11 地の獄での再会
擦元銅太郎が列車の窓から見た景色は、身の毛の全てがよだつほど恐ろしいものだった。
地獄行き環状線は橋の上を通っている。その眼下には様々な責め苦を味わっている亡者がひしめいている。橋の上に線路が敷いてあるのは、かつて走行中の列車にしがみついてでも脱出しようとする輩が続出したためだ。
針の山、燃える橋、赤黒い沼……等々。ここで地獄行きの判決を貰った者は一定期間苦しみを味わい、反省することになる。
刑期を無事終えることができれば晴れて次の出生を受けることができるのだが、あまりに期間が長い場合や重い刑を受ける場合はその刑期を全うする前に魂が壊れてしまうこともある。壊れた魂はもう元に戻ることはないので、一度回収された後に再生されるという。
最も、刑を執行する鬼側としては当然そんなことは望ましくない。きちんと刑期通り罰を与えるため、時折目を配っているのだ。
地獄の各所にある停車駅に着くたび、鬼に同伴された魂が降りていく。ひとり、またひとり。ほぼ満員に近かった客はどんどん減っていき、既に銅太郎以外の魂は同じ車両に乗っていなかった。
───
列車が最後に停車したのは、ぼろぼろになった屋根とベンチが置いてあるだけの寂しい駅だった。
銅太郎が左右を鬼に挟まれながら降車すると、他にも数人、魂がいた。ほとんどが青い顔をしていて、今にも吐き出してしまいそうなほどやつれているように見えたが、銅太郎は終点で降りたのが自分だけじゃなくてよかったと安堵した。
しかし、その安堵はすぐに崩れ去ることになる。
銅太郎らに課せられたのは、所謂地獄めぐりというものだった。つまり、各所にあるそれぞれの刑を順に受けていくのだ。
最初は逆三角形に地面にぽっかり空いた砂の牢に突き落とされた。斜面の角度は緩やかだが砂の質は劣悪だった。砂利が混ざっているせいか掴んでも掴んでも登れない。それどころか、這いあがろうともがく度に体はより深い奥へと沈んでいった。
這い上がれれば一応終了だが、上では鬼たちが目を光らせている。なんとかよじ登った先達が地上に身を乗り出した途端、彼らはその手を払いのけ、蹴落とした。
あまりの無慈悲さに銅太郎は戦慄した。ここではどうやら刑期を終えるまで、砂の牢の中でもがき続けなくてはならないらしい。どうにかコツを見出し、彼は一つ目の地獄を終えた。
次に案内されたのは赤い潮だった。列車の窓から見ていた景色とは違い、かなり鮮やかな赤だ。どうやら黒いと思っていたのは固まって動く魂だったらしい。
血の池、というのが頭に浮かんだが、実際入水してみると水というよりは粘土に近い。ドロドロで粘着性も高く、肌に纏わりついてくる。おまけに臭い。腐った卵をフライパンで真っ黒になるまで焼いたような、強烈な悪臭だった。思わず鼻をつまみたくなるが、そうするといつまで経っても進まない。事実、水中で吐き出している魂もひとりやふたりではなく、それを見ると更に不快感は増した。
ここでも鬼たちが厳しく監視しており、端で休んでいる魂に泳ぐよう催促している。稲妻模様の水着を履いてメガホンを持って歩いている様はなかなかにシュールだった。
対岸は目視できないほど遠かったものの、ゴールがないわけではなかったらしく、もともと泳ぎは得意というのもあってか彼は二つ目の地獄を終えた。
次に案内されたのは、轟々と燃え盛る橋だった。
長さはそれほどでもないものの、底が見えないほどの断崖絶壁に横たわっている。地獄の炎だからか、不思議と煙は立っていないようで、息苦しさは感じなかった。
「これを履いて、向こう岸へ渡れ」
そういって鬼が手渡してきたのは、鉄製の靴だった。
なんだかこういうの見たことあるぞ、と銅太郎は思った。たしかどこかの昔話で、熱した鉄板の上で鉄靴を履いた悪女が踊り続け、最後には燃え尽きてしまうというものだったはずだ。
魂としての体は、火傷などしない。有機物としての肉体は持ち得ていないからだ。しかし、どういうわけか熱いと感じる。痛覚があるわけでもないのに、痛いと感じる。
橋の中途、黒いなにかが横たわっているのが見えた。鬼に聞いてみると、焼き上がった魂なのだという。長く身を焼かれていると壊れやすいのだとか。事実、鬼たちはまるで汚いものを取り払うかのように先端に返しのついた棒かなにかで引っ張りあげていた。
銅太郎は生唾を飲み込んだ。後方からせかす鬼たちが恐ろしい形相で睨みつけてくる。仕方なしに、彼は燃え盛る橋に向かって前に進んだ。
───
銅太郎は心身共に疲れ果てていた。
生前でもここまで疲弊したことがあっただろうか。もう少し痩せておくべきだったと後悔した。
ここまで地獄の責め苦を味わってきたが、無理だ。とてもじゃないが耐えきれない。魂が壊れる、というのも無理はないように思えた。
閻魔大王から下された刑期は二百年。たった数日でこんなに辛いのだ。もう死んではいるものの、生きた心地がしなかった。
「なんとかして抜け出せねぇかなあ……」
そんなことを考えた。
しかし、それはとても不可能に思えた。
まず、地獄からの出口はあの死神列車しかない。入るにしろ出るにしろ、列車に乗らないことには話にならない。
地獄には途中に停車駅がいくつかあるが、そのどれもが厳重警戒だ。とはいっても駅に見張りがいるわけではなく逃げ出そうとする魂に目を光らせている、というのが正しい。
長く刑に勤めている魂から聞いたところ、ほとんどの駅は無人駅だそうだ。鬼の監視から逃れられれば列車に乗り込むのは容易いように感じられた。
ただし、地獄にやってくる魂は多くても出ていく魂は少ない。
最初に説明を受けたが、刑期満了した魂には通行手形なるものが発行され、それを持っていなければ列車に乗ることはできないらしい。そして乗り込んだ際には車掌から必ず切符の確認がされる。つまり、通行手形を偽造でもしない限りは正攻法で脱出することはまず、できない。
通行手形の存在は完全に秘匿されていて、少なくとも見知った魂の間では見たことはないそうだ。現物のひとつもあればまだ手もあるというものだが、そこは完璧に対策されていた。
これは詰み、というやつか。
銅太郎が四肢を投げ出し、途方に暮れて天を仰いだそのとき、背後から声をかけられた。
「なんだ、相変わらずシケた面してんな」
抑揚のない、人を食ったような、ねっとりとした声量。彼はその声を耳にした途端、全身に鳥肌が立った。そして弾かれたように上半身を叩き落とした。
が、腹筋という腹筋がなかった彼は起き上がることができなかった。
その人物が、銅太郎の顔を真上から覗き込んだ。
「よお、久しぶりだな。また肥えたんじゃねえのか? お?」
「あ、兄者……」
それは、銅太郎の実の兄。擦元銀次郎だった。




