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第三十三話 計画

『汚いもの』『不快感をもたらすもの』の表現があります。特にお食事中、お食事の予定のある方は閲覧にご注意ください。

 また、今話の描写は、現実の異物の誤飲・中毒の際に取るべき対処法とは異なります。あくまで登場人物たちの生きる世界での常識に照らし合わせて是とされている行動です。あらかじめご了承ください。

 案内を買って出た城官に軽く頷いて、リーゼは目だけでガイウスを呼び寄せつつ、コルベラから替えのショールを受け取る。

 ジルヴィーナに貸したショールは昼餐会のあとどういう姿で返ってくるか分かったものではないだろう。


「リティーツィア王女殿下のご入室です」


 ジオルクが先に中に通されてゆき、一旦閉まった広間の扉が再び厳かに開いていく。

 中には既にそれぞれの家門に与えられた色の礼装をまとった諸侯が揃っていて、リーゼの姿を見るなり一斉に王族に対する礼を向けてきた。


 護国祈術陣への祈力補給という本当の目的を明かさないまま、リーゼが毎日決まった時間にライドルフの自室に招かれていることで、宮廷では早くも国王が成人の儀以降を見据えて王女を特別扱いし始めたと噂が立っていた。

 貴族社会の荒波を生き抜いてきた者たちの眼光鋭い視線を注がれ、リーゼは引き攣りそうになる表情を無理やり笑みの形に持ち上げて、洗練された所作で拝礼する諸侯をゆっくりと見回す。

 突き刺さる視線には気がつかない振りをして鷹揚に微笑みを深めてみせ、「皆、かけなさい」と告げて、自身も城官に案内された席に着く。

 このあとライドルフとジルヴィーナが入室する際に再び立ち上がらなければならないのだが、この意味のない立着席も、王侯貴族が風格を保つための宮廷儀礼のひとつである。


 やや時間が空いて国王と側妃が入室し、着席の儀礼が済むのを待って、昼餐の開始を告げる侍従が次々と料理の皿を運んでくる。

 リーゼの前にも美しく飾りつけられた料理が並べられたが、リーゼにとってこの催しは暢気に料理を楽しむものではない。

 自宮で食材の調達の時点から徹底的に毒の混入を警戒して作られる食事と違って、外宮の賓客用の広間で行われる昼餐会の料理はたくさんの人間の手を介して席まで運ばれる。

 いつどこで第一王子派の手が入るかわからない皿に安易に手を伸ばすことの危険性は、ここ最近のリーゼの周囲のきなくささからも身に染みて理解していた。


「……皆、我が娘リティーツィアの成人の儀のために、遠路はるばるよく参ってくれた。明日はきっとリティーツィアが、余のあとを継ぐ王女として、皆の前で立派な姿を見せてくれることだろう」


 各地を預かる惣領貴族たちから散々値踏みの視線を浴びながら、茶番と疑心と腹の探り合いに満ちた昼餐をなんとか乗りきって、リーゼはライドルフの最後の挨拶に続いて一礼した。

 諸侯からそれぞれ贈られた祝福に祝福を送り返せば、あとは退出して春の宮に戻るだけだ。


 ガイウスに手を預け、優雅な足取りで広間をあとにしたリーゼは、人の目がなくなるなりほとんどガイウスに抱えられるようにして春の宮へと連れ戻された。

 自室に戻ってくるなり待機していた侍女と典医に取り囲まれ、有無を言わさず用意されていた薬湯を喉に流し込まれる。

 胃液が逆流してくる不快感に、リーゼは近くの盥に向かって胃の中のものを吐き出した。


 諸侯の同席する場であからさまに毒を警戒するわけにはいかないので、出された食事にも王女の体面として申し訳程度に口をつけざるを得なかった。

 毒や異物が混入していないわけがない食物を早急に体外に排出できなければ、リーゼは明日の成人の儀どころではなくなってしまう。

 催吐薬を飲んで何度もえずいて、最終的にガイウスに喉に指を突っ込まれて、リーゼはやっとの思いで胃を空にした。


「リーゼ、大丈夫か」

「……これくらい、平気よ」


 つい先日も、春の宮の外で出されたリーゼの食事を毒見した侍女が、毒に当たって倒れたばかりだった。

 これでリーゼが王城に上がって三人目になる。いずれも実行犯は冬の宮付きの上級女官で、リーゼの食事に毒を仕込んですぐに自らも毒を飲んで命を絶った姿で見つかっている。

 毒に苦しむ侍女たちや変わり果てた姿の女官を思い出すだけでも、リーゼはジルヴィーナと相対して手を出さずにいる自分の忍耐力を褒めてやりたいくらいだった。


 高熱や腹痛や全身の発疹に襲われながら「王女殿下がご無事でよかった」とリーゼの無事を喜んでみせる忠義の侍女たちに、リーゼが主としてすべきことは自らが毒に屈することではない。

 苦くて酸っぱい口内をうがいで何度も洗い流し、口許を拭いながらもう一度「平気よ」と呟いて、リーゼは精一杯強がった。


「……貴方こそ」


 グラス三杯目の水を飲み干してようやく落ち着いて、リーゼはばつの悪い気持ちでガイウスを窺った。

 胃の内容物がせり上がってくる感覚に途中から催吐薬すら吐いてしまうようになったリーゼのために、この男は躊躇いなくリーゼの口に手を突っ込んで、リーゼの唾液や胃液や吐瀉物をその都度自分の手で被ったのである。

 いつも通り淡々とした彼にはそれを厭う気配はなかったが、人の手に吐瀉物を浴びせた経験などないリーゼは、申し訳なさでいっぱいだった。


「リーゼ? ……乱暴にして悪かった。私が怖いなら不用意に近づかないようにする」

「そうじゃないわ」


 明後日の方向に気を遣い始めるガイウスに慌てて断じて、勢いでガイウスの手を掴む。

 リーゼの喉に潜り込んできた、少し節榑立った、白くて長い綺麗な指。

 苦しさに思わず歯すら立ててしまったのに、ガイウスはリーゼを責める気配もない。

 リーゼの噛み跡はリーゼがうがいを繰り返している間に彼の治癒祈術で治されてしまったのだろう。


「……その、ごめんなさい。貴方にも汚らしいものを……」

「気にしなくていい。こちらこそ、苦しい思いをさせて悪かった。体調はどうだ? 痛いところや不快なところは」

「ないわ。大丈夫」


 本当は散々吐き戻して喘いだ喉がひりひりしていた。気づかれていないはずだったけれど、そうか、と言ったガイウスはそのままリーゼの喉に手を添え、指先から緑色の祈力の光を溢れさせた。

 喉がひんやりと癒されて、リーゼはさらにいたたまれなくなった。


「リーゼ。今のおまえの痛みや不快感は毒の影響によるものの可能性もある。隠すな」

「本当に、もう何ともないわ。肉料理のあとは舌が少し痺れているようだったけれど、肉料理は目の前で全員分が同じ皿から切り分けられたから、毒が入っていたわけではないと思うの。香辛料の中にシャウンツェの実がたくさん使われていたからそのせいだわ」

「おまえが苦手とする香辛料は外宮の厨房室にも共有されている。王族の食事はひとりひとり専任の料理人がついてそれらの確認を行ってから作られるものだ。シャウンツェがリーゼの皿に入ることは本来ありえない」

「これも嫌がらせの一環ということね」


 リーゼは納得しながら先の昼餐を思い返していた。

 料理そのものもリーゼの分にしては多く盛られていたし、香辛料に限らず苦手な食材がやけに紛れていた。

 魚料理なんて第一王子陣営に買収されたらしい給仕の侍従があからさまにリーゼの皿に何かを入れていたから、ライドルフや諸侯に気づかれないかとリーゼのほうが冷や汗を掻いたものだった。


「……あの給仕は尻尾を切られるかしら」

「既に人をつけている。側妃の手の者ならすぐに自害するよう命じられているはずだ。そこに接触してこちらに引き込む」


 手抜かりのないガイウスに「扱いは任せるわ」と頷いて居間に戻ると、コルベラが胃を整える効果のある薬茶を淹れて待っていた。

 清涼感のある風味で喉と胃を潤して、ため息をつく。苦い笑みを唇だけに載せる。


「ここ数日の第一王子派の手口には、本当に見境がなくなってきているわね。まさか陛下の御前で私の皿に毒を盛らせるなんて。――あの『計画』は、やはり決行するのよね?」

「それほど余裕をなくしていると考えれば、明日の成人の儀までに必ずまた何か仕掛けてくるはずだ。大神殿への移動の道中など格好の的だろう……ともすれば今夜中にも……」


 リーゼに向けられる攻撃のほとんどはリーゼが気づく前に片づけられるが、報告だけはきちんと上げるように命じている。

 最近は毒入りの食事や嫌がらせの贈り物に加え、明らかにリーゼの命を狙う刺客が増えていた。

 リーゼの周囲は否が応でも緊張感に満ち、夜間の春の宮には連日送り込まれてくる刺客を撃退するために、腕を伸ばせば隣に届くほどの間隔でぎっしりと近衛騎士が配置されていた。


 『計画』とは、激化するそれらの攻撃を躱すため、公表している予定より先んじてリーゼの身柄を移してしまおうというものである。


 王族の成人の儀は聖樹の麓、聳え立つ大神殿の聖壇の間で行われる。

 本来ならばリーゼも含めて王族は明日の昼前に王城を出発することになっているが、大神殿に行き着けなければ、リーゼは成人の儀に臨むことができない。リーゼの成人の儀を妨害するなら、大神殿に到着できないように襲撃するのが最も確実だ。


 襲撃されることが分かっているなら、わざわざ襲撃対象を分かりやすいところに置いておく道理はないだろう――というのが、アッシュヴァルツからもたらされた策謀であった。


 各地の諸侯の前に姿を現さなければならない昼餐会を終えたあと、王女リティーツィアは長年神殿で暮らしていた慣習を理由に、翌日の神事のための潔斎に入ることになっている。

 神事の前の潔斎は王家では長い歴史の中でとうに廃れた慣習だが、数百年ほど前の王族は夜明けとともに行われていた成人の儀の前夜に、酒肉を断って沐浴を済ませた清らかな体で一晩中祈りを捧げていたのだという。

 リーゼが出歩く際は常に筆頭側近たちとともに正副いずれかの帯同神官を同行させていることは、外宮に出入りする貴族なら誰もが知っていることだし、毎日朝晩きちんと礼拝室に通って祈りを捧げる日課を欠かさない信仰心の篤い王女であることは元から広まっている。

 埃の被ったしきたりも、リーゼが自宮に引きこもるための立派な理由になるのである。


 潔斎のために引きこもっていると見せかけて、リーゼは王城を脱し、一旦王都のアッシュヴァルツ邸に身を寄せることになる。

 翌朝に王女の成人の儀を取り仕切る王城側の責任者として大神殿に先行するアッシュヴァルツ一等爵とともにさっさと大神殿に入ってしまえば、王城を出立する隊列を襲われたとしても、成人の儀には何らの影響もないという筋書きである。


「ユスは大神殿で行方が分からなくなったのよね。私が先に大神殿入りしていることは隠されるとはいえ、大神殿が絶対に安全だと言いきれるの?」

「ユスブレヒト殿下のお姿を見失って以降、陛下は王家からはひとりも神事の祭祀を遣わされず、反対に外宮の列聖省や大神殿に対する国家予算を大幅に削って冷遇の態度を崩されない。神殿で暮らしていた経歴を持つ王女の成人の儀の成功は、王家と大神殿の融和のこれ以上ない契機となると、あちら側も分かっているはずだ」


 アッシュヴァルツから今回の計画を持ちかけた際には、神殿の戦力として最高位にある聖騎士を国中から掻き集めて厳戒態勢を整えると、大神殿側から言ってきたほどだという。

 近衛騎士の立ち入りの許可も得られたので、明日のアッシュヴァルツ一等爵の移動の際に、家門の騎士として護衛に忍ばせることになっている。


「おまえの身は必ず守る。安心していい」

「……私の身が守られても、ここに残る皆が危険に晒されるような事態は、嫌よ。今夜あるかもしれない襲撃は、本当に大丈夫なのよね?」

「八年前とは違う。この宮の基盤祈術陣にはユスブレヒト殿下が主でいらした代に結界の術式を書き加えている。リーゼが基盤祈術陣の管理者である以上、リーゼに敵意を持つものは、人も剣も炎もすべて、結界を通り抜けて宮の内側に害を為すことはできない」


 淀みない口調で言いきるガイウスの頼もしさに、リーゼはようやく頬を緩めた。


「……結界の術式を書いた張本人がそう言うんだから、間違いないわよね。貴方が画期的な結界祈術の発明で二等爵に叙せられた上級一等文官であることを、私はいつもつい忘れてしまうわ」


 リーゼの主席側近として常に忠誠と恭順を捧げるガイウスの姿を見続けていると、継承によらない叙爵によって自らの爵位を得た栄誉ある貴族であるという事実が、どうしてもリーゼの中で霞んでしまう。

 本当はガイウスは、リーゼに顎で使われずとも自ら人の上に立つに相応しい名実を備えた人間なのである。


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