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illusion  作者: 海東翼
7/10

第7話『それはコーヒーのようにほろ苦く』




 次の日、美冬さんに日傘をさしてもらいながら喫茶店まで歩いていくなつこちゃんの姿が、知り合いとは思えなくて、僕はちょっと離れて歩くことにしたのだった。

 道中、美冬さんに「腕……疲れないんですか?」と聞いたら、「ご心配ありがとうございます。私は慣れているので大丈夫です」と笑顔を返された。……そしてその笑顔が前と違って業務的なものじゃない、無邪気な笑顔だったので、不覚にも少しドキッとしてしまった。


「ここだよ」

「へぇ……これが喫茶店なのね」


 その様子から察するに、ゲームセンターに引き続き、こちらも未体験の施設らしい。


「じゃあ……なつこちゃん、先に入って。僕は後から入るから」

「一緒に入らないの?」

「うん。事情があって」

「……なんとなく、女の子が絡んでそうな気がするわね……」


 なつこちゃんは訝しげに僕を見る。

 う……鋭い。っていうかなつこちゃんだけじゃなく、美冬さんまで訝しげな表情でこっちを見ている。

 こう見ると、本当に姉妹みたいだ。……実際は親子らしいけど。


「さ、さあ、レッツゴー!」

「……まあいいわ。もうすぐ約束の時間だから入ることにするわ」


 ケータイの時計を見ると、まだ11時54分なのだが……彼女は5分前行動をキチンとするタイプらしい。

 なつこちゃんが扉を開けると同時に、扉に付いている鈴が揺れて、カランコロンと心地良い音が鳴り響いた。

 それにちょっと感動したのか、なつこちゃんはその場に止まって目をキラキラさせているように見えたが、きっと気のせいだろう。……なんにせよ無事、入店した。


「……美冬さんはいったいどうするつもりなんだろう」


 なつこちゃんとネット上の友達の一対一で対面を果たすものだと思っていたので、美冬さんがどうするつもりなのかはわからない。


「呼びましたか?」

「うわああああ!?」


 いつも通りではあるが、突然背後に美冬さんが現れる。


「五郎様、全然慣れないのですね……クスッ」


 突然現れる人に慣れろっていう方が無理だと思う……。っていうかこの人さっき店の中に入っていったように見えたけど、どうなっているんだろうか。


「私の秘密を知りたければ、そうですね……、私が着ているこのメイド服をお脱がしになってもらえれば、わかるかもしれませんよ」

「な……何言ってるんですか!」


 美冬さんはだんだん、からかい方が変な方向に行っている気がするのだが……。


「……あの、そんなに胸を凝視されると、恥ずかしいです」

「み、見てないです!」


 辺りに誰もいないとはいえ、外でそういうことを言ってくるのだからホント油断も隙もない。


「あ……ところで、この前もらったマッサージ券なんですけど……」

「はい。それがどうかなさいましたか? ――! あ、あの……さすがにこのような人目につく場所では流石に……」

「んなわけないでしょ……」


 今使っても、二人して恥ずかしい思いをするだけだ。


「あれを、違う券に変えることってできますか?」

「例えば、どういった内容に……?」

「一日メイド券とか」

「それはつまり……私が丸一日、五郎様にお仕えするというものですか?」

「そうなりますね」

「そ、そそ……そうなのですか」


 何故か顔を真っ赤にする美冬さん。

 美冬さんは、『なつこちゃんのメイドさん』だから僕のことをからかってくるのだろう。もしも僕が主人になれば、そんなことはできないはず! って考えて言ったのだが、それって仕事の内容を変えさせるってことになるのかな……。だとしたら無理か。


「あの……5枚で1日ということなら、だ、大丈夫です」


 ……! なるほど……。これはいい条件だ。あのマッサージ券、正直言って使うタイミングがないから5枚も要らないって思っていたところなんだ。


「じゃあ交渉成立ですね。……って言ってる場合じゃなかった! 僕も店内に入らないと! 行ってきます!」

「は、はい、行ってらっしゃいませ、五郎様」


 ――カランコロン。

 喫茶ミトウの店内に入ると、そこには見慣れた景色が広がっている。

 店内は主に茶色を基調としていて、とても落ち着いた雰囲気だ。左側にはカウンターがあり、右側にはテーブルとソファがいくつかある。

 右側のテーブル席の一番奥に、なつこちゃんと、恐らく『CHERRY』であろう後ろ姿を確認した。『CHERRY』の方から席が指定されていたので、お互いすぐにわかったのだろう。


「いらっしゃいませ。お好きな席にお掛けください」


 僕に声を掛けてきたのは知らない店員さんだ。バイトの子だろうか。僕と同い年くらいに見える。

 僕はとりあえずなつこちゃん達の居る一つ手前の席に座り、コーヒーを頼んだ。


「それでねー、結局料理の道は諦めることにしたのよ」


 隣の席に耳を傾けてみると、なかなか会話は弾んでいるようだ。……どういう話かは知らないけど。


「でもその……料理はできたほうが、後々便利だと思います……」


 あれ……。『CHERRY』の声は、どこかで聞き覚えがある。


「でも、下手な料理を出すよりは、ちゃんとしたものをシェフに作ってもらった方がいいでしょ?」

「シェフ……?」

「あっ……な、なんでもないわ」


 シェフというのは、家に専属のシェフが居るお嬢様だからこそ出たワードなのだが、そうか、自分の家庭環境についてはまだ秘密なんだな。


「お待たせしました。ホットコーヒーになります」


 店員さんがコーヒーをお盆に乗せて持ってきた。


「うん、ありがとうございます」

「あの……ちょっとよろしいですか?」


 不思議なことに、この店員さんは注文以外に僕に用があるらしい。


「え……?」

「マスターが、今日はどうしたんだって伝えてくれって……」


 店員さんは少し頭にハテナを浮かべながら、伝えてきた。言われたままを伝えているので、言っている本人も意味がわからないのだろう。

 ……そうか。僕は今までカウンター席にしか座ったことが無いから、こうしてテーブル席についたことで、マスターに疑問を抱かせてしまったらしい。


「あの……マスターとはいったいどういう関係なんですか?」


 店員さんが聞いてくる。


「マスターには子供の頃からお世話になってるんです」

「じゃ、じゃあもしかして、あの写真ってあなたなんですかっ!?」


 突然、テンションが上がった様子の店員さん。


「写真って……何のことですか?」

「カウンター横の写真です! あれ、あなたの小さい頃の写真ですよね!」


 あれか……。今となっては降ろして欲しいのだが、あれは僕が小さい頃に、飾って飾って!と何度も頼んだから飾ってくれている写真だ。


「そうだけど……」

「キャー! 可愛いです!」


 ――むぎゅうぅぅ……。

 店員さんに思い切り抱きつかれた。

 な、ななな……なんだこの状況!? なんで僕は見知らぬ店員さんに抱きしめられてるんだ!?


「……そういうことだったのね……」


 隣のテーブルから聞こえてきた、怒りと憎しみと悲しみが混じったような声に、背筋が凍りつく。


「一回離れよう。ホントに、色々おかしいから。……ね?」


 僕は店員さんを諭しながら振りほどき、席に座り直す。


「……行きましょう。ここにいると、お邪魔みたいだから」

「え……? どこに行くんですか……? あの……なつこさん……?」


 なつこちゃんは乱雑にお金を置いて店を出ていこうとする。

 僕は呆気にとられて何も出来ずに居たのだが……一つ、気づいたことがある。

 僕の席の前を通過するときに、さっきまでなつこちゃんが話していた相手の顔がハッキリと見えたのだ。

 その正体は何となくわかっては居たが、やっぱり彼女だったか……――桜ちゃん。


「……えっと……彼女さんですか?」


 今の光景を見ていた店員さんが訊いてくる。


「違いますけど……まあ、親友です」


 どっちも……ね。


「なら、ちょっと私と一緒にお茶しましょう! 私、マスターにあなたの幼少期の写真をいくつか見せてもらったんです!」


 ……はあ。


「お茶はまた今度にしてください」


 僕は興奮状態の店員さんに一言いった後、カウンターの前まで行き、マスターの顔を見ながら店員さんを指差して叫んだ。


「なんであの人に僕の写真なんか見せたんですか!?」

「五郎君には悪いと思ったのだが、杏里ちゃんがどうしてもというから、仕方なく見せてあげたのだよ」

「悪いと思うなら見せないでください! おかげで僕、襲われかけましたよ!?」

「ぶぅー。人聞きの悪いこと言わないでください」


 なんでムスッとしているんだこの子は!


「どうやら、五郎君はあの子の好みにバッチリはまったようだよ」

「マスター! そういうのは恥ずかしいのでやめてください……」


 店員さんはさっきの元気ハツラツな状態から一転して、照れてモジモジしている。

 ダメだ……付き合いきれない……。っていうかなつこちゃん達を追いかけないと!


「とりあえずまた来ますんで、はいこれ代金ですっ!」


 僕もまた乱雑にカウンターにお金を置き、店を飛び出した。

 ……コーヒー、一口くらい飲んでおけばよかったな……。







 全く、どういうつもりよ!! アイツ昨日、私の事好きだって言ったじゃない!! なのに他の女の子にあんなデレデレしちゃって……!


「あ、あの……」

「ん、何よ?」

「……どこ行くんですか……?」


 言われて我に返る。

 しまった……。何も考えずに店を飛び出して、そのままテキトーに歩いてきちゃったわ……。ここ、どこよ……。


「えっと、ごめんなさい。私、こんなつもりじゃなくて……」

「ううん……いいんです。でも……どうして急に? 誰かお知り合いが居たんですか……?」

「ええ……正直言うと、そうね」


 知り合い……。考えてみると、アイツはもともと来るつもりは無かったのよね。私がわがまま言ってアイツを連れてきたから……。だったら何しようとアイツの勝手じゃない……。


「もしかして……なつこさんの好きな人……ですか?」

「えっ!? な、なんで……わかるの?」

「なつこさんとはいつもゲームの中で一緒に居ますから……わかります」


 そっか……ゲームを通して伝わっちゃっていたのね……。


「私にも……好きな人が居ます……。私は昔、その好きな人を傷つけちゃったことがあるんです……。でもその人はとても優しくて……この前も私のことを友達だって言ってくれたんです……」


 友達……。今の私が一番必要としているものだわ。

 だけど、今はなんだか胸の辺りがざわついていて……よくわからない。何が欲しいのか……何で苦しいのか……よくわからないわ……。


「私……思ったんです。勝手に、悪い方へ悪い方へと思い込んじゃってただけなんじゃないかって」


 私も、思い込んでるだけなのかな……。本当は……、五郎は、どう思っていたんだろう。

 ――そうか私、アイツの気持ちを聞いてないのに、勝手に思い込んで……。


「好きな気持ちはごまかせないんです。我慢していても、やっぱり好きだから……」

「そうよね……好きになっちゃったんだものね。うん……っ。話してくれてありがと。あ、そうだ! 桜の好きな人は、どんな人なの?」


 桜の話を聞いていると、その人のことをすごく好きな気持ちが伝わってくる。それだけ素敵な人なのだろう。


「……えっと、いつも周りに振り回されているタイプで……優しくて……時々強引で、すごくカッコいい人です……」


 五郎と似たようなやつなのね。……まあアイツはあまりカッコよくないけど。……うーん、でもまるっきりカッコよくないっていうと嘘になるかもしれないわね……。


「……あの、なつこさんの好きな人は……」


 ……? 今チラッと黒い何かが見えたような気がする。


 ――!!


「桜、こっち来て……!」


 私は慌てて桜の手を引っ張ろうとするが……遅かった。


「――きゃっ!?」


 気づくと、黒服の……パパの使用人達が周りに何人もいる。

 そのうちの一人が、桜の手を掴んでいる!


「離しなさい! その子は私の友達よ……!」


 私が叫ぶと、使用人は桜から手を離した。

 ……よかった。相手が女の子だからか、使用人達は私の指示に従ってくれている。

 ――と思ったのだけど、


「本当か……? アンタ、お嬢様の友人だというのか……?」


 何で……。何で桜に聞くの……? 私の言葉は信用できないっていうの……?


「わ、わた……わたし……です……か……?」


 桜は震える声で尋ねた。

 桜……すごく怖がっている……。私のせいだ……。私が友達を作ろうなんて言い出さなければ……こんな怖い目に遭わせること……無かったのに。


「早く答えろ」


 使用人は冷たく言い放った。


「私は……私は……」


 桜の目から涙がこぼれ落ちた。

 1滴……2滴……3滴……次々と落ちていき、ポタポタポタ……とアスファルトを濡らしていく。

 今ほど自分の家を、自分を呪ったことはない。


 私はもう……全部嫌になってきた……。

 何もかも全部……嫌……イヤ……イヤ……イヤ……

 イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ……


「友達じゃ……ありません……」







 どうして、こうなってしまったのだろう。

 僕がもっとちゃんとしていたら……


「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤぁぁぁぁ!!」


 僕が辿り着いた時、なつこちゃんは叫ぶようにその言葉を連呼し……地面に座り込んで子供のように泣きじゃくっていた。

 周りには誰もいない。桜ちゃんも……美冬さんも。


「イヤ……イヤ…………うぁぁぁぁぁ」


 どれだけ泣いていたのだろうか。もう声も枯れている。

 僕は……今の彼女に何が出来る……? 何もできないんじゃないか……? だって……間に合わなかったんだぞ……?

 なつこちゃんが笑顔でいられるようにって僕も友達作りに協力して…………その結果がこれなのか……?

 むしろ、今までで一番悲しませているじゃないか。


「本当にごめん……なつこちゃん」


 僕は彼女の身体を抱きしめようとする。


「イヤぁ! イヤぁっ!! イヤぁぁあああ!!」


 叫びながら、僕の腕を振り解こうとする。

 僕は、意地でも離さない。

 こんな形になっちゃったけど……それでも、この悲痛な叫びを止められるなら、僕はなんだってする。

 たとえ、あの日できなかったことでも。


 ――僕は、彼女にキスをした。


 目を閉じていたから表情はわからないけど、口をつけた瞬間、彼女の唇が震えているのがわかった。

 その震えが止まるまで……唇を合わせ続けた。

 目を開けた時、目の前に写ったのは、彼女の笑顔だった。

 涙で目は少し腫れてるけど、とても綺麗な表情だ。


「私……全部……要らないって思っちゃったの……」

「どうして……?」

「邪魔なものばかりだから……」

「でも、それがなければ僕らはお互いを好きになることはなかった」

「好きになっても……結局……ダメになっちゃうわ」

「そんなこと無いよ」

「……うん」


 なつこちゃんは……少し寂しそうな顔で、歩きだした。

 何も喋らずに、ただ歩いていった。

 僕は近すぎず遠すぎず、微妙な距離を保って着いていく。


 ……僕は、彼女を輝かせることはできない。僕には彼女が抱える問題を綺麗さっぱり解決できる力がないからだ。

 それでも、元通りになると思っていた。

 また、毎朝起こされる日々が来るのだと思っていた。


 ――だが、事態は僕が思っていたよりずっと悪かったらしい。







「どうして、あそこまでしたのですか?」

「……お前の方こそどういうつもりなんだ? 何やらいつも、あやつのサポートを行っているらしいではないか。お前の仕事は何だ?」

「……お嬢様のお世話です」

「そうだ、わかっているならいい。今後一年間、なつこの学業以外での外出を全面禁止する。……いいな?」

「一年間……ですか……?」

「そうだ。外の世界を見なければ、憧れなど無に等しい。この"城"の中だけでも充分な生活はできよう」

「……貴方はあの子の父親なのですよ……?」

「ほう……私に口答えするのか?」

「いえ……滅相もございません」

「わかったなら戻れ。今後は警備の人員も倍に増やしておく。また抜け出されては敵わないからな」

「……失礼します」


 ――ガチャン




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