと生きているでしょう? 殴られたし蹴られたけれど、命を狙われていたことを考えたらほとんど無傷と大差ないわ。それとも貴方は、顔が血まみれで、体の骨が折れていて、息をしていない私と会いたかった?」


 ――息をしていない。

 心臓が冷たい手で撫でられたようだった。


 火傷を負ってぐったりとしていた小さな体。もし抱きかかえたあの体から生命の鼓動が失われていたら。

 もし今首にしがみついているこの華奢な体が、だらりと四肢を投げ出して冷えきっていたら。


 全身の産毛が逆立つほどぞっとして、ガイウスは体温を確かめるようにリーゼの背に手を回した。

 息遣いに耳を澄ませ、柔らかな温もりを腕で抱きしめる。

 布越しに感じるほのかな鼓動に、ようやく肩の力がほどけていく。


「……生きていてくれて、よかった」


 震えそうな喉から、声を搾り出した。

 リーゼはガイウスの腕の中でくすりと笑った。


「当たり前でしょう。貴方が私を守ると言ったのだもの。私の主席側近は私の前で自分の言葉を違えたことはないのよ」


 リーゼの前で口先だけの空虚な言葉を吐きたくなかったからだ。

 社交界を渡り歩く父から教え込まれた、異性を誑し込む術を、そう望まれてはいてもリーゼの前には絶対に持ち出さなかったのは、今となっては苦難ばかりが待つと分かっている立場にそれでもどうしてもリーゼを連れ戻したかった、ガイウスの贖罪のようなものだった。


 いつの間にかガイウスは寝台に乗り上げて、膝立ちになったリーゼを抱きしめていた。

 気づいて寝台から転げ落ちるような勢いでリーゼから距離を取ったガイウスに、リーゼが不服そうに唇を尖らせた。


「何よ。そんなに……汚いものでも触ったみたいに、離れていくことないじゃない」

「――違う。リーゼは汚くない。どんな姿でもリーゼは綺麗だ。むしろ……」


 光の化身のように眩く清らかで高貴なリーゼを、返り血と砂埃に汚れた自分などが、浅ましい欲望のままに触れていいはずがない。


 絶望にも似た罪悪感に再び襲われそうになっていたガイウスを、リーゼはくだらないとばかりに一蹴して、「なら近くに来なさいよ」とさらにむくれてみせた。

 ガイウスが逡巡するうちに焦れったそうに自分で寝台を下りようとして、呆気なく痛めた足を引きずって床に倒れ込むので、慌てて駆け寄って寝台に抱き上げる。


「私の祈力が戻ったら治癒祈術をかけるから、それまでは歩くのを我慢してくれ」

「……そういえば、貴方、また適合薬を飲んでくれたの?」


 ガイウスがリーゼの祈力を持っていることが不思議なのだろう。

 リーゼの手がマントを掴んで離さないので、せめて血汚れの付いていないところを掴ませるようにして、ガイウスは腰に差した剣を鞘ごと外した。


「この剣のおかげだ。敵に不覚を取って私の祈力が尽きかけたとき、この剣が現れて私に祈力を満たした。リーゼのおかげで私は窮地を脱することができた」

「……私だって、気づいていたの?」

「今この国で軍神の神器を顕現する力を持つ者がいるとするなら、それはおまえくらいのものだろう。大神殿で大仰な儀式祈術が行われた形跡もなかった」

「……貴方は近衛と違って職業騎士ではないし、元々持っていた剣も折ってしまったようだったから、武器になるものをって考えたら、そのとき手にあった双剣の片方が貴方のところに飛んでいったのよ。私には剣がふたつあっても重たいだけだったから」


 リーゼが少し気恥ずかしそうに言い訳しながら、そっと鞘に触れる。

 みるみるうちに剣が光に包まれて、あっという間に霧散した。剣に満ちていた祈力もほとんど尽きかけていたので、役目を終えたということだろう。


 ガイウスは懐から適合薬の小瓶を取り出して一気に煽った。

 かの軍神の神器は、片割れのひと振りといえども人間の元の祈力など簡単に塗り潰してしまうので、宝剣の影響下にあるうちは適合薬を飲んでも祈力の色が薄まらなかった。

 リーゼの祈力でも治癒祈術が使えないとは思わないが、リーゼの属性相性を考えれば治癒祈術に向いているともいえない。


 携帯している自分の祈力石から祈力を引き出して体内に巡らせ、ある程度自分の祈力の色が戻ったところで、リーゼの頬と腹に簡易的な治癒祈術をかける。

 それから慎重に「……脚を診てもいいか?」と問うと、夫でも婚約者でもないのに素肌を見せろと要求するガイウスの発言にというよりは、ガイウスの顔を見るなり苦笑して、リーゼは頷いた。


「靴下を脱いだわ。もうこっちを向いていいわよ」


 ガイウスが振り向いたとき、リーゼは右足だけ靴下も靴も脱いだ姿で寝台に座っていた。神官服の裾から白く細い足首が覗いている。

 リーゼが少しだけ裾を持ち上げた。

 赤く腫れ上がっている下腿が痛々しい。手早く丁寧に治癒の祈術を組み上げる。


 癒しを司る緑の属性の光が患部を包み込む様をじっと見つめていると、リーゼが少し身じろぎした。


「火傷の痕が気になる? とは言っても、今は本当にただの痣だけれど」


 そう続けて裾をさらに捲り上げようとするので、慌ててその手を掴む。

 八年前に火傷の痕は見ている。右の膝から腹部にかけての、特に火傷の症状が深かった部分だ。

 火傷の痕がどうというよりはそんな夫婦の間でしか異性に晒すべきでない肌を自分などが見てはいけないという危機感のまま、ガイウスは必死に首を振った。


「リーゼ、私は誓って女性に不埒な真似を働くつもりはないが、今おまえが部屋にふたりきりでいる相手は男だ。護身用の祈術も使えないのに男の前で不用意に肌を見せるな」

「……だって、貴方だもの。私は貴方以外に火傷の痕なんて見せないわよ」


 リーゼが目尻を赤く染めて睨んでくる。それでも裾を持つ手が下ろされたので、ほっとして治癒祈術を再開した。

 リーゼの脚は幸いにも骨には異常はなかったので、炎症を鎮めるだけでよかった。

 症状が軽かろうと重かろうと、ガイウスにとってはリーゼを傷つけた第一王子の脚の一本でも斬り落としてやりたい気持ちは変わらなかったが。


 治癒が終わってひと息つくと、服の裾がめくれ上がるのも構わず裸足をぶらぶら揺らしていたリーゼの体が、不意にぐらりと傾いだ。

 咄嗟にその肩を受け止めて、そのままシーツの上に横たえる。

 リーゼは目をしばたたいていた。


「疲労が出たんだろう。神器を作るほど祈力を酷使したうえに、あれだけ祈力を乱したあとだ。成人の儀までは半日もないが、祈力の器の消耗を回復させるためにも休めるだけ休んでおいたほうがいい」

「……春の宮の皆は、無事でいるわよね?」

「襲われた者がいるという連絡は来ていない。王城の収拾がつくまでは春の宮から出ないよう言ってある」

「王都の混乱は落ち着いたかしら。王城の火はちゃんと消えているといいけれど……」

「火はすべて消えたことが確認され、騎士団が既に内宮に仕掛けられた祈術陣の撤去を完了したそうだ」

「そう……なら、あとは……刺客の捕縛だけね……」

「王城の闖入者は頭領格が城下で早々に押さえられた。他の構成員が捕縛されるのも時間の問題だろう。追っ手もここに来るまでにほとんど無力化してきた。ここはもう安全だ。部屋の外も聖騎士がついている。リーゼ、そろそろ……」


 眠れ、と言うまでもなくリーゼの瞼がとろりと落ちていく。

 抗うようにリーゼはガイウスのマントに指をかけた。


「……私、まだ、話しておかないといけないこと……ユスの…………」


 言葉が途切れ、体力が尽きたらしいリーゼがすうすうと寝息を立て始めた。

 リーゼの手をそのままにしてガイウスは毛布を引き上げる。

 意識が落ちる直前まで生真面目にあれこれ懸念する、責任感の強い主に少しでも休息がもたらされるよう、ひそめた声で祝詞を唱えた。


「闇を司る夜の女神よ。夢見と眠りの女神よ。安息と安寧の女神よ。――彼女に今ひとときの、静穏なる夜の加護を」


 リーゼを祝福の光が包み込むのを見届けて、ガイウスは寝台に背を預けるように座り込んだ。

 マントを掴むリーゼの手をほどく気にはなれなかったので、リーゼにかからないように野営用の洗浄祈術で自分を丸洗いして、念のため周囲に感知用結界だけ張っておく。

 ガイウスも少しだけ休むつもりで、そのまま目を閉じた。


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