202 霞賀裏のその後
長きに渡った青極と霞賀裏の戦もようやく終わり、青極本家のある山城は穏やかな空気に包まれている。
折しも、太陽は中天に昇り、あたたかい日の光が廊下を照らして、庭先では小鳥がさえずる。
「……」
「……」
そんな中、来客用の部屋だというのに、風巻樹と奏嶺律が通されたその部屋は、人を迎えることを前提にしている割には恐ろしく荷物の多い部屋であった。
室内にはいくつもの衣類や書物の箱、家財の山が延々と壁際に沿って続いていて、部屋の出入り付近にはかろうじて座るスペースがあるものの、客が来ても、押入れから座布団を出すには、まずその前の荷物の山を退かせることから取り掛からないといけない状態。
そこが徹刃の自室であると案内されたふたりは、その散らかりように驚いて、思わず顔を見合わせたほど。
一度は身を引くつもりで片づけたモノを引っ張り出したものだから、何をどこに置くかで迷い、片づけが遅々として進まない。
そんな徹刃の説明を受けても驚きは消えなかったが、しかし、間もなく3人の間で会話が始まると、部屋の様子はどうでも良くなった。
霞賀裏重梧の死後───霞賀裏領という大国において、栄の側近である二人の訪問の目的は、青極と旧霞賀裏、つまりは両国の友好同盟についての打診である。
「えっと……つまるところ、癒守は旅に出るってこと?」
先ほどから数えて、もう何度目になるのだろう。
《旅》という言葉を明るい声で話する徹刃を見返し、その前に座っていた樹は、困ったように口を開いた。
霞賀裏の国主が誰になるかはまだ未定だが、国が復活した際に友好的な同盟を結ぶ、ということに対しては色好い返事をもらえた。
しかし、当の守護はこの地をしばらく留守にするという。
「重梧との戦で、色んなことが明るみに出ただろ? 本来の鷹守が私の妹だったという話もそうだけど、新たな守護獣が生まれたことや、私がまた別の守護になったこととか。――――そもそも、16年前からずっと周囲を騙してきた罪悪感もある。嘘の仮面が外れたことで、なんだかドッと疲れが出てね」
「……不死でも疲れって出るもんなんだねー、律」
「いや、初耳だが」
杜喜波は深翼軍との講和が成立し、重梧に破壊されたはずの那由他門の動力はリコの力で修復され、今は門自体の修復も順調に進んでいる。
小国は滅ぼされたが、遠戚の者が城主を継いで再建に取り掛かっている。
青極には徹刃の他にも守護が居ることに加え、旧・霞賀裏国との同盟がなれば当面は他国との戦争に怯えることもないだろう。
それを機に、全国津々浦々ゆっくり温泉巡りでもして、精神的にまったりしたい、というのが徹刃の言い分であった。
しかし、樹たちはそんな徹刃の主張をすぐに受け入れることに難色を示した。
重梧がいなくなってからというもの、霞賀裏は心臓を抜かれたようになり、国は道標を失って荒れ、上層部は後継者に名乗り出る者がいないまま、国主の座は空白が続いている。
重梧の妻であったカエデも、彼の訃報を聞いたその日のうちに自害して果てた。
《なぜ誰も後継になりたがらないのか?》
という問いに返す言葉があるとするなら、問題は生前の重梧の、その行いにある。
「正直、困ってるんだよねー。ほら、重梧って吉鳥を射殺そうとしたでしょ? まあ、結果的には死んでなかったんだけど、あれはマズかったよねって」
「それが、霞賀裏の後継問題と何か関係があるのかな?」
「おおありだよ。ただでさえ吉鳥に手を出せば全てを失うって言い伝えがあって、手を出した君主が実際に死んでるのに、その後に残された不吉な国を、一体誰が継ぐ気になれるってのさ」
「じゃあ、新しい国を興せばいい。別に霞賀裏のままでいる必要はないんじゃないかな」
徹刃が話す向かいで、樹の目の奥がキラッと光る。
「君主がすぐに決まらないようなら、例えば……そうだね、とりあえず、深翼栄殿のような霞賀裏の幹部が仮の当主でもいいと思うんだけど」
樹の上司である深翼栄は、今まで重梧の下で戦い、家臣の中では最も後継に近いと目される人物である。
しかし、重梧の死後、彼は自分から跡を継ぐとは決して言い出さない。
――――そもそも、重梧は守護だった。
守護が栄えさせた大国を、今度は普通の人間が受け持とうというには無理がある……というのが栄の主張だったりする。
「栄様って、ああ見えて大国の当主になりたいっていう野心はないんだよね。本当に謙虚な素晴らしい御方だよね」
「キミは本当に栄殿が好きなんだなあ」
「まあ、そういわけで、栄様は絶対に嫌だって言ってました。守護でもない自分が新たに国を興せば、今まで重梧に取り込まれた国々も黙ってないでしょ。分裂したり独立したりで、結局はまた戦になってしまうかもしれないからって」
「……それは、霞賀裏の問題だから仕方ないんじゃないかい?」
「えー! 冷たい!! 守護が冷たいよー、律ー!」
「私に変な話を振るな」
そんなやり取りがしばらく続いた後に、樹は何かを思い出したように反応した。
「そうそう、癒守といえば、大事な忘れ物を預かってきたんですよ」
おもむろに差し出した風呂敷包みを、徹刃は樹から受け取って開く。
するとそこに入っていたのは、徹刃がリコに餞別に渡した袖のない中衣であった。
「リコさんがお寺から走って行った時に、寺の中に落ちていたらしくて。これ、ずっと身に着けてたんじゃないかって、持ってきたんです」
樹の手から、徹刃はリコに送った衣を受け取った。
「これ、《徹刃さん》からもらった大事なものだって聞いてたんです」
「重梧の前にもそれを着て出るのだから、当時は正気を疑ったものだな」
徹刃はリコに手渡した日のことを懐かしく思い出す。
「――――では、話は終わったな、樹」
律の声で思考から引き戻され、徹刃はハッと我に返る。
樹の背後で立ち上がった律が、そのまま友の二の腕を掴んだ。
「霞賀裏の今後がどうなるかもまだ定まらぬ中で、長く留守には出来ない。用が済んだなら帰るぞ、樹。栄様も待っているからな」
「えー?! 待って待って。一番肝心なこと、まだ話してないよね?」
樹はちらりと徹刃を見る。
「うん?」
「ねえ、癒守。青極に守護が2人って、ちょっと多い気がするでしょ? だからさ、新たに国が建った際の同盟はもちろんなんだけど、一番いいのは、あなたが霞賀裏に新しい国を興してくれないかなって俺は思ってるんだよねー。で、栄様と俺たちは、新たな国で癒守に重臣として雇われることで、一件落着ってわけ」
リコが白いカエルに覚醒した後、樹はお堂の中で息を吹き返した。
半身を体に取り戻したことで、彼は本来の一個の人間としての存在を天に許され、命を返してもらえたらしい。
その元気な様子に、律はどこか嬉しそうでもある。
「妙な勧誘はやめろ、樹。新たな守護様は温泉巡りを御所望だ。国主の話は、また今度にでも頼めばいい」
「それだといつになるか分からないでしょーが! その間に霞賀裏が他国に奪われるとも限らないでしょーよ!」
樹はぶーぶーと文句を言い、律は呆れながらそんな友の腕を引っ張っていく。
「───それでは、失礼する」
「あ、リコさんにもよろしく言っておいて下さいねー!」」
騒がしい二人の姿は、それきり廊下の向こうへと消えていった。
樹のことだから、霞賀裏領を徹刃が継ぐというのは冗談などではないのだろう。
ちゃっかり自分たちの待遇まで指定するところを見るに、割と本気の話なのかもしれない。
だが徹刃としては、しばらくは、ようやく訪れた平和の湯に浸かっていたい。
「……そういえば、リコが着くのは今日だったかな」
最後の最後に、リコさんによろしく、と遠くから聞こえた樹の声を思い出して、苦笑しつつ、徹刃は立ち上がる。
そしてその足取りは、屋敷の外へと向かっていった。




