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星空の礼拝堂



 7



 俗世から聖域を守護するかの如くそびえる煉瓦造りの塀。

その塀を越えて、向かって右側には夜のとばりに沈む礼拝堂の尖塔。

左側は教団事務所及び多目的室として使用されている二階建ての洋館。

寝静まった街の中で、殊更異様な空気に包まれているこここそが、アンジュ・デ・ポーム東京本部兼東京教区文京教会である。


(なんか、夜の学校を十倍不気味にしたような雰囲気だな……)


 バンから降ろされた透は礼拝堂を見上げていた。

形は見慣れたキリスト教の教会とほぼ同じだが、尖塔の天辺には十字架ではなく西洋人の少女を模した像が掲げられている。


(あの中で栗夢はいつも、信者たちから拝み奉られていたのか……)


 ADPは偶像崇拝宗教である。

信仰対象となるのはプティアンジュと呼ばれる聖少女像。西洋人形を現代日本風にアレンジしたような人形を教団は信者に販売し、信者はそれを生きている人間として家族同様に扱う。

つまり食事を作り、着替えさせ、散歩に連れて行き、入浴させ、そして寝かしつける。

フィギュアの写真をSNSにアップしているオタクが可愛く見えてくるほどの徹底ぶりで、信者たちはプティアンジュを命をかけて愛する。そうすることによって不安は除かれ、不幸は去り、不運は反転し、そして幸福な状態になると信じているのである。

同様の新興宗教はタイなどでも確認されており、そちらはあまりの過熱ぶりに当局が介入する事態となったが、こちらは政府から第二種団体というお墨付きをもらっているので信者たちは白昼堂々てのひらの天使を愛でまわしているのだった。


「氷神透、中に入れ」


 運転手だった黒服が門を開け、透は右腕を端山に、左腕をもう一人の黒服に抱えられて敷地内へと連行される。そこまでしなくても氷神邸を出る際に透は手錠をかけられていたので、どの道逃げることなどできないのだが。


(……!)


 門の内側に一歩足を踏み入れた瞬間、透は化け物の体内に取り込まれたかのような悪寒を覚えた。今この敷地内にどれだけの信者がいるのか透には分からないが、しかしその全てが自分の敵だということは理解していた。一秒後に自分が殺されても、ここにいる全員が口裏を合わせてその事実をなかったことにするだろう。

敵地とは、そういうところなのだ。


「じゃーお前らは氷神を連れて先に行ってろ。俺と栗夢は準備してから行くからよ」


「かしこまりました、錬金術師」


 門をくぐって数歩進んだところで、一行は二手に分かれた。

鬼頭は栗夢と運転手の黒服を伴って洋館へ、透は黒服二人によって礼拝堂へ連行される。


「栗夢……」


「余所見をするな! さっさと歩け!」


 栗夢に何か言いたかった透だが、しかしそれは叶わなかった。鬼頭に散々罵倒されていた黒服だがその腕力は相当なもので、透は抵抗できず引きずられていく。

栗夢は放心状態のように俯きっぱなしで、一言も口を利かない。車の時からそうだったことを考えると、俺の部屋を出た後で何か薬でも嗅がされたのかもしれないなと透は推測した。


 芝生の中に敷かれた石畳の一本道を歩き、透たちは礼拝堂の前までやってくる。

重々しい空気を生み出している鉄の扉を端山が空けている間、透はもう一人の黒服に話しかけた。


「なぁ、なんであんな奴に従ってるんだ?」


「無駄口を叩くな」


 取り付く島もない黒服の態度だったが、しかし透は構わず話し続ける。


「あの端山って奴はまぁ、不純ではあるけど一応理由があるよな。けど、他の黒服はどうなんだ? そもそも黒服って信者なのか? それとも雇われなのか? どっちにしろ、こんな扱いを受け続けてまで務めることじゃないと思うんだが」


 敵にへりくだる必要はない。

陵からは目上への敬意が皆無と言われた透だが、もちろんそれは相手を選んでとっている態度だ。ここで黒服相手に下手に出ても大した意味はない。ジャブを放ち、焦れた相手がストレートを撃ってきたところで急所に本命を見舞う。全体に弱点を掴んでやる。何度無視されても、足蹴にされても、しつこく絡んでやると透は決めていた。


「入れ」


 端山が開錠を終え、扉を開く。内側から溢れ出してくるアロマの香り。中では香が焚かれていた。

礼拝堂の中へ、透は黒服から押されるように足を踏み入れる。


 そして、息を呑んだ。


「すごい……」


 まるで、星空の中に放り出されたかのようだった。

内部の構図は一般的なキリスト教会と変わりがない。後方に木の長椅子が並び、前方に祭壇があるという構図だ。

圧巻なのは、床、壁、天井、柱に至るまで、一面に夜光塗料で聖少女の絵が描かれていたことだ。暗闇の中に浮かび上がる何人もの聖少女の姿は、敵である透をして感嘆せしめる美しさだった。


「当たり前だ。ADPが描き出すイコンは、全ての芸術の頂点に立つ究極の美なのだからな」


 自慢と恍惚が五対五でブレンドされた黒服の声。

それで透は少なくともこいつは信者だなと推定する。

語るに落ちた黒服は続ける。


「なぜ自分がここにいるか……それはな、醜く汚い世界に支配されたくないからだ。自分は、美しいものだけに触れていたかった。しかしこの世界は、あまりにも汚いもので溢れすぎていた。なぜこんな世界に自分は存在しているのか。生まれる世界を間違えたと、来る日も来る日も絶望しながら生きてきたよ。だが、ADPに出会って全てが変わったんだ」


 祭壇に向かって歩きながら、黒服はADPの素晴らしさを力説する。


「支配されないためにはどうするべきか。答えは、支配されることだ。支配されたいものに支配されていれば、支配されたくないものから支配されることはない。自分を構成する要素を100%ADPで占めてしまえば、もう余計な不純物が入り込む余地はない! 自分は救済された! いや、この瞬間も救済され続けているのだ!」


 支配されないために支配される。

自分がいじめられないために、いじめグループの下っ端につくようなものかと透は考える。

確かに、鬼頭がどれだけ横暴だったとしても、彼の下についていれば大抵の者はその威光を察して喧嘩を売ることをやめるだろう。

分からなくはないが、透には共感できなかった。

確かに黒服には相当な葛藤があったのだろう。しかしだからといって100%の支配を受け入れるというのはただの思考放棄ではないのか。それは即ち、生の放棄ではないのか。彼は、教団に死ねと言われたら死ぬのだろうか。

自分の脳味噌を、精神までも差し出してしまえる黒服の価値観が透には分からなかった。


「おい、そっちを持ってくれ」


「ああ」


 黒服二人が協力して祭壇を移動させる。祭壇をどけると、その下には取っ手のついた扉が隠れていた。


「……ここに俺を閉じ込めるのか」


「まぁ、そういうことになるな」


 黒服二人は余裕の笑みを浮かべている。

対して、透は正念場だった。閉じ込められてしまえば、出られるのはいつになるか分からない。それこそ、テロ騒動が決着するまで禁固されることは充分考えられるし、最悪の場合テロで教団関係者が全員死んでしまえば、閉じ込められた透は必然的に餓死することになる。


(家を出る時に携帯は取り上げられてしまった。GPSで探してもらうことは不可能。頼みの綱があるとすれば栗夢だが、あの怯え方じゃあ桜に連絡することはないだろう。やはりここは、俺自身の力で乗り切らないと……)


「俺は、どのくらい閉じ込められる?」


「お前がそれを考える必要はない! それに、知ったところで何の意味がある。お前はもはや我々に生殺与奪を握られている身。逃げることよりも、身の振り方を考えた方がいいんじゃないか?」


「全くだ!」


 黒服二人は声を揃えて笑う。


(ダメだ……)


 決定権を持つ鬼頭や陵と違い、いわば雑用である黒服は指示されたことを淡々とこなすだけ。つまり、聞く耳を持っていない。透が何を言っても、右から左に流すだけ。


「まぁ、下で錬金術師に直接聞いてみるんだな。牢に入る前に、一度だけその機会がある。せいぜい気の利いたゴマすり文句を考えておくことだ」


「鬼頭と会う機会がある……?」


 そういえばと透は思い出す。先程、鬼頭は「先に行ってろ」と言っていた。そして「自分と栗夢は準備してから行く」とも。

床の扉が開かれる。扉の先には、地下へと続く階段があった。随分と深い。透の位置からでは階段の底は確認できなかった。

しかしそれよりも、


(賛美歌……?)


 階段の奥底から、賛美歌を歌う声が透の耳に聞こえてくる。

その歌声に透は震えた。歌声の美しさにではない。それに恐怖を覚えたからだった。

底の見えない地下への暗い階段。その奥から聞こえる賛美歌。透にはそれが、地の底から生者を誘う死霊の呼び声に聞こえた。

身投げのあった井戸のような、神隠しのあった薮のような、一度足を踏み入れれば決して生きて出ることは叶わない、呪われた場所であることを本能が察知していた。そして警告していた。この先へ行ってはならない。行けば、取り返しのつかないことになる。


「待ってくれ、俺は、陵の島の手がかりを知ってる」


 何でもいい。とにかく手札は全て晒してこの状況を乗り切る。

透は必死に黒服に語り掛けた。


「栗夢が隠れていた隠し金庫、あの中には札束以外にも、親父が俺に宛てた謎の手がかりがいくつもあるんだ。その中に島の手がかりが……」


「いい加減なことを言うな!」


 端山に突き飛ばされ、透は尻餅をつく。

肩を怒らせた端山は、唾を飛ばして怒声を撒き散らした。


「何が手がかりだ! 例えでまかせでも、お前などが安易に口にしていいことではない! 精神掌握術師が、その妹様たちが、それをどれだけ必死になって探してきたか、その気持ちがお前に分かるまい! お前の言ったことは、精神掌握術師に対する冒涜だ!」


(失敗した……)


 安易な餌で端山を懐柔できると考えた己を透は恥じた。

よりにもよって、この状況で最悪の選択肢を選んでしまった。透は、自ら状況打開の糸口を閉ざしてしまったのだ。


「浄化術師のナイトを気取っているようだが、この戦いにお前の出番などない! お前はこれから、この地下深くの牢獄に幽閉されるのだ!」


「浄化術師も、精神掌握術師も、この教団も……全て自分たちが守る。氷神透、お前は牢の中で自分の心配だけしていろ」


 黒服二人が透の両脇を完全にロックする。

もはや透に成す術はなかった。死神に捕まった哀れな魂のように、彼は地の底奥深くへと運ばれていった。礼拝堂の壁という壁を埋め尽くす聖少女たちだけが、ただ無言でその様子を見つめていた。

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