第20話 私の名で幕を上げる
三ヶ月後、北辺劇場の新しい緞帳には、金糸で劇場の紋章と私の名が刺繍されていた。
芸術監督クラウディア・ヴェルナー。肩書きの重さにまだ少しだけ笑ってしまうが、配役台帳も会計帳も客席札も、全部を洗い直した今なら受け止められる。
再開幕の演目は《白銀の花嫁》ではない。北辺劇場のために書き直した新作《冬明けの塔》。主役は私。代役でも補助でもなく、最初から最後まで私の名で出す初めての舞台だ。
「緊張してる?」
グレータが袖で囁く。
「少しだけ」
「なら正常ね」
ルートヴィヒが指揮棒を整え、アデルは今度こそ表舞台の歌唱指導者として客席から見守っている。イレーネの写譜には、もう『表には出さない』の一文はない。
開演前、フリードリヒが最前列A-1へ座るのが見えた。今日の席札は、私が自分で書いた。
『ここは、いちばん先に聞いてほしい人の席』
舞台鈴が鳴る。修理したあの日より、ずっと澄んだ音だった。
第一幕を歌い切った時、客席の拍手がまっすぐ身体へ返ってきた。借り物ではない。隠し声でもない。私が選んだ旋律と、私の名で鳴った拍手だ。
終演後、フリードリヒは舞台袖へ来るなり、いつものように短く言った。
「良かった」
「珍しく短すぎません?」
「次は長く言う」
差し出されたのは、封筒ではなく小さな箱だった。中には指輪がある。
「北辺劇場の芸術監督へ、もう一つ役を頼みたい」
私は笑って受け取る。
「配役は私が決めるんですよ」
「知っている。だから頼んでいる」
袖の向こうで、まだ拍手が続いていた。私は箱を閉じ、彼の手を取る。
「では、その役、引き受けます」
嘘の主役が降りた後の舞台は、驚くほど明るかった。配役台帳にも、会計帳にも、客席札にも、もう誰かの都合で消される名はない。
幕は、私の名で上がる。これからもずっと。




