第11話 たくさん、時間が経ったんだ
「んじゃまぁ、手順を説明する」
ハロルドはそう言って、冷凍睡眠ポッドの蓋に片手をついた。四方を壁で囲み終わった小屋の扉の前で、ルトリシアが緊張した面持ちで頷く。
この小さな共同体が二人に戻ってから、約一週間が経過していた。ルトリシアの兄を起こすためのすべての準備は整えられ、あとは蓋を開くばかりとなっている。
「あの。本当に大丈夫なんですか、外で開けて……。免疫、機能してないんですよね?」
「さぁな。でも他に選択肢がねぇ以上、こうするしかない」
大丈夫だ、と言わないのがハロルドらしい。さぁなって、と表情を曇らせたルトリシアに見せつけるように、長い指の背がこつこつとポッド脇に突き出したコネクタを叩く。
「冷凍睡眠ポッドは液体で満たされてる。こいつを開けるときはな、ここに排液用のモジュールを繋ぐんだ。だが当然このド辺境にそんなモンはねぇ」
ブルーグレーの瞳が、不安そうにパイプ状のパーツが内包されたコネクタを眺めた。
「つまりだな。開けた瞬間にそいつは全部垂れ流しだ。お兄ちゃんルームをびっちゃびちゃにしてぇか?」
「床に防水シート敷いてありますよね」
「アレはちょっとでも清潔を保つために敷いてんだよ。排液なんぞ流してみろ、あっという間に雑菌の温床だぞ」
相変わらず不安の色を拭い切れずにいる様子のルトリシアの腹部に視線を送って、ハロルドは口の端を持ち上げてみせた。
「まあ、正直分の悪い賭けだよ。だがまァ、今回に限っちゃ多少賭け金の上積みがある」
「上積みって……あ。瘴気」
ハロルドの視線をなぞるように、ルトリシアの手が自分の腹を押さえた。内臓裂傷まで起こしていた深い傷はもう、わずかに引き攣れた痕しか残っていない。
「起こすのはリスクだが起こさねぇのもリスクだ。今の俺らにはポッドが壊れたって直せる部品も腕もねぇ。もし壊れたらまともに解凍できるかも怪し――」
「わかってます。わかって、ます」
畳み掛けるハロルドの言葉を、ルトリシアの絞り出すような声が遮った。まだ不安に揺れている瞳は、それでも覚悟を決めた色でポッドの表面を撫でた。二週間以上風雨に晒されていたそれは、ぴかぴかしていた表面の艶を失って鈍くくすんでいる。
ふ、と小さく息を吐いて、ハロルドは軟膏を詰めた小瓶を手の中で小さく弄んだ。
「まあそう気張るな。アンタの仕事は一つだけだ。とにかく"お兄ちゃん"を起こせ。引っ叩いてでも目を覚まさせろ」
「引っ叩いて大丈夫なんですか」
「目を覚まさねぇほうが問題だ。このド辺境に人工心肺はねぇからな。循環液から出した後は本人が自発呼吸をする必要がある。猶予は五分」
「…………五分」
ルトリシアは息を詰めた。たっぷり十数秒そうしてから、肺に溜まった二酸化炭素を深く吐き出す。
「……わかりました」
ブルーグレーの瞳に揺れていた不安が、意志の色に塗りつぶされた。やると決めた目。短い付き合いの中で、何度か見せられた目。ハロルドは珍しく嫌みのない顔で、ニッと笑った。
「よし。いつものクソ度胸が戻ってきたな」
手の中で弄んでいた小瓶の蓋を開け、人差し指で中身を掬い取ってからルトリシアに投げ渡す。
「ほらアンタも塗っとけ。まあ、もう開封前の解凍プロセスは済んでるんだ。どのみち開けるしか選択肢はねぇ。始めるぞ」
軟膏を両手に刷り込み終わったハロルドの指が、無造作にポッドのパネルを操作する。コカッ、と内部で何かが外れるような音がして、排液コネクタのチューブから淡黄色の液体が溢れ出した。それと同時にポッド上部の天板のロックが外れ、ゆるゆると持ち上がっていく。
「そら、起こせ!」
ハロルドが叫んだのと、ルトリシアがまだ半ばまで液体に浸かったままの少年の手を取ったのはほぼ同時だった。
「お兄ちゃん!」
突き刺さるような声が、震えて朝の空気を揺らす。少年は唇を半分開いて目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。
「自発呼吸なし。呼び続けろ」
「お兄ちゃん、起きて! 私だよ、ルトリシアだよ!」
ポッド内の水位がみるみる下がっていく。半ば浮かぶようにしていた身体が沈み込んで、ルトリシアより少し薄い赤の錆色の髪が、ぺとりと頬に張り付いた。
「あと4分」
「……起きて」
縋るように呟いて、ルトリシアは目を覚ます気配のない兄の額に自分の額を触れさせた。
「起きて、お願い」
乾いた茜色と濡れた錆色混ざって、ルトリシアの髪がじわじわと水気を吸っていく。
「私をひとりにしないで……お願い、お兄ちゃん……」
ルトリシアのその言葉に、少年の胸に手を当てていたハロルドの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。だがその次の瞬間、触れた手の下でか薄い胸がかすかに上下する。
「――来た」
ハロルドの低い呟きに、ルトリシアは弾かれたように顔を上げた。まだ目の開かない顔を覗き込む。祈るような声が、乾いた唇からこぼれた。
「お願い、どうか、どうか、神様――」
瘴気を纏うこの星に神がいるとしたら、きっと邪神だろうなと思って、ハロルドは自嘲めいた笑みを浮かべた。だがその邪神は、どうやらこの小さな共同体に微笑むことにしたらしい。
睫毛が震える。呼吸が戻ってきた。半開きの唇から、呼気が漏れる。首筋に指を添えると、とく、とくと穏やかだが確かな拍動が指の腹を押し返した。
「ああ―――—」
ぼんやりと開かれたブルーグレイの瞳を、ルトリシアが覗き込む。同じ色の瞳から、温かな雫が溢れ出して濡れて冷えた頬の上に幾つも落ちた。
「よか、った。本当に、起きてくれた……!」
ルトリシアの両腕が、すくい上げるように少年の薄い身体を抱き込んだ。ぎゅっと胸元に頭を押しつけるようにして抱きしめる。血の気のない真っ白な腕が、ゆるゆると持ち上がって抱き返すように背中に触れた。
「おかあ、さ――」
「おはよう、《《お兄ちゃん》》」
縋るような少年の声に、縋り付くようなルトリシアの声が被さる。ルトリシアの背に回された手が、凍りついたように動きを止めた。
「……………………は?」
くぐもった声が、困惑の色を強めてルトリシアの胸の間からこぼれ落ちた。そりゃそうだろ、と呆れたように呟いてハロルドが少年の身体を拭き始めた。
「おい、もう起きただろ。いつまでそうしてる。さっさと拭いて中に運ぶぞ」
邪険に肩で押されて、ルトリシアは抱擁を解くと少年の顔を覗き込んだ。
「お兄ちゃん、ジノお兄ちゃん、わかる? 私だよ。ルトリシア」
「は? シア、は、だってまだ5歳で――」
「……うん、そうなの。お兄ちゃんが寝たときは、私まだ5歳だった」
ぽろぽろと涙をこぼし続けながら、ルトリシアはそれでも精一杯に笑ってみせる。
「たくさん、時間が経ったんだ。話さなきゃいけないことが、たっくさんあるの」
* * *
「………嘘だろ」
一通りの事情を聞かされたルトリシアの兄――ジノは、呆然と天井を見上げながらぽつりとそう呟いた。
家族ぐるみで病気だと騙されて冷凍睡眠され、その維持のために家族の人生を犠牲にした。その事実は、若干12歳の少年が受け止めるにはいささか重すぎるきらいがある。
「残念ながら嘘じゃねぇ。ここがイカれた惑星だってことも含めてな」
一瞬答えに窮したルトリシアに代わって軽い調子で答えたハロルドが、ジノの腕を持ち上げた。点滴用のルートを取る。
大人用のシャツのだぼついたシルエットの下の肌は、蝋のように白い。冷凍睡眠用の人工血液が無色のせいだ。代謝によって本人の血液が身体に巡り始めれば、また人らしい肌の色に戻るだろう。
「……もう、いないのか。父さんも、母さんも」
「うん。ごめん、ごめんね……」
日に焼けたルトリシアの手が、白い手を包んでぎゅっと握りしめた。まだあまり力が入っていなさそうな指が、ゆるく握り返す。
「シア。……大変だったな。頑張ったんだな」
ブルーグレイの視線が二本絡みあって、ルトリシアの目が見開かれた。
「おにい、ちゃん」
「辛かったよな。俺が守ってやんなきゃいけなかったのに、ごめんな」
「ううん……ううん……うっ、お、おにいちゃあああん……」
眦にみるみる膨れ上がった涙の雫が、堰を切ったようにぼろぼろと溢れ出す。あとは言葉にならなかった。嗚咽は数秒も経たずに崩壊し、幼い子供のように喉を反らしてわあわあと泣き叫ぶ。まるで、ジノが眠ったあの5歳の頃に戻ってしまったかのように。
ジノは握られていないほうの手を持ち上げようとしたが、まだうまく力が入らないようでぱたりと持ち上がりかけた手が寝台の上に落ちた。眉が下がって、苦笑が口元に浮かぶ。
「母さんと見間違えるくらいに大きくなったのに、泣き虫なのは全然変わらないんだなぁ、シア」
点滴を落とし始めたハロルドが、何も言わずに小さく鼻で笑った。開拓船が襲撃されて決死の脱出劇を繰り広げられたあの日からこちら、この女が泣き言を言うところなど聞いたことがない。こいつがどれだけイカれた女に育ったかお前は知らないだろうな、と思ったが口には出さなかった。わあわあ泣くルトリシアからは、普段のクソ度胸の欠片も感じられなかったからかもしれないし、単に"お兄ちゃん"の知らない姿を教えたくなかっただけかもしれない。
「もう大丈夫だから。今度こそ絶対、シアを一人になんてしない」
自分の理解の外で冷凍睡眠させられて目覚め、両親を失っていた12歳の少年が言うには、あまりにも覚悟が決まりすぎていて。やっぱりこいつら兄妹なんだな、とハロルドは呆れたように肩を竦めた。
多忙につき、しばらく休載します。
それではまた、再開の日に。




