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第二十五話 春の宮の管理者

 聖大陸レトゥラにおける四季は、季節の移り変わりを司る四柱の神々と、その配下神たちによって巡っているとされる。

 春を司る女神は硬く乾いた大地を雪融け水で潤して植物の芽吹きをもたらすことから、春の季節を象徴する色として命の萌芽の色である緑が当てられている。リーゼが通された春の宮も季節の象徴色を意識しているのだろう、淡く緑がかった石材や若草色の壁紙が多く使われていて、初めて足を踏み入れたというのにどこか落ち着く内装だった。

 柔和な顔立ちのユスブレヒトの雰囲気ともよく合っていて、リーゼはこの春の色の宮を弟と並んで歩きたかったとつい他所事を考えてしまう。


「リティーツィア王女殿下、まずはこちらへ。春の宮を管理するための基盤祈術陣の間にご案内いたします」


 春の宮にまず足を踏み入れて案内された先は、奥まったところにある物々しい続き間だった。

 重厚な扉の前を槍を構えた屈強な騎士がふたりで守っていて、ぞろぞろ引き連れてきた侍女はおろか、アッシュヴァルツ一等爵やガイウスもその先には入れないらしい。

 一等爵が言うには「以前まではユスブレヒト王子殿下が、王子殿下が寝台に臥せられてからは国王陛下が基盤祈術陣の管理者として祈力を注いでいらっしゃいましたので、特別な交代を行わずとも王女殿下なら祈力を塗り替えられるはずです」ということなので、リーゼは促されるまま開かれた扉の奥に足を踏み入れる。


 そこは人が四人も入ればぎゅうぎゅう詰めになりそうな狭い小部屋になっていて、手すり付きの階段が螺旋を描くように下の階に続いていた。

 謁見のために慣れない踵のある靴を履いているので、実は誰かに手を取っていてもらわないとよろけてしまうリーゼは、誰も見ていないならと思いきって靴を脱ぎ捨ててしまって、スカートの裾も大胆に持ち上げて絨毯の敷かれた階段を下っていった。

 どれほど下りただろうかと不安になるころに、ようやく階段の終わりが見えてきて、人がひとり通れそうな通路に行き着き、教わった通りに突き当たりの壁に手を触れて祈力を流し込む。


「っきゃ、」


 リーゼの祈力に呼応するように、壁が扉に姿を変えた。

 扉は初めに光る祈術陣を浮かび上がらせ、次に三つほどの紋章を描くと、次の瞬間には扉そのものがふっと消えていた。


 あの扉は祈術で作られた一種の結界のようになっていて、初めの祈術陣は扉に触れた者の祈力が基盤祈術陣の管理者と適合するかを測り、次に浮かび上がった紋章はそれぞれを表す神々の神性によって内側の部屋を守る役割を持っているのだという。

 神々の紋章によって加護を固定するという古代祈術についてはまだ学んでいないので、リーゼはあまり深く気にせず部屋の中に入り込んだ。


 そこは家具のほとんどないだだっ広い円形の空間になっていた。

 だいぶ階段を下ってきたため、天井は見えないほど高い。

 正方形の石盤が規則正しく敷き詰められた広間の中心には、石材の台座が設けられていて、金色に輝く平たい杯のような置物が載せられ、リーゼの手のひらよりも大きいくらいの赤銅色の鍵がその上にふわふわと浮いていた。


 照明もないのに室内の全容が分かるのは、暗い部屋に何重もの祈術陣が光を放って浮かび上がっているからだ。

 幻想的な光景にリーゼは思わず嘆息していた。


 複雑な祈術陣が複層構造を成す空間を突っ切って、リーゼは中央の杯に浮かぶ鍵に躊躇いなく手を触れた。

 祈力を流し込んでいくと、鍵が手に吸いつくようなしっくりとした感覚があって、徐々に赤銅色が緋色に塗り替えられていく。

 幾重もの祈術陣から成る基盤祈術陣の中核は、この鍵の形をした祈術具が担っており、鍵を満たす父ライドルフの祈力の赤銅色をリーゼの緋色ですべて上書きすれば、基盤祈術陣の管理者交代の完了である。


 黒の属性の儀式祈術を使うときと同じくらいの祈力を消費して、鍵の中の祈力がリーゼの祈力で満たされたのを確認してから、リーゼは基盤祈術陣の広間を後にした。

 リーゼが部屋を出ると入口を装う祈術がひとりでに組み立てられ、あっという間に壁のようになってしまったが、リーゼは背後で勝手に壁が作られたことよりも目の前に続く上り階段のほうに気を取られていた。

 下りてきたときですら長いと思った階段を、こんなに重たい正礼装の衣装を着込んだ状態で上れというのか。


「……これ、絶対、こんな格好のまま、先に来るべきじゃ、なかったんじゃないの!」


 貴族の荷物昇降用の祈術具を使用することのできなかった下級女官時代は、水を含んで重くなった洗濯物を籠ごと抱えて自分の足で階段を上らなければならなかったため、体格は貧相でも実は体力があって健脚だったリーゼだが、洗濯籠を持って走り回ることのなくなった生活を半年も続けていれば体力も脚の筋力もすっかり落ちてしまっている。

 こんなことならもっとアッシュヴァルツ邸の庭を散歩したり乗馬の練習をしたりしておくんだったと思いながら、リーゼは口汚く悪態をつきつつも気合と根性で階段を上りきった。


 座り込んで上がった息を整え、靴を履き直してなんとか王女の体裁を繕ってから小部屋を出ると、アッシュヴァルツ一等爵を初めとした面々がリーゼを待ち受けていた。

 リーゼが問題なく基盤祈術陣の管理者となったことをねぎらってくる一等爵を、ついおざなりにあしらってしまったのは致し方ないことだと思う。祈力は問題なく足りたが、あれほど体力が必要な場所にあるだなんて知らなかった。


「基盤祈術陣への祈力補充は毎日行うものですが、管理者の権能はご自分のお部屋から基盤祈術陣の間に直接通じる扉を作ることができるのです。あの続き間を使用するのは管理者交代の際のみですよ」

「……そう。それはよかったわ。それではそのわたくしの部屋に案内なさい」


 リーゼの部屋は最上階、ユスブレヒトの部屋に隣接した一角に用意されていた。

 近衛騎士が両側を守る扉を進むと、リーゼに先回りして部屋を整えていた侍女たちが一斉に礼を向けてくる。


「ご無事のご帰城をお喜び申し上げます。お帰りなさいませ、王女殿下」


 ずっと『姫様』だった呼び方が『王女殿下』に変わったことに、思わず動揺しそうになった。

 リーゼは何でもないふうを装って、「ええ。皆もこれまで大儀でした」と軽く頷いて彼女たちの出迎えを労る。

 コルベラがそれでいいとばかりに頷いてみせた。

 今日からはそうでなければならないということだろう。


 リーゼに与えられた区画は部屋数だけで言えば両の手の数にも及び、用途によって少しずつ趣は変わるものの、アッシュヴァルツ邸の西の離れよりも女性らしい意匠の家具調度が取り揃えられた部屋ばかりだった。

 リーゼよりもむしろ侍女たちがどう飾り立てていこうかと張りきっていたが、ガイウスは入室の瞬間からなぜか浮かない顔をしていた。

 部屋に不足でもあったのかと思ったのだが、そういうわけでもないらしい。


 アッシュヴァルツ一等爵が家門の臣下を紹介すると言って席を外すのに付いていこうとする彼を引き留め、侍女に着替えの用意をさせている間に人払いをかけて問いただすと、ガイウスはようやくその重たい口を開いて訳を白状した。


「……アッシュヴァルツの邸で、初めにおまえを通した部屋と、似ているだろう。ユスブレヒト殿下の部屋を整えたときと同じ内装師に依頼したはずだったが、部屋の主が女性だと知って要らぬ気を回したらしい。コルベラに任せたきり確認を怠った私の失態だ。気分を害するようなら早急に入れ替えさせる」


 リーゼはどんよりとした空気を撒き散らして項垂れているガイウスに呆れてしまった。この男は、本当に、本当に仕方のない男である。


「……そうだったかしら? 半年前に一度入っただけの部屋なんてもう覚えていないわ」

「リーゼ」

「貴方が今から隣の寝室に押し入ってまた私を寝台に縛りつけるというなら、寝室の模様替えを命じなければならないけれど、そういうつもりはないんでしょう?」

「当然だ。――もう二度と、絶対に、あんなことはしない」

「ええ、知っているわ」


 にっこりと頷く。だから、いい。

 新たに王城に迎えられた王女の部屋のための家具なんて、きっと目玉が飛び出るほどの高級品ばかりが特注されたに決まっているのだ。

 以前はアッシュヴァルツ一等爵家の財政に痛手を負わせるだけだったから遠慮なく部屋を替えさせたが、王女の住居となればその費用の出処は国家予算である。

 半年前までは税を取り立てられる立場にいたリーゼにとっては、いたずらに王族の出費を嵩ませるような真似は抵抗があるのだった。


「同じ内装師ということは、ユスの部屋とも似ているのかしら? ……側近たちとの顔合わせを終えたら、一度ユスが使っていた部屋を見てみたいのだけれど、貴方に頼めば叶えてもらえるものかしら」


 落ち込む代わりに付き合いなさい、と言外に伝えると、ガイウスはすぐさま頷いて家令に鍵を預かりに部屋を出ていった。


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