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花咲く惑星(ほし)に祝福を  作者: 新井 狛
第一章 愛しき君には腕いっぱいの愛を
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第1話 馬鹿じゃないのか

 熱い。まず感じたのはそれだった。


 暑い、ではなく。熱い。耐えられない熱さに()かれているのに、指の先ひとつ動かない。

 視界には、強く目を瞑った時に見えるような極彩色の(まだら)模様が踊っている。きぃん、とした酷い耳鳴り。酷く苦しくて、喘いだ喉に灼熱の空気が流れ込む。肺が抗議するように胸が引き攣って、鈍い咳がひとつ漏れ出た。


 耳鳴りの合間に、ずる、ずると重い布袋を引き摺るような不快な音が混じる。手の甲と爪先が、石混じりの土を撫でていることに気付いた。引き摺られているのは自分だという事を理解したのと同時に、全身を裂かれるような痛みが駆け抜ける。

 反射的に上げたはずの悲鳴はだが音にはなれず、粘つく舌と歯の合間から微かな呼気が漏れ落ちるばかりだった。


 永遠にも一瞬にも思える時が過ぎたあと、引き摺られている感覚がふと消えた。全身を炙るようなあの熱はいつの間にか引いていたが、打って変わって今度は氷水の中に放り込まれたように寒い。

 徐々に見え始めた濁った視界の中に、黒く煤けた脚がぼんやりと映り込んだ。だがピントを合わせる力は残っていなくて、視界が煙で濁った空へと滑っていく。黒い煙のあわいから垣間見える青い空に、沈んでいく夕陽のような赤の色が揺れた気がした。


 増していく痛みをシャットダウンするかのように遠のく意識の端に、手負いの獣のような荒い息づかいが滑り込む。何か鋭いものがいくつも胸に食い込んで、縋るようなどうか、という声だけが最後に耳に残った。


 * * *  


「――――っ、が、は!」


 びくんと身体が痙攣したのに驚いて跳ね起きる。喉の奥で粘つく感触がもったりと呼吸を阻害して、激しくむせこんだ。

 吐き捨てた痰には、黒ずみかけた血が混ざっている。のろのろと身を起こそうとして、胸元に何か硬いものが食い込んでいる事に気付いた。反射的に引き剥がして投げ捨てる。

 耳障りなビープ音を鳴らしながらてん、てんと大地を転がっていった物体を、意識を取り戻したばかりの男は目を眇めて睨みつけた。それは煤けた金属の質感で鈍く陽光を反射しながら、ひっくり返された亀の子のように付属肢をばたつかせている。


『バイタルが検出できません。実行エラー。装着状況を確認してください。バイタルが検出できません……』

「――っ、全自動医療(オートメディック)モジュールか……くそったれ」

 

 男は緩慢な動きで立ち上がると、ゆっくりと自動医療モジュールに歩み寄った。一度本体横の電源(パワー)スイッチを押し込んで静かにさせてから、データ閲覧モードで再起動する。無線接続で拡張脳(オルタナ)とリンクした自動医療モジュールが、拡張視界(オーグメント)に次々と治療ログを吐き出し始めた。


(起動は18時間前……。脳震盪に軽い一酸化炭素中毒と……Ⅱ度熱傷か。骨折は無し……奇跡だな)


 両腕にかすかに引き攣れるような感覚がある。自動医療モジュールは、分解性ナノマシンを配合した人工皮膚シートで処置を行ったらしい。熱傷特有のあのひどく後を引く痛みはもうまったく感じなかった。

 合成樹脂を焦がした重く嫌な臭いが鼻を突く。目覚めた自分の横ですっかりスクラップに成り果てている降下艇(ドロップシップ)を、男はうんざりした表情で眺めた。

 のろのろと歩み寄って軽く蹴りつけてみると、がらん、と哀しげな音と共に壁だかなんだかわからないものが剥がれ落ちる。


「ああ、最高だぜ。コイツを直すくらいならイチから組み立てたほうがまだマシだろうよ……」


 吐き捨てる声に応えるように、ぴよぴよとどこからか鳥の鳴く声が降ってきた。見渡す限り、草と木と石と花のテクスチャが続いてる。文明の影は形も感じられなかった。

 完全なる立ち往生だ。これではどこにも行けやしない。船の焼け残りを漁れば救助用ビーコンくらいは見つかるかもしれないが、"母船"のほうもとっくに宇宙の藻屑(スペースデブリ)になっているに違いない。起動したところで救助は来ないばかりか、わざわざ宙賊用に的あての的を立てるようなものだ。


「……そういえば、あのクソ度胸女。どこ行きやがった」


 ふと、同乗者の存在を思い出す。これだけ何もないところに放り出された以上、脳震盪で目を回していた自分をスクラップになった船から引きずり出して自動医療モジュールをつけたのはあの女であろうことは想像に難くない。


「おい、クソ度胸女!」


 だが呼び掛けてみるも、答えるのはさえずる鳥の声ばかりだ。穏やかな風が草としょぼくれた木の枝を揺らして、心地のよい葉擦れの音を奏でた。人の気配は欠片もない。

 男は眉根を寄せて腕を組んだ。あの()()()()()()()には覚えがある。()()を連れているという事は、女は開拓員なのだろう。行動力の塊のような女だった。船があのざまでは、当面はここで生活するより他にない。であれば、自分が呑気に寝ている間に資材集めにでも出ているのかもしれなかった。


「開拓ねぇ。あーやだやだ、肉体労働なんざァごめんこうむりたいぜ……」


 誰にともなく呟いたその声に応えたのは、腹の虫だった。虚を突かれたように軽く瞬いてから、苦い笑みを浮かべる。


「やれやれ。腹の虫様がこれだけ元気なら俺も大概健康だね」


 船の残骸のかつてカーゴエリアだったと思しき位置からは、半ばひしゃげた貨物コンテナが転がり出ていた。全自動医療(オートメディック)モジュールが使い物になったのだから、携帯食料の幾らかも残っているだろう。あれはどうにも砂を噛んでいるような酷い味の代物だが、背に腹は代えられない。


 腹の虫に急き立てられ、仔鹿のように震える脚を励ましてコンテナに歩み寄った男は訝しげに眉根を寄せた。

 何かを探し回った事を示すように、コンテナの脇には半端に開けられた箱が無数に散らばっている。そのどれもに、手形のような血痕がべたべたと付着していた。確かめるように自分の身体を見下ろすも、目立った外傷は見当たらない。

 鳴き続ける腹の虫は無視をした。震えていた脚が、何かに突き動かされるように駆け出す。コンテナの向こうに回り込んでみると、地面を抉るように引きずった痕の先に煤と泥まみれの冷凍睡眠ポッドが鎮座していた。赤い髪の女は、それに寄り添うようにして座り込んでいる。


 ざぁ、と吹き抜けた風は先ほどと変わらない穏やかさを備えているにも関わらず、頭の先から体温を奪っていくように感じた。むっつりと押し黙ったまま歩み寄る。辺りに立ち込めている合成樹脂を焦がした臭いに、濡らした布を長時間放置したようなむっとした嫌な匂いが混ざり込んだ。


「馬鹿じゃないのか、アンタ」


 吐き捨てた言葉に応える声はなく、穏やかに吹く風の音にも負けそうな喘鳴だけが、未開の大地に細く流れ落ちた。土気色の顔をした女の身体の、肩口と左脇腹には金属の鋭い破片が深々と突き刺さったままになっている。どう見ても医療モジュールが必要なのは自分ではなく女のほうだった。

 女の横に膝を付いて、破片が突き刺さったままの左脇腹に触れる。出血はほとんどなく、傷口の周辺には赤黒く乾いた血の塊がわずかにこびりついている程度だ。腹部にはわずかな膨満が見られる。押すとかなり痛むはずだが、触診している間にも女はぴくりとも動かなかった。


(肝臓から逸れてるのは幸いだが……これは脾臓辺りがもうダメかもしれんな)


 苦々しく息を吐く。この女の頭に、今すぐトリアージという単語を叩き込んでやりたかった。自動医療モジュールを使っていれば、この傷でも適切に対処してくれていただろうに。

 まあこの女が、自分に刺さった破片を抜こうとしなかったのだけは褒めてやってもいい。特に脇腹の破片は抜けばひどい出血を起こすだろう。


 状況はすこぶる面倒だった。だが足もなく未開の地に放り出された今、人手は何物にも代え難い財産だ。この女の治療は絶対に必要だった。

 先ほど投げ捨ててしまった自動医療モジュールの元まで駆け戻る。モジュールを拾い上げて女の元へと戻りながら、拡張視界(オーグメント)に展開されていく医療リソースの残量表示を眺めた。治療用ナノマシンの残量は37%だ。臓器にダメージがあると仮定すると、これでは全く足りない。舌打ちが漏れた。

 兎にも角にもまずは診断が必要だった。女に全自動医療(オートメディック)モジュールを取り付けて、スキャンモードで起動する。

 ナノマシンが女の身体をスキャンしている間ものんびりしてはいられなかった。女はいったん置いておいて、冷凍睡眠ポッドの状態も確認する。もし女を治療できたとしても、()()()()()を失って廃人にでもなられては人手にならないからだ。

 中の人間がどうなっているかは全く見えないが、ひとまずステータス上は大きな問題はなさそうだった。丈夫な棺桶だとは聞いていたが、その前評判もそれほど誇張されたものではなかったらしい。内蔵バッテリーの残量は35%で、稼働可能時間は17時間と出ている。よく見ると、一メートル四方程度のささやかな太陽光発電パネルシートが一枚、接続されていた。既に日は傾き始めているが、ひとまず今晩は保つだろう。


「まあ一日が24時間なら、だが」


 ぼそりとそう呟いてから、うんざりと頭を振る。余計なことを考えている暇はないぞとばかりに、拡張視界(オーグメント)が女の診断結果を表示し始めた。触診で仮定した通り、脾臓裂傷を起こしているようだ。

 必要な処置の手順と、今日これから必要な作業を拡張脳(オルタナ)がリストアップし始めた。どう見ても一人でこなせる量ではないそれに、乾いた笑いが漏れる。


 腹の虫がまた、思い出したようにくるると鳴いた。

次回の更新は5/15です。それではまた、次回。


拡張脳(オルタナ)

 生体脳と並列稼働させて思考リソースを拡張するための、半生体半機械の埋め込み型パーツ。

 計算リソースのベースは本人由来の幹細胞から作ったフルオーダメイドのオルガノイドコンピュータで、生体電流で動き排熱を考慮しなくていい作りになっている。メモリ部分は機械。

 オルガノイドコンピュータ部分の代謝は装着者自身の代謝に組み込まれている。老化したオルガノイドパーツは分解性ナノマシンにより更新されるので、定期的なナノマシンの投与が必要。

 基本的にお高価い高級品で、メモリ容量と情報圧縮性能によってさらに価格差がでる。基本的には無線接続で様々な事が可能だが、耳の後ろにポートがあって有線接続も可能。重たいデータを取り込む際に便利なほか、低価格帯の拡張脳(オルタナ)と外付けの外部ストレージを繋いで使う場合もある。


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