賞金首の男
幾重にも重なり合う樹冠が月明かりを遮る、夜の山道。
四体の屍体に囲まれた男が佇んでいる。背後の枝に掛けられた手提げランタンから溢れる灯りが男の背を照らし、その輪郭を黒黒とした陰影として浮かび上がらせていた。
首に巻いた襟巻きの端が、夜風にはためく。
痩せ曝えた男だった。
頬は削げ、隈に縁取られた眼窩は落ち窪み、若草色の瞳は暗く澱んでいる。ひび割れた唇は色を失い、蓬髪と無精髭の向こうに垣間見える顔色は蒼白であった。
墓から這い出してきた死者の様相でありながら、男は五人の屈強な男達を圧倒したのだった。
男の足元には、男と剣を交えることすら叶わず息絶えた、四人の死骸が血溜まりに沈んでいる。鮮烈な血臭が、山気にじわりと滲んでゆく。
男は、生き残った五人目を見下ろした。五人目は尻餅をついたまま地を這いずる。腰を抜かしたようだった。その手に得物はない。男の一撃に弾き飛ばされ、男の背後に転がっている。
「お前で、最後かな?」
男は言った。穏やかで、優しげで、それでいて冴え冴えとした声調だった。
男は悠然と五人目に歩み寄る。黒く艶消しされた長剣の鋒から、血が滴り落ちた。
五人目は震え上がり、悲鳴を上げた。
「……待って、待ってくれ! 降参だ、もう、あんたの首を狙ったりしない! あんたのことは、誰にも話さない! だから、頼む、見逃してくれ!」
五人目は両手を地面につき、涙と洟水を垂れ流しながら、命乞いをする。男は黙したまま、地面に額を擦りつける五人目を見下ろしていた。
転がった手提げランタンが、ひび割れたホヤの隙間から細い油煙を上げ、足元を仄明るく照らしている。
男は揺れる灯火を一瞥し、顎に空手を当てた。片眼鏡のレンズが、僅かな月光を跳ね返し、男の瞳を隠す。
ややあって、男は言った。
「そうだな。考えてみよう」
「ほ、本当か!?」
五人目が弾かれたように顔を上げる。五人目を見下ろす男は、剣を手放しはしないものの、柔和な微笑を浮かべ、応じた。
「そのかわり、私の質問に答えてくれるかね?」
「なんでも、なんでも答える!」
五人目は二つ返事で請け負う。男は鷹揚に肯く。
「よろしい。他に仲間はいるかい?」
「いない! もう、俺しか残ってない!」
「では、誰の差し金かな?」
「誰の差し金でもねぇ! 俺たちは、ただの賞金稼ぎだ! 麓の村で、たまたま、あんたを見かけて、追ってきた! それだけなんだ!」
男はふと足元に視線を落とす。屍体の硬直した手が握り締める、磨き上げられた剣にうつる己の姿を見て、小首を傾げる。
「ほう。よくわかったな? 情けない話だが、私は手配書にある一年前の姿より、だいぶ老けたし、見窄らしくなったと思うんだが」
男は首を傾げる角度を変えつつ、自身の顔を改めている。五人目はぶんぶんと頭を振り、声を張り上げた。
「波打つ麦の穂色の髪、右目を跨ぐ傷痕、片眼鏡、黒く艶消しされた長剣! 風采が変わろうが、これだけの特徴が揃ってりゃ、見間違いようがねぇ!」
「とは言え、このあたりに、私の新しい手配書はまだ、出回っていないはずだが」
「俺たちはもともと、中央にいたんだ! あんたの手配書はそこで見た! 中央の賞金稼ぎで、あんたのことを知らない奴はいねぇよ!」
五人目の声は甲走り、もはや悲鳴のようだった。男は顎を撫でながら、肯いた。
「なるほど。では、最後の質問だ。私の正体を知る者は、君と、先に逝った四人の他に、誰かいるのか?」
最後という言葉に目を輝かせつつ、五人目は打てば響くように答えた。
「いない! 他の奴らに知られたら、あんたの首の取り合いになると思ったんだ! だから、知ってるのは俺たちだけだ! 誰にも喋ってねぇ!」
「そうか。正直に答えてくれてありがとう。有益な情報だ。今後の身の振り方を決める上で、役に立つ」
男は肯き、五人目に微笑みかける。男の顔に、安堵の光が走りかける。
「ところで、君を生かすべきか殺すべきか、よく考えてみたのだが」
男の言葉が途切れた、その瞬間。血濡れた刃が、夜を斬り裂いた。
一閃。
命拾いをしたと安堵した表情のまま、五人目の首は宙を舞った。それが地に落ちるのと、頭をなくした身体が崩れ落ちたのは、ほぼ同時だった。
「やはり、殺しておくべきだろうな」
男は血振りをし、剣を鞘に収めた。
殺戮も喧騒も過ぎ去り、夜に静寂が戻ってきた。
男は深く、重く、息を吐く。目を閉じると、瞼の裏に焼き付けた、相棒の笑顔が蘇る。
見下ろすたびに、ぴかぴか輝く太陽を見上げているかのようだった。
なんの後ろ盾もないこどもが、二人で生きると決めた。当時の男の倫理観からすると、正しいとは口が裂けても言えないようなことにも手を染めなければならなかった。それでも、人として筋を通したいという甘えを捨てきれない男を、相棒は責めなかった。ただからりと笑って
『じゃあ、義賊になるか!』
と言ったのだ。そして、実現してくれた。
男は相棒と肩を並べ、義賊として名を馳せていた。それが今は、命乞いをする相手を欺き、殺すまで落ちぶれた。
賞金稼ぎを生業とする若者たちだった。無辜の人々を傷つけたわけでも、盗みを働いたわけでもない。
ただ、賞金首を捕らえ、金に換えようとしただけだ。
その命を、希望をちらつかせておきながら、無慈悲に刈り取った。
かつての己であればと、命まではとらなかった。脅しつけてから、次は無いと念を押し、逃がしただろう。
変わり果てた今となっては、それも定かではないけれど。
「……それでも、やるしかない。俺はまだ、終われない」
立ち止まっている暇はない。男を追うのは、賞金稼ぎだけではない。大陸国の剣が男の喉元に迫っている。
男は屍体に背を向ける。一歩、踏み出したところで、ぴたりと歩みを止めた。
「……そうだ。路銀が底をつきそうだったんだ」
男は振り返る。身を屈めると、慣れた手つきで屍体漁りを始めた。
屍体をひっくり返し、懐を探る最中、血臭がむわりと立ち上がり、男は顔を顰めた。
堪りかねた様子で、山吹色の襟巻きを鼻先まで引き上げる。
古ぼけた襟巻きが頬に触れると、表情の強張りが少し和らぐ。
男は目を伏せ、襟巻きをそっと撫でる。
「……降伏した相手を殺して金品を奪うなんざ、義賊らしくない。……なぁ、相棒。お前も、そう思うだろう?」
そう言って、男は目を瞑った。耳を澄ませても、聞こえるのは風の唸りだけ。
男は肩を落とした。
「……なんとか言えよ。死んでもずっと一緒だって、お前が言ったんだろうが」
男の嘆きは夜風に流され、自嘲に変わった。
「まぁ……外道の行いも、今の俺にはお似合いか」
男は手際よく、五体の屍体から順に金品を抜き取った。背嚢をおろし、金品をその中に押し込んでから、立ち上がる。途端、よろめいた。
「……おっと」
倒れそうになる体を、近くの樹木に手をついて支える。
立ちくらみを起こしたのだ。珍しいことではない。
この一年、まともに眠れていない。目を閉じれば、相棒の最期に思いを馳せてしまう。微睡みに落ちれば、悪夢に魘され、跳ね起きてしまう。
心身ともに限界が近い。男の旅は、破綻しかけていた。
「……なぁ、相棒。信じられるか? お前と別れて、一年だ。たった一年で、ここまで落ちぶれちまったよ」
男は額を押さえる。手袋を嵌めた手でもわかる。ひやりとしていて、温もりを感じられない。まるで屍体のようだ。
「このままでは……まずいな」
男は力なく首を振った。相棒との約束を果たす為、ここで倒れるわけにはいかないのだ。
しかし、内から湧き出るはずの活力は枯れ果て、先を見据える気力すら底をついていた。
「……なぁ、相棒。俺、言ったよな? お前がいるから、俺は、生きていけるんだって。……お前が俺を置いて逝くから、このザマだ。どうしてくれるんだ、まったく」
笑い混じりの恨み言。相棒はこれに何と答えるだろうと、考えることはしなかった。随分と前に、放棄していた。
「お前がいれば、死に物狂いになれたんだが……さて、どうしたもんかねぇ……」
男は樹に凭れかかり、天を仰いだ。林冠の向こうにある星空は、在りし日の相棒と共に見上げた星空と、同じである筈だった。
「……お前の相棒でいられた頃の俺、どんな奴だったっけ……」
男の自問は、白く凍えた吐息と混じり合い、潰えてゆく。それをぼんやりと眺めながら、男は自答する。
「美女が好きだった。一夜を共に出来れば最高。駆け引きに失敗して袖にされるのも一興だった。とりとめもない話をして、鈴のような笑い声を聞く。それだけでも、十分、楽しめた」
相棒がまだ健やかだった頃を思い出す。美女と見れば口説きにかかる男の好色ぶりに、相棒は呆れていた。それでいて『お前に口説かれて、靡かない女はいない』と太鼓判を押してもいた。男が美女の心を射止めると、我が事のように誇らしげだった。
病んだ後もしきりに『遊んで来ていいぞ』と女遊びを勧めてきた。そう言われても、衰弱した相棒を放り出して楽しめるはずがない。気持ちだけ有り難く受け取り、相棒の傍を離れなかった。それでも相棒は尚も言い募るのだ。『いいから、いい女と楽しんで来い。きっと、元気になれる』と。
「……久しぶりに、豊かな夜を……俺らしく、過ごしてみるか」
そうすれば、元気にはなれなくても、今よりはましになれるかもしれない。
「そうと決まれば、まずはこの惨めな有様をどうにかしなければ」
蓬髪と無精髭、薄汚れた襤褸の旅装束。これでは、女性に声を掛けたところで、話し相手になって貰えないどころか、振り向いてさえ貰えないだろう。
「まずは川を探す。川で水浴びをして、血を洗い流す。次に目指すは最寄りの港町。町に着いたら、湯を浴びて、床屋でさっぱりして、旅装束を新調して……それから、素敵な女性を探そう」
男は樹の枝にかけていた手提げランタンを手に取った。懐から地図を取り出し、ランタンの黄色い灯りで照らし出す。
「今いるのはここ、北を指す星があれだから、沢は……あちらか」
進む方角を確認すると、男は地図を折りたたみ、懐に仕舞い込んだ。沢を目指して歩きながら、男はひとりごつ。
「もし、微睡んで、夢を見たとしたら……その時は……今度こそ、顔を見せて、声を聞かせてくれよ。なぁ、相棒」




