王城の戦い
その時だった。
「副隊長、戦闘食の差し入れです」
外郭塔――
その声にシディカが振り向くと、そこには給仕の姿はない。
代わりに唯、下層へ続く階段傍に、ぽつんと、戦闘食を入れた鞄が置かれているだけであった。
「……はて、戦闘食の搬入を許可したかしらぁ……」
やや惚けた顔で呟くシディカ。
普段の彼女なら、ここで違和感を覚えたであろう。現在、砦には間者が侵入している可能性があり、城壁への入城に制限を掛けていたのは、他ならぬシディカ自身であるのだから。
だが、疲労困憊寸前の今のシディカには、繊細な判断能力が欠如しており、さらには、混乱を避けるために、間者の件を一部のものにしか伝達していなかったことが裏目に出たとは、この時点では想いもしなかった。
それでも、不意打ちを受けたように、突然、唐突に、まるで空間から湧いて出たかの如く出現した鞄を不振に感じたシディカは、その正体を確かめようと鞄に近付こうとした。
恐る恐る、ゆっくりと歩み寄り、手を伸ばす。
まるで、危険物にでも触るかの如く……
そして鞄に手が触れようとした瞬間、良き報告がシディカの元に飛び込んできた。
「敵後方にリストール二騎、見ゆ!……第一小隊と思われます!」
その歓喜に満ちた報告を受けたシディカが再び戦場に視線を戻し、双眼鏡で確認すると、報告通り、リストール二騎が短槍を構え、後方から凱甲騎に対して果敢に立ち向かっており、それに気を取られたガイシュが、侵攻を止めている様子を確認できた。
二騎の脚甲騎の姿は、膠着状態から徐々に押されつつある戦況を打開出来るかも知れない希望の存在として見えたことだろう。
「今だ、副隊長!!」
ドルーシの声に慌てて弾道計算を行うシディカの頭から、鞄のことはすっかり忘れられてしまった。
「第一小隊が帰ってきた……これで兄上も帰ってきて頂ければ勝機はある!」
西の空に沈み行く夕日の欠片を見ながら、再度奮起するシディカは、再び測距儀に目を当て、各砲台へと砲撃命令を出した。
戦場、ドルトフ付近――
「第一小隊、見参!……ドルトフ将軍、いざ、尋常に勝負!」
街道から駆けつけた第一小隊のリストール二騎が、陣形の殿に構えるスパルティータに戦闘を仕掛けていた。
脚甲騎を含む鉄甲騎の類は、本来、駆動音や振動などのため、奇襲攻撃に不向きな兵器ではあるが、さすがにここまで砲声や爆発の振動などが続けば、感覚は麻痺してしまう。第一小隊はその状況を突いたのだ。
「ええい、脚甲騎の分際で、将軍である我が輩に奇襲を掛けるとは、無礼千万なのである!」
憤慨するドルトフが操縦桿を操作し、スパルティータに盾から取り出させ、構えさせたその武器は、奇妙な形の柄を持つ、巨大な剣状の武器であった。そして、その武器を構えた直後、凱甲騎は全身を大きく振るわせ、腹部側面から余剰の蒸気を排気し始めた。
「見たか! これぞ蒸気兵装〈回旋剣〉……これをまともに受けたら、そんな瓦落多の如き脚甲騎など、一瞬にして粉砕なのである!」
その言葉に嘘はないと言わんばかりに、凱甲騎の蒸気を吸収した動力剣は、その本身を高速で回転させる。
「……本来であれば、下賤な身である属国兵ごときが目にすること自体、畏れ多い高貴な武器なるぞ……光栄に思うがよい!」
どのみちスパルティータには、その[高貴な武器]しかないのだが。
ドルトフはリストール一号に照準を合わせる。
「……あのような雑兵ごとき、すぐにでも蹴散らしてくれようぞ……」
〈蒸気兵装〉――
それは、焔玉機関内部で圧縮、増幅された蒸気の一部を引き出し、それによって稼働する動力武装である。それらを使用できる機体は、大出力の焔玉機関を持つもののみであり、通常は殆どの凱甲騎か、あるいは一部の鉄甲騎が過剰充填の開放状態にあるときにのみ使用可能とされている。
それ故、これらの武装は、全て特注品で、この〈回旋剣〉などのように銘を持ち、所持すること自体が一種の特権とも云える。
初めて蒸気兵装を目の当たりにしたリストールの操縦士ではあるが、正直なところ、その恐ろしさが実感できていないのか、怯むことなく挑み掛かる。
どのみち脚甲騎で凱甲騎に挑むこと自体、無謀であることには違いないのだ。
「一号機は右から回り込む。二号機は左に回ってくれ!」
「了解……あんなデカ物、簡単に扱えるもんか!」
リストール一号機と二号機は、それぞれ距離を取り、スパルティータを左右から取り囲むように動き回る。
「小癪である!」
スパルティータは、言葉通り巨大な柄を持つ動力剣を、右のリストール一号機に向けて横薙ぎに振りかぶる。だが、予め動きを予測していたのか、操縦士はリストールを後方に向けて大きく跳躍させる。
「何と!?」
予想外の動きに翻弄された凱甲騎が自分の武器の重量に蹌踉めく瞬間を、一号機操縦士は見逃さなかった。
「今だ、二号機!」
「よっしゃ‼」
その声と同時に、リストール二号機が短槍を突き出し、慣性に振り回されて後ろを向けてしまったスパルティータの背中を穂先で叩く。堅固な装甲を突いた火花散らすほどの一撃は、打撃こそは与えられないものの、凱甲騎を前方へと押しやった。
「う、うわうわうわわ……」
バランスを失ったスパルティータを、ドルトフが必死に立て直し、機関士の補佐と優れた魂魄回路の働きで、凱甲騎は辛うじて転倒を免れる。
蒸気兵装は、確かに強力な武器ではあるが、総じて重量物であり、使いこなすには一定以上の操縦技術を要する。しかも、機体を稼働させている蒸気を動力として引き出しているため、使用中は、過剰充填同様、機体性能の低下も起こりうる。
従って、蒸気兵装もまた、決戦兵器の一つであり、むやみに使用するものではない。
「閣下!?」
スパルティータの危機に気付いたガイシュが侵攻を止めて踵を返そうとした刹那、砦から砲声が轟いた。
動きを止めたガイシュに向けて、一斉に砲弾が浴びせかけられたのだ。
榴弾は隙を見せた鉄甲騎軍団に命中、爆発を起こす。それはやはり、錬成強化された装甲を砕くことはないものの、機体への直撃は、内部にいる操縦者と機関士にも少なからず影響を与えるはずである。
「私に構うでない!……進軍を続けるのである!」
ドルトフは下知を飛ばしつつ、自機を立て直す。ここで助けを求めず、冷静に指揮を執り続ける所を見ると、この若将軍にも見所はあるのかも知れない。あるいは、凱甲騎に搭乗していると云う絶対の自信と安心感が今だ揺るがないおかげだろうか。
しかし、忠義に篤い部下達は、将軍を見捨てることが出来ない。挙げ句、
「閣下をお守りしろ!」
と、騎馬軍団までがスパルティータの足下に集う始末である。こうなると忠義というものも、もはや有り難迷惑でしかない。
この状況に、リストール一号と二号は再び付け込んだ。
「一気に走り抜けるぞ!」
「了解、機関、出力最大!」
「脚甲騎じゃ凱甲騎にゃ敵わないなんて、莫迦でもわかるっつーの!?」
「じぁあ、何で挑んじゃったんですかぁ!?」
「俺の〈背中を預かった〉んだ、文句を言うな!」
このやり取りでわかるように、リストール一号ならびに二号機は、最初から戦線の撹乱と突破が狙いであった。故に、凱甲騎と鉄甲騎が離れる頃合いを見計らって奇襲を掛けたのだ。
リストール二騎は、足下の騎馬軍団が気になって動けないスパルティータ、そして、砲撃を受けて混乱するガイシュを越えて、自軍の群れの中へと駆け込んだ。
それを見たドルージが歓喜の叫びで両者を迎えた。
「よく戻って来たぁ! 一号機と二号機は、四号機、六号機と武装を交換、そのまま戦列に加われ。損傷の激しい四号機と六号機は撤退、城門内側で応急修理だ!」
城門の後ろでは、予備機関士達が足場を組み、作業体制を整えていた。修理設備は当然ながら格納庫の方が揃っているのだが、応急修理程度なら、ここまで運んできた設備で十分であり、それは、迅速に戦線復帰を果たさせるためでもある。
これもまた、城砦を枕に戦う者の利点と云えた。
また、以前の戦闘で入手した脚甲騎の部品も運ばれていた。本来は王城の許可が必要なものであったはずではあるが、許可など求められる状況ではない以上、[やむを得ず]使用することになったのだ。
「副隊長、城門を開けるぞ、いいな!?」
「機関士長、ゼットス残党の動向が掴めません……今、城門を開けるのは危険かと……」
シディカの懸念に同意しつつも、ドルージは決断を下す。
「リストールの修理を優先する。直ちに城門を開き、同時に、騎兵隊は前へ!入城まで、城門の護衛任務に入れ!」
「了解……騎兵隊、俺に続け!!」
トゥルムは指示に従い、騎兵隊を前面に出す。
そして、落とし戸式の城門が上げられたその時……
「左舷銃座より報告、敵歩兵確認!……兇賊と思われます!」
報告通り、兇賊が峡谷斜面の傍を、列を成して進んできていた。しかも、弾除けのための大盾や、先の銃撃戦で破壊を免れたと思われる多砲身機関銃まで引っ張ってきていたのだ。
「全銃座、撃ち方始め!……騎兵隊は、敵装甲騎士の動向に注意しつつ、騎兵銃で応戦!」
各銃座に据え付けられた多砲身機関銃が一斉に火を噴き、騎兵隊も城門の隅から騎兵銃を発砲する。それに対し、兇賊も甲冑に身を鎧う重装歩兵崩れを前面に出し、鋼鉄製の大盾を構えて仮の陣地を組み、機関銃で応戦する。砲撃で吹き飛ばそうにも、敵は砦の近く――砲にとっての死角に入り込んでいるため不可能である。
その戦闘は一進一退、膠着状態となるが、足止めとしてはそれで良く、その間に、リストール一号、同二号は、同四号、同六号と武装を交換し、位置を入れ替える。
「よし、リストール四号機と六号機は応急修理に入る。速やかに入城しろ!」
ドルージの指示に従い、消耗が激しい脚甲騎二騎が、よたよたと城門へ入城、閉門後、作業準備が完了していた仮設の足場にて駐機態勢に入る。
戦線へ参加したリストール一号機と二号機は、巡廻任務用の短槍に代わり、四号機と六号機から託された長柄斧と大盾を構え直す。
「もうすぐ、大隊長も駆けつける。ここが踏ん張り時だ!」
一号機の機関士が、拡声器で味方を鼓舞する。
「投光器、照射!」
シディカの命令で、城壁の電気投光器が一斉に照射される。この光は、戦場を照らすのみならず、敵機の顔面に向けて集中的に照射され、出来るだけ視界を奪うと同時に、味方の鉄甲騎を逆光の中に包み込み、敵を幻惑する目的もある。
後光に包まれ、奮起する鉄甲騎が、体勢を立て直して迫り来る敵鉄甲騎を迎え撃ち、周囲では城壁銃座ととゼットス一党、互いの多砲身機関銃による曳光弾が光の線となって戦場に飛び交う。
「副隊長!……ここからは、我々が砲台の指揮を執ります……」
伝声管からシディカに、各砲台長からの言葉が届いた。
「現在の敵の位置なら、我々が個別で直接照準が可能です。副隊長は、休息をお取りになってはいただけないでしょうか……」
「そうですかぁ?……なら、少しだけ休憩させて頂きますぅ……」
砲台長の気の利いた言葉にホッとしたのか、緊張感が解けて素のシディカに戻る。そして、先ほど給仕が置き去りにしていった、あの鞄に躊躇無く手を伸ばした……
「そろそろ、王城の方も片付いて、援軍、送ってくれないかなぁ?……」
王城後宮――
砲声はこの地にも聞こえていた。
音は辛うじて届く程度ではあるが、それでもウーゴの異変を感じ取るには十分である。
「何で、こちらから使者を立てて様子を見るとかしないのかしら……あぁ、イライラする……!」
後宮の中庭に接する居間にて――
ミレイ王女殿下は、落ち着きが無く、ウロウロと歩き回っていた。
わずかに響く音により、何らかの戦闘がウーゴ砦に於いて発生したことは、誰の目にも明らかであった。
だが、ウーゴからは未だに伝令が駆けつけることもなければ、緊急の狼煙が上がる気配もない。
特に、口には出さないものの、ミレイは、セレイのことが気になって仕方がなかった。この状況であれば、ツバサビトの親友が真っ先に、伝令として飛んでくるはずであるから。
――まだ、知らせることがない、とかならいいけど……
出来るだけそう考えるようにするが、やはり落ち着かない。
――戦で怪我とかしてなければよいけれど……
こんなときに限って、悪い考えが浮かんでしまうものである。
――また夕方って、言ったじゃない!?
既に、辺りは暗くなっている。
音だけ聞けば、五年前、国王誕生祝いの挨拶として一度だけ赴いたクメーラ王国にて目の当たりにした[花火]に似ているのだが、華やかな光の花を伴わない爆発音は、多感な少女に不安を与えるのみである。
そんなミレイを、王妃の声が現実に引き戻す。
「少しは落ち着きなさい、ミレイ……小国なりとも、貴女は王女なのですよ。そのような姿を民が見たら、皆が不安に駆られてしまうのですよ?……」
「そうでございます王女殿下、藩王陛下と王太子殿下が不在の今、殿下がしっかりなさらなければ……ほら、お茶をお飲みになって下さい、落ち着きますから……」
母である王妃ミトナが諫め、侍女ファラフが茶を勧めるものの、ミレイは落ち着くことはない。
「茶など飲んでいる場合ではないのよ、ファラフ……」
そう言って、喉が渇いたのか、一気に茶を飲み干すミレイに、
「飲んでいるじゃないですか……」
と、ファルフが突っ込むものの、無視される。
茶を飲んだミレイは、一時は落ち着くものの、しばらくすると、再び居間を端から端までうろつき始める。
「全く、はしたない……貴女は落ち着きのない山羊ですか!?」
王妃が強い口調で諫めても、ミレイの苛立ちは収まらない。
「……こうなったら、母君の権限で援軍をお差し向け下さいませ!」
「それが出来れば、とっくにそうしております!」
その怒気をわずかに含ませた言葉を受けたミレイ姫は、ようやく収まった。母も、自分同様に憤りを感じていたことに気付いたからだ。
本来、王の不在時には名代として指揮を執らねばならない王妃であるが、駐在官が許可をしない限り、やはり権力を行使する事は叶わない。ミトナはミトナで、国の大事に動くことが出来ないもどかしさを、どうにか押さえていたのだ。
「お、お茶菓子が切れましたようなので、取って参ります……」
雰囲気を変えようとファラフがそう言って、居間から出て行こうとしたその時、扉が勢いよく開け放たれ、若い侍女が飛び込んできた。
「なんですか? ノックもせずに……」
ファラフに窘められ、それでも侍女は息を切らせつつ声を出す。
「……ウーゴ砦から伝令が……!」
「セレイが来たのですか!?」
その言葉に真っ先に反応したミレイは、ファラフの制止も聞かずに若い侍女に駆け寄り、詰め寄るが……
「いえ、伝令は騎馬です……」
「騎馬……それは、どういう事ですか?」
ミレイは、侍女の言葉に戸惑った。
王城――
謁見室では、五人の大臣が、砦の伝令として遣わされた偵察隊より受け取った援軍の要請書と、ダーマスルを告発する文章に肝を潰していた。
「武装した騎兵が使者として五騎も来たときには、何事かと思ったが……」
「まさか……クメーラの駐在官ともあろうお方が、敵方に通じていたとは、俄には信じられん……」
その言葉を聞いた兵が、「おそれながら」と一つの書簡を差し出した。
「これは、我が軍の伝令セレイが、身命を賭して手に入れた証拠の品でございます……」
お改めを、と言われ、差し出された書簡を、大臣はおそるおそる受け取り、封蝋を切って中身を読む。
「……何と、ゼットスとドルトフ将軍宛の書簡ぞ……これは!」
「……まさかな!?」
「確かに、印璽も押してある……これほどの証拠はあるまい‼」
「いや、その翼人の伝令こそが敵の差し金と言うことはあり得ぬか!?……」
「そうだ! これは我らを混乱に陥れるための、偽の書簡と言うことも考えられるぞ……」
「しかし、この封蝋の印璽は正式なものだ!」
「ならば、閣下に直接問い正せば良いではないか!?」
「だが、もし濡れ衣であったら……閣下を疑うことは宗主国を疑うも同じ事であるぞ!」
そのやり取りは、偵察兵を苛立たせるのに十分であった。
――畜生どもが!……砦は今、戦闘の真っ最中なんだぞ!!
官僚というものは、何処の国でも優柔不断なものなのだろうか。
挙げ句、亜人とは云え、命を掛けてこの書簡を勝ち得たセレイまで疑い出すなど、偵察隊の面々は怒りに手を振るわせていた。
謁見室で議論を始めた大臣達に、跪いたままの偵察隊が苛立ち、ウンザリしたとき、バタンと、大きな物音が部屋中に響き渡る。
扉を開けて飛び込んできたのは、ミレイ王女殿下であった。王家の一員という立場を放り投げたように、廊下を走ってきたのか、肩で息をする姫君は、呆然と自分を見ている大臣達を、自分も呆然としたままの顔でゆっくりと見渡す。おそらくは、誰から話を聞くのか迷っているのだろう。
突然の王女殿下来訪に言葉の出ない大臣達であったが、ミレイは跪く偵察兵を見つけると、形振り構わず先ほど侍女に相対したときと同様に彼等へと直に詰め寄る。扉を開ける直前に聞こえた『身命を賭して』の一言が耳から離れないのだ。
「セレイは……無事なのですか!? 今の言葉からすると、まさか、大怪我をしたのでは……!?」
自分が王女殿下に声を掛けられるとは考えもしなかった偵察兵は、ミレイと大臣、後から追いかけてきたファラフの顔を見渡し、誰に返答すればよいのか迷い、戸惑う。通常、一兵卒は王族に具申するどころか、直に声を掛けられる事さえあり得ないのだから無理もない。
一方のミレイも、兵の返答がないことに戸惑った。これまでセレイと身分の垣根を越えた会話にすっかり馴れており、しかも、気が動転していたため、自分本来の立場――王女という身分が、偵察兵と、どれほどかけ離れていたのかを失念していたのだ。
戸惑う両者を見かねた大臣が偵察兵の報告を改めて問いただそうとしたとき、女性の凛とした声が謁見室に響き渡る。
「苦しゅうない……我とミレイに直に報告なさい……」
全員が声に反応して振り向くと、両開きの扉を力強く叩き開いたミトナ・ウライバ王妃殿下が、眦を決した表情で、その場にいる大臣達を睨み付けていた。その出立は先ほどまでの室内着ではなく、様々な文様をあしらう色鮮やかな絹地の装束を幾重にも纏い、貴石や金銀で飾られた装飾で身を飾る、ウライバ王家伝来の正装で身を固めていた。
小国なりに贅をこらした装束は、王妃という立場であるミトナにとっては、精一杯の[武装]と云える。大臣達は、その姿に唯々、圧倒されるばかりであった。
ミトナ王妃は、この国の人間ではなく、西方人である。クメーラ王国の或る公爵家から、関係強化のため、政略結婚によって嫁いできたのだ。
ウライバに限らず、このような形の結婚はどこの属国でも行われており、それが例え側室であれ、宗主国より来たる妃である以上、丁重に扱わねばならないため、ある意味、駐在官同様に厄介な存在である。
だが、ミトナ王妃は少々、いや、かなり違っていた。
彼女がウライバ始まって以来、初の[西方出身の正室]であり、それでも、西方貴族から嫁いできた王妃にありがちな[自国の生活文化を強引に持ち込む(これも文化啓蒙という目的がある)]ようなことをせず、婚礼の儀より間もなく、この国の文化にあっという間に順応し、民の人気を集めたのである。
ともかく、そんな経緯故、外国の出身であるにも拘わらず、気高く聡明である王妃に大臣も一目置いており、その言葉を無視することは出来ない。
「各々方も各々方である! 今更、何を躊躇っておいでか!? 報告を聞かずとも、聞こえ来る砲声で状況が逼迫していることは、わかりましょうや……
こうなれば、すぐにでも援軍を送り、攻め寄る賊を打ち払うべきではありませぬか!?」
その言葉に大臣一同は平伏しつつも、唯一人、
「おそれながら、藩王陛下不在に於かれます軍事は、駐在官の承認が……」
と、否定的な意見を具申するものがいた。ウーゴの領主も兼ねる、タルバ・トノバ・ウライバその人である。
このタルバという男は自身の権威、そして保身に拘るあまり、全力で所謂[事なかれ主義]に走り、挙げ句、いざとなると優柔不断に陥る、政に関わってはいけない人物の典型とも云えた。ところが、そんな男がウライバの財政を左右する、ウーゴ領主を継承する家柄であり、それにより、焔石採掘を司る地域を治める筆頭大臣ベルク・ウライバ家に次ぐ地位を持つため、扱いが面倒な男でもあった。
それでもミトナは怯むことなく、タルバをはじめ尚も躊躇う大臣を睨み付ける。
「その駐在官に敵方との内通などと云う嫌疑が掛けられた以上、それが晴れるまで、彼のもののあらゆる権限を停止すべきと存じますが、如何か!」
王女殿下の言葉に、ミレイを含む全員が静まりかえる。ミトナは大臣に向けて下知を発する。
「大臣どもが決断できぬのでしたら、我が藩王陛下に成り代わり命じます。
……直ちにダーマスル駐在官を拘束し、同時に部隊を編成、ウーゴ砦支援のため、出撃させなさい」
命令を発すると云うことは、すなわちそれを下したものに比例する重さの責任が発生することである。よって、王妃の命令は、「責任は自分に帰するものである」という意志表明でもあった。
その意味を悟った大臣一同は、口を揃えて「応っ!!」と、その命令を受諾、それぞれに行動を起こす。さすがのタルバも、勅命には逆らえず、と云うより逆らわずに他の大臣同様、成すべき事を為すために行動を起こす。
その場に残されたのは、王妃、ファラフを含む侍女数名とウーゴ偵察兵、そしてミレイ王女である。
ミトナ王妃は、一連の出来事に圧倒されるミレイに言葉を掛ける。
「……人として友の安否を気に掛けるのは当然です。しかし、今の貴女はミレイ個人である前に[王女]なのです。その称号を与えられた責務として、全ての民に分け隔て無く目を向け、守らなければならないのですよ?」
冷たいようであるが、王族という存在は、時に[個]を捨て、[公]に徹しなければならない。感情に身をまかせて政を行えば、国が傾き、民が路頭に迷うことになるのだ。
帝王学を学び、頭の中では理解していたつもりであったが、ミトナの言葉でそれを強く実感したミレイは、王妃の言葉を強く受け止め、心の中に刻み込んだ。
しかし、ミレイによる、セレイを心配する姿勢は、偵察兵には好意的に感じられていた。
――亜人の伝令にまで気を掛けて下さる……
「暫時!……おそれながら……」
偵察兵の呼びかけにミレイは振り向き、そして、続く言葉を聞き、その顔に笑顔が戻る。
「……セレイは、無事です。負傷しましたが、すでに手当を受け、回復に向かっております」
「……そうですか、大儀であります!」
ミレイは偵察兵一人ひとりの手を取り、感謝の言葉を述べる。
その光景に、ミトナ王妃は溜息をつきながらも、
「……この場合であれば、正しい行動ですね」
と、ファラフに聞こえる程度に呟いた。
駐在官執務室――
城内がそんな状況になっていることなどは露知らず、それでもダーマスルの心は、不安の気持ちに支配されていた。
「どういうことだ……いつまでたっても狼煙が上がらないと思ったら、砦の方からは砲声らしきものが響いて来るではないか!?……戦況は、一体どうなっておるのか!?」
予定時刻を遙かに越え、夜になっても合図の狼煙が上がらない。
何らかの変更があれば、グルズとか云う亜人が知らせを持ってくるはずなのに、それも来ない。
――こんな時、あの[覆面]がいれば……
辺境伯より差し向けられた[覆面]の使者は、自分たちの知らない方法で、遙か遠くである筈のクメーラ王国に於ける動向を迅速に知らせてきていた。そのおかげで、今、自分は反逆者として捕らえられずに済んでいた。
だが、その[覆面]は姿を消していた。
正確には、消されていた。ダーマスルは、辺境伯の謀反に自分たちが荷担していることを知る唯一の外部者と言うことで、秘密裏に[覆面]を始末していたのだ。彼の者の死体、そして所持していた怪しげな機械などはすべて処分し、この地に使者が赴いたという痕跡すべてを消し去ったのだ。
――あの[覆面]を始末したのは、間違いであったか……
今にして思えば、彼等の異常なまでの情報収集能力と不可思議な連絡手段を失ったのは、非常に惜しいことであった。
焦り苛立つ駐在官に、副官が意見具申をする。
「……いっそ、行動を起こしましょう」
「既に砦が戦闘状態に入っていることは明白です!」
「待て! もし、行動を起こした時点でドルトフ将軍が敗れれば、我々は孤立するのだぞ……」
「では、どうすれば……」
護衛の武官までもが声を荒げる状況になっても、このダーマスルという男は慎重だった。
いや、臆病で、用心深いと云った方が正しいかも知れない。
ダーマスルは落ち着きが無く、執務室をウロウロしながら考えていたが、やがて、結論を出す。
「……ここはとりあえず様子を見る。あの翼人女の伝令が援軍の要請書を携えてくるであろうから、その内容を見て、どちらに付くかを、改めて検討するのだ」
「将軍を、見捨てる、と!?」
「そう言う場合もある、と云うことだ。幸い、我らが敵に通じていることは知られてはいない……仮にゼットスやドルトフが虜囚になって告発するにしても、互いにやりとりした書簡は互いで処分する決まりになっておる……
証拠は、何もない……」
――そう、何もないのだ。
ダーマスルは、すべてを忘れることにした。
この期に及んで狼煙が上がらず、グルズも現われないと言うことは、将軍に不利な状況である可能性が高い。ここで王城を乗っ取ったところで、ウーゴが陥落していなければ、そこから知らせがクメーラに届き、最悪、王国より援軍を引き連れたレイ・ウライバ藩王と直接、戦う羽目になる。そうなれば、いくら王族を人質にしているとしても、抵抗は無駄と知るべきであろう。
ここは温和しく、辺境伯の反乱の時と同じように沈黙を決め込めばよい。後は頃合いを見計らい、自分の権限で王城の主力を繰り出して将軍の軍勢を殲滅させれば……その中で、あわよくばゼットスとドルトフの両者を亡き者に出来れば、多少行き違いがあるにせよ、最終的には丸く収まるのだ。
――そう、何事も儚い夢であったのだ。
夢ならば、悪夢になる前に目覚めてしまえばよい。何事も引き際が肝心である。
しかし、世の中は時に、理不尽を動力にして回っているとしか云えない事が往々にして起きるものであり、それは、意外なところからもたらされるものでもある。
突如、窓ガラスを叩く音がした。
「何者だ!?」
誰何に応じて現われたのは、グルズであった。
「貴様はゼットスの……今更、何をしに……!?」
肩口に大きな傷を負い、息も絶え絶えにベランダから這い出た翼人は、ダーマスルに何かを伝えようとする。それを見た副官が駆け寄り、その言葉を聞く。
「……書簡を、砦の伝令に奪われた!?」
副官の言葉を聞いたダーマスルは言葉を失った。直後、廊下からノックもせずに、直属の護衛官が飛び込み、追い打ちを掛けるような言葉を投げる。
「閣下!……大臣が衛兵を引き連れてこちらに……」
進言時遅く、大臣五人と衛兵が執務室になだれ込んできた。
「ダーマスル閣下……貴殿の身柄を拘束させて頂きたく存じ上げます。理由は、ご存じでありましょうや」
「一体、何のこと……!?」
言い逃れようとしたダーマスルの目に飛び込んできたのは、大臣の手に握られていた、自分の書簡であった。
――何もかもが終わった……
目の前が真っ暗になった。
「おのれ……こうなれば!?」
覚悟を決めた副官が腰の銃に手を掛けるのを、ダーマスルは止めた。
「……もはや、これまでだ」
駐在官が覚悟を決めた事を知った副官ならびに部下達は、肩を落として武器を捨てた。
同じ頃、ウライバ王城の格納庫では、鉄甲騎六騎と騎兵隊五十騎が、ウーゴ砦援護のため出陣の準備を進めていた。
その中に、ミレイ王妃自ら槍と鱗鎧で武装し、陣頭指揮を執る姿があった。
激戦が続くウーゴ砦――
自警団と守備隊の諍いを一喝して鎮めたアリームは、その場の指揮をムジーフに任せ、ダンジュウと共に格納庫に赴いていた。
「こんなところに、寝かされていたのか……」
全ての鉄甲騎が出撃した格納庫の片隅には、モミジの巨体が担架ごと運び込まれていた。
「いくら、この娘がでかいからって、女子を斯様な所に寝かせるなど……」
「事態が事態だ、やむを得まい……」
アリームの言葉に納得しつつも釈然としないダンジュウは、モミジの傍まで歩み寄る。
打ち所がよほど悪かったのか、モミジはこの砲声の中にあって、いまだ目を覚まさない。
頭のところには、かき集められた布が敷き詰められていた。おそらくは枕のつもりだろう。
留めていた布が戦闘で外れたのか、美しく赤い髪が肩を越えて広がり、それは瓦礫の中に倒れたためか、砂埃に塗れている。
やや右に傾く巨大な顔の傍にダンジュウが立ち、様子を見る。
誰かが拭ったのだろうか、顔には汚れはなく、わずかに開いた唇から、吐息が漏れていた。
「嬢ちゃん、大丈夫かの?……巨大な鉄の塊に殴られたんじゃから、無事では済むまいに……」
「頭に受けた傷は、跡形もない……流石はサクラの娘、親子揃って、回復力がものすごく早い……これなら、もうすぐ目が覚めるんじゃないか?」
心配するアリームに、モミジの髪をかき分け、殴られた部分を見たダンジュウはそう言って、安心させる。
「それにしても……」
アリームは、モミジの側に来て初めて、[鎧武者]の存在に気付いた。
この無機質でありながら、まるでモミジを見守るかのような、そんな表情を見せる紺色の[鎧武者]を、アリームは不思議そうに見上げる。
「まだ、出撃させていない鉄甲騎があるのか……こんなに強そうなのに……」
巨大な[鎧武者]を見上げながら呟くアリームだが、
「……故障しているか、操縦士がいないんだろ?」
と、辺りを物色しながら答えるダンジュウの行動に、恰幅の老商人は首を傾げる。
「……何を探しとるんじゃ?」
「ここは鉄甲騎の格納庫だろ? モミジが起きたときに、焔石か焔玉があればと思ってな」
「ホムラ?……焔石のことか……そう言えば、確か[熱]が食べ物とか言っておったな……」
「昔、この娘の母親と旅をしたとき、サクラが熱した焔石を食っていたのを見たことがある」
「そう言うことなら、隣の修理工場にあるんじゃないかね……焔玉は貴重品じゃから、おそらく、兵舎であろうが……」
ダンジュウとアリームは、焔石を探しに、格納庫隣の修理工場へと向かう。おそらくは発電用の焔石機関、あるいは金属加工用の炉に使用する焔石があるはずと考えたのだ。
焔石を探す為に工場へと向かうべく、格納庫から出た二人であったが、この時ダンジュウは奇妙な光景を見かけた。
「大旦那……ありゃ、子供じゃあ、ないか?」
それは、城壁の片隅にある小さな入り口から侵入する、荷物を沢山ぶら下げた少年と少女だった。
「子供じゃと!?……この砦は、子供まで駆り出さねばならんほど、人手が足らんというのか!?」
「入り口に見張りが居ないのも、変だな……」
少なくとも、ダンジュウが見た感じでは、今まで、入り口という入り口に歩哨が配置されていた筈である。
「ともかく、戦闘中の城壁は危険だ……連れ戻してくる」
「そうしてくれ。ワシは、焔石を探しておこう」
アリームと別れたダンジュウは、ふたりを連れ戻そうと城壁に近付いた。
「搬入口は混んでいるから、こっちの入り口から入りましょう」
ナランは戦闘食を入れた鞄を、持てるだけ肩に提げ、同じく鞄を持つプロイに案内された入り口から、躊躇無く城壁へと入っていく。
もとより、この砦に勤務する二人にとって、城砦は勝手の知った場所である。もちろん、普段は歩哨がいる筈であるが、普段と違う異常事態に麻痺したのか、ナランもプロイも、その事にまったく関心が向かなかった。
「中に入っちまったか……」
二人を追ってきたダンジュウは、扉の前で躊躇していた。今、部外者の自分が内部に入れば、間違いなく、不審者扱いである。
「下手に騒動を起こすと、大旦那にも迷惑が掛かる、か……」
どうしてくれようと、しばし考え込んでいた、その時である。鳴り響く砲声の直後、その振動で何かが倒れる音がしたのだ。轟音響く中、そんな音を聞き分けられるのは、彼くらいのものだろう。
不審に思ったダンジュウは、その茂みを覗いてみると……
「……これは!?」
そこに倒れていたのは、扉の前で警戒に当たっていたであろう、兵士二人の、成れの果てであった。首元に一つだけ付けられた、変色した傷口を見る限り、毒が塗られた刃物が使われていることは間違いなかった。
城壁内部――
「まずは、下の階から届けよう」
各砲座と銃座に戦闘食を届けようと、城壁内部に入り、非常灯で照らされた薄暗い通路を、馴れた様子で進むナランとプロイであったが、上層に続く階段の上から聞こえてくる足音に、歩みを止めた。
「……食べ物さんは、あらかた、配り終わったな……」
「砲座と銃座、それから、偉そうな人のところには行き渡りました……」
階段上から聞こえてきた、その声を聞いたナランは、
「何だ、ここは、配り終えたのか……」
と、少し残念がる。しかしプロイは、続けられた言葉を聞き逃さなかった。
「……怪しまれなかったろうな?」
「……連中、戦闘に夢中で、見向きもしませんでしたよ……」
プロイは、無言のままナランを引っ張り、積まれていた箱の裏に潜む。
「何するんだよ……!?」
突然の行為に抗議するナランを「黙って!」と、小声で遮るプロイは、給仕らしき二人の会話を注意深く聞き取ろうとする。
「……ホントに、時間通り爆発するんですかね……」
「ヘオズズさんと一緒に買わされた時限装置付き爆弾さんとか言う新型を信用するしかねぇだろ」
その言葉に、ナランとプロイは顔面蒼白になる。聞き慣れない言葉も混ざってはいたが、[爆弾]という、わかりやすい危険な言葉だけで、あの二人の給仕らしき男達が何を仕出かそうとしているかは十分伝わっていた。
――みんなに知らせなきゃ!
焦るナランはすぐさま立ち上がろうとするが、プロイが服を掴んで止める。
――動いてはダメ。ここはいったんやり過ごしましょう……
プロイの視線が、そう訴えていた。
ところが……
「……だがな、グルズさんの件といい、ヘオズズさんの件といい、俺さんの計画はここのところ、どうも狂ってきていやがる……だから……」
その瞬間、給仕の目が階段脇に積み上げられた箱――ナランとプロイに向けられた。
「……後顧の憂いは絶たなきゃ、なんねぇな!?」
給仕は、通路の箱を思い切り蹴飛ばした。
吹き飛ばされた箱と共に、ナランとプロイも、床を転がる。
「運がなかったな……お子さん達……」
やはり世の中は不条理を動力にして回っているものらしい……




