召喚した?
真新しい装丁の本には、召喚魔導基本の書と流れるような飾り文字で書かれていた。
中等部も三年目に入り、やっと自らの希望の通りに必修科目で召喚術科を選んだファウリーだったが、当然、基礎だとか基本なんて阿呆くさいものには興味は無い。
しかし、ファウリーは着実に「召喚免許」を手にいれなければいけないのだから、この道は定められた通りに歩まなければならないのだ。
おじいちゃんは「あの阿呆と同じ道を行くなど止めて欲しいんだがなー」と肩を落としたが、別にぱぱであるパードルフが召喚魔導師であるからこの道を望んでいた訳では無い。物心ついた時から、ファウリーは何も無い場所に新たな存在を招く召喚という行為に憧れていたのだ。
何より。
おじいちゃんが言うようなことではなく、ただ単に腹立たしい幼馴染に報復する手段として手っ取り早いのではないかというのがきっかけだ。
目にも鼻にもつくレイシェンに何かやり返してやろうと思った時、パードルフが所蔵している「召喚術の書」が目についただけなのだ。
「基本なんて今更学ばなくてもね」
鼻歌交じりに言いながら、それでもファウリーは自分の部屋の寝台に体を投げ出し、寝そべるようにして真新しい本を開いた。
ぱらりと本をめくれば、そこに書き記されているのは国の法律だった。
――召喚は国法召喚第二条によって定められたものだけが使うことを許され、許可なきものは誰であろうと厳罰に処する。
いかめしい文体で書かれたそれに、ファウリーは眉をぎゅっと潜めた。
厳罰についてはパードルフにも聞かされた。
ファウリーは幼い頃に自分勝手に召喚術を行使してしまった。
免許の無いものが召喚術を行使することが罪であるなどその当時は知らなかったのだ。
一度目の召喚で現れたのは、ちっぽけなタツノオトシゴだった。
今思い出せば、ちっぽけというにはちょっぴり手の平よりおっきなサイズで違和感を覚えるが。
突然表れたソレに対し、海の生物だということをすっかり失念し、ポンプでくみ上げた生水の中に入れたことによりトドメをさしてしまったことは、幼いファウリーにとって苦い思い出だ。
ついで二度目の召喚はブリだった。
そう、ブリ。
体の側面にそれはそれは綺麗な黄色と青いいラインの入ったぴっちぴちの新鮮な魚。
どちらの召喚も魔獣と呼ばれるものを召喚するつもりであったというのに、何故か海産物だった。
いったい何がいけなかったのか……調べようにもその後パードルフによって図書室に鍵と封印を施されてしまった為に謎は謎のままだ。
学園の図書館も、召喚術や魔導書の類は一定の許可を持つものでなければ読むことが許されない。
「でも、それもオシマイ」
中等部の三年になり、召喚術を専攻すれば一応図書館のC区画許可がおりる。
まだまだ初歩の段階の書籍しか読むことは敵わないが、これからは毎日のように図書館に通って召喚術を学ぶことができるのだ。
ファウリーはつまらない法律の書かれたページをさらりと無視し、ぺらりとページをめくった。
喜びを示すかのようにその足が寝台の上で揺れている。
――そんなファウリーの様子を、実は戸棚の上から眺めているものがいるのだが、ファウリーは相変わらずソレをはっきりとは認識できていなかった。
幾度か何かがよぎるような気がしているが、虫や小型の生き物のように思われる。大きさは時としてネズミ程。
実害という程の害を覚えてはいない為に放置しているが、実際はソレが四六時中自分に張り付いている悪魔だと知った場合、激しい嫌悪感が膨れ上がったことだろう。
悪魔は現在棚の上をせっせと清掃中。
細かい埃はくしゃみのもとです。
「それに、むかつくけどレイシェンが監督してくれれば召喚術だってやっていいんだし!」
レイシェンは召喚魔術師でも魔導師でもないが、腹立たしいことに教員免許を取得している。
教員免許を所有している人間は監督官をすることができるのだ。
レイシェンへの報復活動の手助けをレイシェンにやらせるという、なんとも素晴らしい復讐のシナリオ。
ある意味、か・ん・ぺ・き!
ファウリーは鼻歌交じりで本の文字をむさぼった。
***
「いやぁぁぁっ」
金切り声の悲鳴をあげて、ファウリーはがばりと体を起こした。
召喚基礎の本の文字を視線が追えば追うほど、胃が引き連れるような思いを味わった。
まずファウリーの喉からうめき声を出させたのは、謎のマスコットキャラ、召喚獣の【しょうちゃん】が博士課程を学ぶ学生が頭に乗せるような帽子をかぶり、偉そうに【はじめての召喚】について語っているところから始まる。
――はじめての召喚は、とにかくイキモノ、ナマモノは避けること。
【召喚術は相手の意思を無視して自らの元に召喚する強制力の強い魔術だから、決して初期の段階でイキモノを招いたらいけないぞ! 技量以上のイキモノを召喚して食べられちゃうことはよくあるんだ】
さらっと怖いことが書かれている。
「食べられちゃうって……」
しょっぱなから紅ドラゴンを召喚しようとした記憶がまざまざとよみがえる。
脳裏に残虐なドラゴンがファウリーをがしりとその鉤爪のついた手でがっしりと掴み上げ、ギャオオオンっと炎を撒き散らしている場面を想像し、目元がひくひくと引きつった。
【自分の技量に見合ったものをこつこつと召喚して経験をつんで行こう! 】
まるで小学部のテキストのような文体に苛立ちを覚えながら読み進めていくうちに、召喚術の基本アイテムの欄がカラフルな図解入りで書かれていた。
「なんか、あまりイイ趣味じゃないなー」
思わずぼそりと言ってしまったのは、使われている品物がどれも「エグイ」様相を示しているからだ。
カエルの干物、クロトカゲの尻尾。猫のヒゲ――
ふと、猫のヒゲにいやな記憶が呼び起こされる。
「でもおじーちゃんの白髪で代用されるんだから、結構適当よね」
乾いた笑いが漏れたが、そのうちにどんどんと自分が使った品物と書かれているものの差異に血の気が引いていく。
挙句、マスコットキャラの【しょうちゃん】がやたら生真面目な調子で念を押す。
「アイテムの使用法、分量はきっちりと調べて決して間違っては駄目なんだ。召喚獣は君のちょっとしたミスを利用して、召喚主を陥れることもある。召喚したらきちんと契約を交わし、名前を与えてちゃんと自分の支配下におかなくちゃ駄目だぞ」
……とりあえずタツノオトシゴはいいとして、ブリは食べてしまいました。
契約は勿論、名前なんて付けてない。
そして、引きつりつつも文章を指先で追いかけるように読んでいたファウリーだったが、最終的に堪えられずに悲鳴をあげたのだ。
幼い自分のやった愚かな行為が恥ずかしくて。
「うわっ、うわぁっ。やだ、ちょっと自分バカすぎ。どうしようっ。恥ずかしいっ」
突如として胸に飛来する羞恥心。
召喚術にトマトとほうれん草を使ったのはもしかしたら自分だけかもしれない。
ファウリーは近くにあったクッションを振り回して寝台に幾度も当てて、最終的にそれを抱きしめるようにして「ばかー」と自分を罵倒した。
「何がバカなの?」
そしてはたりと気付くと、自分の部屋の出窓を外側から開けてやけに堂々と部屋に入ってくる男が一人。
ファウリーは思い切り相手を睨みつけた。
「レイシェンっ、来るなら下から来なさいよっ」
「こっちのほうが早いからね。それより、なに? さっきの悲鳴」
レイシェンは勢いをつけて窓から室内に入り込むと、眉を潜めて寝台の上のファウリーを見下ろした。
召喚魔術の本とクッションとを抱えるようにして今は胡坐をかいて座っている十四歳の娘は、不機嫌をあらわすように唇を尖らせた。
「レイシェンには関係ありません」
「もしかしてまたネズミでも出た?」
「ちょっ、どうしてネズミがいるのしってるのっ」
正確に言うのであれば、ネズミのようなモノだ。
時折目の端にちらっと見かけるのだが、それを確実に目にしたことは無い。なんとなく毛のあるイキモノでは無いかという予想でファウリーはソレをネズミではないかと疑っているのだが、勿論その実態はファウリーがその昔召喚してしまった悪魔である。
――現在は棚の上の埃を綺麗に拭き取り、得意顔で胸を張っていたのだが、窓からの来客に顔を顰めていた。
「ぼくは千里眼だから」
レイシェンはさっくりと言っているが、彼の愛読書は日記と書かれているファウリーの勉強机の中に隠されているノートだ。
ファウリーが普段どんな阿呆なことを仕出かし、考えているのか良く判る素晴らしい書物で、レイシェンは二週間にいっぺんそれを読むことを楽しみにしている。
あまりに素晴らしすぎて、時に赤いインクで添削してやりたい衝動にかられてしまうが、とりあえず今はまだやったことはない。
とっても高尚な趣味だとレイシェンは自負しているが、ファウリーにばらすつもりは今のところ無かった。
もしばれた場合、悪魔の存在以上にファウリーに激怒されるのは目に見えている。もう幾度も突きつけられた「絶交」程度ではすまないだろう。
レイシェンはまったく気にしないが。
「ネズミ、もしかしてレイシェンの家からうちに逃げてきたんじゃないでしょうね?」
唇を尖らせるファウリーに、レイシェンは片眉を跳ね上げた。
「もしかして話を誤魔化そうとしているんじゃないだろうね? さっきの悲鳴は何? その様子じゃネズミが出たって感じでもなさそうだし」
「――」
ファウリーは呻いて思わず横を向いてしまった。
「なんでもない」
――ジギタリスなんて毒草だし。
ほうれん草で代用しちゃったわよっ。
過去の失敗の恥ずかしさにのた打ち回り、思わず声をあげてしまったなどと恥の上塗り過ぎて言えない。
自分の無知が恐ろしい。
もうこの記憶は永遠に封印してしまいたいが、こういった羞恥は突然何の前触れもなく、「いやぁ」と声をあげだくってしまう黒歴史となるのだろう。
ファウリーはぶるりと身震いし、自分の頬が赤く染まるのを感じて思わずむにむにとつまんでしまった。
「ファウリー」
冷ややかにファウリーの名をゆっくりと口にするレイシェンを見上げて、ファウリーは唇を尖らせた。
「な・ん・で・も・ないってば」
「学校で何かあった?」
「ああ、もぉうるさいなぁ。出てって」
ファウリーは顔を背け、寝台の上に放置されていた「召喚魔導基本の書」へと手を伸ばそうとしたが、それより先にレイシェンがそれを手にしていた。
「専攻、召喚にしたんだ?」
「――そう」
「ファウリーのことだから、ちょっとやってみたいとか思ってるだろう?」
ぴくんっとファウリーの体が反応する。
それを確かめるように見つめ、レイシェンは淡々と口にした。
「よければ見てあげてもいいけど。ああ、でもファウリーにはパードルフ導師がいらっしゃるもんね? ぼくが見てあげるなんておこがましいか」
レイシェンの言葉にファウリーはぐっと拳を握り込んだ。
確かに、ファウリーには保護者のパードルフがいる。宮廷の魔導師に名を連ねている超絶有名人だが、有名人なだけに自宅に戻ることなど滅多に無い。
年に両手の指だけ顔を合わせれば多い程だ。
そして、パードルフ以外に魔術に通じている知り合いといえばレイシェンしか居ない。
ファウリーが自宅で魔術を練習したいと願うのであれば、それはレイシェンに頼むほか道は無いのだ。
――元よりそのつもりだったファウリーだが、まさか相手から言われるとは思っていなかった。
「じゃあ、ぼくは用無しだろうから帰るよ」
あっさりと言い切り、手にしていた「召喚魔導基本の書」をぽんっと寝台に放って背を向けようとするレイシェンの腕を、ファウリーは咄嗟に掴んでいた。
「レイっ」
「ん? なに?」
レイシェンは色素の薄い瞳を細めて「なにか?」というようにファウリーを見下ろしてくる。
ファウリーは何故か判らない屈辱のようなものを覚えつつ、悔しさにひきつる口元を動かした。
「見て、くれる?」
「んん? どうかしたの?」
もごもごと動くファウリーの口からこぼれた声が小さいのか、レイシェンは一旦離れかけた足を一歩ファウリーの元へと戻し、少しだけ身を屈めて見せる。
レイシェンの腕に自分の手を掛けたまま、ファウリーは苦痛を堪えるように眉を潜めた。
「ねぇ、ファウリー? どうかした?」
勢いをつけて言ってしまえばいい。
「召喚の練習がしたいから、時々監督官をして」って、ただそれだけの話なのだ。何より、今レイシェン自身が申し出たのだから、きっとレイシェンだって無下に断ったりしないだろう。
勢いだ。
思い切って言えば――
一旦伏せた瞳をあげ、思いのほか近い場所にレイシェンの眼差しを見つけ、ファウリーは危うく悲鳴をあげてしまいそうになった。
「ぼくにどうして欲しいの?」
「う、あ……えっと」
「どうしたの?」
小さなファウリーの声を聞き入れる為に身を伏せるレイシェンは、まるで内緒話でもするように声を潜め優しく囁いた。
「何か頼みがあるのなら、ちゃんとお願いって言ってごらん」
レイシェンが口元を緩めてその指先で頬に触れようとした途端、どすりという鈍い音と同時、レイシェンは突然「うぐっ」と呻いた。
「なにっ」
がくりと体制を崩したレイシェンの様子に驚いたファウリーは、レイシェンの足元にごとりと音をさせて落ちたモノに大きくその瞳を見開いた。
「亀!――って、えええ、なに、何で亀?っ」
ひっくりかえった亀は、ファウリーの声など完全無視でじたばたと四肢を動かしていた。
亀の種類などあまり知らぬファウリーだが、とりあえずすっぽんではなさそうだ。平らな腹を見せてなんとか爪先を床に当ててひっくり返ろうとしている亀の姿は、やけに――シュール。
「ファウリー! 召喚術は勝手にやっちゃ駄目だと言ってるじゃないかっ」
腰に突然亀が激突したレイシェンは憤慨を示したが、召喚術など行使した覚えのないファウリーはレイシェンと亀を交互に見ながら「いや、違うからっ」と慌てて言ってはみたが、レイシェンは信じてくれなかった――だが、
「もう二度とこんな風に召喚術を行使しないと約束してくれたら、ぼくがきちんと監督してあげるよ」
というレイシェンの言質はとれたので、ファウリーはなんだか納得しきれぬものを残しつつも良しとすることにした。
それに、もしかしてあまりにもあたしが天才過ぎて知らぬ間に召喚してしまったとか!?
あくまでも前向きなファウリーだったが、勿論そんな阿呆なことはない。
***
「ケケケケケケケ」
ファウリーによって【カメダさん】と名づけられた亀をさっさと元の海へと逆召喚した悪魔は満足気におかしな笑いを漏らした。
そう、亀は立派な海亀だというのに、またしてもファウリーは風呂桶の中に亀を放り込んだ。
さすがにレイシェンが塩を入れていたので、今回命にかかわるような事態にはなっていないが。きっと朝目覚めてカメダさんがいないことにファウリーは落胆するだろう。
しかし、その落胆を思って悪魔は笑っているのではない。
「ざまみろレイシェン!」
勿論、海亀を出現させたのは悪魔の仕業だ。
以前レイシェンに変態扱いされた挙句、蹴りをいれられた恨みは忘れてはいない。
ことあるごとに何かしらの報復を考えていたのだが、今回はじめじめと日々考え、ねちねちと練り込んだ完璧な計画ではなかった。
レイシェンの指先がファウリーの頬に触れようとした途端、何だか腹立たしさを覚えて思いきりレイシェンの背中に着地してしまったのだ。
アライグマの姿で。
――掃除の為にちょっと小型のアライグマになっていた悪魔だが、ネズミならともかくアライグマがそうそういてはまずいだろうという認識くらいはある。
悪魔は咄嗟にその場に海亀を召喚したのだが、阿呆なファウリーとレイシェンはやっぱり愚かにも騙された。
ばーかーだーよーなぁぁぁぁ。
ケケケっと笑いつつ、悪魔はちらりと寝台で眠るファウリーを見下ろした。
「レイシェンにいいように扱われてるんじゃねぇよ、ばーか」
何といっても、ファウリーをいいように扱っていいのは、積年の恨みを持つ自分なのだから。