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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
DEAD ZONE
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第百三話「chain・7」

「当初、我々を襲った死者を不死者にする現象については未知のウイルスが原因だと考えられていた。あれからずいぶんと歳月が立ってようやくそれらが間違いだということに気づいた。まぁ、今も昔もさして重要なことじゃない。なんであれ我々には成す術がない。それに僕は学者じゃない」


「ではいったい何が原因だと?」


「……君は知らないのか。まぁそうだろうね。世間が知ることじゃない。みんな忘れたいだろうさ。順序も理屈もかなっちゃいなかった。理不尽が襲い掛かったんだ。天災には順序がある。理不尽な災害である地震やハリケーンなんかもみんないずれ起こることは頭の中で分かっている。過去が経験してきたことだ。だが、あれは違う。あってはならないことが起こったんだ。例えばいきなりUFOが襲い掛かってきて町を全滅させてみなよ。そもそも理解が追いつかない。人々は経験済みのことに頭や感情を消費する。受け入れられるのは被害と人の死と祈ることだけさ」


「では、あの事件に関してはそれほどあり得ないことが起きたということでよろしいのでしょうか?」


「違うよ」


「違う?」


「今のは比喩で言ったんじゃない。そのままの意味で言ったんだよ。侵略。地球の外からやってきたのさ」


「……それは」


「信じたくないかい?バカバカしいもんなぁ。ま、そこまでいくとさすがに冗談なんだけどさ。こっから先は僕の憶測だ。でも考えても見なよ。やつらは人を喰い数を増やす。留まることを知りはしない。奴らは脳を支配し、必要のない細胞は食いつくし、単純な動作に必要な細胞や気管は残す。もはやそれは人間とは言い難い。別の生き物さ。それに……奴らは進化する。これが生き物でなくてなんだ?」


「進化……ですか」


「奴らは人体に寄生し別の生き物に変えてしまう。だがそれは別の生き物を創り出すわけじゃない。ただ人間という一つの生き物を崩しているだけに過ぎないんだ。その過程で一部の個体は気づいた。自分たちがより広範囲で活動できるようになるためにはただ歩くだけではダメだと。この世界の生き物ってやつはそうやって進化してきた。まぁそもそも個体を増やすことに関して突出した生物だから幸い報告例は少ないんだけれどね。その個体が次に寄生する対象は当然それと同じ性質を持つことになる。早いとここちら側に来る前に少佐殿には尽力してもらわないといけないなぁ」


「それで、その進化というのは……」


「あぁ、ごめん。どうにも話が曲がりやすくて困るね。意外とおしゃべりなんだ。若いうちはそうでもなかったんだけどさ。単純な話さ。アクセルしか踏めなかったものがブレーキを覚え、ハンドルを切ることを覚えた。ただそれだけのこと。ただそれだけが僕たちを苦しめた」


「あなたは、その進化した個体に遭遇したのですね」


「あぁ。その時はまるでそんなこと頭になかった。生きることで精いっぱいだったんだ。今だってそうだ。正直奴らの事は考えたくはない。人間と未来のことを考えていたい。そのためにこの立場に就いたんだ。しかし……あれは酷かった。本当に酷かったなぁ」





 屋上まであと何階なのだろう。時計の針は何時を指しているのだろう。暗闇でそんな単純なことを一人考え込む。ライフルの音が遠方から反響し、感染者が蠢く音がする。そのたびに俺たちの足はこわばり見えない何かに行方を阻まれた。立ち止まれば感染者が悪臭とともに顔を出す。もはや振り払う体力など残っていない仲間は息を切らしながら首を撥ねることで精いっぱいだった。

 疲労がその姿を堂々と表していた。空腹、渇き、睡眠の不足、足は棒になり、腕はちぎってしまいたいほどの疲労感を孕みながらただ宙に揺れる。武器を握るその手も力ない。人が見れば感染者と見間違えるだろう。意志だけが体を動かし、体は死にかけている。

 ゾンビ映画の古典では最後、残った生存者がゾンビと間違えられ射殺されるエンディングを迎えていた。ただゾンビと間違えられただけなのか、そのシーンにはさまざまな憶測が飛んでいるがとにかくそうならないようには祈りたい。白狼に撃たれて死ぬなんてお互い絶対嫌だろう。


 そんな中、俺たちはうめき声を聞いた。誰もが立ち止まり周囲を見渡した。階段を上りフロア階についた途端の出来事だった。

 そもそもこのマンション自体、うめき声で溢れてはいる。珍しいことでも何でもない。だがそれはあの(・・)うめき声とそっくりだった。秋津さんがこちらを向いている。間違いない。頭に浮かんでいる者はきっと同じだろう。

 感染者のうめき声は声ではなく音だ。偶然声帯が揺れて出たような音。風が唸るのに近いものがある。だがあれは違う。声だ。意図するように声として発声されている。

 そしてそれはこの近くにいる。さっきの奴と同じものなのかは分からない。同じだとすればこの世界のルールが変わってしまったということになる。感染者は階段を上ることができない。確実に下のフロアに奴は落ちてきた。それがここにいるのなら少なくとも黒い目は他の感染者よりも高い身体機能を持っていることになる。


「奴だ。全員警戒しとけ。今までの奴とはまるで違う相手だぞ」


 秋津さんが静かに注意を呼び掛ける。息を殺す俺たち。聞きたくもないうめき声の中に奴の声を探る。暗闇から襲い来る正体不明の敵にそれぞれの牙がそれぞれの正面に向けられている。タイミングを間違えれば牙を立てる余裕もなくその喉笛を噛み千切られるのだ。異常な緊張感が背筋を撫でる。遠くでは再びライフルが咆哮している。奴が来る前に白狼たちがここにやってくればいいのだけど、叶わぬ願いだろう。


 俺がため息をついたその時、この場にいる全員が乱暴な足音を聞いた。


「秋津!!」


 成塚さんの声が響き渡る。秋津さんを呼んだ時にはすでにそれが彼の目の前にいた。

 きっと、刀を振り下ろそうとしたのだと思う。その一太刀が入る前に奴は刀に飛び込んでいた。銀色の刃は音を立てながら黒い血に濡れる。攻撃のために振り下ろした刀が防御として機能せざるを得ないでいた。


「んだ……手前ッ……!!」


 額から上唇にかけて刀が男の顔にめり込んでいる。力を込めてそのまま斬ろうと眉間にしわを寄せ、歯を食いしばった秋津さんをその黒い両目が覗き込んでいる。手は血肉を求めバタバタと宙をあおぎ、くぐもった声を途切れなく喉の奥から絞り出している。


「陽平!!」


 化け物を目の前に凍り付いた俺は秋津さんの声で我に返り、グロックを黒い両目の側頭部に撃ち込む。黒い両目は刀を顔面で撫でるように床に落ちた。


「こいつがさっき言ってた……」


 花田君でさえ怯えを隠すことなく動くことのない死体を目にしている。


「いや……違う。別の奴だ。奴は片目が無かった。両目とも黒いけど……これじゃない」少しずつ絞り出す言葉に俺は嫌な予感を覚えている。


「……つまり。これと同じものが他にもいるという事か」


「同じ動く死体でも……これは……別物と考えた方がいいな」


 秋津さんは床に座り込み息を切らしている。体力の限界。ここに来て俺たちのゴールがまた少し遠くなる。

 数分の間、誰も、何も言わなかった。警戒の沈黙ではない。意気消沈の沈黙だ。


 考えられることは一つ。言い方がおかしいとは思うが奴は感染する(・・・・・・)ということだ。また別のウイルスなのかなんなのかは知らない。もしこれが確定なら奴に噛まれた人間の分、奴と同じものが出来上がるのだ。このタワーマンションで奴に何人噛まれたというのだろう。両手で数えられる程度であってほしい。それでも十分すぎる脅威だ。疲労にあえぐ俺たちへの追い打ち。まるで世界が自分たちを殺しにかかっているようにも思えた。


 暗闇の中、俺たちはまた足を止めてしまっている。先に進むしかない。全員がそう思っている。ただ進めない。これまでのように気持ちの問題で進めないわけではないのだ。それはもう全員が克服しているはずだ。ただ一つの死という現実。それが足を掴んで離さない。気持ちでは何と思おうとそれは実質的に壁として立ちふさがっている。越えるには越えるしかない。壊すことも回り込むこともできはしない。


 たぶんきっと、この世界が元の世界のままだったら俺はその事実を知らなかったんだろう。玄関を開けて外の世界に繰り出しても自分が変わるわけじゃない。外にある障害も障害のままそこに立ちふさがっている。進もうとすればするほどその障害はどんどん大きくなっていく。それに気圧されて絶望してまた元に戻るだけだったに違いない。乗り越えるにはやはり乗り越えるしかない。


 だからこの中の誰よりも一歩を早く踏み出す。


「陽平……」


「行きましょう。普通のゾンビだろうと黒い目だろうと今の俺たちにはなんだって一緒です」


「ああクソ」秋津さんが舌打ちとともに声を上げる「いつからでけぇ面するようになった」


 きっとついさっき死にかけた時からですよ。そう返そうとした。口は半開きに、乾いた喉から声でなく息が漏れる。


「ぁぁあああぁあああぁぁぁあああああ……」


 下の階層からはっきりとした足音ともにそれは「あああああぁぁぁぁああぁぁぁぁああああ……」複数同時にやってくる。頬からこめかみにかけて寒気と戦慄が走る。


「何人いるんだよ……」声を殺した石井君の声。それに重なって一段一段丁寧に足音を響かせながら推定黒い目はこちらにやって来ている。


「戦うか、走り抜けるか、部屋に隠れるかだ」成塚さんが小さく呟く。回答を求めているようには思えなかった。分かっているんだ。それを決めるのは俺らじゃない。


 黒い目達(やつら)だ。


 いつ電池切れになるかもわからない懐中電灯が階段の先を照らす。


 自分たちで決めたわけじゃない。決めさせられたのだ。


「走れ!!!!」


 視界の隅に人影が映った瞬間、秋津さんが怒鳴り声をあげる。


「がああああっ!!」


 誰かの悲鳴か咆哮が空気を引き裂く。結果として何が起こったのか、知りたくはない、分かるわけがない。ただ暗闇が見えている。誰かが手に持っていた懐中電灯がちらちら足元を照らす光が飛び込んでくる。こんな状況で転びたくはないが階段すらどうでも良くなっていた。その証拠にフロア階で半身を壁にぶつける。すぐさま足の行く先を階段に向けて走り出す。後ろは振り向けない。


 距離とか、状況とか、そんなこと、まるで頭に入らない。追われる生と追う死。この地上で起こるありとあらゆる現象がものすごくシンプルなものに置き換えられる。じゃないと今の頭じゃ理解が追いつかない。


 どこまで走ればいい?目の前にいる影に聞きたいのを抑える。でもそろそろ限界だ。足も腕も肺も痛みで焼け尽きて消えてしまいそうなんだ。


 ふいに振り上げた腕が異常な力で握られる。メキメキとそれこそ骨の折れるような音がする。

 同時に声があがる。奴のうめき声と俺の哭き声。まるで他人の声みたいに聞こえる。


 光が当たる。仲間が叫ぶ。横から車でもぶつかってきたのかってくらい強い衝撃になぎ倒される。頭が手すりにぶつかる。揺らぐ視界、がなる痛み。飛ばない意識。どうせ死ぬなら飛んでほしかった。


 視界に映る見たことのある目。冷たくけれどいたわりを持った目。


 白狼?


 あり得るわけない答えがかすれ声とともに漏れる。

 

「スライドを引け!!!」

 

 言われた通りに引く。視界は闇に戻される。たぶん引けた。今この瞬間じゃそれで精いっぱいだ。その目の持ち主が自分の腕からグロックを引き抜くと間髪入れずに発砲する。生暖かい血液が俺の頬を垂れていったのが分かった。

雪ですね

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