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番外編③後編 ある晴れた日の街角で(過去編)


 蘇芳が紺樹へと向けていた顔をくるりと回すと、魔道学院の外套を身に着けた少女が、肩かけ鞄を揺らしながら、笑顔で駆け寄ってきているところだった。

 淡藤色の長い髪がふわふわと踊って綺麗だ。桜の樹から舞い落ちる花びらが彼女の前を通り過ぎると、また一段と映える。

 二人と目があうと、愛らしい丸い瞳に喜びの色を湛えた。おまけにと、裙子スカートを揺らしながら嬉しそうに紅葉の手を振ってくるではないか。


「やっぱりスオウ様の声だった! こんにちは!」


 記憶にある姿より少しばかり女の子らしさがましていたせいか、蘇芳はすぐに知っている少女だと気がつくことができなかった。


「スオウ様?」


 しかし、首を傾げた少女が贔屓にしている茶葉屋『心葉堂』の娘、蒼月あおつきだと認識すると、満面の笑みで両の手を広げた。

 背丈も高くがたいも良い蘇芳がするとかなり迫力がある行為だが、蒼は嬉しそうに手を伸ばした。


「蒼ちゃんじゃないか! 偶然会えるなんて嬉しいぞ!」


 蒼も「わーい!」などと歓喜の声をあげて蘇芳に駆け寄ってくる。


「久しぶりだなー、随分女の子らしくなっ――いでで! 紺樹、痛い!」

「あっ、紺君こんくんも一緒だったんだね!」

「……駄目だったか?」


 紺樹が眉を下げたのを見て、蒼はぶんぶんと大きく頭を振った。

 脳震盪がおきんばかりの行動に、紺樹は「ふはっ」と噴き出してしまう。後ろに倒れそうになった蒼を支えたのはさすがと言うべきか。


「ううんっ! よるごはんを心葉堂でいっしょできるって聞いてたけど、その前にあえてうれしいなって!」


 蒼が頬を染めて、えへへと笑う。肩掛け鞄の紐をいじりながら笑う蒼は、言葉の通り嬉しそうだ。嬉しそうなのに交じり、どこか照れているようでもある。

 特別感を噛み締めたのだろう。紺樹は先ほどまでの不機嫌さを吹き飛ばし、とろけるような笑みを浮かべた。


「あぁ、俺も嬉しいよ。蒼は学院帰りか?」

「うんっ!」

「ってか、紺樹いたいっ! いだだっ!」


 蘇芳が蒼を抱きしめようとしたのだが。伸ばされた蘇芳の長い腕が、折れるのではと思われる強さで握られた。掴んだ紺樹の手には白い手袋がはめられており、様子は見えないが。確実に血管が浮くほどの力が込められている悲鳴だ。さらにその負荷は、蒼の声を受け紺樹の口元に浮かんだ笑顔と一緒に、一段階重くなる。


「ちょっ、紺樹! ついでみたいに言われたからって、八つ当たりするなよ!」

「みっともないから大きな声をあげるな。加えるとついでじゃない。蒼の様子を見ろ、お前の目は節穴か。むしろ俺だけが主だろうが」

「ひどい! 紺君ったら! 脳内もおめでたくていらっしゃるのね!」

「お前に『紺君』なんて呼ばれると世界の絶望を全て感じた気分になる。やめろ。取り消せ」


 本気で気持ち悪いと思ったのだろう。紺樹は掴んだ時と同じ勢いで、蘇芳を離した。

 そんな二人のやりとりを見て、蒼は


「ほんと、なかいいね」


と本当におかしそうに笑う。だから、よしとしよう。どちらともなく、そう思った。


「それにしても珍しいな、蒼が一人で帰っているなんて」


 紺樹は蒼の後方も覗いてみるが、いつも一緒にいる蒼の親友、真赭まそほ浅葱あさぎの姿はない。個性的な彼女たちだが不思議とうまがあっているようで、お茶に古書に御札と、関心どころが全く違うのに仲良くしている。

 落ち着いている彼女たちのことだから、蒼の後ろからゆっくりと歩いてきているものだとばかり思ったのだが、気配がない。


「あのね、紺君」

「うん?」


 首を傾げた紺樹の袖を、蒼がさらに引っ張る。「えへっ」なんて音付きで。

 内心でれっとした紺樹が蒼に向き合うと、彼女は鞄から一冊本を取り出してみせた。古く汚れているが、装丁はかなり上質なものだ。


「昨日ね、蔵をおそうじしてたら、この本が出てきたの。おじいが、まそほが喜びそうだからあげてもいいよってゆったんだけど。まそほってば、きちょーな本をただでもらうわけにはいかないって、心葉堂に走っていっちゃったの。ちゃんと手伝いしてからって」

「真赭らしいな。それで、蒼は置いてけぼりをくったんだな。浅葱はどうした?」


 紺樹が頭を撫でてやると、蒼はふっくらとした頬を緩める。小顔の頬が桃色に染まる。

 が、すぐ寂しげに眉を垂らした。紺樹にはわかった。これは寂しさをはらんだ色だと。


「うん。あさぎはおそうじ当番だよ。相手の子がさぼっちゃったからお手伝いするって言ったのに、ほーふくするためにじっせきってやつを作るから蒼は先に帰りなっていわれちゃったの。紺君たちは?」

「蒼ちゃん。俺たちはね、用事ついでに見回りだぞっ」


 紺樹を押しのけて、蘇芳がやたらと嬉しそうな顔をして説明しだした。

 すると、蒼は『しまった!』といわんばかりに、大きく目を見開いた。白く小さな両の手で口を覆った。


「ごめんなさい! そうだよね、この時間だもんね! おしごと中だよね!」

「あっ、いや、急ぎでもないし、全然大丈夫なんだけどね」

「だって、私と話してて、さぼってると思われたら、たいへんだよ!」


 慌てた様子でかばんのとめ金をしめ、その場を去ろうとする蒼。

 確かに先程から視線を感じるが、大人は子どもと触れ合う魔道府の人間を微笑ましく思っているものだ。先程よりは減ったが、学院帰り子どもたちの視線の方が興味津々といったところで居心地が悪い。

 それは自分たち、というよりはきっと蒼にとっての方が困りの種になるだろう。


「蒼、落ち着けって。師傅にも、相手の話はちゃんと聞くようにって言われているだろ?」


 けれど蒼の誤解は解いておきたいと、紺樹は柔らかい蒼の髪に手をのせた。

 紺樹がぽんぽんと優しく頭を撫でると、照れくさそうにしながらも「えへへ」とくすぐったそうに口元を緩めた蒼。が、すぐに「紺君!ちがうよ!」と両手をあげて抗議を始める。


「おい! 蒼月! 学院帰りにより道してるんじゃねぇよ! おまえんちは、あっちの橋わたるんだろーばーか!」


 案の定。同級生らしき男子たちが、にやりと口元をゆがめて、蒼へからかいの言葉をかけてきた。


「げっ! うるさいなー! お店で買い食いしてるわけじゃないもーん!」


 蒼は紺樹へ向けて振っていた腕をおろし、同級生にあっかんべーと目の下をひっぱって見せた。それを真似するように少年が同じ仕草をすると、今度は口の両端をひっぱり、いーと威嚇するように歯を出す。


「へりくつ蒼―! せんせーにいってやるー!」


 微笑ましい子どものけんかを、ほっこりとした気持ちで見つめていた蘇芳。が、はっと背中を走る冷たい気配を感じて、すっと男子生徒へと近づいた。

 男子生徒は憧れの魔道府の人間ましてや皇族が突然目の前にきたのに緊張したのか、直立不動になってしまう。気を付けの姿勢で指先を地面へとまっすぐに伸ばしたまま、固まった。


「少年よ」


 どこか切羽詰まったような表情の蘇芳に肩をつかまれ、少年の喉がごくりと唾を飲み込む。


「はっはい!」

「寄り道はしていないよ。どちらの橋を渡っても心葉堂には着くからね。蒼ちゃんが可愛くてかまいたい気持ちはわかる。けれどもっ! 自分に向けられる敵意をはかることは重要だ! 蒼ちゃんへの淡い感情よりも自分の身の安全を優先したまえ!」


 後半は少年にだけ聞こえるように、とんでもなく小声だった。少年だけに聞こえるように、むしろ少年にも聞こえないような呪詛めいていた。

 予想などからではない。すでに才能を開花している心葉堂の孫娘は、これまで幾度も誘拐事件未遂事件に巻き込まれている。言わずもがな。なぜ『未遂』におさまっているのか、そんなの心葉堂の他に青龍門一族――特に紺樹が関わっているからに他ならない。


「へ? はっはい!そうですね! すみません!」


 少しどころかだいぶ強引な蘇芳の説明に納得したのか動揺しているのか。少年は風をきる勢いで頭を下げ、


「おい、いくぞ! お前ら!」


と実にガキ大将らしい声をあげ、仲間を引き連れて去って行った。

 蘇芳としては胸を撫で下ろすのが精一杯だ。


(後ろで殺気を放っている紺樹を止められた――いや、未だに睨みをきかせているけども! 少年は守れたぞ!)


 蘇芳には自分が口にした意味不明な説明をふり返り、反省する余裕などなかった。こういう時にだけ役立っているような皇族が持つ雰囲気オーラに、今は感謝しようと大きく息を吐いた。

 それとほぼ同時に、紺樹から放たれる感情でたっていた鳥肌もすっと引いていったことに、再度、安堵のため息が落ちるのだった。


「ありがとうございます、スオウ様。あいつ、さいきんよく、つっかかってくるんです」


 すぐ横にいた蒼が蘇芳の裾を引っ張り、頭を下げた。

 長い髪が地面につくほど腰を折る蒼に癒された蘇芳。即座に腰を折って蒼の髪を掬い上げている紺樹は視界に入れないようにして、胸を叩く。


「いいってことよ。大体、あの子も意地悪じゃなく、蒼ちゃんが可愛いからちょっかい出してるだけでしょ」

「えー! ありえないよー! いっつも、つっかかってくるんだもん。昨日だって、アゥマとの共鳴のじかんに『おまえのは心葉堂の匂いでずるしてやんの!』って、布巾ハンカチとられたんですよ!」


 鬼灯ほおずき顔負けに頬を膨らませた蒼が、大きく腕を振る。ついでにと、べーと舌をだして苦いお茶でも飲んだときのように渋い顔をつくってみせた。


「けっきょく布巾は捨てたとかいって、かえしてもらえなくって、さいあくですっ!」

「……本当にありえない話ですね」

「なっなんで敬語なんですか、紺樹君」


 愛らしい目の前の少女と、隣でどす黒い空気を纏っている親友。二人の差に、蘇芳はひたすらに冷や汗を流すしかない。

 大人を置いて、蒼はりんごんと鳴った柱時計の音に飛び上がり背を伸ばした。


「そろそろ、かえるね。紺君、蘇芳様! おしごと、気をつけてがんばってね!」


 蘇芳の様子を読んだかは不明だが、蒼が腰を折る。少しばかり大き目な肩掛け鞄の紐を握り、ほろりと笑う。

 蘇芳は感謝した。空気を読める蒼に。


「蒼ちゃんもまっすぐ帰るんだよー」

「じゃあ、蘇芳お前も気をつけて来いよ。後から」

「って! なんでだよ!」


 整った顔をひょうきんに崩して、蘇芳は紺樹の肩に裏手を決めた。すっとそれを跳ね除け、紺樹は涼しい顔で蒼の手をとる。


「こっ紺君?!」

「嫌か?」

「そっそうじゃないけど。うーと、そーいうばあいなの?」


 恥ずかしそうに地面に視線を落してしまった蒼だが、紺樹の手を振りはらうことはなかった。ただ、小さな唇を尖らせ弾ませた。照れくさいのか、頬から耳までほんのりと赤らんでいる。つい最近までは満面の笑みで握り返していたのに。

 紺樹はそんな蒼を満足げに見つめ、「よかった」と頬を緩ませた。とろけるように柔らかく細められた瞳が、今日一番の機嫌のよさを示していた。そんな彼を見上げて、蒼も嬉しかったのか、頭を傾け「へへっ」と笑みを返えした。


「そういうわけだ。蘇芳。俺は一足先に白龍師傅はくろんしはくの元へ行っておく。お前は一回りしてから来いよ」


 しれっと去ろうとする紺樹の肩を、蘇芳が「いやいや、おまえ」と掴む。

 振り返った紺樹はこれ以上ないほど眉間に皺を寄せている。けれど、蘇芳は思わざるを得ない。


「お前は蒼ちゃんと一緒に心葉堂へ行きたいだけだろ」

「悪いか」


 全く悪びれた調子もなく即答した紺樹に、蘇芳は一瞬詰まってしまう。


「おっお前。その潔さは認めなくもなくもないが、ちょっとは繕えよ!」

「なんのために。もとより長官からの命で心葉堂の師傅のもとを訪れるのが目的だ。見回りは補助班の代理なのだから、役割を分担して長官名を優先して問題などないだろ」


 淀みない紺樹の口調に、思わず蘇芳は尊敬さえした。どこまでも蒼が最優先なのだと。

 それでも、少し嬉しくもあるのだ。日ごろ物事どころか自分にさえ執着しない親友兼同僚が、唯一心底大事にする存在がいることに。

 内心でやれやれと肩を落とした蘇芳の様子など知らぬ蒼は、潤んだ瞳で紺樹を見上げる。


「紺君、おしごと……」

「ほら、お前がぐだぐだ言うから蒼が困っている」

「オレのせいか! ごめんな、蒼ちゃん! 蘇芳様は頑張ってくるんだぞ! 紺樹はちゃんと蒼ちゃん連れて心葉堂に帰るんだぞ!」


 蘇芳は紺樹をびしっと指でさし、そのまま雄たけびをあげながら駆け出していった。

 果たして、あの速さでしっかり見回りが出来ているのかは、はなはだ疑問だったが。おのれから口にした事に関しては責任を持つ蘇芳のことだから、きっと面目が立つ程度の仕事はしてくるだろうと。

 そう考えながら、


「単純だ」


と紺樹は小さく笑った。

 そうして、紺樹はぽかんと口をあけている蒼を抱き上げる。


「その大きく開けた口に、何をいれるつもりだい?」

「だって、紺君のそんな顔はスオウ様といっしょのときにしかみれないもの。きちょうだなーって」


 抱き上げた蒼はきゃっきゃと笑う。はたして、そんな蒼を紺樹が抱きしめた意図とは。

 あまりに不安定アンバランスな抱き方に「わわっ」と小さく声をあげた蒼だが、すぐに紺樹の頭に抱き着き「いつもよりたかいやっ!」と声を上げて笑った。


「さっ、行こうか蒼」

「うん」


 蒼が思い切り頷く。向日葵のように明るい笑顔だ。地面に下ろしてもご機嫌なのは変わらない。

 紺樹は、蒼の小さな手をきゅっと握りしめた。子ども特有のぬくもりが、手袋越しに染みてくる。手袋を脱いでしまおうかとも考えてみるが、蒼がとても嬉しそうに鼻歌を流し始めたので、紺樹は微笑みを浮かべただけで歩き出した。手袋越しでも伝わってくる優しさは同じだからと。


「今日は学院で何をしたんだ?」

「えーと、今日はねっ! まそほとあさぎがね――」


 それは大きな事件が起きる四年ほど前にあった日常。


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