第三話 爺さんと孫
『世界よ、世界よ聞いてるか! 俺が! 俺こそが! 伝説のロックシンガー、京極福太郎だアァァァァァァ♪ ウォーイエーエェェェェェ♪ オゥイエェェェェ♪ あ、よいしょ♪』
ピロリロピロリロピロリロピロリロ、ジャジャーン。
音楽系の職業を志す者の多くに、おそらく標準的に備わっているだろう類のセンスのようなものが、一切感じられない地獄のような演奏会が今、強制的に幕を開けた。
先程まで命をかけた戦いを繰り広げていたはずの浦出は、地面から勢いよく立ち上がると盛大に顔をしかめる。
「爺さんよ……何だあれ」
「くくく。今の儂の生きがいよ。さぁ若造、戦おうぜ」
「待て待て待て待て」
心の準備が全く出来ていない浦出に対し、先程までとはガラリと動きを変えた熊之介が素早く距離を詰める。強固な城壁のようだった防御。それを熊之介の掌底がくぐり抜け、浦出の顎を跳ね上げる。
『美少女のお茶目はァァァァ♪ お前がやると醜いんだぜェェェェ♪ オウイェェェェ♪ イケメンが言うと素敵なセリフはなァァァァ♪ 俺が言ったらDEATH! DEATH! DEATH、DEATH、DEATH、DEATH、世の中やっぱり顔なんDEATH♪ はぁーどっこいしょ♪』
雑音が酷い。
浦出の苦し紛れの蹴撃を熊之介が受け損なうわけもなく、逆に足を取られて投げられた浦出は、頭頂部を地面に激しく打ちつける。
「ガハァ……な、なんなんだ、一体……」
「なかなか味があるだろう?」
浦出は頭を踏みつけられそうになり、慌てて距離を取ると、呼吸を整える。
通常、達人になればなるほど身体に染み付いた「リズム」というのは変わらない。それは日常の鍛錬の中で同じ型を繰り返しながら、無意識のうちに身体に染み込んだものだからだ。
戦いが加熱してテンポが上がったり、逆に疲労によってテンポが下がることはあっても、リズム自体が突然他のものに変化することはない……はずだった。
「私の防御をすり抜ける……めちゃくちゃなリズム」
「楽しいだろう? 孫いわく、これが“ロック”らしい」
「それはロックを拡大解釈しすぎだろ!」
孫のロックを味方につけた熊之介は、先程までとは強さの段階が一段違う。
相手の錯覚を誘う古武術独特の歩法は、おかしなリズムとの相乗効果で自他共に思いもしない方向へと感覚を狂わせる。そこに爆音の不協和音と、不快極まりない割れた叫び声が合わされば、集中力と冷静さを保ち続けるのは難しい。
『好きなタイプを聞いてみたらァァァァァ♪ お前以外って言われたよォォォォォ♪ こんなに気安い会話ができるのは、逆に脈アリなわけなくなくなくなくなくなくなぁい? 俺の長所は前向きなこと、嫌われてんのも前向きなとこ、DEATH、DEATH、DEATH、DEATH、ソレソレソレソレ~~♪』
長年の厳しい修行によって鍛え上げた武のぶつかり合いに絶対はない。もちろん、それぞれが自分の武と真剣に向き合った末のぶつかり合いにおいてだが……全身を隙なく固めた優秀な鎧を、たった一本の槍が貫くこともある。勝負は常に流動的なのだ。
ギュインギュインギュイーン。キュロキュロキュロ。
歌い終わりからラストにかけて、唐突に疾走感が生まれる福太郎のロックに合わせ、熊之介は激流に逆らうことなく不可思議なリズムで浦出を翻弄し、地に膝をつかせる。そして――
ギュウーン、ジャジャン。
頭の側面に、吸い込まれるような肘の一撃。
浦出は地面に崩れ落ちた。
『センキュー、センキュー。いやー、今日もロックを決めちまったぜ! 聞いてくれて超センキューな!』
福太郎が満足気に後説をカマしている裏では、熊之介が浦出の関節を極めて抑え込み、国防軍の者たちが鋼鉄のワイヤーをもって彼を確保していた。
こうして、筋骨粒々の男たちを無手で制圧した一人の老人と、その背後でハチャメチャな音楽もどきを奏でる妙ちきりんなロックスターの映像は、放送電波に乗って世界中に発信されていったのだった。
* * *
あれから一ヶ月。
いつものように道場で過ごしていた熊之介と福太郎の元へ、大和帝国政府から派遣された女性……柳が訪ねてきた。応接間で対面に座っている彼女は、何だか少し気まずそうにしている。
「申し訳ありません。あの日、福太郎殿には失礼な態度を」
「ん? 何が? んんん?」
福太郎は何に対して謝罪を受けているのか全く思い当たることがなくて、首を傾げる。そんな様子を、熊之介は楽しそうに眺めていた。
柳は真剣な目で福太郎を見る。
「その……ロックを意味不明などと言ったり、熊之介殿の意図を履き違えた発言をしてしまったり……お恥ずかしい限りです。私の見識の浅さを思い知りました。大変申し訳なく」
「ん? あー……うん。何も気にしてねーっていうか……あの時の言葉については俺、むしろ柳さんに感謝してんだけど」
福太郎の言葉に、今度は柳がキョトンとする。
どう説明したもんか、と彼は顎に手を当てて熟考する。
「ちょっと感銘を受けたんだよね……ほら、爺さんは“人のために死力を尽くしてる”んだって、柳さんは教えてくれたろ?」
「えぇまぁ……確かに言いましたが」
「俺はあの時までさぁ、自分のためにしかロックをやってこなかったんだよ。自分の魂の叫び声を、ただ誰かにぶつけたくてギターをかき鳴らしてた……自分勝手なだけでさ」
福太郎は背後からエレキギターを手に取ると、それを膝の上に乗せてニヤリと笑う。
「でもこれからはさ。俺も爺さんみたいに、人のために行動する……誰かの魂の叫びを、俺が代わりに叫んでやるような、そんなロックスターになってやろうと思うんだ」
「そ……そうですか」
「それでは聞いてください。曲は京極福太郎で――」
「待て。それは私が帰った後にしてくれ」
柳に止められ、福太郎はブスッとした顔をしながらギターをケースにしまう。
ちなみに、ついに公共電波で世界デビューを果たした福太郎ではあったが、あの後ロックスターとしてお声がかかるようなことは一切なかった。
「浦出の顛末ですが……」
拘束された浦出がどうなったのか、柳は説明する。
どうやら肉体を再改造された浦出は、筋肉の出力を大幅に制限された状態で独房入りすることになったらしい。真・大和男児連合は当然のごとく解散となり、帝国議会場の具体的な破壊計画を練っていたメンバーはみな投獄されたのだという。
「……世界情勢についても一波乱ありました」
大和には国を守る本物の“ニンジャ”が存在する……熊之介を見てそんな風に誤解した外国人に「そうだよ」と語る別の外国人が現れたりして、なんでも大和帝国には独自のニンジャ育成組織が秘密裏に存在しているという噂を、各国のトップまでもが信じ込んでしまう事態に発展しているのだという。
結果的に弱腰外交を改めなくても、周辺国は「あのヤベー国に関わっちゃいけない」とばかりにちょっと腰の引けた対応を取るようになり、真・大和男児連合の理念は意外な形で一部実現することになっていた。
「という形で、結果的には色々なものごとが良い方向に変化したと言えるでしょう。京極熊之介殿、福太郎殿。この度のご協力に関して、心の底から感謝を申し上げます……規則上、具体的な名前は出せないのですが、我が国のトップからも感謝を伝えて欲しいと申し付けられています。本当に……ありがとうございました」
そうして、柳は深々と頭を下げた。
* * *
帝都内とはいえ、中心部を遠ざかれば意外と自然豊かな地域もある。
そんな場所の一つ、古武術道場がある以外は人も近寄らない山で、広々とした庭の中央を陣取った一人の高校生が今日もエレキギターをかき鳴らしている。
「あんのクソイケメンめぇ、自分だけキラキラした青春送りやがってェェェェェアアアアアアアアアア~~♪」
「くくく、下手クソなロックだなァ」
そんな日々は、まだしばらく続きそうであった。
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