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illusion  作者: 海東翼
5/10

第5話『ダンスパーティー』




 次の日の朝。


「ダンスパーティーダンスパーティーダンスパーティーダンスパーティー……」

「うぅ……ん……」

「お嬢様。五郎様がうなされてますよ」


 僕は今、夢の中に居る。

 ゲームのラスボスと戦っているのだが、こちらの攻撃は刃が立たない状態で、率直に言うとピンチだ。

 やはり勇者の剣を抜かずに来たのが悪かったのか……。もうどうやっても勝てないのかな……?

 しかし、そんな緊張感の漂う中、ラスボスが何かをつぶやき始めた。


『ダンスパーティーダンスパーティーダンスパーティーダンスパーティー……』


 ダメだ、理解不能だ……。

 全く意味がわからない。

 何かのヒント……なのか……?


「お嬢様……私が代わりましょう。……メイドさんチョー可愛い、メイドさんマジセクシー、メイドさんLOVE、メイドさんがいないともう生きていけない」

「何吹き込んでるのよ、ママ!?」


 ……くっ……わからない……このラスボスの倒し方がわからない。

 っていうか何を言っているんだこのラスボス……。

 僕が戸惑っていると、再びラスボスは何かをつぶやき始めた。


『メイドさんチョー可愛い、メイドさんマジセクシー、メイドさんLOVE、メイドさんがいないともう生きていけない』


 なんか怖いよ、このラスボス……。なんでそんなにメイドさんを愛しているのさ……。

 目の前のラスボスに、疑問どころか恐怖すら感じてきたところに、空から一筋の光が降り注いできた。

 あ、あれは……! 聖剣エクスカリバー……――を持った黒影さん!

 メイドさん好きのラスボスの想いが届いたのか、それとも……


「喰らいなさい! バーニングアッパー!」

「お嬢様……人が夢を見ているところによくわからない言葉を吹き込まないでください。五郎様が可哀想ですよ」

「その言葉、そっくりそのまま返すわ……」


 黒影さんの方に気づかずに、僕の方に迫ってくるラスボス。……まずい、このままだとやられてしまう……!

 しかしその時だった。地面からドドドドド……という衝撃音が鳴り響いた。


『喰らいなさい! バーニングアッパー!』


 空から降ってきた黒影さんの一撃が届くよりも早く、突如現れた格闘家……なつこちゃんの必殺技が、ラスボスの顎を打ち砕いた。

 そして、辺りが真っ白になっていく――


「……うぅ…………はっ……!?」

「起きたわね」

「起きましたね」


 なんか、酷い夢を見た気がする。


「あの、二人共、何やってるの……?」


 人が寝ている横で二人して座っているので、尋ねてみた。


「ほんのイタズラ心よ」

「右に同じです」


 もしかして、ヘンテコな夢を見たのはこの人達のせいなのでは? と思いつつ、起き上がる。

 二人を部屋から追い出した後、顔を洗い、制服に着替え、リビングに下りて席についた。

 そして朝食を食べている途中……突然なつこちゃんが切り出した。


「明日、アタシん家でパーティーあるのよね」

「へー」

「アンタ……来ない?」


 味噌汁をずずず……と飲みながら言ってくる。

 唐突だな……。なつこちゃん家でパーティーか。


「うん、行かない」

「……」


 心無しかなつこちゃんがメイドさんに、ね? 言ったでしょ? 的な視線を向けている気がする。

 するとメイドさんはこちらが目を離した隙に、例のごとく瞬間的に僕の真横に現れて、耳打ちしてきた。


「普段のお嬢様とはまた違う一面が見られるチャンスですよ」


 このメイドさんはやけに乗り気だな。……しかし僕は、面倒ごとは嫌いなのだ。そのたった一回のイベントでこれまでのことがバレてしまったら、僕の命はそこまでなのだから。


「もし来てくださるのなら、こちらのマッサージ券を5枚お渡しします」

「何これ……」


 小さい紙にマジックで、『マッサージ券 期限なし』と書かれているものを5つ、メイドさんがポケットから出した。


「私が全身マッサージをして差し上げます」


 そう言われると、断るのがもったいない気がしてきた。どうしよう。

 ……よし、決めた。


「行くよ」

「えっ、来てくれるの!?」


 食事中だというのに、ガタンッと音を立ててなつこちゃんは立ち上がった。

 なんか……目がキラキラしている。


「そんなに嬉しいの?」

「そ、それは……まあ……それなりに」


 それなりって感じじゃない喜び方だったけど。


「黒影……どうやって説得したのよ」

「フフフ……秘密です」


 テーブルの影でマッサージ券の取引を行ったため、なつこちゃんはわかっていないらしい。

 っていうかアレ……なつこちゃんの指示とかじゃなくてメイドさんの独断で持ち出してきたのか。

 しかしこうも秘密にされると、なんかすごくやましい気持ちになるんだけど……大丈夫だよね? 普通のマッサージだよね?

 ちょっと怪しみながら朝食を終えた。

 いつも通り二人でゲームの話をしながら登校した後、学生としての一日が始まる。


「あの……山吹君」


 お昼休みに入ると、突然クラスメイトに話しかけられた。

 この子の名前は高見桜。僕とは小学生の時から同じ学校、同じクラスという謎の縁がある。


「ん……何、桜ちゃん?」

「あ、その……えっと……一緒に……お昼食べに行かない……かな……って」


 妙にモジモジしているが、この子は誰と話す時もそうだ。昔からかなり内気な女の子なんだ。

 中学の頃まではいつも一緒に居たので、付き合っているんじゃないかと噂を立てられたこともある。

 ……だがその噂が流れ始めたのをキッカケに、桜ちゃんは僕のことを避けるようになった。そのため今では、見知ったクラスメイト程度の関係だ。


「お昼か……うん、わかった。学食?」

「うん……私今日お弁当持ってきてないから……」


 いつもは弁当持参だったのか。……そういえば学食で彼女を見かけたことは無かった。


「食堂だと騒がしいけど大丈夫? パン買ってきてここで食べる?」

「えっと……うん」


 それは……どっちの"うん"なんだ……? 食堂で食べる方か? 教室で食べる方か?

 桜ちゃんとは長い付き合いだけど……わからない。以前もこのようなことを何回も経験しているのだが、ハッキリしない返事にイライラしていた時期もあった。

 だけど、僕はなつこちゃんと出逢って何度か命の危険を感じているからか、今ならば、この子は平和そのものだな……と、ちょっと癒やしを感じる。


「食堂でいいの?」

「うん……私、おうどん食べるね」


 なぜここで宣言するのだろうか。久々に会話をしたけど、相変わらず不思議な子だ。

 ……そして食堂にて桜ちゃんは『サラダうどん』を、僕は『日替わりランチ』を頼み、空いている席に座った。


「温かいうどんじゃないんだね」

「うん……これ、美味しそうだったから。山吹君のも美味しそう」


 今日の日替わりランチは、エビフライ定食だ。エビの他に、クリームコロッケや白身魚のフライも乗っている。それにご飯や味噌汁も付いているというセットだ。

 ところで桜ちゃんが何故か僕の方をチラチラ見ているのだが……。


「どれか食べてみたい?」

「えっ……でも五郎君の食べるものが……、あっ……今私……名前で……」


 桜ちゃんの顔が赤くなった。なぜだか勝手にプチパニックを起こしているらしい。


「名前でいいよ。友達なんだからさ」

「う……うん」


 こういうことを言うのは少し恥ずかしいものだけど、なつこちゃんと出逢って気づかされたんだ。他人を認めることの大切さに。

 桜ちゃんはきっと、僕に対して罪の意識がある。中学の時に僕を遠ざけたから……きっとその罪悪感が残っているのだろう。

 そんなもの、今は気にしていないというのに。


「それで、どれがいい?」

「……でも……悪いよ……五郎君の食べるもの減っちゃう……」


 それは……確かに。


「じゃあさ、お互いに欲しいものを選んで交換するっていうのはどう?」

「う、うん……」


 さて、僕はどれにしようか。

 ……サラダうどんって、具材が少ないんだな……。選ぶのが申し訳無くなってきた。


「決まった?」

「うん……。その……エビフライ……」


 お……。この子にしては大胆な選択……


「の、端っこの方……」


 ……いや、全然大胆じゃないな。


「あのさ、君が遠慮しちゃうと、僕も変に気を遣っちゃうんだよ? ……ということで、はい」


 僕は自分の箸でエビフライを一つ掴むと、桜ちゃんの口に入れた。


「むぐ……っ!?」


 よし、スッポリ入った。桜ちゃんはいつも何か言いたげに口をパクパクしているから、やりやすかった。


「お味はどう?」

「……美味しい……」


 若干顔を赤くしているが、言葉通り美味しそうに食べている。


「五郎君は……?」

「えーと……じゃあ、なるとで」

「……遠慮してる……」


 不満そうな顔だ。


「お肉でいい……?」

「え……でも、それをもらっちゃうと、君の食べるものが……」

「……五郎君……あーん」


 桜ちゃんは鶏肉を箸で掴み、手を添えてこちらに向けている。


「ええっ……」

「……えいっ」


 戸惑っていると、さっき僕がやったように、彼女も仕返してきた。

 ……なんだか昔に戻ったような気分だ。昔の僕らはとても仲が良かったから。


「どう……?」

「美味しいよ」


 正直に答えた。

 幼なじみとはいえ、高校生にもなってこういうことをすると、妙に意識してしまうな……。


「ところで、なんで急にお昼ご飯誘ったの?」


 照れを隠すついでに、気になっていたことを訊いてみる。


「それは……その……、あの……えっと……」


 桜ちゃんは両手の人差し指をつけて離して……を繰り返している。典型的なモジモジ動作だ。


「言いづらいことなの……?」

「う、うん……もしかしたら……私の勘違いかもしれないから……」


 桜ちゃんは僕と目が合うと、自信無さそうにうつむいた。

 言い方から察するに、僕は何かを桜ちゃんに目撃されたようだ。


「ひょっとして、いつも僕と一緒に登校してきている女の子のこと……?」


 思い当たるのはそれだけだった。


「……! う、うん……み、見かけない子だなぁって……思ってたり……するかも……」

「あれは、最近出逢った友達だよ」

「友達……? ほんとに……?」


 何故か疑われている。

 もしかして僕となつこちゃんって、付き合っているように見えるのか……?


「あの子は家柄の問題で庶民の友達が貴重だから、僕を振り回しているだけだよ」


 ……だけ、なのかな……? 正直、言っている自分でもよくわからない。


「そうなんだ……」


 桜ちゃんはちょっと嬉しそうな顔でサラダうどんを食べ始めた。

 なんとなく、この感じ……嫌な予感がする。







 次の日。

 金縛りにでも遭ったように、身体が動かない状態で起きた。


「……あの……なつこちゃん……?」

「……んう……ぅ」


 金縛りの正体はなつこちゃんだった。なぜか僕はぎゅ〜〜〜っと抱きしめられている。

 ここまで強く抱きしめられるのは当然初めてなのだが……そもそも、この子が僕を抱きしめているのは、僕が寝ている間だけだ。つまり僕からしたら、初めての体験なのだ。

 しかしなつこちゃん、うなされているな。……悪夢でも見たのだろうか。


「う……うう……ん……?」


 なつこちゃんは僕に声を掛けられて初めて目が覚めたらしい。


「大丈夫? 嫌な夢でも見た?」

「……うん」


 顔をよく見ると、目に涙を溜めている。


「夢……なのよね……? 目の前にアンタが居るんだから……そう……よね」


 大丈夫なのかな……。額は汗ばんでるし、息もちょっと荒い。

 ……そんな女の子が自分のベッドの上……すぐ隣に居るこの状況は全く持って健全ではないけど。


「あの……ごめんなさい……」


 謝りながら、抱き着いてきた。


「ちょっ……! なつこちゃん!?」

「酷い夢を見たの……もうちょっとだけこうさせて……」


 泣きそうな声ですがりつくように抱き着いてくるなつこちゃんを、僕は突き放すことはできなかった。

 今日は明らかにいつもと違う朝だった。

 何なんだ……、何がこの子を悲しませているんだろう。


 夕方。パーティーに参加するため、僕はなつこちゃん家を尋ねた。表門から堂々と。

 すると突然、目の前に黒影さんが現れて、僕はいつもの裏口の方へと連れて行かれた。


「五郎様……なんですかその格好は」

「……あ、やっぱり制服じゃまずかったですか」

「もちろんです。こちらに衣装をご用意してあります」


 服装に関しては、パーティー用のものを持ってないことを前提として準備してくれていたみたいだが、まさか僕が正面突破しようとするとは思わなかったようだ。

 そうか……素直に裏口の方に来ればよかったのか。


「あの……着慣れないものなので、どうしたらいいかわからないんですけど……」

「ご心配なさらずに。私が手伝わせていただきますわ。……ただ……」

「ただ……?」

「殿方の身体はあまり見慣れていないものでして……その……」


 気づいたら黒影さんは顔を赤くしていた。

 こういう反応をするから、僕らよりも歳がずっと上だと言われても信じられないんだよな……。


「えっと……着れるものだけは着ておきます」

「すみません……。では、ご準備ができたらお呼びください」


 そうして、衣装室で黒影さんに手伝ってもらいながら着替えた後、僕らはパーティー会場へと向かった。


「ちなみに会場はどこなんですか?」

「大広間です。そちらにはご主人様も居られますので、お嬢様に関する発言は控えるようにお願い致します」


 一応さっき着替えてる時に説明された。僕はなつこちゃんとは一切関わりを持っていないということにしてあるらしい。


「あの……ところで黒影さんは、今日はなつこちゃんと一緒にいなくていいんですか?」

「ええ、パーティーはコミュニケーションを取る場なので、私はお嬢様から離れているようにとご主人様に申し付けられているのです。しかし護衛の方は常に近くにいるのでご安心ください」


 ……変だな。なつこちゃんとメイドの黒影さんを、離す……?

 まるで、二人が一緒に居るとまずいことでもあるみたいだ。


「受付とかはいいんですか?」

「今は他の使用人の方にお任せしておりますので大丈夫です。なので今日は……ずっと五郎様とご一緒に行動させていただきたいと思っております」


 そう言って優しく微笑んだ。

 ずっと一緒って……ドキドキしてしまうんですけど……。


 黒影さんに案内されて辿り着いた場所には、まさしく思い描いていた通りの――いや、それ以上にキラキラしている……これぞパーティー会場って感じの広い空間が広がっていた。

 丸いテーブルがたくさんあり、その上にはシャンパングラスやワイングラスが並んでいる。

 というか、人多いな。こんなに居るものなんだ。


「いかがですか、五郎様」

「すごいですね……想像以上です。……ところで、なんで席が端の方に並んでいて、真ん中は大きく空いているんですか?」

「それは……そのうちわかります」


 なんか、あからさまに何か隠している気がするんだよなぁ……。これを言っていたら恐らく僕はここに来なかっただろう……というレベルのものを。


「しかし、人の数に対してテーブルの数が少ないですよね」

「このパーティーではかなり広いスペースを使うので、仕方ないのです。お食事は立って食べられるものを用意しておりますので、よかったらお召し上がりください」


 周りを見渡すと、お盆に一口大の料理を数個乗せたウェーターさんが何人か居る。

 ……なるほど。なんとなくどういうパーティーなのかわかった。僕の予想では恐らく……そろそろ始まる。


「レディースエーンドジェントルメーン!」


 突然、男性の声が響き渡った。恐らく司会進行役の人の声だろう。

 そして一通りオープニングの挨拶が終わった後、優雅な音楽が流れ始めた。

 やっぱり……予想通りだ。


「五郎様……お嬢様が登場なさいます」


 そういえば見かけないと思ったら、なつこちゃんはこれから出てくるのか。と思っていると、突然部屋が暗転した。

 この大広間の前方は高台になっており、上に上がるための階段が左右にある。その高台の奥から誰かが出てくる。その瞬間、その人物にスポットライトが当たった。


「あれは……なつこちゃんと……」

「ご主人様です」


 なつこちゃんのお父さん……か。

 二人は一度、左右に別れ、階段をゆっくり下りてくる。

 その間、会場は拍手に包まれていた。

 そして階段を下りてきた二人が会場の真ん中で踊り始めた。


「やっぱり……ダンスパーティーだったのか……」


 日本語で言うと、舞踏会だ。


「隠していてすみません。……五郎様には是非とも参加していただきたかったので、今まで伏せておりました」

「まあ確かに……知っていたら来なかったと思います」


 しかし、来なけりゃよかったというわけでもない。

 赤いドレスを身にまとったなつこちゃんはとても綺麗で、不思議と目が離せなくなる。

 衣装だけじゃない、踊りも美しいんだ。だからこんなにも幻想的で、見るものを魅了するのだろう。

 僕は――これをいつも相手にしているのか。本当にありえない。……こんなの、近づけないよ。


「五郎様、ダンス経験はございますか?」

「えっ、ないですけど……」

「でしたら僭越ながら私がリードさせて頂きます」


 黒影さんがそう言った直後、パッっと部屋が明るくなり、来客達がそれぞれ男女ペアで真ん中のスペースへと集まっていき……やがて踊り始めた。

 もしかして、僕も踊らなきゃいけないのか……?

 ふと、なつこちゃんの方を見ると、目が合った。


「……! 五郎様……ダメです。お嬢様との関係を勘ぐられてしまったら、おしまいなんです」


 黒影さんが慌てて注意してきた。

 そうだった。でも、目が合っただけでもダメなのか……。だけど、どうしてなつこちゃんはこっちを見ていたのだろう。特定の方向を見ていたら明らかに不自然だというのに。


「……うん。気をつけるよ」

「では踊りましょう。手を腰に回してください」

「こ、腰に!?」


 加えて「片手を腰へ、もう片方の手を私の手へ」と言われるが、腰に手を添えるにしても具体的にどの位置に手を持っていけば良いかわからない。


「……五郎様、深く考える必要はありません。私はどこを触られても平気ですから」

「そ、そんな変な所触らないから!」

「と言うものの、全然腰を持ってくださらないじゃないですか。……女性に慣れていないのですね……くすっ」


 耳元で囁かれて、顔が熱くなる。

 こんな状況でもからかってくるなんて……この人は本当に……。


「わかりました。覚悟決めます」


 僕は一度深呼吸をした後、黒影さんの腰に手を添えた。


「ふふふ……上出来です。では踊りましょう」


 黒影さんに動きを教えてもらい、ものすごくぎこちない動作ではあるが、なんとか踊ることはできた。

 しばらく踊った後、僕は壁際に座り込んだ。


「……なんか、一気に疲れましたよ」

「私は楽しかったです♪」


 黒影さんは本当に終始楽しそうだった。……自分がメイドであることを忘れたかのように、ずっと楽しそうに笑っていた。


「では私は飲み物をお持ちしますね」


 黒影さんはスタスタスタと歩いていった。

 うん、普通の歩行速度だ。……なのにいつも突然現れるのだから不思議でならない。

 僕は特に一人ですることもないので、先ほど注意されたのだが、再度なつこちゃんの様子を見ることにした。

 っていうか、なつこちゃんのいつもと違う姿を見られると聞かされていたのに、本人と目を合わせてはいけないってどういうことだ。


「……あれは……」


 なつこちゃんは、見知らぬ男性と踊っていた。

 明らかに身分が高そうで、品もある。しかもイケメン。踊っている様子を見ていても、ホントお似合いだなぁと思う。


 僕は今日、なつこちゃんと踊ることはない。交流をしてはいけないのだから当然なのだが。

 それに、これを見ちゃったら……僕もあの子とは踊れないと思う。

 今のなつこちゃんはきっと、お嬢様を演じているのだろうけど、あの華やかさはやはり一般人とはまるで違う。

 今まで見てきた中で、今の彼女が一番光り輝いているように見える。

 だからちょっと悔しいな……。こんなの絶対に届かないよ。僕が何をしたって、なつこちゃんをこんなに光り輝かせることはできないだろうから。


「お嬢様として振舞っている時のお嬢様……確かに美しいです」

「うわっ! 黒影さん!」


 この人は本当にいつもいつも突然現れる。


「こちら、ジンジャーエールになります」


 グラスを渡される。……こうして見ると、なんだかお酒が入っているみたいだな。


「う、うん、ありがとうございます。それで、今言っていたのって……」

「あの姿は……他人にしか見ることはできないのです」


 黒影さんは、真剣な表情で話す。


「他人にしか見れない……?」

「つまり、本人にとっては無価値なんです」


 無価値……。そうなのか? こんなにキラキラしているのに。なつこちゃんにしか出せない魅力なのに。……本当に、無価値なのか……?


「今夜お嬢様と踊られる相手の方は皆、今のお嬢様の姿を大事にする方です」


 そうか……そういうことか。

 今のキラキラした姿を求め続けることは、なつこちゃんにとっては苦痛なんだ。

 僕なんかは普段の彼女を知っていて、今が特別なんだと感じるけど……ここに居る人達にとってはそうじゃない。

 特別は、常に求めちゃいけないんだ。……そんなことしたら可哀想だもんね。

 なつこちゃんは――人形じゃないんだから。







 なつこちゃんはしばらく踊った後、パーティーの出席者と交流を重ねていた。

 パーティーの間、彼女が笑顔を絶やすことは無かった。

 ……ただし、その笑顔はどこか上品で、僕にはあまり好きになれない笑顔だった。

 きっと、僕は普段の彼女を見ているから、それが心からの笑顔じゃないってことをなんとなく感じたんだと思う。

 しかし……なぜだろう。僕は、お嬢様を演じているなつこちゃんも嫌いじゃない。取り繕った姿だってわかっていても、どこか惹かれてしまう。

 僕はなつこちゃんの……何を見ているんだろう。


「黒影さん……あなたは、僕と彼女をどうしたいんですか?」


 パーティーが終わり、なつこちゃんが帰ってくるのを待つために控室に戻ってきた僕と黒影さん。

 僕は今、どうしても確かめておきたいことがあった。


「……と言いますと?」

「あなたは今日、僕をパーティーに参加させてしまった。そんなこと本当はダメなのに。……どうしてそんなことを……?」

「お嬢様が願ったことなら何であろうと、私が全力でサポートするのは当然のことです」


 いつも通りの口調で答える。

 本当にそうなのか……? 自分の意思は含まれてないのか……?


「……違う。そんなことを訊いているんじゃないんです。貴方はどういう思いでこんなことをしたのか訊いているんです。答えてください……美冬さん!」


 僕は、焦っていた。

 もしかしたら、全ては意図的に仕組まれていたことなのかもしれないから……。


「……よく覚えてらっしゃいましたね。一度しか名乗っていないのですが」

「そりゃ覚えてますよ。不思議に思ってましたから」

「不思議に……? どういう意味でしょうか?」

「なつこちゃん――つまり"夏"に対して、美冬さん――あなたは"冬"だ。偶然だとは思ったんですけど、今日見ていて、あなたのなつこちゃんに対する思いが尋常じゃないことから、確信しました」

「そうですか、名前からバレてしまいましたか……。私は少し、五郎様と近づき過ぎてしまったようですね」

「認めるんですね……? 貴方が、なつこちゃんの"お姉さん"だってことを」

「…………えっ?」


 黒影さんは驚いている。

 ……なぜだ? あれ……? もしかして、僕の推理が違うってこと……?


「あの……お姉さんじゃないんですか……?」

「この際なので本当のことを言います。私は……あの子の母親です」

「えええええええええええっ!?」

「……そんなに驚くことじゃないと思いますが……」


 どういうことだ……? 見た目年齢21歳だぞ? なのに16歳の娘が居るって……

 た、タイムスリップしてきたとか……?


「もう……大人をあまりからかってはいけませんよ? 勘違いしちゃいますから……」

「いや……もう、なんか……よくわからないです……」

「……えっと……では年齢についてはあまり気にしないでください。とりあえず私はなつこの母なのです」


 いやいや、母じゃないよ! なんでこんな可愛らしいのに僕と一個しか違わないお嬢様の親なのさ!

 でも、それでもこれが現実なのか……。黒影さんの言うとおり、年齢はもう気にしないほうが良いのかもしれない。

 ――って……あれ……?


「でも、どうして苗字が違うんですか? 父親はフランス人なんでしょ? 姫条というのは明らかに日本の名前ですし……」

「それについては非常にややこしい上に、個人的にあまり話したくないことです。しかし話せる範囲で言いますと……黒影というのは旧名です。今は姫条美冬と申します」


 この人にも何か事情があったんだろうな……。

 とりあえず、この人がなつこちゃんの母親であることは変えようのない事実みたいだ。なのでそこだけを受け止めよう。


「でもそうなると、どう呼んだらいいですか……? 黒影というのは今の苗字ではないんでしょう?」

「そうですね……私の正体を知っているのは限られた人物だけなので、美冬と呼んでいただければ幸いです」


 美冬さんか……。名前で呼ぶとなると、ますます母親っぽさが無くなるな。


「……えっと……話がちょっとそれちゃいましたけど、僕はなつこちゃんに対するあなたの気持ちを訊きたいんです」

「そうでしたね……。本名も明かしましたし、貴方には教えてもよろしいのかもしれませんね」


 美冬さんは一呼吸置いた後、話を続けた。


「私は……なつこの望みを叶えてあげたいのです」

「望み……?」

「詳しくはお教えできませんが、私は何も仕組んだりはしません。なつこの応援はしていますけれど、あの子や貴方の思いを無視して何かをすることは決して無いので安心してください」


 ……どうやら、答えは出たみたいだ。仕組まれたことなんて無かったんだ……。

 パーティーに参加して欲しいっていうのもなつこちゃんが思ったことだったということだ。

 もしかしたら、僕らの出会いから何までコントロールされているんじゃないかって疑惑が頭を過ぎったけど……完全に僕の思い違いだったらしい。


「……あの、一つだけ、よろしいですか?」


 美冬さんが、おずおずと訊いてきた。


「お二人に関して何かを仕組んだりはしないのですが……提案は致します。今回のパーティーに五郎様を参加させては? と言い出したのも私です……」


 ……そうなのか。でもそんなふうに、飼い主に怒られた犬みたいにしょんぼりされると、何も言えない。

 美冬さんにも美冬さんなりの考え方があるわけだし、僕らをコントロールしようとしているわけではないみたいだから万事解決ということにしよう。


「もういいですよ。そんな悲しそうな顔をしていると、せっかくの美人が台無しですよ」

「あの……狙って言っているのですか?」

「え? 何がですか……?」

「いえ……何でもないです」


 その割には顔が赤い。


「それじゃあ、僕はそろそろ帰ります」

「……? なつこには会っていかないのですか?」

「ええ。まあどうせ明日も会いますし……」


 ハハハ……と苦笑いしながら僕は帰路についた。







「なつこ……ごめんなさい……逆効果だったかもしれません……」

「ちょっとママ!? なんでいきなり泣くのよ!?」


 ママは、私が部屋に戻ってくるなり泣きながら抱き着いてきた。


「……? 待って……逆効果……って、私、アイツに嫌われたの!?」

「ち、違います……。恐らく五郎君は、今のままが良いと思っているのです」

「今のまま……」


 それって、毎日顔合わせて一緒に話しながら登校したり、週末には一緒に遊んだり……そういうことをアイツも望んでるってことなのかしら。

 それならどっちかっていうと、良い関係なんじゃないかしら?


「しかし今のままでいることは不可能です。やがてはなつこ……貴方は誰かと結婚させられます」

「ぐっ……その言い方、直球すぎて辛いのだけれど……」


 今朝見た夢が、現実になるってわけね……。

 あの夢は最悪だったわ。――夢の中で私は結局、好きでもない相手と無理やり結婚させられて……アイツとはもう会えなくて……。

 ――って、あれ……目の前がぼやけてる……。

 私、いつの間にか、アイツと会えない日々を想像するだけで涙が出てくるほど……好きになっていたの……?


「なつこ……?」

「な、なんでもないわ。目にゴミが入っただけ」


 親子揃って泣き虫っていうのは、名家のお嬢様として格好つかないわね……。


「ところで、アイツ……今日のアタシの事、何か言っていた?」

「いえ、何も言っていませんでした。……だけど、貴方に見惚れていましたよ」

「み、見惚れ……!?」


 アイツ……わ、私の事そんなに見ていたの!?

 アタシはアタシでずっとアイツのこと意識しちゃっていたし……な、なんか恥ずかしいわ……。


「でもやはり、彼の気持ちを揺れ動かさなきゃダメですね……。今回のパーティーで、貴方との壁をより一層感じてしまっている様子でしたから」

「そっか……。このままじゃラチあかないわね。いっそ一度告白でもして、アイツの答えを聞いてみようかしら?」

「その発想はありませんでした……。しかし、それは大きな賭けなのでは無いですか? 元の関係に戻れない可能性も……」

「そんな可能性無いわ。アイツ、アタシのこと……その……ちょっとは好き……なんでしょ? だったら、フられたとしてもまた毎日起こしに行けば、元通りよ」

「私には考えることも、実行することもできないような作戦ですので、アドバイスもできそうにないですね……」

「平気よ、私一人で考えるわ! そしてアイツをアタシの虜にする! ――って私……すごいこと言ってないかしら……」

「ふふふっ、応援していますよ♪」


 フッフッフッフ……作戦を実行する日が待ち遠しいわ!





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