正しい結末は、少しだけ苦い
これでおしまいです。
壁から断末魔の悲鳴が響き渡り、パーティ会場の不毛な緊張がひび割れた。
老兵以外の列席者は、何事か、と悲鳴がした辺りを見た。
いきなり壁が左右に開き武装した一団が現れる。
一団の先頭に立つ太っちょを見て、悪役令嬢が叫んだ。
「ぱ、パパ!」
悪役令嬢のパパ、悪役公爵は、娘の姿を認めると。
「娘よ! 助けに来たぞ! 怖かっただろう!」
「ぱ、パパァァァァ!」
悪役令嬢は周囲の目も忘れ悪役公爵へ駆けよって抱きついた。
危機に陥っていた愛娘を自らの危険も顧みず扶けに来た父親。
よほど安心したのか、抱きついたまま泣きじゃくる娘。
感動的な光景であった。
父親の手に生首がなければ文句なく感動的であっただろう。
『なんでこんなことに!?』という表情のそれは、王の首だった。
「もう大丈夫だぞ。ほら御覧、王の首はとったからね。
お前に王国をプレゼントしてあげられるぞ」
悪役公爵の背後の兵達が掲げる槍先には、王妃、第二王子、護衛達の首が飾られている。
「凄いですわ! ほんとうにやったのですわね!」
そんな感動的な光景が繰り広げられる間にも、悪役公爵の背後の兵は増え続ける。
更に、別の入り口からも手に手に血槍血刀をさげた兵らが入ってくる。会場の外に配置されていた少数の兵や、不運にも反乱軍に遭遇してしまった召使いや職員達が血祭りにされたのだろう。
たちまちのうちに、会場の出入り口は全て、悪役公爵の手の者に固められてしまった。
悪役令嬢と並んで立った悪役公爵は、王の首を高々と掲げて叫んだ。
「王は死んだ! 我が公爵家に従う者はその場にひざまずくのだ!
立っている者は敵とみなす! 従う者の地位は保障する!」
警備の平兵士の何人かが、武器を捨てその場に跪いた。
彼らにとっては、上がどうなろうと生活が守れればいいのだ。
会場のやんごとなき人々も次々と膝をつく。
彼らは丸腰。
そして反乱者は完全武装。
警備の兵が真っ先に下ってしまった以上、対抗手段はない。
そういう自己弁護がなりたつ状況が、抵抗の意欲を削ぐ。
無力な権威は、力ある者に屈するしかない。
まさしく力は正義であった。
ひざまずいていない者は、王太子とヒロイン、その側近。
それから十数人の貴族や学園生だけとなった。
包囲する反乱者に比べれば、とるにたらない人数だ。
悪役公爵は、ニヤリと笑い、勝ち誇る。
「まだ立っている者がいるか。勇敢なことだ。
いいだろう。役にも立たない名誉に殉じて死ぬがいい!」
老兵がまっすぐに王太子を見て、口を開いた。
「王太子殿下。これは謀反で御座いますぞ」
悪役公爵は嘲る。
「馬鹿かあの老人は? わかりきったことではないか」
だが悪役令嬢は、喉の奥で悲鳴をあげた。
まずい。
あの老人が口を開くのはまずい。
「パパ! あの化け物に口を開かせてはなりませんわ!」
「ハハハ! 単なる死に損ないの老人ではないか」
先程から立ち尽くしたままの王太子は、なんとか言葉を絞り出して老兵に答えた。
「その……ようだな」
なにもかもが夢のようだ。
父と母と弟の死も。
彼にすがっているだけのヒロインの手の感触も。
なにもかもが遠い。
「国王陛下も第二王子殿下も身罷られた今、王統は王太子殿下のみとなりました。
殿下が国王で御座いますぞ」
そんな中で、老兵が発する言葉は、唯一のよすがだった。
「わ、私が……国王なのか……」
まだどこか夢の中の人のような声に、力強い声が応える。
「殿下以外、誰がおりましょうや。
であるなら、国王としての義務を果たすべきで御座いますぞ。
国法に従ってお命じくださいませ」
「私の義務……国法……」
王としての義務。
そして父王を手にかけた反乱軍。
王太子は、はっ、と笑った。
全て明白だ。
頭がすっきりした。
行き詰まっていた胸の内がさわやかになる。
私は王なのだから、国法に従い反乱を討伐しなければならない。
決まりに従い権限を行使することの、なんと迷いがなくすがすがしいことか!
「私が正義、いや、私がこの身で示している王国が正義なのだな」
「国法に反しない限りは、殿下、いや、陛下こそが正義で御座います」
力なき正義は無力。
だが、王太子、いや新王の目の前に力はあった。
彼はそれに正しく命じるだけでいいのだ。
「そなた、名はなんという」
ためらいはない。
「ライオネル・ゾンダーグと申します」
「近衛隊長は人事不省となり、職責を果たせぬ状態となった。緊急事態である。
よって正式な者が任じられるまで、ライオネル、そなたを近衛隊長代理とする」
「謹んで拝命いたします」
端から見れば、彼らの会話は滑稽だった。
この非常事態に交わされる内容とも思えぬ。
反乱者達は、余りに馬鹿馬鹿しい会話に呆れ果て、この茶番劇が終わるまで見物を決め込んだ。
「ははは! あの老人も王太子も気が触れたと見える!
まぁそんなだから、ひざまずきもしなかったのだろうがな」
「違うの、パパ! あの老人は!」
悪役令嬢は懸命に説明をしようとしたが、うまく説明できない。
「では、国王として命ずる。どのような手段を使っても反乱軍を討伐せよ。
今、見たところ、この場にいる軍人の中で、近衛隊長代理であるそなたが一番高位である。
この場にいる全員に対する一時的な指揮権を与える」
「王命かしこまりました」
新王は判っていた。
いや、判らされていた。
正しき命令には、迂遠に見えたとしても正しき手順が必要なのだ。
それは一見無駄に見える。
だが、無駄に見えるからと言って次々と省略していくと、正しさ自体が崩れてしまうものなのだ。
正しく執行される国法のみが、混沌や力を抑える事ができるのだ。
そして正しい執行は、正しき手順のみが担保なのだ。
老兵は、腰の剣を抜き放つ。
44年間、手入れを怠れることがなかった刀身は、命を吸い取りそうな冷たさで光る。
「国王陛下の命により、これより賊軍を討伐する!
陛下の周囲に円陣を組め! 陛下をお守りしろ!
臣下として役割を果たすのだ!」
その朗々とした命令は、呆然と立ち尽くしていた者達に息を吹き込む。
王太子いや王の側近達は、主の周囲に集まろうとする。
ヒロインは叫んだ。訳がわからなかった。
「な、なにをしてるのよ!
みんな死んじゃうわ! みんなみんなみんな!」
悪役公爵は叫ぶ。
「時勢の流れすらわからぬ愚か者どもと剣を交わすのも馬鹿馬鹿しい。射殺せ!」
反乱者から一斉に矢が放たれた。
老人の腰から抜き放たれた剣が幾十本かを払いのけたが、矢の数が多すぎて防ぐには足りない。
王子の側近達がその身をもってさらに何本かを防がせられたが、それでも足りない。
老人は、矢を払いのけながら、さりげなくヒロインを押した。
何を優先すべきかは明白だった。
この場にいる誰よりも、新王が優先される。
賊軍を討伐せよ、という王命がなければ彼は平然と自分を犠牲にしただろう。
だが、王命を完遂するまでは死ねない。
そのために、側近達、そして側にいた男爵令嬢を犠牲にするのは理の当然だった。
一番地位が低く取るに足らない男爵令嬢を最後にしたのは、老兵なりの配慮だったのかもしれぬ。
「え。あ」
ヒロインの額に、ぶすり、と矢がささった。
彼女は最期の瞬間に思った。
なんでこんなことに。
あの老人さえいなければ――
だが彼女は知らなかった。その原因の一端が自分にあるのを。
王子の攻略イベントその1。
学園の庭。高位貴族しか入れない筈の区画での出会いイベント。
彼女が素直にそのイベントを起こしていれば、当時警備のひとりであった老兵は、責任を押しつけられて辞めさせられていた筈だったのだ。
ヒロインが倒れ、新王がテーブルの下に飛び込んだのを確認した老兵は、疾風と化す。
ひとりで突っ込んで来る老人に対して、悪役公爵の前で手柄をあげようと山っ気を起こした数人が立ち塞がったが、老兵が繰り出す剣風に切り刻まれた。
舞い散る血しぶきの凄絶さは、金儲けの匂いにつられただけの反乱者達を恐怖させた。
確かに反乱軍は、荒事になれたゴロツキや金のためには不正を厭わぬものどもであった。
だが、彼らとて血で血を洗う実戦の経験はなかった。
大部分は、自分より立場や肉体の弱い相手を嬲って強者を気取る者どもでしかない。
彼らはたちまち腰砕けになり、雪崩を打って老兵の前から逃げ散った。
悪役公爵は目を見開いた。
老兵と彼の間には誰もいない。
「な、な、なななな」
慌てて腰の刀に手を掛けようとした瞬間。
悪役公爵の首は宙を舞っていた。
余りの剣速に、悪役公爵の胴体はしばらく立ったままで腰の刀を抜こうとしていた。
「ぱ、パパ! いや――」
老兵は返す刀で、悪役令嬢の肩から腰にかけて袈裟切りにした。
反乱に加担した一族は族滅と、国法に定められているからだ。
悪役令嬢の体を斜めに切断して、凄まじい血しぶきがあがった。
黒いドレスを真っ赤な鮮血に染めて、体の中央が斜めにずれてくずおれていく。
「わ、わたくし」
彼女は最期の瞬間に思った。
なんでこんなことに。
あの老人さえいなければ――
だが彼女は知らなかった。その原因の一端が自分にあるのを。
悪役令嬢のおねだりをかなえるため、悪役公爵は兵を集めた。
金の匂いにつられた耳ざとい連中が集まった中に、若い兵がひとりいた。
若い兵は、割のいい仕事のために、当日の任務をさぼることにした。
そこで、代わりの人員として、クビが決まっている老兵に仕事を押しつけたのだ。
ふたりの転生者のどちらかがゲームから外れなければ、老兵はここにいなかったのだ。
老兵は、右手に悪役公爵と悪役令嬢の首の髪をつかみ、高々と掲げた。
悪役公爵は、剣を抜こうと焦っている表情のままだった。
悪役令嬢は、目を見開いて驚愕しているままだった。
対照的に、老兵の表情は平静だった。
彼はただするべき仕事をしただけなのだ。
新王は、テーブルの下から這い出すと、そんな醜態など見せなかったように威儀を正した。
それが国王として当然の態度だからだ。
老兵は、新王の前のテーブルに首を並べる。
「陛下。賊軍の首魁と、その娘の首で御座います。お検めください」
一瞬、新王は口元を押さえ――ぐっと何かを呑み込んだ。
顔色は悪いままだったが、それ以上の動揺は見せなかった。
彼は思う。
私は王だ。王なのだ。
正しき王なのだ。
であるならば正しきふるまいをするのが務めなのだと。
彼は学習したのだ。目の前の老兵から学んだのだ。
この短い時間で、彼は王太子でなく、まだ覚束ない所はあるが王の道を歩き出したのだ。
「……間違いない。
アルヘンシラス元公爵とその娘だ。大儀であった」
新王は顔をあげ、静まりかえった会場を見回した。
「賊軍ども!
反乱の首謀者とその娘は死んだ! お前達の企みは潰えたのだ!
武器を捨てるのだ! ひざまずけ!
武器を捨てたものには、審議の後、慈悲を与えるであろう」
老兵が叫ぶ。
「国王陛下の御前にひざまずくのだ!」
会場を包囲していた反乱軍達は、次々と膝をついていく。
依然として彼らの数は圧倒的だった。
だが、あの老兵の力に抗することが出来るものはいなかった。
その力が王に従っている以上、勝ち目はない。
一斉に襲えば数の暴力で王は倒せるかもしれない。
だが、倒す前に老兵の剣で多量の死者が出るだろう。
死ぬのが自分であるかもしれない以上、志気も気概もない彼らは戦いを挑めない。
それに万が一倒したとしても、その後どうすれば良いか誰も判らないのだ。
全員が膝をついた。
若い王は、鷹揚な態度でそれを確認する。
その内心がどうあろうと、そういう態度を示すのが国王の勤めなのだ。
そして足元に目を遣り側近達の亡骸を見た。
最後に、彼がついさっきまで愛していた男爵令嬢の亡骸に目をとめた。
かがみ込んで見開いた眼を閉じてやった。
哀しかったが、なぜか、涙は出ない。
新王は国法を思い出す。
そこには『王太子王太女並びに王位継承権者は、公爵以上の家格から配偶者を娶るべし』と。
男爵令嬢と王太子。
なぜ、結ばれると考えていたのだろう。
今となっては、新王自身にもよく判らない。
恋をして、いたのだろう。
恋とはこういうものなのだろう。
そして、今になって思えば、急に現れた男爵令嬢に対して、長年の婚約者であった公爵令嬢が不満を抱き妨害をするのも、当然といえば当然であった。
許せ。二人とも。
全て我が王家を始めとする者どもが法を蔑ろにして、思い上がったが原因。
だが謝りたい女達は、ふたりとも死んだ。
もはや謝ることもできぬ自分は、ふたりのことを決して忘れず、立派な王にならねばならない。
それしか償う道はないのだ。
新王は、目の前でかしこまる近衛隊長代理に告げた。
「彼らは身を挺して私を守ってくれた者達だ。
丁重に葬り、遺族には篤く報いるようにせよ」
老兵は応えた。
「それは私に与えられた権限の管轄外で御座います」
新王は笑った。少し苦い笑いだった。
「一時的な処置だったとはいえ、そなたの指揮下で戦った者達だ。
であるなら、権限内と考えても間違いはあるまい」
老兵は応えた。
「正しきご判断で御座います」
※ ※ ※ ※
一ヶ月後、正式に即位した王は、まずライオネル・ゾンダーグの功に賞を与えた。
ライオネル・ゾンダーグは近衛隊長となり、更にアルヘンシラス公爵の領地の三分の一を与えられ、初代ゾンダーグ侯爵となった。
そして孫ほど歳の離れた新妻を娶った。
彼女は、あの卒業パーティに卒業生の姉として出席しており、ひざまずかなかった十数人のうちのひとりだった。
ライオネルは彼女との間に老齢ながら子孫を残し、子孫はライオネルの精神を受け継いで最後まで王家の忠実な臣下だった。
新たな王は、国法をよく守り、決して違えることはなく、信賞必罰に厳正な名君として後世に名を残した。
王は何かを決めるとき常に
「あの男は、これで納得するだろうか」
と言うのが口癖であったという。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
最後の展開、迷いました。
最初の予定では、王子を連れてパーティ会場から脱出し、近衛隊長代理に任命された瞬間、心臓にキテ「うっ」となってお亡くなりになり、王子が一人取り残される……という誰得な結末でした。
それでは余りに余りだな、ということで、今の結末になりました。
そしてもしもお暇でしたら、他の話も読んでいただけると、うれしいです!




