帰る人達
「うん、洗い物はだいぶ片付いたね」
洗い終えた皿を見つめ、つぐみはニコリと笑う。
シヤにはあらかた片付けが終わったので、先にお風呂に入ってもらった。
品子と惟之は明日の打ち合わせをするということで、先程から二人で外に出ている。
「あれ、おかしい。何か足りていないような?」
机を拭くためにリビングに戻り、つぐみはその答えを見つけた。
ソファーで明日人が、気持ちよさそうに眠っている。
「靭さんが送っていくって少し前に言っていたな。だったらもう少し、寝かせておいてあげた方がいいよね? あ、そうだ!」
体が冷えるといけないと、奥の部屋からひざ掛けを運ぶ。
明日人の前に立てば、彼の寝顔が目に入る。
普段のおっとりとした話し方や、雰囲気。
子供のように、すやすやと眠るその姿はやはり可愛らしいと思えるもの。
寝顔に限らずだが、すらりとしているのにふんわりとした顔の輪郭とくりくりとした瞳は、いわゆるタヌキ顔というのだろうか。
ほんわかとした雰囲気をしていることもあり、尚更そう感じてしまう。
「おっと、こんなことを考えている場合ではないね」
ひざ掛けを掛けようと、明日人の肩に触れた瞬間、つぐみの右手首に痛みが走った。
押し出されるような感覚の後に、体は仰向けに床へと倒れこんでいく。
倒れこむ瞬間に、つぐみの目に入ったもの。
それはいつもと全く違う、冷たい目をした明日人の顔。
自分に何が起きたのか、全く理解が出来ない。
幸い床に敷いてあったカーペットのおかげで、背中に痛みはほとんどない。
痛みの元を探るため、手首へと視線を向ければ、右手の手首と指の部分に、明日人の両手が添えられている。
そんなつぐみの真上には、先程の表情とはうってかわり、驚いた顔をして見下ろしている明日人がいた。
◇◇◇◇◇
「わわっ、ごめんなさい! 僕、なんてことを!」
つぐみが何かを言う暇も与えず、明日人は両手を放す。
そのままがばりとつぐみに覆いかぶさると、頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
自分に何が起こったのか、全く理解が出来ない。
それもあり、明日人にただされるがままになってしまう。
「えー、なにこれ! 明日人、ちょっと何してんのさー! 冬野君、生きてる?」
品子の声につぐみは答えていく。
「先生、生きてるっていう声かけは、おかしいのではないでしょうか?」
その声にようやく、明日人が自分から離れる。
ゆっくりと上半身を起こせば、明日人は自身の両手を見つめ、とても困惑している様子だ。
「ごめんね、冬野君。あの、寝ぼけてて誰だかわからなくて。咄嗟に手が動いてしまって……」
明日人は、酷く落ち込んでしまっている。
「いえ、私は大丈夫です。カーペットのおかげで、痛みも全くありませんでしたし」
にこりと笑うつぐみの顔を見て、明日人も少し冷静になれたようだ。
困った表情ながらも、彼も小さく笑い返す。
落ちていたひざ掛けを見て、品子達も状況が理解できたようだ。
「もー、驚かさないでよ。冬野君はひざ掛けを掛けてあげようとしただけなんでしょ? 明日人って寝起き悪いんだね。私も気を付けなきゃ」
ちゃかすように言うと、品子はひざ掛けを手早く畳み、ソファの上に置いた。
「さて明日人。待たせてすまなかったな。帰るとするか」
「はい、よろしくお願いします。冬野君。……本当に、ごめんね」
つぐみが逆に申し訳なくなる位に、明日人はしょんぼりとしている。
うなだれたその姿は、しぼんだ風船のようだ。
これはいけない。
明日人には、いつも通りに元気に笑っていてほしい。
そう思い、なるべくゆっくりとした口調で話しかけていく。
「許しません。許してほしかったら、このチョコを持って帰って下さい。先程と違って、苦めの味付けです。おうちで食べてくださいね」
明日人の目の前に、準備しておいたチョコをぐっと差し出す。
ぱあっと彼は顔をほころばせると、再びつぐみにがばりと抱きついてきた。
「いい子だねぇ。君は本当に、いい子だよねぇ!」
「ちょっと、明日人! それやっていいの、私だけなんだけど!」
引きはがすように明日人からつぐみを引っ張り、今度は品子が抱きついてきた。
惟之の方を見つめながら品子は、不敵な笑みを浮かべていく。
「お前にはさせてやらないからな。この権利」
「はいはい、残念だよ。……さて明日人、そろそろ行こうか。冬野君、ご馳走様。夕飯とても美味しかったよ」
「ありがとうございます。また来てくださいね。気を付けて」
楽しい時間をくれた二人に、つぐみは別れの挨拶を告げる。
「おやすみ! 家に帰ったら、すぐにチョコ食べるからね!」
「おやすみ、シヤにもよろしく言っておいてくれ」
笑顔を返し、明日人と惟之は出て行った。
扉が閉まり、しんとなった玄関で品子はパンと手を叩く。
「そうそう冬野君。ちょっとばかり、確認したいことがあるんだが」
「あ、はい。ではリビングでお話をしましょうか?」
「そうだね、じゃあ戻ろうか」
「はい、何か飲み物がいりますね。先に座っててください」
「うん、急いでないからさ。ゆっくり準備してくれればいいよ」
疲れたけど、楽しい時間だった。
台所へ向かいながら、つぐみは今日を思い返す。
どうかこんな賑やかで愛おしい日が、いつまでも続きますように。
静かにそう願い、つぐみは台所へと向かうのだった。
◇◇◇◇◇
車に乗り込んでから数分たつ。
だが、惟之の隣に座っている明日人は何も話そうとしない。
あまりに普段と違う様子に気になり、思わず惟之は声を掛ける。
「明日人、大丈夫か?」
「あ、はい。すみません。……心配をかけてしまいました」
「冬野君の件なら、彼女は全く気にしていなかっただろう? そんなに落ち込むことは、無いと思うのだが」
「そう、……ですね」
随分と、歯切れが悪い。
そう感じ、惟之は明日人へと問いかけた。
「何か、気になることでもあるのか?」
「僕、彼女に触れられた時。なんだかうまく言えないんですが。『何か』を感じて、体が勝手に動いてしまいました」
自分でも、もどかしいのだろうか。
明日人が目を閉じ、指で自分の額をとんとんと軽く叩いている。
「彼女は一般人です。力も何も持っていない。そのはずなのに」
「彼女から何か力のようなものを感じたと?」
「そう、……なんでしょうか? いずれにしてもあの子に酷いことをしてしまったという事実は変わりませんが」
「お前さんがここまで動揺するのは珍しいな」
つぐみを一度、鷹の目で視た方がいいだろうか。
その考えがよぎるが、今は少し都合が悪い。
「祓いの延期、先日の奥戸の事件、ヒイラギが目覚めない。ここ立て続けに想定外の出来事が起こっている。お前に疲れが出ていても、おかしくはない」
まずは明日人を安心させようと、惟之は言葉を続ける。
「だからその疲れが出て、僕の感覚が少しおかしくなっていたのでしょうか?」
「そうじゃないかと、俺は思うよ」
「そう、ですね。もう起こってしまったことを、いつまでも考えているのもおかしな話ですし。……あ、着きましたね。惟之さんありがとうございます」
礼を言う彼の肩を軽くたたき、車を路肩へと停める。
「惟之さんは、明日は二条の資料探しですか?」
「あぁ、そのつもりだが」
「ヒイラギ君の件で有用な話があったら、僕にも教えてもらっていいですか? 関わった以上は、僕もしっかりと責任を持ちたいので」
「助かる。品子にも伝えておくよ」
「はい、よろしくお願いします。ではおやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
手を振り、明日人は自分のマンションへと帰っていった。
車を発進させ、木津家へ向かいながら惟之は呟く。
「……さて。今日、最後のお仕事をして帰るとしようかねぇ」
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「秘書にしてください」です。




