Case8:自由という名の毒(3)
「残念ですけど、原因があります。あなたは知らない間に、毒を体に取り込んでいたんです」
「毒!?どういうことですか?母は誰に毒を飲まされていたのですか!?」
グレゴリーが立ち上がりかける。
「誰かがお母様に毒を飲ませたわけではありません。毒だとは知らずに、お母様は摂取し続けてしまったんです。たぶん、この国の誰も知らない毒を。誰も悪くありません。もちろんお母様も悪くありません。だって知らなかったんです。誰も、知らなかったんです」
私は一度言葉を切ると、また何もない空間を見つめる。
「あなたは悪くない。ただ運が悪かっただけ。ただ、その悪運がお子さんたちに影響を及ぼしたらいけないと思うので、真実をお話しさせていただきます。あなたが聞くのはつらいことかもしれません。もし聞きたくないのであれば、ここから立ち去っていただいても構いません」
しばらくして、私はこちらに向き直る。
「お母様も聞きたいと仰るので、お話しさせていただきます。お母様が摂取した毒は、ここにあります」
私はそう言って、ドレスを持ち上げた。
「ドレスに毒? 毒針でも仕込まれていたということか?」
「いいえ。違います。この色です。この緑色の染料が、毒なのです」
「染料が?」
「そうです」
◆
「これは、私が以前呼び出した、大昔の大賢者と言われる方から聞いた話です」
そう切り出しながら、私は言葉を選ぶ。前世の知識だとは、決して悟られてはいけない。
架空の大賢者の証言を慎重に組み立てる。
「かつて――どこか遠い国の話だったと思いますが――特定の鉱物を使った染料が作られたことがあったそうです。その染料はそれまでにはない、目を見張るような鮮やかな色が出せたのだとか」
「鉱物を使った染料?」
「ええ。その鉱物には、強い毒性を持つ成分が含まれていたそうなんです。当時の人々は、その毒性をよく理解しないまま、染料の美しさに魅了されました。ドレスだけでなく、壁紙や、造花、時には子どものおもちゃにまで使われることがあったと聞きます」
「おもちゃにまで……」
シャーロットが青ざめた顔で呟く。
「発色の美しさから広く重宝されたのですが、その毒性が知られるようになるまでには、長い時間がかかったそうです。多くの人が、原因もわからないまま体調を崩し、命を落としていったと。それでその国ではその染料が廃れていったと聞きました」
私はドレスを見つめながら続ける。
「そして、その染料は鮮やかな緑色だった、と聞いています」
その場にいた全員が息を飲んだ。
「肌に直接触れるドレス、日々過ごす部屋の壁、そして浴室。汗をかいたり、湿気で染料が僅かに剥がれ落ちたりするたびに、それを吸い込んでいたのでしょう。お母様は、知らず知らずのうちに、毎日少しずつ、その毒を体に取り込み続けていたのだと思います」
「そんな……」
シャーロットが青ざめた顔で口を覆う。
「症状も、その毒による中毒によく似ています。倦怠感、食欲不振、腹痛。進行すれば、手足の痺れや、皮膚に色素沈着が現れることもあると聞きます。下剤や催嘔吐剤は毒の症状を悪化させる場合があるとか」
「そうなんですか」
「お母様付きのメイドさんたちが体調を崩されていたのは、おそらく同じ部屋で長時間過ごしていたことが原因でしょう」
「では、今も体調を崩している使用人たちは……」
「同じ理由だと思います。まだ緑色の壁紙を使っていた部屋に出入りしているのではないでしょうか」
「では、どうすれば……」
グレゴリーが不安げに尋ねる。
「早急に、その部屋の壁紙を剥がし、換気を十分にしてください。ドレスや、緑色の染料が使われた品も、できれば処分することをお勧めします。使用人の方々も、しばらくそれらの部屋にはできるだけ近づかないようにした方がいいでしょう」
「わかりました。すぐに手配します」
グレゴリーは力強く頷いた。
シャーロットは呆然とした表情で私を見た。
「呪いなんかじゃ、なかったということですか」
「いいえ」
私は首を振り、静かに言葉を続けた。
「呪いという言葉をどう捉えるかによりますが……これも、一種の呪いだったんだと思います」
「どういうことですか」
「普通は、好きな色だからといって、そこまで生活に取り入れたりはしません。でも、ずっと好きな物も好きな色も禁じられてきたからこそ、その反動が大きかった。染料による死は、変えられない運命だったとしても、お父様のせいで死期が早まったのは間違いありません」
私は二人の顔を見た。
「でも、あなたがたはいま、何が『呪い』だったのかを知りました。これでもう、お父様の呪いは解かれました。お母様のためにも、幸せになってください」
その言葉に、グレゴリーとシャーロットは、しばらく声を出せずにいた。
やがて、シャーロットが震える声で言った。
「お母様……ごめんなさい。ずっと、お父様の呪いだと思って、お母様が亡くなったことすら、素直に悲しめなかった」
『いいのよ。私も、まさか自分が着ていたドレスのせいで死ぬなんて、思ってもみなかったんだから』
母の声を、私は静かに伝える。
『でもね、後悔はしていないの。自由に生きられたあの三年間は、私の人生で一番幸せな時間だった。それだけは、忘れないでちょうだいね』
「お母様……」
グレゴリーが目を伏せる。傍らでシャーロットが嗚咽を漏らした。
『グレゴリー、シャーロット。あなたたちにも、これから先、ずっと自分らしく生きてほしいの。もう誰にも縛られなくていい。好きな色を着て、好きな場所に行って、好きな人と笑い合って。私の分まで、ちゃんと幸せになってちょうだい』
その言葉を伝えると、二人は堪えきれずに涙を流した。
「約束します、母様。私たちは、絶対に幸せになります」
グレゴリーがそう言うと、母親の気配がふっと和らいだのがわかった。
『あなたたちのそういう顔が見られただけで、もう十分よ』
彼女はそう言い残し、静かに姿を消していった。
その言葉を聞いて、グレゴリーもシャーロットも、しばらく肩を震わせて泣き続けた。
◆
依頼人たちが帰った後、私はテオと二人、静かに部屋に残っていた。
「まさか、ドレスの色が原因だったとは」
「私も、最初は半信半疑だったの。でも、部屋の壁も浴室も同じ緑色だと聞いて、もしかしてと思って」
「よく、染料が毒だとわかりましたね」
「前に、たまたま聞いたことを覚えていただけよ。まさか実際に、こんな形で使うことになるとは思わなかったけど」
曖昧に誤魔化しながら、私は話を逸らす。
皮肉なものだと思う。長年の抑圧から解放されて、やっと自分の好きなものを選べるようになった結果が、まさかこんな形で命を縮めることになるなんて。
窓の外を見つめながら、私はぽつりと呟いた。
「自由って、本当はもっと単純なものであってほしいのに」
「レイラ様」
テオが静かに声をかける。
「それでも、あの方は幸せだったと仰っていました。三年間、自分の意志で生きられたことを」
「そうね……。それだけが、せめてもの救いかもしれない」
私は小さく息を吐き、冷めた紅茶をひと口飲んだ。
「でも、少し考えてしまうの。もし私が、あの染料が作られていることをもっと早くに知っていたら。もっと早くにこの依頼を受けていたら、お母様は今も生きていたんじゃないかって」
「レイラ様のせいではありません」
「わかってる。わかってるんだけど……」
言葉を濁す私に、テオは静かに続けた。
「レイラ様が知っていることを、この世界の誰もが知らなかった。それは、レイラ様の責任ではなく、この世界がまだ、その毒に気づいていなかっただけです。それに、レイラ様が今回、真実を明らかにしたことで、これから先、同じ悲劇に見舞われる人が減るかもしれません」
その言葉に、少しだけ心が軽くなる。
「そうね。せめて、これから先の人たちのためになったと思うことにするわ」
呪いなど、どこにもなかった。ただ、長い抑圧の果てにようやく手にした自由が、皮肉にも、その人の命を静かに蝕んでいっただけだった。
それでも、最後にあの母親が見せた満足げな表情を思い出すと、少しだけ救われる気がした。
自由の代償が、こんなにも重いものだったとしても――彼女は、後悔していないと言った。それだけは、確かな真実だった。
◆
それから半月ほど経った頃、グレゴリーから手紙が届いた。
『レイラ様
あの後、母の部屋の緑色の壁紙とドレス、その他の品々を全て処分いたしました。使用人たちの体調も、少しずつ回復してきています。
妹のシャーロットは、母の遺志を継ぐように、これからは自分の好きな色を選んで生きていくのだと、明るい色のドレスを新しく仕立てておりました。もちろん、あの緑色ではありませんが。
私自身も、以前は交友関係を広げるたびにどこか後ろめたさを感じていましたが、父に制限され続けていたことが心の枷になっていたのかもしれません。母が命をかけて教えてくれた、自由に生きることの大切さを、これからは無駄にしないよう生きていきたいと思います。
本当に、ありがとうございました』
手紙を読み終え、私はそっとそれを畳んだ。
「良い報告ね」
「はい。お二人とも、前向きに生きていらっしゃるようで、何よりです」
テオの言葉に、私は小さく頷いた。
自由の代償として命を落とした母親の想いは、確かに子どもたちの中で生き続けている。それだけで、今回の依頼には十分すぎるほどの意味があったのだと、私は静かにそう思った。




