7、あの日にあった事。恐怖とか役得とか。
残酷な描写があります。ご注意ください。
そうして。俺があちらの世界で死んだ日は、本当なら奴と初めてリアルで会う予定の日だった。
顔を隠したSkypeでしか話をしたことのない奴と一緒にあのオンラインゲームのオンリー(ジャンル指定の同人誌即売会のことだ。右を見ても左を見ても、愛するジャンルの本や小物しか置いてないという天国である)に行こうと待ち合わせたんだ。
「あの日、すぐ隣に立っているのに、約束した通りの服装をしている僕に、キミは全然気が付いてくれなくて。気付くまで待とうと思ったけど、あんまりにも気が付かないみたいだったからさ、諦めて声を掛けようとした時に、アレが来てさ」
そう。初めての顔合わせにどきどきしながら待ち合わせ場所で待ってたところに通り魔が出て、俺はすぐ横に立っていた美人さんを庇って死んだのだ。
金髪に碧い瞳をした綺麗な女性だった。
約束の一時間前に来て立ってた俺より先にその場所にいた美人の外人さん。
早く奴が来ないかと、人混みの中にそのまだ会ったことのない奴の姿を探してキョロキョロしている俺の視界の端っこで、その惨劇が起こっているのが見えたのだ。
ぎらりと輝く長い包丁は血塗れで。逃げ惑おうにも、喧騒と人込みに紛れて惨劇に気がついていない人で溢れたそこにはどこにも逃げ場はなかった。
そいつが周囲にいる誰かを手当たり次第に殺しながら、文字通り道を切り開いて段々と俺たちに近付いていることに気が付いた時にはもうすぐ横で包丁は振り上げられていて。
俺に出来る事は、横に立っていた女性の代わりになって、先に犠牲になることだけだった。
──こんな綺麗な人を庇って死ぬならそれもいいかも。
なんて。腕の中に包み込んだ柔らかな肢体の感触と体温と、背中に何度も突き刺さる熱くて痛い刃物の衝撃を一遍に感じるという童貞には刺激が強すぎる体験をしながら、あちらでの俺は気が遠くなっていったのだった。
多分、あの時に俺は死んだんだと思う。
「キミが、僕を庇って死んで。まぁ結局その後、僕もアイツに刺されて死ぬんだけど。キミが僕を庇ってその腕に僕を抱きしめたまま、僕の代わりに包丁を何度も突き立てられて死んでいった事が、すっごく辛くて苦しくて。でも、ごめん。先に謝っておくけど。けど、…どこか嬉しくて」
そう告げる闇に沈んだその昏い瞳はどろりと甘く俺を、俺だけを見つめている。
「キミが僕に気が付いてくれるまで待つのはもう止める。あの日だって、僕がもうすこし早く諦めておけば、あんな事件に巻き込まれる事なんかなかったんだって気が付いたんだ」
ごめんね、と悲しそうに謝られたけど、俺は言葉が見つからなくて、ただ首を何度も横に振った。
「僕の為に命を掛けてくれたキミが愛しくて仕方がなかった。愛してる、ユリオ。キミがリリィディアで嬉しい」
「あの美人さんが、腐ちゃん…腐ちゃんが、殿下、なの?」
俺の言葉に、ハイライトの消えていた瞳に光が戻る。そうしてゆっくりと花が開くように晴れやかな笑顔になった。
「よくできました。ご褒美を上げる」
その笑顔の口元。それは確かに、口元だけ映すようにされたSkypeで見た腐ちゃんのそれに似ていた。
「それで、ユリオの願いはなに? 僕が何でも叶えてあげる」
歌うように、殿下…腐ちゃんが数え上げる。
「この国の王妃になって贅を尽くした生活をすること?
それとも大陸全土の覇者の妻? ユリオ自身が覇者になっちゃう?
誰も入ってこれないよう封印を施した世界を作って、死ぬまで二人で過ごそうか?
あぁ、でも僕にも許すことが出来ないものがあるんだ。だからそれ以外でね?」
楽しそうに、選択肢を上げていた腐ちゃんが、ふいに口調を変えて告げてくる。
「…キミが、僕を捨てて、僕以外の相手を、番に選ぶことは許せない。
僕を捨てて、僕のいない世界にいくことも許せないんだ。それだけは駄目」
ごめんね? とハイライトの消えた瞳で告げられたそれは、言葉では謝っているけれど、それは全然謝罪なんかじゃなくて。でもって、
「それ以外なら、なんでもいいよ。うーん。百歩譲って、僕を一生捨てないなら、他の男で遊ぶのまでなら許してあげてもいいかな。でも…光翼の神竜はちょっと困るかな。アイツも僕並みに独占欲強いし。まぁ、ユリオがどうしてもっていうなら許してあげなくもないけど。でも、その時も、一番は僕じゃないと駄目」
うっとりとぶっとんだ事を続けて言い出した腐ちゃんに慄く。
「ねぇよ! 浮気とか一夫多妻とかありえないから!! 俺の好みじゃねぇ!
純愛がいいんだってば。浮気とかくっつく前から考えるなんてありえないだろ」
そう叫んだ俺に、「それでこそ、僕のユリオだ」と嬉しそうに笑った。
「ふうん。そうか、ユリオはリリィディアの両親を合わせて上げたいんだ。優しいね」
俺の説明に、目をぱちくりと瞬かせた腐ちゃん入りの殿下は、目を伏せて口元だけで薄く笑った。ちょっと、馬鹿にされている? でも、悔しいけれど、リリィディアたんに架せられた婚約という名の封印を解くには殿下である腐ちゃんの協力は不可欠だ。
だから、ちょっとだけ不本意さが滲んで唇を突き出して頷く。
「ふふ。判ったよ。ユリオの思うままに。要は、僕が君に施された竜を封じる楔を解除すればいいんでしょ?」
普通に婚約破棄してくれればいいだけなんだけど。
妙に回りくどい言い方をする腐ちゃんの言葉を懸命に頭の中で理解に努める。うん。大丈夫だ。合ってる。
「じゃあ、誓いのキスして?」
こてん、と首を傾げられて一瞬、アタマが真っ白になる。
なんでやねん、とツッコミを入れる間もなく、目を閉じたイケメンに壁ドンされた。
「はい♡ ちゃんと待ってるから。ユリオがしてね?」
「え? あの…ほ、ホントに、婚約を破棄するのに、き、すが必要、なの?」
その要求内容と、目の前に差し出された目を閉じたイケメンに、おれの頭の中はまたしても大混乱だ。
睫毛長いとか、唇つやつやとか、白くて滑らかな頬とか。きりりとした眉とか。とかとかとかとか。
きょときょとと、彷徨う視線がそこにある殿下の顔のパーツ一つひとつを観察することになってしまって。見れば見る程、王子様然としたその顔の綺麗さに怖気づく。
(俺、リリィディアたんの、婚約者。で、腐ちゃんでもある人)
あの美人さんでもあるんだっけ、と頭の中で付け足す。
本当は、最後の記憶はもう一つある。
走馬燈みたいなものというか、彼女がいないまま人生を終えることになった俺が生んだドリームかと思っていたけれど。
あの、最後の時、薄れゆく意識が消える寸前。俺は、腕の中に抱きしめた人から、くちづけ、を、された、気がしたのだ。
思わず開けた俺の目に前にあったのは、深く昏い海の底の様なハイライトのない碧い瞳。
見ず知らずの美人がしてくれる訳がねぇ! と記憶を取り戻した俺は、その記憶を童貞が見せた妄想だと思っていたのだけれど。
でも。
あれが、腐ちゃんだったとしたら?
庇ったのが、ユリオだって判ってたとしたら?
夢は夢ではなく、童貞ドリームでもなくて、もしかしたら…現実?
「?!」
殿下の綺麗な顔を見つめながら、そんな遠い記憶を探っていた時、目の間でずっと閉じられていた殿下の瞳がゆっくりと開いた。
そうして──
「タイムアーップ♡」
その言葉と共に、今世でも、俺のファーストキスは勝手に奪われたのだったったたった。
世界が光る。
俺を中心に、というよりも、キャメロン殿下とリリィディアたんを中心として。
その光が収まると、俺たちの目の前には、おかあさんの物だと思われる、紅い竜の鱗が浮いていた。
それをそっと両手で包み込んだ。
その瞬間、ぎゅんっと視界がブレた。
そうして次の瞬間には、王城の地下神殿に立っていた。
もちろん俺の横には、腐ちゃん入りキャメロン殿下が立っている。
オカシイ。なんか、竜の力でいろんなことをしてるのって、俺じゃなくない?
混乱している俺は、それでも殿下に促されるまま紅い竜の鱗を乗せたてのひらを祭壇に向かって差し出した。
震える手の上から鱗が消える。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…
神殿が、というよりも大地そのものが、大きく揺れた。
ガゴン、ドゴンと地下神殿を支えていた大理石製の柱が倒れ、天井が落ちてくる。
「うわっ。な、なあ腐ちゃん。逃げた方が」
すぐ横に大きな石の塊ががんがん落ちてくる。正直、今にも腰が抜けそうなほどの恐怖を感じる。
とにかく、余裕綽綽といった様子で隣に立つ殿下を連れて、一刻も早くこの地下から脱出しなくちゃと思うんだけど、本気で余裕綽々なのか、まったく殿下が動かねえ。
俺の顔は脂汗でべとべとになっている気がする。ううう。俺のリリィディアたんは脂汗とか掻かねえし! って言いたいところだけど、今は無理!!
まったく動こうとしない殿下の横で身を捩りながら不安な時を過ごしていると、ひと際大きな音がして、なんと天井に大きな縦穴が開いた。
それはまだ暗い夜空にあって鈍く輝く、虹色をした大きな翼を持っていた。
「……光翼の、神竜」
ごくり、詰めていた息と唾を飲み込む。
その圧倒的存在感と神々しさと。そして何故か凶悪なほどの禍々しさを持つ巨竜が、カルヴァーン王国の王城めがけて降りてくるところだった。
ばさり、ばさり。
大きな翼がはばたく度に砕けた石や砂ぼこりが辺りに舞い、厳かなその声は神託を下すように人々を恐怖とパニックに陥れた。
光翼の神竜の登場により、王城中のガラス窓は割れ、棚にあるものはすべて揺れ墜ち、形あるものはその姿を単なる瓦礫に変えていく。
そうして神竜は、王城の地下神殿までまっすぐ穿たれた大穴に向かって、ゆっくりとその巨体を降ろしていった。
神々しいその姿を仰ぎ見る。
ずっと、会いたくて。その為の努力を続けてきた、俺の最推し。
「先代光翼の神竜さま。おとうさま……」
この世界を治める竜人族の長でありながら、番である母の危機に間に合わず、最強竜としての力すら奪われて失意のどん底に落ち、何もできない自分を恨み悔やみながら十数年も過ごしてきた、かつて神と謳われた最強竜。
今は鈍色に輝きが落ちた鱗の色が切ない。
でも。もうすぐその鱗の色も、あの、俺の心を掴んで離さない美しい輝きを取り戻してくれる筈だと思うと、それだけで背中がぞくぞくした。
『リリィディア。お前であったか』
神竜から話し掛けられてときめく。
「は、ひゃいっ」
噛んだっ。最悪だ。
ぷるぷる震えて下を向く。恥ずかしい。最推しとの記念すべき初対面でこれとか泣けてくる。
『……感謝する。あと少し、力を貸せ』
その言葉に、俺は期待を込めて、強く頷いた。
「はい。もちろんです。よろしくお願いします」
「微力ながら、僕にも手伝わせてください。キャメロン・カルヴァンと申します。お見知りおき下さい」
そつなく挨拶を終える腐ちゃんのコミュ力が羨ましすぎる。
それにしても、腐ちゃんはリリィディアたんのぱぱんに萌えたりしないのだろうか。俺にとっては本家腐女子なのに。
「僕、属性:ポンコツ駄目の子萌えだから」
まるで僕の頭の中を完全に読み取っているかのように腐ちゃんが答える。
「ユリオの事なら、何でも判るよ。愛があるからね」
いきなりの告白に、顔が赤くなる。
「突然、なに?! からかうの、やめてよ」
無意味に両手を大きく振って拒否を表す俺を、不機嫌な顔をして腐ちゃんが睨む。
ぷいっと横を向いてしまった腐ちゃんに、やっぱり冗談なんだと少しだけがっかりする。
…がっかりしたのは、少しだけなんだからね!
刃物で刺されるほどアグレッシブな体験はしたことないけど
スズメバチに刺されたことはある。
いきなり後ろから、錐みたいな鋭利な刃物で刺されたのかと
思うような強烈な痛みだった。
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