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203 リコ、青極に帰還する


 目が覚めていても、まだふわふわとした奇妙な感覚が体に残っている。

 杜喜波を発ったリコが青極本家に着いたのは、数日の船旅を経た後でのこと。

 彼女は今、白いカエルの姿で本家の敷地内にある素子の屋敷の縁側で横になったまま、これまでのことを思い出していた。


 徹刃の守護獣になって以降、ヒトへの変化が出来たのは一度きりで、杜喜波で目が覚めて以降のリコはもうずっと白いカエルのままである。

 ヒト型に変化したら基本的に裸なので、杜喜波城下の針子さんに一着仕立ててもらったのだが、ヒト型になった瞬間に収納から取り出す早着替えの技を、まだ誰にも披露できていない。


 今はただ、


(もう……船は嫌だ……)


 船旅の辛さを思い知り、もう二度と同じ目には遭うまいと固く誓うのみ。


 杜喜波を発った後、まず、青極軍の長である瀬乃清彦の言に従い、港町へと案内されたリコ。

 彼女はそこから都と共に船に乗り込んで、御影の居城を目指すこととなったのであるが、都から色々な時事的話題を聞いて半刻ほど経った頃、まず最初に河童のカイが船室の住人になった。


 河童のカイを襲ったもの――――それは、猛烈な船酔いである。


 水に馴染みの深い生き物が船酔いするなんてことがあるだろうか、と大いに疑問に感じるところだが、そもそもこの世界は、元の世界での常識が通じる場所ではない。

 ひょっとすると、元の世界とこっちの世界では、河童の生態も微妙に違うのかもしれない。


 そういうわけで、カイと主従関係を繋いでいるリコも、当然ながらその船酔いの症状を間接的に受けることとなった。

 不死という特性上、体の不調とは無縁だと思っていたが、どうやら状態異常をすべて無効化するというわけではないらしい。


『大丈夫ですか? リコ様』


『う、……ううぅ』


『キュウゥゥゥ、ゲエェェエ』


『すみません。一日も早くお連れするようにと御影様に言われているもので、船も急がせてしまって』


 瀬乃親子はさすがに海に馴染みの深い波閑の民とその里長の夫だけあって、船が揺れようが下から波で突きあげられようが傾こうが顔色ひとつ変わらない。

 けれどカイとリコにとっては、それはそれは酷な船旅であった。


 都の話によれば、船は御影によって到着予定日を決められていたらしく、それに間に合わせるとなると、必然的に内海を最高速度で疾はしらねばならないとのこと。


 そんなわけで、船酔いの末に意識も朦朧としたまま陸に着いたリコは、当の御影と、数日の船旅を経て分家の城で面会の運びとなった。

 結果的に、分家での御影との面会は最悪の状態で行われたとリコは記憶している。

 話の席で、リコは具合の悪さから対座に横たわって話を聞くという無礼な状態になり、当然、そんな白いカエルを前にして御影は腹を立てた。


『それが、人の話を聞く態度なの!?』


 いかんせん、河童のカイから流れてくる船酔いの気分が酷過ぎて、彼女とは話をするどころではなかった。

 おそらくは過去にリコに対して行った仕打ちを謝罪したいという旨で設けられた一席だったのだろうが、残念なことにリコは御影の言葉をほとんど覚えていない。

 過去に門前払いにされた城に、すんなり入れたことを素直に喜べる状況でもなかったのである。


『御影様、リコ様は戦の疲れから完全に立ち直っておらず、ここにくるまでの船旅で体調を崩されておりまして……』


 リコの状態を心配した都が御影に説明してくれなければ、御影の説教を延々と浴びる羽目になったに違いない。


 その後は、リコ一行に大祐と御影が加わって分家の城を馬で出発し、険しい山道を例によって清彦に負ぶってもらった末に、リコはようやく本家に到着した。


 あっという間の数日であった……と言えなくもない。


 午前中に辿り着いた後は、瀬乃親子から、彼らが数日ほど本家に滞在するという話を聞き、また会おうと約束を交わして、つい先ほど別れたばかりである。


「?」


 これまでの回想を終え、軽い眩暈に目を閉じていると、ふと、ばさばさっと鳥のような羽の音と共に、瞼越しにリコの前が暗くなった。

 そのまま目を閉じていれば、今度はその暗さが解消される代わりに、横腹の上辺りに重みが加わる。


 同時に、


「んんんん!?」


 すべすべのカエルボディー越しにもかかわらず、鋭いもので肉を挟まれるような刺激に、リコは何事かと体を起こした。


『起きたわね』


 起き上がったことで、リコの体に乗っていた物体───白鷹は中庭に飛び降りる。

 丸い瞳がリコの顔をじっと見つめると、リコの背中側で寝転がっていた河童が飛び起きた。


「キュ!!」


『ええ、おかえりなさい』


 満面の笑みで河童と熱い抱擁を交わすと、白鷹から発せられた光が河童の体を薄く包み込む。

 リコの前でなぜか唐突に元気になった河童は、例によって白鷹と連れ立って、仲良くどこかへと行ってしまった。


(……なんであんなに仲が良いんだろ)


 青極に七不思議があれば、彼らの謎の関係を加えたいところである。


 鷹と河童が去って、その場に静寂が戻ると、リコは縁側の上で流れてくる風を受けて心地よさに目を閉じた。

 青極を離れたといってもほんの1年ぐらいのものなのに、気づけばずいぶん長い時間が経った気がする。

 青極を発して波閑の里や霞賀裏、杜喜波……と、色んな場所を旅してきたのだなと自分の軌跡を振り返った。


「……と」


「?」


 せっかく静かになったというのに、また近くでヒト人の気配がする。

 いくらか気分が良くなってきたので目を開けて体を起こすと、リコの視線は間もなく不機嫌そうな顔に行き当たった。


「あれ? 御影様?」


 崩した体勢を正し、カエルは慌てて立ち上がる。


「えっ? どうしたんですか?」


「分家では皆が一緒だったから、個人的な話が何もできなかったと思って。あなたには、言っておかなきゃいけないことがあるから」


 分家では形式的な話が主だったため、御影と個人的な雑談はほとんど出来なかった。

 というか、リコは船酔いでそれどころではなかった。

 リコとしては御影と杜喜波城で言い合った記憶しかなく、大祐たちが同席していた分家と違って、2人きりになるとどう話せばいいのか迷ってしまう。


 そんなリコの前で、先に御影が口を開いた。


「とりあえず、ありがとうって言いたかったの。……あなたには、まだ御礼を言ってなかったでしょ」


 彼女のツンやデレは、リコには判別が難しい。


「……何の御礼ですか?」


 分からずに問い返すと、


「だから、大護殿とか……! その、色々よ、色々!」


「……はあ」


 気のない返事が口から飛び出すと、御影は照れ隠しに髪を触る。


「あなたが守護獣になった時に、杜喜波城は本当に大変だったのよ。城に籠った民も守れるか分からなくて、多くの仲間も変な霧に倒れちゃって、そんな中で大護殿が腕を失って、」


「えっ?!」


 リコは寺にずっと居たため、重梧が到着してからの杜喜波城での出来事を何も耳にしていない。

 大護たちが無事だったことは聞いたけれど、その経緯を詳しく聞いてはいなかったので、驚きと共に目を見張った。

 御影の話は、まだ続いている。


「でも、あなたのおかげで助かったの。守護獣さ……音杜が、そう教えてくれたわ」


 この場に居ない白鷹の名前を口にするところを見るに、どうやら彼女は自分の立場を受け入れたのだろう。

 徹刃が鷹守でないことを、リコは宇佐子に聞いて知っていたため、何の不思議もない。

 ただ、16年間という長い年月、ずっとひた隠しにされてきた事実を告げられた時、御影本人はどんなにか驚いただろうと思うだけだ。


「私が本当の鷹守だってことも聞いた。――――私は、ずっと皆に守られていたのよね。嘘をついてまで家を守る重責なんか想像もつかないけれど、私はずっと徹刃兄上に大変な役目を押し付けていたんだわ」


 戦が終わってからここに至るまでの間に、どうやら鷹守としての自覚が少しは芽生えたのか。

 その御影がリコを見返して、珍しく口元に笑みを浮かべる。


「でも、きっとこれからは大丈夫ね。これからの徹刃兄上は、もう一人じゃないから」


「え?」


「だ、だから! その……私はあなたに感謝してるのよ。その上で、その、これからは好きなだけ青極領の城を行き来していいって言ってるの!もう門前払いもしないから」 


 そう言った御影は耳まで赤くなって、リコは思わず笑ってしまった。

 《兄上の妖獣席は空いていないわよ》と、けん制されたことも、今では懐かしい。


 と。


「御影ー!!」


 ふいに、その場に聞こえてきたのは、誰かの一声と慌ただしい足音。


(あれは……大祐様??)


 リコが首を傾げていると、その足音の主は間もなく中庭に駆け込み、縁側で座っている御影を見て足を止めた。


「おう、御影!! リコを見なかったか? あの白いカエルがどこにも居なく、て」


 遠目に御影の姿を発見した大祐は、駆け寄って来てリコの姿を視界に認めるなり、《あー!》と大声をあげた。

 思えば大祐は、リコと初めて出会った頃から一貫して態度が変わらない。

 リコが妖獣だと分かった時も、守護獣になった今も、門前払いにした時も、普通に声をかけてくる。

 本当に大物なのかもしれない。


「リコ!? 一体いつからここに!!?」


「……昼前から、ずっと居ましたよ」


「お、そうだ、徹刃には会ったか? 実は先ほど客が帰ってな、リコを探してたみたいなんだよな」


「いえ、まだです」


「ああ、じゃあ早く呼ばないとな! おーい、徹刃ー!! あの白いカエルが素子の屋敷に居るぞおおおお!!」


 大声を発しながら慌ただしく中庭を飛び出していった大祐。

 何をあんなに慌てているのだろうとリコが首をかしげるその傍で、やれやれと御影が頭を振った。


「まったく……。私が分家から居なくなっても、本当に大丈夫なのかしら」


「えっ?」


「ああ、言ってなかったわね。私、杜喜波を直々に任されることになったのよ。しばらくは杜喜波のお城に住んで、大護殿に城主の仕事を勉強させてもらうつもり」


 大祐の病が治ったことで、戦が終わってから分家内の体系も変わりつつあるらしい。

 杜喜波城に行くということは、城主である大護から直に学ぶということだろう。

 あの城で共に居た時間は短くても、リコは御影が大護のことを好ましく思っていることをとうに見抜いている。


「……ほほぅ」


 ほくそ笑むと、向かいで御影の表情が険しくなった。


「なによ。私は純粋に勉強しに行くのよ。遊びに行くわけじゃないんだから」


「別に何も言ってませんけど」


「なんか引っかかるわね。――――まあ、いいわ。とにかく、私も兄上を探して来るから、あなたはここに居て。行き違いがあったら困るから」


 御影がそう言い置いて、大祐に続いて居なくなると、その場にはリコだけが残された。

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