車中
6
「いやー、一時はどうなることかと思ったけど、無事に栗夢ちゃんが見つかってよかったよかった」
夜の国道を、透たちの乗ったバンが走る。
運転するのは黒服。助手席には鬼頭。その後ろに栗夢が座り、その脇に陵。最後列では透が両脇を黒服に固められている。
裏口から氷神邸を脱出した陵らは黒服の案内のもと、家屋の隙間を縫うように移動し、道端に停められていたバンまで辿り着いた。黒塗りの高級車を想像していた透は意外に思ったが、しかし一見すると工務店の社用車にしか見えない小汚いバンの方が目立たず景色に紛れるので安全性は高いだろう。
「ああ、全くだぜ。教団の威信を賭けたセレモニーで七導師が欠席、それも象徴である浄化術師様がいないとあっちゃあ面目丸つぶれだからな。これで心おきなく開園を迎えられるってわけだ」
問題が解決し、鬼頭も陵も上機嫌だ。
しかし、陵の隣に座る栗夢はずっと俯きっ放しで、窓の外の景色を見ようともしない。
透がバンに乗り込んだ時、栗夢はよそゆきのドレスのような格好に着替えていた。
さすがに裸ワイシャツのままでいるわけにはいかないのだろうが、しかし彼女は幹部とはいえ監視対象、黒服の前でお着替えしたということになる。10歳といえば花も恥じらうお年頃、オッサンの前ですっぽんぽんになるなど事案以外の何物でもない。
だが、ここではそれが当たり前なのだ。栗夢は人形であり、人形は人間として扱われない。
誰であっても、このような扱いを受ければ塞ぎ込むのは道理というものだ。
ロワイヨム・エトワーレに帰るのだって、栗夢にとってはその身を危険に晒す行為でしかない。
戦争神経症の帰還兵を、再度前線に送るようなもの。古傷をこじ開ける行為でしかない。
十歳の少女にそれを強いる鬼頭たちが、透の目にはもう悪魔にしか見えない。
「それにしても、良かったなぁ氷神。俺としては別に殺したって良かったんだが、陵がお前をえらく気に入ったみたいだからな。命拾いしたなぁ」
「よくゆーよ、栗夢ちゃんの逃げ込んだ先が氷神邸だと知った時、すっごく嫌そうな顔してたくせにー」
「お前さぁ、何でそういう時に限って起きてっかなぁ」
つまり、栗夢が氷神邸を逃亡先に選んだ時点で、透の運命は決まっていたというわけだ。
陵が透に「何か」を見出さなくても、栗夢と一緒に連行されていた可能性は高い。
しかし透の脳内で渦巻く疑問は、際限なく肥大化するばかりだ。
「……なぁ、さっき陵からも聞いたけど、俺の親父って何なんだ? 正直、ふらふらしてばっかで全然書かない作家ってイメージしかないし、滅多に家に帰らないから俺だってあいつのことはほとんど知らないんだ」
「ねむちゃんを呼び捨てにして、お父さんはあいつ呼ばわり。透くんは目上への礼儀ってものが皆無だねー。社会に出て苦労するよー。そもそも社会に出れないよー」
お前にだけは言われたくないと思った透だが、面倒なので無視した。
ややあって、鬼頭が口を開く。
「知らねー方がいいぞ。あの界隈は如何せん闇が深すぎる。正直、俺だって避けて通れるならそうしたいもんだ。ダークオペラクラブの連中は……」
ダークオペラクラブ。
「わーお、知らねー方がいいと言いつつ、しっかり言っちゃってるねー」
「手がかりくらいはくれてやるよ。踏み込むか踏み込まないかはお前次第だ」
赤信号で、車が停まる。
まるで透に考える時間を与えているかのようだった。
(考えてみれば、今日は随分と新事実が出てきたよな……)
生みの母親の実家に伝わるお守り、その実家が何やらわけありであること、透と外国の関連を陵が探っていること、そして「ダークオペラクラブ」。
(地下サークル、非合法団体か? 名前からしてろくなもんじゃなさそうだけどな)
いくつか出てきた材料だが、しかしこれだけでは仮説を立てるのにも足りない。鬼頭や陵を問いただせば有力な事実がまだ出てきそうだが、そもそも今は自分のルーツに思いを馳せている時ではない。
生きるか死ぬかだ。
鬼頭たちが聡馬を恐れている以上、すぐに透を殺しはしないだろうが、逆に言えば問題ないと判断されれば即終了ということでもある。陵にしたって、透が有用な情報を持っていないと見限ったり、情報を絞り尽くしたと判断すれば容赦なく切り捨てるだろう。
それ以前に、鬼頭たちと行動を共にしていれば四日後には十宗使徒の襲撃の巻き添えを食うことになる。
(待てよ……このままADPの支配下にいれば、近くで栗夢を守り、あわよくば一緒に逃げられるかもしれない。いや、だめだ、穴がある。こいつらが俺を秋田まで帯同させないかもしれない。こっちで監禁しておいて、戦いがひと段落してからゆっくり料理するって考えかもしれない)
一般的に、敵の手に落ちた場合に最も無難な選択は、相手に取り入ることだろう。唯々諾々と従順に尻尾を振り、隙を見て寝首を掻く。だが、相手には陵がいる。どんな狡猾な作戦も、それを看破されてしまえば画餅に帰す。
信号が青に変わり、車が発進する。
「それで、だ。こいつの処遇だけどよ、陵、お前の妹使って無力化しとくか。地下に閉じ込めちまえばそれまでだとは思うが、まぁ念には念を……」
「いーかげんチョーシ乗らないでくれる?」
その一言で、透と黒服たちは縮み上がった。
これまで一貫しておねむテンションで、透を脅迫した時でさえゆるふわ口調を崩さなかった陵の尖った声に、彼らはナイフを突きつけられたようなプレッシャーを覚えた。
「契約した時に言ったこと忘れた? 妹たちは一切関わらせない。ちゃんと文書も残ってるからね。私は保護者として、あの子たちを誰にも利用させたりしない。たとえあんたにもね」
「ほーお、んじゃ、自分の意思で協力してもらうとするか」
長らく三人の妹の母親代わりをしてきた陵の言葉は、我が子を守ろうとする母親の迫力で鬼頭に襲い掛かったが、しかし不遜なヤクザ崩れは薄ら笑いで切って捨ててみせた。
陵の声が、更に低く怒気を帯びていく。
「その前に教団に致命傷がいくよ。あの文書はいつでも拡散できる状態にあるからね」
「お前こそ忘れたわけじゃねぇだろ。お前も、お前の妹も、教団の庇護があったから今日まで生きてこられたんだ。またあの悲劇を繰り返すか? それに……島に行かなきゃならねぇんだろ?」
陵の身体がこわばるのが、透にも分かった。
「島で探さなきゃいけないもんがあるんだよなぁ? それが見つからねぇと」
「お、畏れながら申し上げます!」
透の右隣、陵の真後ろの黒服が突如声を上げた。
「ぶ、部外者の前で少々込み入ったお話をされすぎ……ではないかと」
「止めんのが遅ぇよ!」
勇気を持って声を上げた黒服だったが、またしても鬼頭からの理不尽な叱責を食らってしまった。この黒服が先程叱責された黒服と同一人物かは定かではないが。
(世に蔓延るブラック企業がみんなこんな感じだとしたら、世間に閉塞感が満ちるのもむべなるかな……自分がこんな環境に身を置くなんて考えられない)
鬼頭の態度に鼻白む透の隣で、黒服がしゅんとうなだれる。
(この黒服も黒服だ。信者なのか雇われなのか知らないが、こんな職場を選びそして続けているんだから、大した奴隷根性だよ。一体どんな動機があればこんな奴の下で働き続けられるんだか)
そんな可哀想な黒服に、陵が小声で囁いた。
「ありがと」
直後、ぱあっと明るくなる黒服の顔。今の今まで青ざめていたというのに、頬に赤みさえ差している。
(……そういうことかよ)
こういうのってどこにでもあるんだなと透は呆れつつ、一連の会話で得た情報を整理する。
陵は教団に致命傷を与える文書を保有している。いつでも拡散可能。
教団は陵及びその妹を庇護している。過去に何か事件があった模様。
(こいつらは、信仰で繋がってなんかいない。互いの目的、利益のために手を組んでいるだけだ。付け入る隙は、ある)
自分を殺さなかったことをやがて後悔するぞと、獅子身中の虫の気持ちで透は不敵に笑った。
☆
氷神家周辺から出発しておよそ四十分、交通量の少ない道の路肩にバンが停車した。
暗い道だった。都内なので街灯はあるが、それだけだ。コンビニもファミリーレストランも見当たらない。寂しい住宅街だ。
(この辺りに教団施設はないはず……トイレ休憩って場所でもない。なら、どうしてこんなところで停まる?)
透の疑問を他所に、陵だけが一人シートベルトを外しドアを開けた。
薄暗い外の様子は透にはよく見えなかったが、一人の老人が陵を出迎えていた。
「お疲れさん。大変だったなーねむちゃん」
「ん、まーいつものことだよー。それで、くぅちゃんは……」
陵は老人と二言三言交わし、バンに戻ってくる。そして透の右隣の黒服に「じゃ、後よろしくー」とだけ言うと、鬼頭や透のことは一顧だにせず老人と一緒に歩いて行ってしまった。
「おーし、出発だ」
鬼頭の合図とともに、バンが再び走り出す。広い道に出て、窓の外にネオンが戻ってきた。
(結局、さっきの老人は誰だったんだ? なぜ陵は降りた?)
そんな透の疑問に答えるように鬼頭が呟く。もっとも彼のことなので疑問に答えてやるというより単なる暇潰しなのだろうが、ともかく彼は言った。
「あいつの一番下の妹が、俗に言う奇病ってやつなんだと」
透の右隣の黒服が「錬金術師! その話は……」と言いかけたが、うるせぇ黙ってろと一喝された。権力者である鬼頭は黒服たちの人事権も当然握っている。陵のためとはいえ、逆らいすぎると七導師の直属部下から外されてしまう。悪ければ粛清さえありうる。陵に思いを寄せる黒服も、ここは退くしかなかった。
「従順な下僕ですって点数稼ぎか、馬鹿が。あんな過眠症痛キャラ女のためにご苦労なこったな。……まぁいいや。あいつの家とかかりつけ病院がこの近くにある。あいつは入院してる妹の面会に行ったんだ」
そういうことだったのかと、透は先程の陵の様子を思い出す。会ってまだ数時間だが、彼女がぐうたらな人間だということは透もよく理解している。その陵が先程の老人との会話で、自分の苦労をいつものことと棚上げして妹の様子を尋ねた。彼女がいかに妹を大切に思っているか、同じ妹を持つ身であるだけに(厳密には妹ではないが)透にはよく分かった。
「もう、長くねぇらしい」
数秒の間、透の呼吸が止まった。
陵の気持ちが分かるからこそ、その事実は透を思い切り揺さぶった。
「何でも、あいつの出身地だけに存在する遺伝病だとかで、日本はおろか世界中の病院を探しても公式に記録されている症例はゼロ、つまりこの世界の観点で言えばまさに未知の奇病ってことになるわけだ」
透の右隣の黒服が拳を握りしめ、歯を食いしばった。
透は、恐る恐る尋ねる。
「その、陵の出身地ってどこなんだ? そんな未開の地なのか?」
仮にそうだったとして、それはそれで合点が行く話だ。あんな漫画のキャラみたいな女、未開の地から来たと言われた方がむしろ納得できるというものだ。
しかし冗談半分で投げられた透の問いは、あっさり肯定される。
「とある島さ。だが、ただの島じゃねぇ。ある理由から地図には記載されず、存在しないことになってる。冷戦中に島民は全員逃げ出し今は無人島だ。だが、去り際にそいつらが撒いていった毒ガスのせいで、今なお誰も島に上陸できずにいる」
自分の島に毒ガスを? と思った透だったが、すぐにその可能性に思い至った。
何らかの財産を、外からの勢力に狙われていたのか。
守ろうとしたが叶わず、せめてもの抵抗で上陸できないよう毒ガスを撒いていったというわけだ。
(……え、待てよ。ってことは)
透が結論に至ると同時、右隣の黒服の頬から涙が零れ落ちた。
鬼頭が、つまらなそうに淡々と続ける。
「島に行けば、妹の病気の治療法の手がかりが見つかるかもしれない。だが、自分の先祖が撒いていった毒ガスのせいで上陸できない。おまけに、探索を目論む世界中の勢力が島を狙っている。文句のつけようがねぇ無理ゲーってわけだ」
では、陵は妹が苦しみ、弱り果てて、死んでいくのをただ見ていることしかできないのか。それは陵にとって想像を絶する苦しみに違いがない。病気以上に、自分の無力を呪いたくなることだろう。
(その島に関する何らかの手がかりを、俺が握っていると? まさか……俺なんかが、そんな一発逆転の鍵なんて……)
「あ」
聡馬が言っていた「お守り」。あれが関係あるのか?
もしも、透の生みの母親が島にルーツを持つ者だとしたら。お守りから辿って行った先に、或いはお守りそのものに島に関する何らかのヒントがあるかもしれない。
「5歳の誕生日を、お祝いしたばかりなんだ……」
黒服が涙声で零す。
「あんな小さな身体で、毎日、地獄の苦しみに耐えて……自分は、自分はっ!」
「仕事中に号泣してんじゃねぇぞ、ボケ。てめぇ帰ったら覚悟しとけよ」
鬼頭の恫喝と黒服の嗚咽が入り混じり、車内に如何とも言い難い空気が充満する。
その中で透は、胸の内で爪を研いでいた。
これはまたとない交渉材料だ。
鬼頭、陵、栗夢。たった数時間の付き合いだが、彼らの仲が相当悪いことは理解できた。この分では、残り四人の七導師も似たようなものだろう。
うまく陵を抱き込むことができれば、そこから協力者を増やしていって鬼頭に対抗できるかもしれない。右隣の黒服などは、陵の頼みとあらば命さえなげうつだろう。
そんな協力者を、最低五人は作る。透の中で、反逆計画の絵図が描かれていった。
「一年以内に、日米を始めとする旧西側連合とロシア率いる旧東側連合がそれぞれ島への渡航を計画しているそうだ。それまでにどっちかの勢力に潜り込めれば或いは……ってのが現状だな。ま、このままいけば九分九厘あいつの妹は初潮も迎えずに死んじまうだろうがな……さて、無駄話は終わりだ。もうすぐ到着するぞ。おら、起きろ栗夢! 端山、シャキっとできねぇなら東京に残るか?」
栗夢が猫のように目をこすり、黒服・端山はハンカチで涙を拭った。
鬼頭の言う通り、都心の教団施設はすぐそこだ。
束の間の平穏は終わり。透は意識を新たにする。
だが、これだけは思ってしまった。
(端山って、絶対仇名パジャマだよな。陵眠とお似合いじゃん)
バンが停まる。
車を降りた透の前に、礼拝堂のシルエットが浮かび上がった。




