小料理屋—どろがめ
こざっぱりとした小料理屋どろがめのカウンター席に二人の男が座る。
一人は、相変わらず小汚い恰好のガイアス。
もう一人は和装にも似た、サムイを身に着けた風貌も矍鑠とした風格のある老人。
店の主の老婆をからかい乍ら、珍しい酒に舌鼓を打っていた。
老婆が、嘆く。
「全く、このガイがこの町の英雄様とはもっと、シャキッとしたいい男はいないもんかね~。いい男が街を凱旋してごらんよ。もっと街が華やぐよ」
「ガイが、英雄様ならあたしゃ海の女神ティティス様とお呼び! 何なら一節歌おうか」
「ハハハハッ 婆さんがティティス様 そしてここに居られるのは、アンナブルーナ山脈の奥地に住まわれるエンシエント.ドラゴン、ネス様だ」
「ハハハハハハ 紹介が遅れたな。主よ、我が名はアンナブルーナのネス。
神より使わされた、人間どもの良識を見守り、悪しき生き様ならこの世を滅ぼせと仰せつかった。この世を見守る神の使途なり。宜しく頼むぞ」
「オオオッ なんと頼もしい麗しきお方! このガイアスよりなんともたくましい。どうじゃ、ひとつ側めなどいらんかの~」
「「「ワァハハハハハハハハハハハハハ―――――」」」
主の冗談とも本気ともとれる言葉に、酒場を笑いが包む。
調子づいた婆さんが、街々を巡る行商人の旦那をもつ女の唄を歌いだした。
その年代を刻んだしわだらけの見た目からは想像できない、味のある歌声が酒場に響く。
がやがやと騒がしかった飲ん兵衛共もその口を閉じ、哀愁を漂わす歌声に聞き入った。
ーーーー北の空には黒い雨雲、今頃あんたは冷たい雨にうたれーーーー
ーーーー北の森には黒い獣達、今頃あんたは醜い獣とたわむれーーーー
ーーーーあたいは、知っているあんたがとても強いってことをーーーー
ーーーーあたいと子供の顔を、つらい時には思い出しておくれーーーー
ーーーーつよいあんたなら、雨にも負けない。獣だって怖くないーーー
ーーーー帰っておいでよ。無事な姿で。見せておくれよ。その笑顔をーー
うって変わって重たい面持ちで、老人ネスが口を開く。
「また、隣国と争いを始めるようだな。諦めることを知らぬようだ。前回の戦で散々疲弊したことなどもう忘れおって」
「そうです、ネス様。この国は西の一部に海に面した土地がわずかに広がるのみ、後は陸地に囲まれて、南方への海に広がる領土が欲しいのでしょう」
「南海の海に面した土地を奪ったとしても、内陸以上に煩わしい魔物の巣窟ともいえる海に漕ぎ出して富を得られるとでも思っているのか」
「海の恐ろしさを知らぬ内陸の土地の者ども、海の領地を持つ身の苦難.困難など分からず、目先の海産物の富に目を奪われているのでしょう」
「ガイよ。人は魔力を自在に使い.頭を使い、ほかの動物.魔物たちよりも貧弱な体で有利に働き繁栄を見せてきた」
「決して人が死んでよいわけではない。しかしほかの生き物たちも神の思し召しによって生きている者たちだ。生きることは戦いだ、しかし行き過ぎてすべてを滅ぼしてもならない。いずれは滅ぼしてしまったものが人の生きるためにどうしても必要だったと気づいても後には戻れない。それがすべての人の破滅に繋がるやもしれぬ」
「…………その時には、わしの与えられた仕事をせねばならぬ……」
婆さんが、歌い終わった。
拍手が鳴り響き、後に続く様に喉に自慢の歌い手が続く。
老人ネスが、笑顔で婆さんに手を差し出す。
「主よ、素晴らしい声だ。聞きほれてしまったぞ、今夜はいい夜じゃ。これで皆の者の飲み代を払ってやる。皆に酒をふるまってくれ」
婆さんの手に金貨が一枚握らされる。
「これは、この安酒場の飲み代には多すぎますよ。ネス様!」
「なに、構わん。酒を出しておやり」
婆さんが、盛り上がっている店の客たちに声を張り上げた。
「みんな、よくお聞き! 今夜は、このお山のご老人ネス様のおごりじゃー、
お礼をいいなー!」
皆が、振り返って樽のジョッキを掲げた。
「「「山のご老人! カンパーイ! ゴッサン! お山のご老人!」」」
老人ネスとガイアスが、皆に手を振られながら乾杯の合唱の中店を出る。
暖簾を潜って外へ出ると、火照った顔に春の夜風が心地よい。
「このような場所で、酒を飲むのもいいものだな。あの女将の唄声も気に入ったぞ」
「喰うことでいっぱいで、その日その日を過ごしている者たちも時には、このような安酒場で破目を外しては、日ごろのうっぷんを吐きだし明日への糧としているのです。国の頭に座る人間以外はこのような者たちがほとんどなのです」
「……そうか……」
「ネス様、今度会う時には異世界の酒『サツマのショウチュウ』なる美酒をお持ちいたしましょう。楽しみにしていてください」
老人は袖を振るとたちまち黒い蝙蝠へと姿を変えた。
「また、会うことを楽しみにしているぞ」
「ファサッ」
と、軽く羽ばたくと見る間に暗い夜の空へ消えていった。




