表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第二章 クコ皇国の変化 ―
35/149

第25話 蛍雪堂3―鍵―


 ひとしきり笑いあったあと、あお真赭まそほ、それに浅葱あさぎは書庫の片付けを再開していた。


「じゃあ、共鳴を徐々に高めていくね。右から順番にいくね」


 最もアゥマの扱いが上手い蒼が、古書と書架のアゥマの種類を見極め共鳴をはかる。書架は幾つかの箱のように区切られている。その箱の間、太い区切り部分には大きな玉がはめ込まれており、その玉がアゥマを読み取りやすくする役割を果たしているのだ。

 本棚から少し離れた場にある小さな円卓。その上にのった硝子玉の中には、それらと同じ種類の玉が閉じ込められており、花びらのように漂っている。


「うん。大丈夫そう。玉と花弁がうまく誘導してくれる」


 蒼の顔よりも大きな硝子玉を浮遊させているのは、交差している薄い厚さのふたつの輪。それを包み込むように、蒼は両の掌を翳して、アゥマと共鳴しているのだ。

 そして、真赭と浅葱が、既に収められている古書たちの間に掌を翳かざす。書架に己のアゥマと古書が持つアゥマを注ぎ込む。すると、不思議なことに、隙間がなかった筈の場所に空間が生まれた。


「いやぁ、摩訶不思議だよねぇ。ぴっちり本が収められている筈なのに、空間が出来るなんて」

「そうね。この本棚全体がおばぁ様と白様の作品なのだけど、元々有形の物質ではなく、こうして大きくなっていっているものだから」


 浅葱は、両手を腰にあて感嘆の息を吐いた。そして、真赭の言葉を受けて、ひたすらに広い空間を見渡した。浅葱の口から「うひゃぁ……」という奇妙な声が溢れる。

 真赭はそんな浅葱に視線を向けることはなく、遠くを眺めていた。いつもであれば、彼女の祖母のことは、誇らしげに口にするのだが今に限っては、少しばかり沈んでいるように感じられた。けれど、それに触れられることを望んでいないように思われて。蒼は、真赭から視線を外した。


「確かに、何度見ても瞬きしてしまう光景だよね」


 書架は、大きな音を立てて形を変えるわけでもなく、微妙に大きくなっている気がするという錯覚程度の認識しか出来ない。

 毎日少しずつ収めていくのであれば、きっと、大きさが変化したことにも、しばらくは気がつくことが出来ないかもしれない。


「本を食べて、成長してるみたい」


 特に深く考えず、そう呟いた蒼。

 本を『吸収』した棚が、その瞬間わずかに見せるアゥマの高潮。それを直接感じていると、そんな考えが浮かんできた。それはあくまでも直感的に思っただけで、蒼とて思慮深い意図があっての発言ではなかった。

 浅葱が、


「それ面白い表現だねぇ」


と笑い声をあげる。しかし、真赭は、顎に手を当てて沈黙してしまった。

 真赭が言葉少なになることは珍しくないが、今のように考え込んでしまっていることは、そう多くはない。

 蒼と浅葱は顔を見合わせ、「真赭?」と彼女の名前を呼ぶ。


「……私、うぅん、ごめん。なんでもないわ」


 真赭は言い淀んで、目を逸らしてしまった。そう口にした真赭は、どう見ても『なんでもない』ようには思えない。

 蒼が可笑しな表現をしたことに腹を立てているわけでもなく、笑いを堪えているようでもない。やや眉間に皺を寄せて何事か思案している真赭に、踏み込んで聞いてもよいものだろうか。そう蒼が躊躇していると……。


「えー、真赭! すんごい気になるんだけどなぁーそんな顔されるとぉー」


 浅葱があっけらかんとした口調で言い放った。そうして、そのまま唇を尖らせた。

 惚けてしまっている蒼を他所に、浅葱は拗ねた顔のまま棚を軽く叩いている。

 真赭と言えば、先程よりもさらに、渋面じゅうめんを作り口元を歪めた。蒼には、その表情が、投げかけられた疑問にではなく、本棚を叩いたことによって作られたことがわかった。真赭の鋭い視線が、浅葱の顔ではなく手元に向けられていたから。


「浅葱、とりあえず、その手を止めて。でないと、叩き折るわよ」

「ちょっ! 真赭、目が笑ってないんだけどぉー!」

「浅葱、真赭ってば本気だよ? それに、本たちのアゥマも色めきだってる」


 蒼の言葉は、もちろん冗談だ。けれど、浅葱は慌てて本棚から身を引いた。滑稽な格好で手摺りぎりぎりまで下がってしまったまま固まっている浅葱が、あまりにも愉快で、蒼は大きな声をあげて笑ってしまう。


「浅葱ってば、ごめんね、冗談だよ」

「もー! 蒼が言うと洒落に聞こえないんだからさぁ。勘弁だよー! で?」


 浅葱は真剣な顔で、額の冷や汗を拭った。そうして、次いで出た催促の言葉。投げかけられた真赭は、再び顔に影を作り、沈黙を決め込んでしまった。

 思いの外、思い詰めた表情になってしまっている真赭。蒼と浅葱とて、ここまでの空気になるとは考えてはいなかった。真面目な幼馴染を追い詰めてはと、蒼と浅葱は無言で頷きあった。作業に戻ろう、と。

 ふいに、真赭の口が重々しく開かれた。


「……本当はね、白様がいらしてから言おうと思っていたのだけれど」

「真赭、言いにくいことなら、無理に言わなくて大丈夫だから」


 蒼は出来るだけと、軽い調子で右手を振る。浅葱は聞きたいと好奇心いっぱいの目をしているが。

 けれど、真赭は些か激しい様子で、頭を動かした。耳下までの、ふわりとした髪が揺れる。


「言いたくない訳じゃ、ないの」


 ゆっくりと視線をあげた真赭の瞳の色が、あまりにも暗く。蒼はごくりと唾を飲み込んだ。緊張が体を縛る。


「蒼、小さい頃、川に落ちたことがあるでしょう?」


 そうして、出てきた真赭の言葉は、全く予想が外れたものだった。

 蒼は面食らいつつ、こめかみに指をあて、幼い頃の出来事を思い出す。


「え? あっ、うん。そうだね、えーと、六・七歳のころだったかな」

「あーあったねぇ。小川を、船で渡ってた時かぁ。学院に入る前の子どもたちが集められて、街をめぐる体験学習みたいな」


 戸惑った蒼をおいて、浅葱はすらすらと思い出を引っ張ってきた。蒼は、人の発言の中身にあまり引っ張られない浅葱がほんの少し羨ましくなった。

 確か、船頭の大人の目を盗んでは、やたらと真赭に絡んでくる男子がいたのだ。 しばらくは二人して無視を決め込んでいたのだが、あまりにも激しい勢いで真赭の髪が掴まれ、怒った蒼が男子と取っ組み合いになり――蒼は、川に突き飛ばされる形で落ちてしまった。


「源水から離れていたとはいえ、それなりにアゥマの濃い川に落ちたって、大騒ぎになったよね」

「水晶板の上にさらに水が流れてるっていっても、普通だと足を水晶板の隙間に挟むか頭まで浸かっちゃうくらいなんだけどね。子どもだったから、格子になってる水晶板のない部分から、本流に落ちちゃったの。それにしても、浅葱はあの時は隣の船にいたのに、よく覚えてたね」

「それなりに大事だったし、うちの親父が白様と酒飲みながら未だに話してるの、聴いてるしねぇ。それに蒼、しばらくは、泳ぐのも船も駄目だったじゃん?」


 そうなのだ。幾ら溜まりを管理している環境におり、他の子どもよりは濃厚なアゥマに触れ、なおかつ耐性のある一族とはいえ、幼子が川の深くに沈んでしまうということは、とても危険なことなのだ。

 川面でもがけていればよかった。だが、あの時、蒼は何かに足を引っ張られ川底に引き込まれてしまった。未だに、足に絡んできたモノがなんだったのかは分からずじまいだ。


「うん。あれ以来、しばらく、泳ぐことが怖かったんだよね」


 溜まりに入ったり、川に足を浸したりする分には全く問題はない。それであっても、今でも泳いだり船の淵に立ったりするのは苦手だ。

 アゥマの濃い川に落ちたことも突き飛ばされたことも、それほど怖くはなかった。

 蒼の体に刻まれている恐怖。それは、引きずり込まれた時、蒼の足に絡んできた得体のしれない黒い物。流れ込んできた真黒な気持ちに、全身が震えたのだ。それを『気持ち』と呼んでいいものかは判断に迷ってしまうが。

 それはともかく、気がついた時には、既に自宅の寝台に寝かせられていた。家族全員に紺樹、それに医者など、ともかく色んな人に囲まれていたのを覚えている。それに、泣きじゃくった真赭が、蒼の手を握って離さなかったことも。真赭は、どれだけ蒼自身が悪かったのだと言って聞かせても、目を真っ赤にして首を振り続けていた。


「でも、どうしたの? もしかして、浅葱が言ったようなこと、まだ気にしてるとか言わないよね?」

「そうではないから、安心して」

「良かった。っていうか、急に昔話なんてして、どうしたの?」


 そうだと、蒼は我に帰る。懐かしい話が本題ではない筈だ。

 真赭は苦笑いを浮かべ、手元の本を撫でた。そして、意を決したように顔をあげ、真っ直ぐに蒼を見つめた。


「蒼、これ」

「これって……鍵?」

「え? 鍵なの? ボクには普通の懐中時計に見えるんだけどなぁ」


 浅葱の言うとおりだ。真赭が胸元から出したのは、どう見ても懐中時計の形をしていた。真赭の白い掌に乗せられているそれを、三人で覗き込む。

 一足先に指先で懐中時計に触れた蒼は、すぐにそれが何かしらの鍵であることに気がついた。人差し指と中指を揃え、改めて懐中時計に触れさせる。瞼を閉じて意識を集中させると、瞼の裏に暗号らしきものが、薄く映し出されてきた。


「うん。たぶん、間違いないと思う。すぐには、用途まではわからないけど。謎解きは、おじいや紅の方が得意だから」


 蒼は精製や共鳴の技こそ優れているが、誰かに作られた暗号を解いたり流れを手繰たぐったりする技術に関しては、紅の方が断然優秀なのだ。

 それに、目の前の鍵が、先程の話と繋がるのかも謎だ。しかし、真赭は意味のない話の仕方は、あまりしない。

 小首を傾げながら。蒼は真赭を見つめた。


「これを今日、おじいに渡そうと思ってたの?」


 そう尋ねた蒼にも、真赭は無言で頭を左右に振るだけ。相変わらず、思い詰めたような表情を浮かべている。

 どうしたものかと、蒼は横目で浅葱に合図を送る。が、浅葱は両の手をあげ、参ったと、声もなく口だけを動かした。気のせいだろうか。真赭の細い足が小刻みに震えているように見える。

 ひとまず、彼女を落ち着かせようと、蒼は真赭の肩を撫で座るように促した。


「そうそう、真赭、座ろうよぉ。ボクも疲れちゃった。立ちっぱなしで」


 腕を派手に回しながら、浅葱が真先に腰をおろした。両手を後ろにつき、未だに立っている蒼と真赭を見上げてくる顔には、笑みが乗っている。浅葱にしては珍しく、空気を読んでいるのだろう。心配の色が見え隠れしていた。


「ほら、真赭もさ――」

「違うの! 私、怖くて。最初は白様に笑い飛ばしてもらおうと思ってた。けれど――」


 蒼の腕に、痛みが走った。

 か細い真赭の指が、蒼の両腕を掴んでいる。素肌に食い込んでくる、長い指。けれど、蒼が苦痛を感じたのは、ほんの一瞬だった。蒼の瞳に映りこんだ、真赭の姿。それが、それ以上に蒼の胸を締め付けてきた。

 追い詰められた表情に怯えを混ぜた、その様子。真赭の白い顔が、青白くなってしまっている。

 尋常ならざるものを感じた。あまりの緊張感に、浅葱の腰もあがった。

 蒼は自分の動揺を隠しながら、出来るだけ柔らかい声で、親友の名を呼んだ。けれど、真赭は瞳を潤ませて、苦しそうに言葉を吐き出しただけだった。


「私……! あの日、見てしまったの! ここで!」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ