ずっとあなたを愛してる。
♢ ♢ ♢
「ふむ。私のかわいい姪っ子は、今日は随分と暗いのだね」
穏やかな陽の光が差し込むそんな部屋で。
あたしは古い革の表紙の手触りを愉しみながら、本を閉じて顔をあげた。
いつもの日課でここ王宮図書館に訪れ。こうして本を読む。
日中、図書館の主と呼ばれるほどここでずっと調べ物をしていらっしゃる叔父様が、そう声をかけてくださった。
「あら、わたくしはいつもはそんなに明るいですか?」
そう、軽口をたたく。
自然と笑みが溢れた。
「ああ。やっぱりエミリアは笑った顔の方がかわいいよ」
だなんて、あたしの欲しい言葉をいとも簡単にくださる叔父様。
やっぱり、好き。もう随分と歳が離れてしまったけど。
今のエミリアの年齢の倍よりも、叔父様の方が歳が上だけれど。
それでも好きだな。そうにまにまと自分の想いに浸ってると。
「ところで昨夜はなにやら騒ぎがあったそうだね」
と、そう切り出す叔父様。
「騒ぎ、ですか……」
たぶんマクロンのあの婚約破棄騒動のことだろうとはおもうけど。
あれは、結局どんなふうに周りに捉えられたのだろう?
今朝に至るまでお父様からはなんの話も無かったし、王宮からも何も無かったから。
あたしとマクロンの婚約は破棄されていないと見るべきか。
っていうかマクロンが泣き出しちゃって有耶無耶になった感じ。
ただのちわ喧嘩くらいに思われた、かも?
それはそれで、また一からやり直しではあるんだけどもさ。
「私としては、かわいい甥っ子姪っ子が仲違いするのは悲しいから、そういうのはあまり見たくはないかな」
そんなふうにさらっと口にする彼。
「そんなに仲良くは、していられませんわ」
「今から夫婦喧嘩かい?」
「そんなんじゃ、ありません!」
「でもね」
叔父様は、ちょっとだけ困ったようなお顔をして。
「良くない話も耳にしてね」
と、ほおに手をあてる。
「もしエミリア嬢が王子殿下との婚約を解消するのであればぜひ自分の息子の嫁に、と、そう騒ぎ立てる古参貴族が一人や二人では済まなくてね」
え?
「君は筆頭公爵家の令嬢だ。ハイデンブルク家の権勢を自陣に取り込みたい派閥は後を立たないからね」
そう言って。
叔父様は手に持ったままだった本をパタンと閉じ、机に置いた。
そのままあたしのそばまで来ておもむろにその大きな手をあたしの頭の上にのせて。
くしゃくしゃって撫でる。
「叔父様、やめてください髪が乱れてしまいますわ」
「はは、ごめんね。君があんまり暗い顔をしているものだからさ。でもね。確かに君の家の力は絶大だ。正直言ってその経済力も考えたら王家よりも上かもしれない。だからかな、公爵は君がそんな権力争いに巻き込まれるのを嫌って、とっとと王家との婚約を決めてしまわれたのだろうね」
「それはわかります。でも……」
「恋愛結婚に憧れる?」
「それは、もちろんですわ!」
「そう、だね。愛する人と結ばれる。私もそうしたかった」
え?
「ずっと、そう願ってた。でも、もうそれもこれで終わりかもしれない……」
ふっと、遠くを眺めて悲しそうな表情を浮かべる叔父様。
どういうこと? 叔父様、フランシスさまは、エミリィの事を諦めた、の?
「ああごめん。こんな愚痴みたいなことエミリアにこぼすなんて。今日の私はどうかしてる」
「ううん、叔父様! どうなさったのですか!? なんだかすごく寂しそうです!」
「ごめんよ心配かけて。いや、なんてことのない話さ。実は私に隣国の姫との婚姻話が持ち上がっていてね」
そ、そんな!
「こんな歳になるまで結婚しないできた独身の男に今更そんな縁談が来るとは思わなかったけれど、今回はやけに兄も乗り気でね」
「だって、そんな!」
「今の国際情勢から、隣国との結びつきは是非にも強めたい、そういわれ断るのも難しい状況になってしまったのさ」
ああ。
最近、きな臭い感じであちこちに戦争をしかけている国があるのは聞いていた。
そこに対抗するために、お隣の国との同盟関係を強めたい、そう国内で意見がでているのも、あたしにも聴こえてきてた。
でも、だからって叔父様が犠牲になるの!?
「そんなの、叔父様が犠牲になるなんて嫌です!」
「エミリア?」
「叔父様はいつも自分を犠牲にしてばかりじゃないですか! いやです、わたくし、そんなの嫌」
思わず涙が頬を伝って落ちていた。
「エミリア。私はなにも犠牲になんかなるわけじゃないよ。どうせわたしの恋は叶わない。その事に、この歳になってやっとわかったから。なーに、結婚も悪くはないさ。それでこの国が平和でいられるなら安いものだ」
そういってもう一度くしゃくしゃってあたしの頭を撫でる叔父様。
どうしよう。このままじゃ。
ええい。ままよ。
黙ってるつもりだった。黙って穏便になんとかってそう思ってた。
でも。もう、ダメ!
このまま行ったらあたし、バッドエンドしか見えない。
だから!
「叔父様、ううん、フランシス、あたし、エミリィよ。ずっとあなたを愛してた。あたしの方があなたを追いかけてきたの!」
その時。
光が弾けた。
————
世界が反転したのかと、そう思った。
真っ白な世界にあたしは落ちたのか。
次元、嵐?
こんなところで?
沢山の泡が見える。
って、あたしも泡になっちゃった?
心が泡になってふよふよと漂っている。
そんな感じ、で。
ああ。もしかして。
あのお薬で無理矢理転生したツケなのか。
アリエルが言ってた。泡になっちゃうってこういう事?
——うーん、ごめんねエミリィ。禁忌を最後に付け加えて話したから、もしかしてあんたには聴こえて無かったのかな?
え?
声?
禁忌?
っていうかその声ってアリエル?
正面にふわんと魔女アリエルの姿が浮かぶ。
実態?
じゃないよね。
妄想?
にしては生々しい。
それでも。
凛としたその姿は、あの頃のままの若々しいアリエルそのものだった。
——あの薬の呪い。希望の恋を叶える事のできる場所に生まれ変われるかわりに、その恋を叶えられないと何度でもこうして魂に戻ってやり直さなきゃいけないの。
え? この泡は魂、なの?
——でもってその呪いには禁忌が一つ。決して転生した事を明かしてはいけない。自分の前世を相手に知らせてはいけない。それはルール違反。
ルール、って……。
——望みを叶えるための代償? 大昔に神がそう定めた物だから、アタシにもどうしてやることもできなくてさ。
そっか。そういうことか。
——エミリィ? ごめんね。こんな呪いの薬飲ませて。
ううん。いいの。きっとあたしはその禁忌まで聞いたとしても、呪いだと知っていたとしても、薬を飲む事を選んだだろうから。
あたしはフランシスを諦めることが出来なかった。
その想いに応えることができるのがこの薬だけだったって、そういうことだものね。
ありがとうアリエル。
感謝、してるよ。
でも、これからあたしはどうなるんだろう。
今からもう一度産まれ直すの?
でもそうしたら、叔父様と年齢が離れすぎちゃう。
それに、叔父様、隣国のお姫様と結婚しちゃったかもしれないのに、そんな世界に転生してももうどうにもならないよ……。
悲しくって。絶望があたしの心に押し寄せる。
もう、このまま諦めるしかないの?
産まれても産まれても泡に戻るだけ。
それはもう地獄と何ら変わらないよ……。
——ばかね、エミリィ。流石にそんなことになるわけはないでしょ? あんたはまた望みの場所に生まれ変わるのよ。やり直しなさい。最初っから。そうね、今度はもっとちゃんとした悪女を目指しなさいな。
はは。
悪女、かぁ。
結局そこかもしれない。
あたしは悪女に、悪役になりきれなかった。
だから全部うまくいかなかったのかもしれないから。
やり直せるなら、タイムリミットは十七歳の学園の懇親会のその日まで。
マクロンとの婚約を最初からしなければいい?
きっと、それは無理。
国内情勢から考えると、お父様が選ぶのはマクロン以外にはあり得ないのもよくわかったもの。
だから。
——頑張って、エミリィ。
うん。ありがとうアリエル。あたし、今度こそ頑張る。
ちゃんとした悪役を演じてみせる。
そうしてきっと、叔父様と添い遂げてみせるよ!
ふふ。待っててねフランシス。あたしは絶対にあなたを諦めないから!
そう決意を固め。
あたしは真っ白な光の壁をくぐった。
この先に、あたしの本当の人生があるんだから!!
FIN