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清廉潔白のディストピア  作者: jin kawasaki


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甘い夜の代償と活字の暴力

東京の空が白み始めた午前六時。Showgoショウゴのスマートフォンが、枕元で狂ったように震え始めた。

昨夜のアルコールがまだ微かに血中を巡っている気怠い頭で画面に目をやると、着信表示はマネージャーの武田だった。普段なら絶対に鳴らない時間帯の着信。この業界において、早朝のマネージャーからの鬼電が意味するものは二つに一つだ。「身内の不幸」か、あるいは「致命的なスキャンダル」か。

「……なんだよ、朝っぱらから」

掠れた声で電話に出ると、武田の切羽詰まった声が鼓膜を打った。

『Showgo! お前、ネットのニュース見たか!? いや、まだ寝てたなら見てないよな。今すぐ俺が送ったURLを開け! 終わった、いや、終わってはいないが……とにかくマズいことになった!』

ベッドから身を起こし、Showgoはスピーカーフォンに切り替えてメッセージアプリを開いた。武田から送られてきたのは、本日発売の写真週刊誌『週刊ディープ』のウェブ版のトップ記事だった。

そこには、見慣れた黒のレザージャケットを着てキャップを深く被った自分自身の姿があった。場所は港区の高級ホテルの地下駐車場。そして、自分の腕には、しなやかな体つきをした女が親しげに身を寄せている。

モザイクなしでバッチリとカメラ目線を送るように撮られてしまったその女は、現在人気絶頂のAV女優、白石マリアだった。

見出しには、毒々しい赤と黒のフォントでこう踊っている。

『超人気ロックバンド・フロントマンShowgoの淫らな夜! お相手はトップセクシー女優! 独占インタビューで明かされた「ベッドでの素顔」とは!?』

「……なんだ、これか」

Showgoは大きく欠伸をして、サイドテーブルにあったミネラルウォーターを煽った。

『なんだこれか、じゃないですよ! 相手はよりによって現役のAV女優ですよ! スポンサーがどう反応するか……! 今、事務所の電話鳴りっぱなしなんですからね!』

「武田、落ち着けよ。俺は独身だ。彼女も独身だろ。いい大人が酒飲んでホテルで一発ヤッただけで、誰に迷惑かけたって言うんだよ」

Showgoの言う通りだった。しかし、時は令和である。

かつてロックンローラーといえば、テレビを窓から放り投げ、ホテルを破壊し、酒と女に溺れることが一種の「勲章」や「破天荒な魅力」として許容されていた時代があった。しかし、今は違う。コンプライアンスという見えない鎖が、表現者たちの首を真綿で絞めるように巻き付いている時代だ。

たかが独身同士の合意のある一夜でさえ、SNSという名の公開処刑場に引きずり出されれば「不潔だ」「ファンを裏切った」「教育に悪い」「女性を消費している」と、あらゆる角度から石を投げられる。誰もが匿名という名の安全地帯から、自己のルサンチマンを正義感にすり替え、執行者気取りで石を投げる。

少しでも隙を見せれば、スポンサーは逃げ出し、レギュラー番組は降板、ストリーミング配信さえ「道徳的観点」から停止を求める署名活動が起きる。現代の日本は、一億総姑と化した潔癖症の監視社会であり、エンターテインメントの血肉を啜って生きる潔癖のディストピアだった。

清廉潔白で、誰にも嫌われず、毒にも薬にもならない「良い子」の偶像だけが求められる。そんな息苦しい時代に、Showgoが率いるロックバンドは、ギリギリの反骨精神でチャートのトップを走り続けていた。

『問題は写真だけじゃないんです! 記事の後半! 白石マリアのインタビューを読んでください!』

武田の悲鳴のような声に促され、Showgoは画面をスクロールした。

そこには、週刊誌の直撃取材を受けた白石マリアの、ご丁寧に括弧書きされたコメントが掲載されていた。

《記者:Showgoさんとの一夜はどうでしたか? 激しいロックな夜だったのでしょうか?》

《マリア:ふふっ、どうでしょうね。でも、彼はすごく紳士でしたよ。お酒も奢ってくれたし、私の悩みも優しく聞いてくれて。本当に優しい人でした。……ただ、その、セックスはあまり上手じゃなかったかな(笑)。ちょっと不器用というか、そこはロックじゃなかったかもです。ごめんなさい、これ内緒にしておいてくださいね!》

「…………」

Showgoの動きが、ピタリと止まった。

『読みましたか!? 「セックスはあまり上手じゃなかった」ですよ!? バンドのカリスマボーカルが、全国民に向けてAV女優からベッドテクニックのダメ出しをされてるんですよ! 俺、もう恥ずかしくて外歩けません!』

武田が電話の向こうで頭を抱えているのが目に浮かんだ。

Showgoは、ふっ、と息を吐き出し、前髪を掻き上げた。怒りは湧いてこなかった。ただ、男としてのちっぽけなプライドが、ヤスリで削られたような絶妙な居心地の悪さだけがあった。

「あの野郎……」

Showgoは苦笑した。確かに、あの日はいささか飲み過ぎていたし、相手は道のプロ中のプロだ。手玉に取られていた自覚はある。それにしても、全国誌で「下手くそ」の烙印を押されるとは、ロックバンドのボーカルとしてはいささか締まらない話だった。

「まあいいさ。クスリやってたわけでも、未成年に手を出したわけでもない。ほっとけ。数日もすれば、ネットの連中は次の生贄を見つけて忘れる」

『今日、音楽番組の収録があるんですよ!? しかも司会はあの人です。絶対にイジられますって!』

「だったら、受けて立つまでだろ」

Showgoは通話を切り、ベッドに倒れ込んだ。天井を見つめながら、これから始まるであろうネット上の馬鹿騒ぎを思い、深くため息をついた。

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