[影]の飛来
それは、突然空中に現われた――
そう思われても、不思議ではない。
宴の喧噪に紛れていたか、はたまた最初からこの場に存在していたのか、その、夜の暗さと混ざり合った黒い浮遊体は、人々に異様な姿を見せびらかすように、全身のあちらこちらから、美しくも禍々しい怪光を明滅させる。
「壺?……」
屋根の上から、その物体を最初に目の当たりにしたセレイが呟く。
「……妖の類か何かか!?」
気配を感じ取ったダンジュウもまた、相貌を凝らしてその正体を見極めようとする。
「綺麗ですけど……怖い感じです」
モミジ、そしてその足下にいるナランもまた、浮遊する物体を不思議そうに見つめていた。
「あれは……飛空船なのか?」
「違う……飛空船……じゃ、ない?」
下町通り――
仕事を終えて馬車で宴の会場へと向かっていたシディカもまた、黒い香炉のようなそれが、人工の飛行物体であることに気付いた。
気付きはしたが、発光装置らしきもので自らを飾り立てる[浮遊機械]の正体は皆目見当も付かなかった。
「……光る……クラゲ?」
シディカの目には、浮遊体の姿が以前、書物で見た、[深海の底に生息する発光海月]に重なって見えた。
好奇心を辛うじて押さえ込んだシディカは、同じく祭に向かおうとしていた兵を何人か見つけ、呼び寄せた。
「早く、このことを大隊長に……!!」
「副隊長は、如何為されますか!?」
兵の問いかけに、少し考えたシディカは下知を下す。
「……残りの兵は、私と共に王女殿下の救出を」
「なんだ……ありゃ……」
テンジン社通り商店街――
人々が黒い浮遊体の存在に気付き、呆然と眺めたことで、ようやくその物体が立てる異様な音が聞こえた。それは、さほど大きな音ではないが、大型の管楽器を短く吹き繰り返すような、夜空に響き渡る重低音だった。
もしかしたら、意図的に音を鳴らし始めたのかも知れない。
飛行物体は丁度、テンジン広場の真上に滞空していた。その真下にいる人々には、明確な形状は把握できないが、故に、その不気味さは余計に栄える。
「プロイ! 姫様―っ!」
「殿下!?」
不気味な雰囲気が漂う中、セレイ、そして、今まで控えるよう命ぜられていた王女殿下付きの近衛がプロイとミレイの元に駆け寄ると、二人を庇うように立ちはだかり、空中の物体を警戒する。
「プロイ……」
「……姫様」
ミレイは、不安な表情を見せるプロイを自分の傍へと抱き寄せつつ、近衛に下知を出す。
「妾はよい。近衛は民を守るのです!」
「ダンジュウさん、みんなを、避難させた方が……」
危険を感じたモミジがそう言った直後だった。
浮遊体の上部、香炉の[蓋]に当たるドーム部分の一部が、曲面に沿って上向きにスライドし、開いたのだ。
「扉?……」
その内部がどうなっているのか、あまりの暗さに判別することはできないが、少なくとも、今、動いたところが扉であることは間違いない。
だが、人々がその内部に興味を持つ余裕はなかった。
突如、その扉の中から、から、雷鳴のような轟音とともに一筋の白い線が勢いよく延びたのだ。
それは、唐突と言って良いほど一瞬のうちに放たれた。
あまりの早さに、先端の白く輝く光の玉が稲妻よりも早く、この通りから少し離れた街角に落下する光景を、人々は目に留めることができなかった。
と、云うより、まるで、その浮遊物体から着弾地点まで、定規で引かれたかのような真っ直ぐな目映い光線が夜空を裂いて浮かび上がったと見た方が正しいかも知れない。
転瞬――
着弾した電光は、刹那、大爆発と化す。
その爆発は辺りを火の海に変え、爆風は、周囲の建物を吹き飛ばした。
それは、砲弾でも噴進弾でもない。
しかし、それが自然現象でないこともまた、誰の目にも明らかである。
人々はこの時、何が起こったのかを理解するのに若干の間を要した。そして、それを理解したときには、祭の場と市街は阿鼻叫喚の地獄絵図と成り果てようとしていた。
――地獄から迷い出た亡者の使いだ!
あるものが叫んだ。
また、あるものは
――異界より現われた魔王の乗り物だ!
と、恐怖を煽る。
心慌意乱――
ここに来て事態の重大さに気付いた人々は混乱し、我先にその場から逃げだそうとする。このままでは、あの浮遊物体が例え、これ以上何もしなくても、大勢の被害が拡大してしまうことは目に見えていた。
「こりゃ、まずい!」
ダンジュウはモミジの肩から地面に降り立ち、何とか避難の安全を確保しようと試みる。
「慌てるな、年寄りと女子供を見捨てるなぁ!!」
「自警団の方々は避難誘導を優先してくだされぃ!」
状況に気付いたアリーム、ムジーフも必死に声を張り上げ、事態の収拾に当たろうとする。
「私も、何か出来ることを……」
その中でモミジもまた、人々を救おうとするものの、足下で混乱する人々が気になり、思うように動けない。この状況では、鉄甲騎並みの巨体は邪魔でしかなかった。
だが、今はそれを嘆いている暇はなかった。
「……そうだ。ナランさんだけでも」
モミジは何とかしゃがみ、ナランを拾い上げようとするが、動くことが出来ない。それは、右往左往する人の波が気になるからではない。
「え?……腕が!?」
いつの間にか鉄甲騎の三本指が、モミジの右腕を掴んでいた。
いや、それは鉄甲騎の腕ではなかった。
「引っ張られる!?」
その機械の手は、上空の浮遊体から伸びた、蛇腹状の節に連結している[腕]の先端に付けられていた。とてつもなく長いそれは、モミジの腕を空中に持ち上げようと、更に力を込める。
「ナランさん!」
そうこうしている間にも、ナランは逃げ惑う群衆に巻き込まれ、遠ざかっていく。
「離して下さいっ!」
モミジは自身を掴む機械の手を振り解こうとするが、浮遊体が伸ばしてきた、もう一本の[蛇腹の腕]が、今度は左手を捕縛する。
「さ、させません!!」
両腕を封じられながらも尚、モミジは必死に抵抗を試み、地面をしっかり踏みしめるものの、その巨体は敢え無く空中へと引き上げられる。
「も、持ち上げられる……!」
「巨人でも……サクラブライでも敵わないのか!?」
街を救った[英雄]が、正体不明の敵に対して為す術もないその状況に、人々の恐怖が更に増幅する。
「モミジが狙いなのか!?……いや、それだけじゃない!!」
空中へとモミジが引き上げる様子にすぐさま反応したダンジュウの目に映ったものは、浮遊体の側面から飛び出した、数体の黒い人影……
ウーゴ砦――
「なんて、ことだ……」
謎の光球と、それにより引き起こされた惨状を目の当たりにしたイバンは言葉を失った。
同時に、突如飛来した正体不明の浮遊体が紛れもない[敵]であると認識したイバンは気を取り直し、大隊長としての責務を果たすべく、行動を開始する。
「城門警備の鉄甲騎を城内に回せ! 騎兵隊は住民避難の支援に当たれ!」
イバン大隊長の指揮の下、ウーゴ守備隊は出動準備に取りかかっていた。
「シディカはどうした!?」
酒のせいか、顔を真っ赤にしたドルージの怒鳴りに、伝令に駆けてきた兵が慌てて答える。
「副隊長は王女殿下の救出に向かいました!」
その言葉を聞いたドルージの脳裏に、ナランとプロイの顔が浮かんだ。
「そうだ……あいつらもそこにいるんだ!!」
「機関士長、落ち着いてくださいっ!!」
「これが落ち着いていられるかぁ!!」
いつになく冷静さを失ったドルージを、機関士達が必死に押さえ込む。普段は決してみせることのない機関士長の醜態は、おそらくは、酒が回った事によるものだけではないだろう。
その様子に目を向けながらも、イバンは指揮を続ける。
「……とにかく、対空戦闘用意だ! 鉄甲騎に噴進銛と噴進弾を運ばせろ!!」
そう叫んだイバンは、次に自機を見上げる。
「私のバイソールは!? 砦守備隊の鉄甲騎に出られるものはあるか!?」
その呼びかけに、修理のために外装の殆どを取り外した機体の操縦席から顔を出したヘルヘイが哀しげな表情で腕を斜めに交差させる。それは他の機体も同様で、格納庫の鉄甲騎は全て、使用不可の状態であった。
あるとしても、サクラブライの運搬に使用した、辛うじて動くことができるリストール二騎だけであり、これでは無いと云っているのと変わることはない。
「……仕方がない、馬を引け!!」
テンジン社通り――
蛇腹状の腕に捕らえられ、持ち上げられようとするモミジと入れ違うように、浮遊体から空中へと飛翔した全ての黒覆面は、減速せず真っ逆さまに地面へと落下していく。
転瞬、黒覆面は群衆の頭上で停止した。
「まるで、曲芸師ですなぁ」
「黒い綱で空飛ぶ香炉からぶら下がっているのか……て、感心しとる場合ではないぞ、ムジーフ!」
アリームは空中から強襲を駆けてきた前代未聞の賊に戸惑いながらも、避難誘導を続ける。
「このままじゃと、ワシらも嬢ちゃんも何も出来ん……」
混乱する群衆の中、アリームの視界から、徐々にではあるがプロイとセレイ、そしてミレイの姿が遠ざかっていく。
「ともかく、今は住民の避難が先決じゃ。出なければ、嬢ちゃんが脱出できんし、守備隊も攻撃できん……」
同じく避難誘導を続けていたダンジュウの目の前にも、二人の黒覆面が対峙していた。この者達は、最初からこの武辺者に狙いを定め、着地したのだ。
「狼藉者め、何奴だ!?」
誰何の声に思わず力が入る。
「無礼な奴……その覆面を取れ!」
その誰何に答えるくらいなら覆面など付けないであろう事くらい、理解はしている。それでも、名を尋ねてしまうのは、正体不明の敵に対する不安から来るのであろうか。
逃げ惑う群衆を躱しながら、ダンジュウは、綱を切り離して地面に降り立つ黒覆面へと接敵を試みる。
――この状況じゃ、太刀どころか手裏剣も無理か!?
ダンジュウが巧みに群衆を避けると同様、賊もまた、巧みに群衆を盾にしていた。
不意に、ダンジュウは殺気を感じた。直後、逃げる住民の背中から光るものが飛来する。
「くっ!?……」
どうにか手刀で叩き落としたそれは、一本の針であった。触れた部分を見ると、無色透明ではあるが、何かの液体が塗られていた。それを覆面は、住民の影に隠れて放ったのだ。
「毒針とは、定番の暗器だな……芸がない……」
まさに闇夜の礫ならぬ闇夜の毒針と云ったところであるが、感心している余裕はなかった。
――何とかしないと、町人まで巻き込んじまう。
毒に対して毒つきながらも、ダンジュウは油断無く太刀に手を伸ばし、鮫革の柄に手を掛ける。しかし、すぐに引き抜くことはできなかった……
テンジン社通り上空――
「いい加減に、降ろして下さい!!」
蛇腹の機械腕に両腕を封じられたモミジは、もはや為す術もなく空中に吊るし上げられた。
その高さはモミジにとって差ほどでもなく、拘束を切り抜け、落下したとしても、怪我ひとつ無く着地できるだろう。だが、その衝撃が逃げ惑う人々に与える影響を気にして、振り解こうにも振り解けないのだ。
どの道、腕力でも舵手つは無理であったのだが。
「このままじゃ、どうにもなりません……」
その光景は、現場に急行するイバンの目にもはっきりと見えた。
「まずいな……」
イバンは各部隊に下知を出す。
「鉄甲騎隊と砲兵隊はすぐに対空兵器の設置、急げ!!」
「ですが、住民の避難が完了していない上に、モミジ殿が捉えられている状況での攻撃は……」
「それは今、考える!……ともかく、状況を知らなければならない」
そう言ってイバンは騎馬を走らせる。
「物見に出る。四騎、来い!」
避難する住民の少ない地域から通りに向かい、五騎の騎馬がモミジを吊るす浮遊体へと向かう。
「モミジさんが……!?」
両腕を掴まれ、空中へと引き上げられるモミジの姿に、プロイが悲鳴を上げ、怯える少女の顔を胸に抱きつつ、ミレイも、無言で素性の浮遊体を見上げるが……
「(姫様……?)」
プロイは、ミレイの手が恐怖で震えていることに気付いた。意識してみると、王女殿下の心臓、その鼓動も強く、早く、音を立てていた。
その時、
「もしかして、私たちもやばいかも……」
セレイの呟きに二人が周りを見渡すと、四人の黒覆面が取り囲んでいた。
いつの間に此処まで来たのだろうか――
空から降りてきたはずなのに、まるで地面の影が実体化したように出現した黒覆面は、短剣を手に、油断無くミレイに迫る。
「殿下をお守りせよ!」
周囲で避難誘導を続けていた近衛が事態に気付き、黒覆面に躍りかかる。
宴の中での警護であるため、革鎧と段平のみの軽装備ではあるが、彼等は正体不明の賊に敢然と立ち向かう。
四人の黒覆面に対し、この場に駆けつけた近衛も四人。
国家の方針にも依るが、近衛は右文左武でなければ務まらない。イバンやダンジュウのような武辺者は別格としても、彼等は平均的な兵卒よりは実力があり、黒覆面と言えど油断ならない相手と言える。まして、段平を持つ相手に短剣で挑むとなると、相手の間合い、その内側に飛び込まねばならず、事実上の一対一では、分が悪いとも云えた。
しかも、この辺りの住民は誘導の甲斐もあって避難が進んでおり、武器を振るって戦うには十分な空間となっていた。
だが、それは正々堂々、正面からの戦いである場合に限られる。
正攻法の構えで迎え撃つ近衛に対し、やはり黒覆面はダンジュウに用いたような、毒針や手足の隠し武器による不意打ちなど、暗器を多用する戦法を繰り出してきたのだ。
「暗器とは卑怯な……!?」
覆面は何の返事も無い。
様々な戦いを経験した武辺者と違い、この手のような想定外の戦い方に疎い近衛ではあるが、翻弄されながらも、どうにか立ち回り賊と切り結ぶ。
やがて、他の近衛も事の事態に気付いて至急に駆けつけ、数の優位で盛り返す。
「押し切れ、殿下を守れ!!」
奮戦する近衛の戦いを、壁を背にし、プロイを抱いたミレイが見守っていた。その前では、セレイが二人を守ろうと立ちはだかっている。
「ここは我らにお任せを!」
近衛と黒覆面が斬り結ぶ中、誰かが叫ぶ。
「殿下はお二人を連れてあちらに逃げられよ……!」
「大儀であります!」
声に誘導されたミレイは、プロイ、そして自分も戦おうとするセレイを連れてその場を離れる。
しかし、その声は……
「殿下!?……そちらは危険です……」
路地裏に逃げ込んだ三人を見た近衛はそれを追いかけようとするが、新たな黒覆面がそれを阻む。
ミレイとプロイ、そしてセレイは、完全に孤立させられた。
一方――
阿鼻叫喚の人混みに流されながら、ナランは黒い浮遊体から発射された光球に目が奪われていた。
ナランは、その光を二年前に目の当たりにしたことがあった。
それは、紛れもなく[龍の光球]……
ジマリの街を焼き滅ぼした、血よりも紅い鱗を持つ[龍]の、光の息……
父を喰い殺した、あの[龍]の放った、忌まわしき光だった。
だが、それを吐き出したのは、[龍]ではなく、[真っ黒い香炉]である。
色も形も、全く一致するところはない。
それでも、ナランはジマリの悲劇を思い出さざるを得なくなった。
「もしかして……」
あれこそが、夢の中で見た[龍]の、本当の姿なのか……
恐怖が押し隠していた、[父の仇]の、真の姿なのであろうか……
それとも、あの[壺]の中に[龍]が封じられているのだろうか……
街が一瞬にして火の海となる……砦攻防戦の時に幾度も連想したそれとは、比べものにならないほど記憶と一致した光景だった。
人の波から外れ、路地裏に佇むナランは、呆然としたまま空中の物体を放心のまま凝視する。
「離してくださいっ!!」
モミジの悲鳴がナランを現実に呼び戻した。
思わず見上げたナランの目に、空中の浮遊体が伸ばした腕から逃れるべく、必死に抵抗を試みているモミジの姿が映る。聞き慣れた駆動音に振り返ると、味方の鉄甲騎の姿が見えた。噴進兵器など対空兵器を運んできたものの、手を出せない状況のようだ。
「まずい、どうにかしないと……」
不意に口を突いた言葉だが……
――だけど、どうやって……
ナランの頭に、それを否定する思考が生まれる。
今のナランには、モミジを救う手段も、方法も、そして勇気もなかった。
無理とわかった時点で、意識は別の思考に切り替える。
「ともかく、ブロイ達のところに戻らないと……」
そう思ったナランはプロイたちのいる広場へと戻るべく路地裏をひたすら走る。
――セレイは、プロイは大丈夫だろうか……
二人の顔が脳裏に浮かぶ。それはまるで、二年前に、父を想って街中を走り抜けたときと変わらない光景だった。
刹那、ナランはここで想像もしていなかった存在と邂逅相遇を果たすことになる。
それは、運命の導きなのか……
それとも、神の残酷な気まぐれなのか……
「こちらです……」
黒覆面に案内され、黒い長衣に黒い頭巾を身に着けた男が、路地の十字路を横切った。同じく黒覆面を被る護衛を引き連れ、ゆったりとした、余裕のある歩調でナランの前を横切った。
転瞬――
ナランの脳裏に再び、ジマリの惨劇が在り在りと蘇った。
それは、未だ夢の中で、少年を苦しめる黒い[影]……
――あいつだ!!
その[影]のような男こそ、ジマリの街を襲撃した賊の首魁……
そして、ナランの父を喰い殺した龍の背中に乗る男……
名前も知らない。
本当の姿もわからない。
そも、同一人物という確証もない。
だが、今でも悪夢として幾度もナランの前に現われ、苦しめるその姿は、まさしく目の前の[影]そのものではないか。
少なくとも、ナランにはそう思えた。
確かに上空の物体は[龍]ではない。色すらも違う。
しかし、奴らは現に、街を襲い、人を恐怖に陥れ、ついには白い光球を撃ち放ったではないか。
間違いない――
少年は確信した。
「見つけた……父さんの、仇だ!!」
ナランの目の前が、真っ白になった。
[影]以外のものが見えなくなっていた。
「こ奴ら、相当遣い手だ!」
路地――
執拗に繰り出される投擲針と短剣の刺突をどうにか躱し、それでも黒覆面二人を広い場所へと誘き出したダンジュウは、左半身に太刀を下段に構え、相手の隙を窺うが、
「誘き出されたのは、俺の方か!?……」
気付いた時には既に手遅れだった。
――賊どもの目的は、俺を足止めすることだ!
ダンジュウは、自分がモミジからも、更にはミレイら三人のいる場所からも、程よく離れた路地裏にいる事にようやく気付いたのだ。
「この者どもに構い過ぎたか!?」
そう呟いたときには既に、黒覆面は両側からダンジュウにじりじりと迫りつつあった。
二人の黒覆面に相対し、正眼の構えに直して迎え撃つダンジュウに対し、賊もまた、一見、西方剣術に似た、左腕を後ろに隠すほどの右半身の構えを取る。
両者はわずかな時間、睨み合う。
刹那、二人の賊が同時に地面を蹴って一気に距離を縮め、そのまま右腕を目一杯伸ばした。
その動きを見たダンジュウは、太刀を横一文字に構え、防御の姿勢を取る。
〈後の先〉で迎え撃つつもりのようだ。
そして、それは敵の狙い通りであった。
一人の黒覆面が敢えてダンジュウの太刀めがけて短剣を繰り出し、受け止めさせる。その瞬間、もう一人の黒覆面が、隠していた左手を突き出し、手にしていた筒から粉のようなものを振りかけたのだ。
「何と!?」
「これで貴様の目は潰れた!」
だが……
「その手は食わぬぞ……!」
その声に反応したときには遅かった。
意図に気付ていたダンジュウは、横一文字に構えていた太刀を、いつの間にか向一文字の構えで突き出し、一気に踏み出したのだ。しかも、粉が顔に掛かる前には、いや、左手の筒を突き出していた時点で既に、二人の間を擦り抜けていたのだ。
「そんな莫迦な……」
覆面の一人が確かに感じた、見た筈の、太刀と交えた短剣の感触、そして鉄と鉄のぶつかる火花が気のせいだったのか、それとも〈気操術〉によるまやかしか、あるいは東方武技の一つなのかは、何の記録も残されていない。わかっていることはただひとつ、ダンジュウと云う強敵を仕留め損なったと云うことだけである。
しかし、ダンジュウもまた、黒覆面の技量に舌を巻いていた。
本当であれば、二人を擦り抜けた時点で一閃の元に斬り伏せるつもりでいたところ、その隙が得られず、通り抜けるのがやっとであったのだ。
「やはり手強い……!」
黒覆面の強さにダンジュウが、再び身構え、どうにか事態の好転を謀ろうとした時、それはすぐに訪れた。突如、数発の銃声が鳴り響き、飛び退いた黒覆面の足下に銃弾が弾けたのだ。
その射撃は中々に正確だった。故に、黒覆面は強敵と判断、通りの角にて拳銃を構える老商人とその付き人――アリームと、特に、ムジーフの射撃手腕に強く警戒した。
「大旦那!」
「ダンジュウ、早く嬢ちゃんを助けるんじゃ!」
「昔を思い出しますなぁ……」
「感傷に浸っとらんで、とにかく撃ちまくれぇ!」
アリームとムジーフは拳銃を立て続けに撃ち、黒覆面を牽制する。今度は狙って撃ったわけではない。狙いを定めれば、この種の手合いは逆に避けかねない故、寧ろ出鱈目に撃ったほうが牽制となることもある。
「助かる!」
ダンジュウは意識を集中し、〈気操術〉を脚に込めると、建物の屋根へと向け、一瞬にして飛び乗った。
それを見届けたアリームもまた、
「よし、ワシらも逃げるぞ!」
「待って下さい、大旦那様ぁ!」
一目散に逃げ出していた。
裏路地――
ミレイとプロイ、そしてセレイにも、魔の手が伸びようとしていた。
「あなたたちは、一体何者なのです!?」
罠にはまり、袋小路に追い詰められた三人の前に、まるで[影]のような、長衣、頭巾の男がゆっくりと歩み寄る。
「御拝謁、光栄に存じます……ミレイ・レイ・ウライバ王女殿下は、いずれのお方であるか……」
無論、知っている上で尋ねているのだろう。これは威圧的な雰囲気を与えるためであった。
「姫様に近付くな!」
不意を打ち、セレイが翼を広げ、[影]に向けて文字通り飛び掛かり、得意の蹴りを繰り出すが、周囲から黒覆面が襲いかかり、勇敢なツバサビトを簡単に取り押さえる。
「セレイ!!」
思わず駆け寄ろうとしたプロイとミレイであるが、他の黒覆面に剣を突きつけられ、身動きが取れない。
「剣を下ろせ。高貴なるお方に対して無礼であろう」
[影]の命令に従い、覆面が二人に向けていた剣を下ろすものの、身動きが取れないことに変わりはない。
状況から、敵の目的が自分であると、ミレイは気付いた。
――私が名乗り出れば、二人は……市民は助かるかも!?
民を、そして友人を守れなければ、王家のものとは名乗れない。
――ならば……
そう考えたミレイが、勇気を振り絞り、先に額より外していた〈王家の印〉を取り出そうとしたその時……
「わ、わた……妾がミレイ……ミレイ・レイ・ウライバです!」
「(え……プロ……イ?)」
突然の事に困惑する作務衣の[王女]の傍らで、美しく着飾った、小さな[姫君]は、声がほんの少し裏返りながらも、毅然とした態度で言い放つ。
「け……家来を虐めると、承知しません……事でします、わよ!」
――守られているだけじゃ、駄目だ!
ミレイの手を直に触れ、恐怖と、それに打ち勝とうとする心を感じたプロイは、自身も懸命に勇気を振り絞った。
何か考えがあるわけではない。とにかくミレイを守りたかっただけだ。
その噛んでばかりの出鱈目な言葉遣いによる物言いが功を奏したのか、あるいは呆れられたためか、賊はしばし沈黙する。
「……あーっはっはっはっは……!!」
この沈黙を破ったのは、[影]による、右手を上げながらの高笑いであった。
「……どうか、平にご無礼をお許し下さい、王女殿下……手荒な手段は、我らの本意ではありません……」
[影]は、プロイに向け、西方式の挨拶を――ことさら大袈裟に、上げた[右手を]大きく回し、ゆっくりと自分の胸に当てながら、膝折礼を取る。ただし、目線はプロイに向けたままである。
――浅はかな知恵ではあるが、お付き合い差し上げるのも、また一興。
身代わりを立てるならば、相応に教育しなければ意味がないではないか、と、心の中で嘲笑う[影]ではあったが……
「(この男、プロイの芝居に気付いている……)」
[影]の右手を上げ、それでいて相手に顔を向けたままの[不作法な挨拶]が作為的なものであると見抜いたミレイは、咄嗟に叫ぶ。
「妾こそが、ミレイです。皆を解放なさい!」
その言葉に、今度は[影]を含めた黒覆面全員が呆気にとられる。
「(……我が身可愛さに身代わりを立てたと思ったが、そうではないのか?)」
目の前で見せられた、[本物]が[替玉]を庇う行為の意図が読めず、思わず呟き、考え込む[影]……
――この娘は、自ら進んで身代わりを買って出たというのか!?
敬愛する王族の為に献身的になるというのであれば、話はわかる。
だが、
――で、あれば、何故、わざわざ本物が名乗り出るのだ!?
折角、民が自らを犠牲にしたのだから、感謝こそすれ、わざわざ自身が危険な目に遭うことはない筈だと思った。例え、我が身を案じたものではないにせよ、王族たるもの、身を守る、延いては国を守るためならば、民を切り捨てることはやむを得ないと考える[影]にとって、ミレイの、そしてプロイの行動は理解しがたいものであった。
そも、この場合、何処の馬の骨ともわからない小娘が、王族の装束を纏っているという理由が思いつかない。
事の成り行きを知らぬとは云え、[影]の思考は困惑の極みであった。
それが心の隙を生んだ。
「……転移!!」
その声と同時に、その場の空間が歪んだ感覚に包まれ、その直後、黒覆面が不意の眠気に襲われる。
「……シディカ様の術!?」
セレイは朦朧とする黒覆面を振り払い、プロイとミレイの元に駆け寄る。
「……人の心に付け込む邪法とは……[忌まわしい魔術師]か!?」
「だから……魔術じゃなくて〈心象具現化方程式〉ですってばぁ!!」
辛うじて睡魔を振り払った[影]が声の方向に目を向けると、路地の角から、幾人かの守備兵を率いたシディカが、両手で印を組んだ姿勢で賊を睨んでいる。
「シディカ姉様!」
ミレイはプロイ、セレイ共々シディカの元に寄ろうとするものの、朦朧から覚醒した黒覆面に阻まれる。
「こんな簡単に[式]を破るなんて……」
[影]を含めた賊が瞬く間に術の効果を脱する様子に、シディカは驚愕を隠せない。おそらくは心象具現化術に対する訓練を相当積んでいるのであろうが、それでも、シディカが仕掛けた[方程式]をここまで簡単に打ち破るなど、並大抵ではない。
「奴らを王女に近づけるな!」
[影]の叱咤で全員が立ち直り、シディカたちを牽制する。
一方、浮遊体に捕らえられたモミジを救うべく、ダンジュウは建物の屋根を走った。
「もっと……高いところはないか!?」
ダンジュウの気操術を以てしても、今や約三十メートル上空に吊り上げられたモミジの高さに跳躍するのは不可能である。三層以上の建造物が皆無に近い下町では、踏み台となる場所を探すのは困難と云えた。
「御貴殿は、確か、ダンジュウ殿!?」
屋根を疾走するダンジュウを、馬上からイバンが呼び止める。
「……イバン大隊長殿か? 高いところから、無礼仕る……」
騎乗の人であるイバンに気付いたダンジュウは、ある方法を思いついた。
シディカ率いる守備隊と黒覆面は睨み合い、膠着状態となっていた。
どちらもミレイ、プロイの元に向かおうと、互いに隙を窺う。
だが、不意に、且つ、唐突に、それを破るものが現われた。
それは、一人の少年だった。
「ナラン!?」
路地の暗がりから飛び出したナランを見たプロイだが、その姿を見て明るくなるセレイと違い、驚きと同時に、不安を覚えた。少女は少年の[影]に向ける目に不穏な光を見たのだ。
それは、憎悪の心に支配された目であった。
「わあぁ―――っ!!」
悲鳴のような雄叫びを上げ、どこかで拾った鉄棒を狂ったように振り回し、ナランは[影]に殴りかかった。それは、勇気ある行動と言うよりは、無茶、無謀と見た方が正しい。
理由が何であれ、一度動き出したら止まらない。
これまでナランが見せた行動の基本ではあるが、今度ばかりは、それが悪い結果を及ぼすことになる。
「お前だ……お前が、みんなと父さんを殺したんだ!」
年端もいかぬ少年が、叫び声を上げながら棒を振りかざして走り寄る姿に、[影]とその部下達は何が起きたのかを理解するのにわずかな時間を要した。しかし、それで十分であった。
事態を把握しきれず、呆然自失に立ち尽くす[影]に向け、ナランは鉄棒を叩きつける。
「……ぐわっ!?」
まぐれか執念か、鉄棒は[影]の胸板に直撃した。
肋骨にヒビでも入ったのか、その場に蹲る[影]ではあるが、続けざまに振るわれるナランの鉄棒に向けて腕を咄嗟に突き出し、受け止める。
「……調子に乗るな、小童!」
激痛に耐えながら立ち上がり、力任せに鉄棒を取り上げた[影]は、ナランの襟首を掴み上げ、奪った鉄棒を横向きにして、少年の首に押しつける。
「……お前は……うを使って……とう……さんを……い殺した……」
喉元を押さえつけられ、息も苦しい中、恨みの言葉を吐くナランに苛立った[影]は、肋骨に響く痛みのせいか先程までの余裕な紳士振りを忘れ、その少年の首を更に締め付ける。
「訳のわからないことを抜かす小童だ……貴様の父親が何様かは知らんが、誰を何時、何人殺したとか、いちいち憶えてなどおらぬわ!」
怒り心頭の[影]はそう言い放ち、ナランの首に力を込める。
「子供とて、死に急ぐなら容赦はしない……せめてもの情けとして、一瞬で貴様の父とやらの元に送ってくれよう!」
そう言って[影]がナランの首をへし折ろうと力を込める。
――僕は、死ぬのか!?
ナランは嘆いた。
自分の非力を……
自分の無謀さを……
仇を前に、何も出来ずに死んで行く不甲斐なさを……
――僕は……
少年の身体から力が抜け、その身を死に委ねようとした。
その時……
この場にはっきりと、少女の叫び声が響いた。
「な、ナランに手を出しては、承知しません!!」
プロイである。
全員の注目を浴びながらも、毅然として、あくまで[姫様]として振る舞うプロイの姿に、ミレイ、シディカ、セレイ、そして守備兵やまたしても黒覆面が暫し呆然となる。
ここでも、時を動かしたのは[影]の笑い声だった。
割と長い間、腹を抱えて笑った[影]は、[姫様]に告げる。
「よかろう! 王女殿下……ならば、そこの王女を騙る作務衣の付き人共々、我が元に来い……」
[影]はセレイに視線を移す。
「そこの翼人、魔術師の元に行け……妙な真似をしたら、小童の命はないと思え……」
「…………」
シディカは、悔しげな顔で自分の傍にゆっくりと寄るセレイを抱きつつ、ナランを拘束する[影]と、賊に近付くプロイ、ミレイから目を離さない。
全員を見回し、不穏な動きが無いことを見届けた[影]は、部下の一人を呼び寄せる。
「〈ウキツボ〉に撤収の合図を送れ……巨人と王女を回収し、撤収する」
その時、既にモミジ救出の手立てが取られていた。
端から見れば、それはとても策とは呼べない代物であったが、当の本人は至って本気のようだ。
「ダンジュウ殿!――本当に大丈夫なのか!?」
借りたバイソールの操縦席にて、開けっ放しの扉の中から、イバンが叫ぶ。
「心配ご無用、思い切り投げられよ!」
掲げられた鉄甲騎の右手に乗るダンジュウは、不敵な笑みを浮かべ、その瞬間を待つ。
「では、行きますぞ!」
「応!!」
後部座席で心配そうな顔を見せる機関士を余所に、イバンの操縦でバイソールは、一度腕をわずかに下ろし、その後、その手に乗るサムライを上に向けて放り投げた。
その光景は、プロイとミレイを縄で拘束した[影]とその一味も目の当たりにした。
「……イズルの武者は命知らずとでも言うのか!?」
[影]の言葉は、この場の全員を代弁したものだ。
鉄甲騎の腕の動きに合わせ、一気に跳躍したダンジュウは、一度は浮遊体よりも高度を取り、翼のように長い袖を翻しながら弧を描くように落下、モミジを掴んでいる機械腕のひとつに取り付いた。
「うわっ! ととと……」
「……ダンジュウさん!?」
空から振ってきた武辺者を見て驚いたモミジに、ダンジュウが指示を出す。
「モミジ、今からこの腕をぶっ壊すから、上手く着地しろよ!?」
「でも、下には大勢の人が……!?」
「大丈夫だ、大旦那がみんな逃がしてくれた!」
その言葉に地面を見ると、モミジに向けて手を振りながら走り去るアリームとムジーフがいた。
「良し、火を付けるぞ!!」
ダンジュウはそう言って、火を付けた爆薬を関節の隙間に差し込み、モミジの肩に飛び移ると、転瞬、爆薬が破裂し、右の機械腕が破壊される。
「これなら、何とかなるかも!?」
体勢を立て直したモミジは、右手を上に伸ばし、左腕を掴む残りの機械腕の付け根に手を掛ける。
「うりゃあ―――!!」
気合いと共に力を込めると、その蛇腹状の管は砕け、それらを動かしていた鋼索が引き千切られる。結果、モミジの巨体は浮遊体から逃れ、仰向けのまま地面に落下、真下の店舗を潰しながら無様に着地する。
「つつ……また、やってしまいました……」
瓦礫を振り払いながら上半身を起こすモミジを見た[影]は、それでも撤収の指示を下した。
「どの道、ああなっては巨人の回収は不可能だ。これ以上の長居は危険でしかない……」
黒覆面が信号銃を空に向かって撃ち放つと、浮遊体は[影]の頭上にゆっくりと、降下を始める。
「王女殿下は我々の手中にあることをお忘れ無きよう……後ほど、改めてご連絡差し上げましょう……」
浮遊体の胴中央、円形に取り囲む張り出しから降ろされた牽引綱にプロイとミレイを結わえ付けると、彼等自身もそれぞれの鋼索に手を掛け、その後、巻き上げ機によって浮遊体の中へと消えていく。
「逃がしません!」
ようやく立ち上がったモミジは、柱の残骸を手に取り、地上すれすれに降下した浮遊体へと飛び掛かろうとするが、ダンジュウに止められる。
「よせ、王女と女の子が捕まってるんだ!」
改めて対空攻撃の指揮に戻ったイバンも、この状況に手を振るわせる。
「あれでは……手が出せん!……」
そして、最も悔しい思いをしていたのは、すぐ傍で何も出来ず、見送ることしかできないシディカ、セレイ、そして……
「僕の……せいだ……」
自身の暴走により、事態が悪化したことにようやく気付いたナランは、仰向けに転がったまま、二人が浮遊体の内部に連れ去られ、ウーゴを飛び去るまでの一部始終を見せつけられていた。
――プロイ!!
ナランの心は、声にならない叫びを上げた……




