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第三十話 異母兄の鬱屈

 羽音は案の定、今日も夏の宮の控えの間にうるさく響いていた。


「陛下の寵愛深き光の側妃殿下のご息女は随分と優雅な身分でいらっしゃるようだ。今は私が父上に目通りを願っているところだというのに、父上を惑わす卑しい女を母に持つと貴賤の序列も弁えられぬのか」


 夏の宮の家令に取り次ぎを求めて食い下がっていたところだったようで、家令がリーゼを先に奥に通そうとしたのが気に入らなかったらしい。

 敵意に満ちた水色が向けられるのにいい加減飽き飽きしながら、リーゼは一応スカートを持ち上げて丁寧に礼を取った。


「ご機嫌よう、ジオルク兄上。お言葉ですけれど、わたくしは国王陛下のお招きの通りに参じただけですわ。……兄上がお急ぎのようですから、先に兄上の件を陛下にお伝えくださる? わたくしは兄上のご用のあとで構わないから」


 もう何度目かの難癖に最低限の苦言を呈し、リーゼは夏の宮の家令に向かって言う。

 渋面を隠さない家令は、それでも一礼してリーゼを特等席に案内すると、近衛騎士を五人も新たに配置してから、リーゼとジオルクの来訪を伝えるために控えの間をあとにした。

 自分を優先しろという要望が通ったというのに、まだ気に入らないことがあるらしく、ジオルクは自分の側近たちと嘲笑混じりの陰口を繰り返していた。


 挨拶だけ返してその場を離れれば済む往来で絡まれるのと違って、今日はどちらかが入室を許可されるまではこの控えの間に留まらなければならない。

 リーゼやリーゼが連れている側近たちが何も言い返さないことをいいことに際限なく続く罵倒を、リーゼは努めて冷静を装って聞き流した。

 直前に釘を刺しておいたため、側近も表面的には冷静だった。


「陛下のみならず、陛下の寵臣にまで色目を使って、たかが愛妾の分際で国王の妃の一席まで賜るとは、かの女はいったいどれほど欲深な淫売だったのでしょう」

「そんな女から生まれた娘なら、恥知らずにも陛下に宮や宝石をねだる醜悪さも納得ですわね。謁見の場での振る舞いもなんて品のない……」

「父上はかの愛妾とその娘に騙されておられる。息子にしても、もう一年も王族の務めを果たせていない穀潰しが、父上のお優しさに甘えていつまでも王子の地位に固執するなど、厚顔にも程があるのではないか?」


 リーゼ、ユーリア、果ては療養中ということになっているユスブレヒトにまで言及するそれらに、ひたすら奥歯を噛みしめて耐える。

 リーゼが頭に血を上らせれば、リーゼを攻撃する新たな理由を見つけたジオルクらは嬉々として、王族としての教養を持たない粗暴な田舎育ちの娘だとリーゼの振る舞いをあげつらうだろう。

 王家に迎えられた高貴な姫としては、相手を口汚く罵ったり掴みかかってその頬を張ったりすることなど言語道断だ。


 同じくこぶしを小刻みに震わせている側近たちに同情的な気持ちになって、リーゼは手に持っていた扇子を軽く音を立てて閉じた。

 側近たちの意識を自分に引いて無理やり微笑みかける。

 不愉快な雑音を相手にするな。あれらを真に受けるということは彼らと同じ舞台に自ら下りていくことと同義だ。リーゼたちが彼らに与えるのは徹底的な無関心であり、己と同列にある者とすら見做さない拒絶であるべきだ。


 同時にリーゼの忍耐をも少しだけ長持ちさせたその効果が続くうちに、家令がライドルフの返答を持って戻ってきた。

 厳かに咳払いをしていわく。


「国王陛下はリティーツィア王女殿下のご来訪をお待ちでいらっしゃいます。ジオルク王子殿下とのお約束はございませんので、お引き取りいただきますよう」


 ……体面だけでもジオルクを優遇してくれればよかったのに、とリーゼはため息をついてしまいそうだった。

 国王ライドルフは多忙な身の上である。その多忙の合間を縫ってリーゼとの時間を確保しようとしていることは知っているので、予定外の来客の相手をしている時間はないことも分かる。

 ジオルクはそうは思わなかっただろうが。


「ご案内いたします。王女殿下、こちらへどうぞ」


 家令が慇懃にリーゼを促す。

 仕方なくガイウスの手に手を重ねて腰を上げたリーゼを、憎々しげな水色の視線が捉えていた。


「……いつも」


 低く唸るような呟きが聞こえた気がして、リーゼは足を止めた。

 視線を滑らせると、ジオルクの瞳にゆらりとリーゼが映り込んでいた。


「いつも、いつも……なぜ、おまえたちばかり、父上は――」


 父ライドルフと同じ形の凛々しい眉を憎々しげに引き絞り、両目を燃え盛る昏い激情にぎらつかせる。リーゼよりも遥かに体格のいい肩を怒りに強張らせ、きつく固めたこぶしを小刻みに震わせて、全身でリーゼを威嚇していた。

 ――リーゼはこの悲痛な感情をよく知っていた。

 リーゼがジオルクの母親に抱く感情と同じものを、皮肉なことにジオルクもまたリーゼに抱いているのだと、リーゼは知らしめられるようだった。


 三歳年上の異母兄。

 国王の第一子でありながら、弟妹の存在そのものによって王位継承を否定される王子。

 縁戚という確かな政治基盤を持たない弟王子にも、八年ぶりに王城に上がった療養明けの妹王女にすら立場を脅かされる、聖樹から資格を否定された王の子。


 哀れだと思う。生まれながらにして父王に顧みられることのなかった鬱屈は、それでも初めから本人に原因があったはずはないのだ。

 ジオルクの言い分はリーゼからすれば聞き捨てならないものだが、彼自身にとってはもっともなものなのだろう。


 リーゼは哀れな異母兄に自ら背を向けた。

 リーゼが彼と相容れることはないだろう。薄情なようだが、リーゼにとっても憎む女の息子である。同情はできなかった。


「ああ、リティーツィア。下で愚か者と行き当たったそうだね。あれはそなたを傷つけるようなことは言わなかったか? 可哀想に……」


 茶会室に入ってきて開口一番そう言ったライドルフに、一番の愚か者は誰だと言ってやりたいのを、リーゼは勧められたカップにそっと口をつけて呑み込んだ。

 以前に一度だけジオルクの扱いについてライドルフに進言したことがあったが、聞く耳を持たないどころか初めて不愉快そうに「そんな話は聞きたくない」と突っぱねられてしまったので、食ってかかるような真似は悪手だと分かっている。

 分かっていても、口を開けば罵倒してしまいそうだった。


 しばらく季節の茶葉と茶菓子を味わってから、ライドルフは周囲で見守る側近らに片手を上げた。

 珍しく同席している右左席の宰相と騎士団長を残して下がっていく彼らに訝っていると、父王は真剣な顔つきで「そなたも人払いを命じてくれないか」と言う。


「お父様、秘密のお話なら、『静寂』の祈術具を使うのではいけませんの?」

「話ではない。そなたに案内したい場所がある。その場所に向かう入り口を誰にでも知らせるわけにはいかない」

「わたくしの現状をご存知で、この部屋を出るのに騎士を排せとおっしゃるのですか?」

「この部屋を出るわけではないのだ。リティーツィア」


 ライドルフは警戒心の強い娘に苦笑して、それからゆっくりと表情を引き締めた。


「――そなたを、これから護国祈術陣の間へ連れてゆきたいと思っている。この意味が分かるかね、リティーツィア」


 リーゼの側近たちが一様に息を呑む。

 さすがにリーゼも事の重大さを察して、ガイウス以外の側近に人払いを命じた。平常心を装いながらライドルフに向き直る。


「お父様、ナッハトラウム卿の同席はお許しくださいませ」

「アッシュヴァルツ卿の倅だろう。構わない。既にユスブレヒトのときに聞かせた話だ」


 軽く頷いて膝の上で指を組んだライドルフは、一転重々しく表情を改めた。


「私が祈力器官を損なって聖樹の加護が得られなくなってからというもの、護国祈術陣が求める祈力量はここ数年少しずつ私ひとりでは賄いきれないほど増えてきている。王都と王城はまだ問題ないが、王都から離れた国境付近となるとほとんど足りていない。西の国境門が半年前にひとつ閉鎖されたことは知っているだろう? このままではそろそろ国境門をもうひとつ閉鎖しなければならないかというところまで来ているのだよ」

「……本来は王族が全員で支えるべき護国祈術陣を、おひとりで維持されてきたこれまでが、偉大に過ぎたのですわ」

「そなたがそう言ってくれると救われる。優しい娘だ」


 リーゼは自分がうまく笑えているかあまり自信がなかった。


 護国祈術陣を支えるべき王族がいないのは、妃の関係をうまく捌いて内宮を取り回さなかったライドルフの自業自得だ。

 そう思う冷ややかな自分がいる一方で、春の宮の基盤祈術陣を自身の祈力で維持する身としては、それより遥かに大規模な祈術陣をひとりで抱えていることの大変さは分かるような気もした。

 目の前の男の所業は褒められたものではないが、まったく非のない息子や娘を理不尽に喪った哀れな父親であることもまた事実なのだ。


「もしかして、ユスブレヒトも護国祈術陣への祈力補給を?」

「ああ……今も健在であればどれほど――……いや、そなたの前で言う話ではなかった。そなたが静かな環境で最近まで療養に専念しなければならなかったことはアッシュヴァルツ卿からも聞いている。そなたとユスブレヒトを比べたかったわけではないのだ」

「いいえ、気にしておりませんわ。わたくしも、わたくしの快癒があと一年早ければこの王城でユスブレヒトと再会できたのに……とつい詮ないことを考えてしまいますもの」


 リーゼが双子の弟と比べて王女としてのあれこれが足りていないことを国王や諸侯にそう理由づけしていることは、事前にアッシュヴァルツ一等爵やガイウスと打ち合わせている通りである。

 リーゼが潜伏先の神殿を離れていた間のことは一等爵とガイウス、コルベラ、メーア老師の胸の内に秘められていて、アッシュヴァルツ邸からの付き合いである侍女たちも知らない。

 リーゼが『ただのリーゼ』として生きてきた過去は、公には完全に消し去られているのだと、こういうときに痛感する。


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