幕間 占い師レイラの日常〜容疑者の男
「今いいだろうか」
そう言って天幕の中に入ってきたのは、クロードだった。
「今回は何?占う?」
「いや、占いは結構。とんでもない問題が発生した」
「彼女と喧嘩でもした?」
「円満だ。問題ない」
「じゃあ何なの?」
クロードは目の前の椅子に腰を下ろし、ため息をついて言った。
「殺人事件の容疑者になった」
「あらまあ」
目の前の男に似つかわしくない罪状。殺人をするような男には見えないし、「殺人は論理的ではない」とか言いそうなのに。
「やったの?」
「やるわけないだろう!この私が!」
「だよねぇ」
「当たり前だ。殺人など論理的ではない」
やっぱり言った。
「あなたがもし殺人なんてことやってのけるとしたら、緻密な計画を立てて完全犯罪になりそうだから容疑者になんてならないよねぇ」
「そうだ。――いや、違う。殺人なんて犯罪は犯さない」
「わかってるわよ。冗談よ。とりあえず詳しく話してちょうだい」
クロードは机の上に置いた手を組み、眉間に皺を寄せて話し始めた。
「私が所属する研究室の教授が、三日前に亡くなった」
知っている。幾何学のブラウン教授だ。貴族学院でも幾何学の授業を持っていて、私もブラウン教授から教わっている。
五十代くらいの、少しぽっちゃりとした穏やかで優しい先生だった。授業もわかりやすく、ユーモアもあって学生たちからも人気があった。私も幾何学は元から好きだったけど、先生の授業は毎回とても楽しみだった。
一昨日の授業が突然中止になり、ブラウン教授が急逝したことは知っていたが、教授が殺されたというのか。
「私は教授を尊敬している。その私が教授を殺すだなんてありえない。それなのに!」
感情的になるクロードは珍しい。でも今は先を促す。
「それはいいから、事件のことを詳しく」
「あ、ああ。三日前の朝、ブラウン教授が学術員の第二研究棟の階段の下で冷たくなっているのを発見された」
「朝に冷たくなって発見ということは、亡くなったのは夜?」
「そうらしい」
「死因は?」
「頭を強く打ったそうだ。頭からの出血もあった。血溜まりができていたからな」
「現場を見たの?」
「私が第一発見者だ」
「なるほど。それで疑われているのね」
「それだけではなく、前日の夜に第二研究棟を最後に出たのも私だった」
「疑われても仕方ないわね」
「そう言うなよ。私は本当にやってない」
困り顔でクロードが言う。
「でも、教授は階段の下で倒れてたのよね?足を滑らせて転落したってことはないの?殺人ではなく、事故だったとか」
「もちろん、その可能性もある。それで事件と事故の両面から捜査されているようだ」
「で、殺人の場合の容疑者の筆頭があんたってわけね?」
「そういうことだ」
クロードは視線を落とし、ため息をつく。
「あんたが研究棟を最後に出たって言ってたけど、その時、教授はいなかったの?」
「ああ。教授はいつも決まった時間に帰っている。よほど特別な事情がない限り、奥様と毎日夕食を一緒に食べるのを日課にしている」
「あら。素敵」
「教授は奥様をとても大切にしていたからな。非常に仲が良くて、私の理想の夫婦だった」
「へぇ」
授業でしか知らない教授のプライベートと、それを理想だと語るクロードの意外な一面にニヤリとする。
「あの日もいつも通り、十八時に研究室にいた私や学生に声をかけて帰った」
「あなたが帰ったのは?」
「二十時頃だろうか」
「本当にあなたが最後だったの?他の研究室を見て回ったりした?」
「研究棟の玄関には研究室や教授室ごとに壁に札がかかっている。表には在席、裏には退出。私の研究室以外は全て退出となっていたから、鍵をかけて帰った」
「研究棟の鍵はどこに?」
「それも壁にかかっている。鍵をかけたら門の警備員に渡す」
「じゃあ教授はどうやって研究棟に入ったのよ」
「教授は皆、研究棟の鍵を持っている。私は研究員だから持っていない。それだけの話だ」
「なぜ教授は夜に研究棟に戻ってきたの?」
「わからない」
目をつぶって頭の中で整理する。
そこで、ふと気づいた。
「ねぇ、なんでここに来たの?占い師の私に何をさせようっていうの?」
「ああ、それは、ある捜査官から奇妙な話を聞いたんだ。――死者と話のできる人間がいる、と。殺人か事故かの切り分けもつかない状況を打破するために、ブラウン教授本人に話を聞いてみるのはどうかと言われた」
誰だ話したのは。ヘンリーか?エドワードか?
「それでなんでここに?」
クロードは私が降霊術師だということを知っていたのだろうか。
「死者と話ができるなどというのは占い以上に論理的ではない」
「そうね」
「だが、今はそのような非論理的なものに頼らざるをえないのが実情だ」
「そうね」
「占いも非論理的だ」
「そうね」
「だが、おまえの観察眼は信用できる」
「あら、それはどうも」
「だから頼みがある」
そう言ってクロードはじっと私の目を見た。
「私と一緒にその『降霊術師レイラ』とやらのところに行ってもらえないだろうか」
とんでもない依頼が来た。
笑わなかった自分を褒めたい。
「無理ね」
にべもなく断ったことに、クロードは驚いたようだ。
「なぜだ」
「私も忙しいのよ。そんなことに付き合ってられないわ」
「だが」
「あなたは私のことを信用してくれているのよね?」
「そうだ」
「でも占いは信用できない」
「非科学的で非論理的だからな」
「占いは信用できないけど、私は信用できる。そう考えたあなた自身をもっと信用した方がいいわ。私に頼るのではなく、あなた自身の目で、耳で、降霊術師レイラが信用に値する人間かどうか確かめたらいい」
「そう……そうか、そうだな」
納得したらしいクロードは「時間を取らせてすまなかった」と言って懐を探る。
「ああ、今日はいいわよ。無料にしてあげる」
そう言って手を振る。
「いいのか?」
「今日は何もしていないもの」
「明日は雨になりそうだな」
「失礼ね」
軽口を叩きながら席を立ち、天幕をめくる。
天幕から出て行こうとするクロードに声をかける。
「そういえば、あなた私の名前知ってたっけ?」
「いや知らない。名乗ったことないだろう」
「そうか」
占いの看板にも私の名前は書いていない。占いの時は名前を聞かれない限り名乗らない。
「名前を聞いてもいいのか?」
「今度会った時に名乗るわ」
今度会う時は、占い師じゃないと思うけど。
去っていくクロードの背中を見ながら小さく呟く。
次に会った時に、クロードはどんな顔をするだろう。そう考えると笑いが込み上げてくる。
このところ少し鬱々として沈みがちだった心が少し浮き上がるのを感じながら、天幕の中に戻った。




